2006年・・だったかな。
格安で購入した3速ATのパジェロミニ、僕の最初のRVでして
この時代の三菱のエンジンはスズキよりも遥かにトルクがあったので
同世代のジムニ―には負けないくらいキビキビ走ってくれたもんです。
傍らにドヤ顔で誇らしげに立つ男の姿をみりゃあ
どれだけ自慢の車だったかが伝わるでしょ?(笑)
車検を通して、タイベル換えて、さあ!これからもよろしくね!!
などと浮かれていると、ろくなことはないもんで
その翌年、仕事帰りの信号待ちで停車中に
脇見運転の20tのトレ―ラ―にがっつり追突され
無残な姿となり廃車へと追いやられてしまったのです。
もちろん僕の肉体もかなりのダメ―ジ、
骨折はしなかったものの、脊椎をやられて両腕マヒ。
入院、リハビリを経て、まともに動くようになるまで数ケ月かかりました。
2005年に歌の世界にカムバックして
さあ、これからもっと面白くなりそうだぞ!て矢先の出来事。
タオルだって絞れないほど麻痺した指と腕なんかじゃ、
ギタ―なんて弾けるわけがありません。
こんなことが起こるから、人生ってやつはダイナミックなんだよな。
やっぱり、馬鹿なんでしょうね。
事故に遭った本人が、あっけらかんとそう思ってましたから。
およそ三か月近くの間、家でぶらぶらしながらも
悲壮感は全く無く、むしろ有り余った時間を楽しんでいたくらいです。
実はこの事故のせいで自律神経やら何やら、あちこちやられてたみたいで
二年後の春には急性網膜壊死という非常に珍しい病気を発症して
緊急入院させられ2時間35分の手術を受けたんですが、
右眼の視力は今もなお回復しないままです。
ちなみにこの時も、失明する危険があったものの
(本格的な馬鹿ですな)どこか楽しんでいるかのような自分がありました。
そりゃ怖いです。先のことを考えると不安になります。
けれど深夜の手術台に括り付けられた瞬間に「興味」が勝ってしまうのが
何事も深く考えず、悩んだり苦しんだりしないO型人間の性なのでしょう。
僕がここまで生きて来られたのも、そんなところに要因があるのだと思います。
いやあ、ほんと凄い映像だったんですよ。
局部麻酔だったんで、手術されてるその眼で全て見てたんです。
眼球の水を抜かれて映像が萎んで行ったかと思うと
その歪んだ絵に油膜みたいにカラフルな渦が登場したり
まさにトリップ、サイケデリックな光の連鎖に
おお!誰かにこれ見せてやりたい!!
本気でそう思いながら密かに感動してたくらいですもの。
たぶん手術が成功せず失明してたとしても
片方の眼があるから平気さ!みたいに言ってたと思いますよ。
不幸とか不運とか、そう思われるのが僕は嫌です。
如何なるときでも悲劇の主人公にだけはなりたくありません。
人生で一番大切なのは、笑ってやり過ごすこと。
目くじら立てたり、眉間に皺を寄せたところで
何も変わらないじゃないですか。
僕や家族が理不尽な攻撃や差別を受けたときは本気で怒ります。
この国が、取り返しのつかないほど危うい状況となったときは
怒りに震えながら大声で叫ぶことでしょう。
けれど日常の些細なことは、笑ってやり過ごしましょうよ。
大馬鹿者のかずらより