2019年6月26日

映画のお話あのねのね


「インクレディブル・ハルク」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00JRMZIMW/ref=atv_wl_hom_c_unkc_1_3

B級覚悟で観始めたら
あらら、案外と面白いじゃないか。
中盤の展開には多少無理があったものの
後半のスピ―ド感とCGの出来栄えで持ち直した感あり。
けれど終わってみると
一体なんだったの?
そしてこれからどうなるの?
説明不足と思わせぶりなエンディングに
なあんだ、やっぱB級じゃないか。
もやもやしたものが残ってしまった。
だが待てよ?
これは同じくマ―ベル映画の
「アイアンマン」に繋がって行くのか?

?マ―クが頭の中で点滅を続けるのは
たぶん酒のせいばかりではないんだろうな。

2019年6月25日

ゆ―つなつゆ


束の間の晴れ、梅雨時には恵みのお天道様。
ありがたいなあ・・と、思いながらも
どこか憂鬱でスカッとしない気分。
猫も何となく不快感を露わにしてる。
湿気のせいで、あちこちムズムズするんだってさ。
おちおち寝られやしねえとぼやく。
こら、毎日寝てるだけなのに文句ゆ―な。


爺さんがボ―っと生きてる間に
次女宅の双子さんは今日で四歳になったとか。
口が達者になり、会う度に驚いてしまう。
去年あたりまでは双子間にしかわからぬ言葉を多用してたけれど
(例えて言うならミニオンズの言語)
近頃では我々と共通の言語を嗜むようになり
説教じみたことをリアルに言われてたじろぐことも。
この調子だと、数年後の爺さんは
こやつらにこっ酷く叱られてそうで怖い。
女の子に指摘されたことには言い返せない性分なのでね。

何を言われても、どっしりと構え
動じないほどの風格を漂わせて生きてみたいものだが
やれ市民・県民税が上がっただとか
やれ年金の支給額が少なすぎるだとか
チマチマしたことでボヤく事柄の如何に多いことか。
間違いなく、叱られるわ。

2019年6月24日

余談付き映画のお話


「スターファイター 未亡人製造機と呼ばれたF-104」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07BB6V567/ref=atv_wtlp_wtl_5

60年代の冷戦期、西ドイツはNATOでの発言力と存在感を増し
大国として返り咲くために軍備の拡張は急務だった。
米国の管理下の基、核を保有することを認められた代わりに
当時破産寸前だったロッキ―ド社からF-104スタ―ファイタ―を916機購入、
迎撃用の機体を爆撃機としても使えるよう急な設計変更が行われたらしい。
それが仇となり、1962年の導入当初から制御不能の異常動作が頻発。
老朽化して退役する1984年までの間に、262機が墜落したと言われている。
パイロットの死亡は116名、半数近くが緊急脱出さえ出来ない状況だったようだ。

我が国でも同型の機体がF-86Fの後継機として主力だった時期はあるが
同じ機体を導入した諸外国を含め、西ドイツの事故件数は異常すぎるほど多い。
未亡人製造機と揶揄されたのは、それが理由にあったのだ。
ところが当時の空軍関係者は事実を隠蔽し、操縦ミスと断定したことから
一人の未亡人が真実を公表するよう国防省に迫り
様々な妨害や迫害を受けながらも米国でロッキ―ド社を提訴、
原因究明には至らなかったものの損害賠償を勝ち取るというスト―リ―である。

どこまでが実際にあったことなのか、それは確かめようがないけれど
作品としては、とてもよく出来ている印象。
2015年、ドイツで製作された2時間ほどのテレビ映画。
お時間とご興味のある方は是非。。(ネタバレごめん)

(余談)
ちなみに、F-104のフォルムは美しくて好きだ。
仮にそれが、憎むべき戦争の道具(武器)であったとしても
アナログな時代の軍艦や戦闘機、戦車などの姿には美を感じてしまう。
そこんところが僕らの世代の不思議な感覚なのだが
たぶんそれは、邪悪なゴジラに立ち向かう正義の象徴として
幼少期に植え付けられたのが大きいんじゃないだろうか。
勝手にそう解釈している。

2019年6月23日

百年休まずにチクタクチクタク


60歳を過ぎてしまうと
否応なしに高齢者としての括り。
同じ会社で継続勤務するとなると
給料は格段に安くなる半面
厚生年金はずっと払い続けることになる。
会社勤めの場合は強制加入で、
70歳まで天引きされるそうな。
結構な額が引かれるというのに、
70歳以降の年金支給額に上乗せされる金額は
それこそ雀の涙で微々たるものだ。

先日、横浜市の県民税・市民税の納税通知書が届いた。
給料が少ない上に無職の女房を扶養してるので
去年まではせいぜい月額千円くらい、
非課税だった年もあったくらいなのに
開けてみてたまげた、いきなり月額6200円とな。
なんじゃこりゃあ―!!ですわ。
慌ててWEBであれこれ調べてみたら
税込年収が6万円ほど増えたことによって増税となった模様。
つまり、大変な思いをしながら余計に働いた分が
そっくりそのまま税金で持って行かれるということ。

・・なんだこれ。

この秋で67歳になるワタシ、
税金やら保険料やら、毎月結構な額を国に納めてるけれど
(介護保険料なんて年間で約10万円も引かれるんだよ)
見返りなんて無に等しく、負担は年ごとに大きくなるばかり。

過日のニュ―ス、野党が政争にしたがる具。
夫婦の年金額だけでは月5万円の赤字となる試算、
例の「百歳まで生きるなら2千万円なんとかしなさい」てやつ。
現実的な話をするなら、貯えの無い我が家に於いては
計算上、すでにそれ以上の赤字になっているわけで
僕が仕事を続けていられる間は何とかなるんだろうけど
2年、3年後にはどうなっていることやら。
僕らの世代ですら、数年後には破綻するかもしれないのだから
10年、20年後は、とんでもないことになってると思う。

「老後」なんていう響きの良い言葉は
一部の富裕層にしか当てはまらないのが現実なのさ。
これからのジジババは、幾つになっても(或いは死ぬまで)
ずっと働き続けていなきゃ喰っていけないのだよ。
人生百年だ?
百年休まずにチクタクチクタク、
・・古時計の歌みたいじゃないか。

やだやだ。
年金やら税金やら
「金」と書かれたものを見ると腹が立ってくる。
酒だ酒だあ―!!

2019年6月22日

人生は大道芸だ


伝説・・て、いいよね。
史実に基づいて、とは言いながら
伝え聞きでしかないんだから
嘘か誠か、本当のところは誰も知らない。
途中で誰かが大袈裟に吹聴してしまうと
あることないことに尾びれまで付いて
そのまま後世に語り継がれて行くことになる。
人間の、そんな曖昧さが僕は好きだ。
きっと誰もが、物語に酔いしれたいだけなんだろうね。

嘘っぱち、八百長、作り話、誇張、
なんでもいいから
「此処にこんな男が居たんだよ」
そう語られる人間になれたとしたなら
生きた甲斐があるってもんじゃないか。

人生は大道芸だ。


2019年6月21日

未練は・・ないよ。


東戸塚の名瀬町に住んでいた頃の懐かしい写真が出てきた。
玄関脇の納戸的な、四畳半にも満たない狭い部屋に機材を押し込み
打ち込みで曲作りに励んでいた80年代のプライベ―トスタジオ。
狭いながらも機能的なレイアウトだったと自負している。
左端にちょろっと見えてるのはFOSTEXの8Trマルチ、
1/4インチ幅のテ―プとはいえ、38で回っていたので高音質だった。
当時の民生用のアナログ機としては一番良かったんじゃないかな。
このセットは90年代に入ってから移り住んだ若葉台まで一緒だったけれど
現在手元に残っているのはオ―ラト―ンのモニタ―、5Cだけだ。
引っ越し貧乏というか何というか、転居の度に幾つかを手放し
そして家族の胃袋に食料として飲み込まれて行ったわけで
子供が三人も居ると、あれこれ用立てしなければならないことが多かったのだ。
マ―チンやリッケンバッカ―が相次いで姿を消したのもこの頃。
未練はないが、今も持っていたならお宝だったかもね。
未練は・・ないよ。


2019年6月20日

大馬鹿者のかずらより


2006年・・だったかな。
格安で購入した3速ATのパジェロミニ、僕の最初のRVでして
この時代の三菱のエンジンはスズキよりも遥かにトルクがあったので
同世代のジムニ―には負けないくらいキビキビ走ってくれたもんです。
傍らにドヤ顔で誇らしげに立つ男の姿をみりゃあ
どれだけ自慢の車だったかが伝わるでしょ?(笑)
車検を通して、タイベル換えて、さあ!これからもよろしくね!!

などと浮かれていると、ろくなことはないもんで
その翌年、仕事帰りの信号待ちで停車中に
脇見運転の20tのトレ―ラ―にがっつり追突され
無残な姿となり廃車へと追いやられてしまったのです。
もちろん僕の肉体もかなりのダメ―ジ、
骨折はしなかったものの、脊椎をやられて両腕マヒ。
入院、リハビリを経て、まともに動くようになるまで数ケ月かかりました。

2005年に歌の世界にカムバックして
さあ、これからもっと面白くなりそうだぞ!て矢先の出来事。
タオルだって絞れないほど麻痺した指と腕なんかじゃ、
ギタ―なんて弾けるわけがありません。
こんなことが起こるから、人生ってやつはダイナミックなんだよな。
やっぱり、馬鹿なんでしょうね。
事故に遭った本人が、あっけらかんとそう思ってましたから。
およそ三か月近くの間、家でぶらぶらしながらも
悲壮感は全く無く、むしろ有り余った時間を楽しんでいたくらいです。
実はこの事故のせいで自律神経やら何やら、あちこちやられてたみたいで
二年後の春には急性網膜壊死という非常に珍しい病気を発症して
緊急入院させられ2時間35分の手術を受けたんですが、
右眼の視力は今もなお回復しないままです。
ちなみにこの時も、失明する危険があったものの
(本格的な馬鹿ですな)どこか楽しんでいるかのような自分がありました。

そりゃ怖いです。先のことを考えると不安になります。
けれど深夜の手術台に括り付けられた瞬間に「興味」が勝ってしまうのが
何事も深く考えず、悩んだり苦しんだりしないO型人間の性なのでしょう。
僕がここまで生きて来られたのも、そんなところに要因があるのだと思います。

いやあ、ほんと凄い映像だったんですよ。
局部麻酔だったんで、手術されてるその眼で全て見てたんです。
眼球の水を抜かれて映像が萎んで行ったかと思うと
その歪んだ絵に油膜みたいにカラフルな渦が登場したり
まさにトリップ、サイケデリックな光の連鎖に
おお!誰かにこれ見せてやりたい!!
本気でそう思いながら密かに感動してたくらいですもの。
たぶん手術が成功せず失明してたとしても
片方の眼があるから平気さ!みたいに言ってたと思いますよ。

不幸とか不運とか、そう思われるのが僕は嫌です。
如何なるときでも悲劇の主人公にだけはなりたくありません。
人生で一番大切なのは、笑ってやり過ごすこと。
目くじら立てたり、眉間に皺を寄せたところで
何も変わらないじゃないですか。
僕や家族が理不尽な攻撃や差別を受けたときは本気で怒ります。
この国が、取り返しのつかないほど危うい状況となったときは
怒りに震えながら大声で叫ぶことでしょう。
けれど日常の些細なことは、笑ってやり過ごしましょうよ。

大馬鹿者のかずらより