2020年10月18日

オ―ラト―ン5C再び

 

先日、FBフレンドのタイムラインがオ―ラト―ン5Cの話題で賑わっていた。わずか7インチ角のシングルレンジ・キュ―ブスピ―カ―、本国アメリカでは60年代のポップス制作現場で「ラジオモニタ―」として重宝されていたモデルだ。当時のレコ―ドセ―ルスはラジオ局が牽引していた時代なので、音質のあまり良くないカ―ラジオでもバランスよく再生できるよう、敢えてナロ―レンジのこのモニタ―で最終の音決めをしていたのである。けれども70年代に入り、家庭用のオ―ディオ機器が普及してリスナ―がHi-Fi志向になって行くと、ほとんどのスタジオから5Cが消え、代わりにYAMAHAのNS-10Mがコンソ―ルの上にニア・モニタ―として置かれるようになったのである。だが可笑しなもので、表舞台から姿を消すと同時に一部のオ―ディオマニアが夜間のモニタ―用として重宝し始めた。小音量で再生したときのバランスの良さが評判になったのだ。

私の5Cは80年代の物でオリジナルではなく、ト―マスという輸入代理店が販売していた頃の製品だ(やがてト―マスはベルデンのケ―ブルも取扱うようになり知名度が上がった)オリジナルを持っていた時期もあるが、ウレタンのサランネットがボロボロになったことと、当時は決して良い音だと思えずに手放してしまったのだ。ところがト―マスが市場に送り込んだ5Cは明らかに音が違っていて、どこをどう変更したのかレンジが広がり低域もオリジナルより遥かに伸びていた。これは使えるぞ!そう確信して現在まで手放さずに保有していた次第である。


なので今回のように、ふと思い出しては引っ張り出して聴いているのだ。相変わらず、アコ―スティック楽器やボ―カルの再現性はとてもいい。ダイヤト―ンの上にオ―ラト―ン、洒落に聞こえるかもしれないが、しばらくはこのセッティングで楽しんでみよう。
(画像内の爺さんには似合わぬ置物には目をつむってね)笑


2020年10月17日

Cold Cold World

 

ステファン・スティルス「Cold Cold World」(後にスティ―ヴン・スティルスと表記されるようになったが、僕らはこう呼んでいた)邦題は「冷酷非情の世界」だったかな?意味合いは違うけれど「Cold」に激しく反応して、季節が秋から冬に移り変わる頃合いには好んで聴いている曲だ。CBSに移籍してからの彼は、アトランティック時代の熱量には遠く及ばないにしても、隠れた名曲が幾つかあるのだよ。これもそのひとつ。

・・それにしても寒い。

私の部屋に、例年より早くデロンギが登場した。気が付けば、いつの間にか家着がほぼ冬用になっているではないか。どうやら人間も他の動物たちと同じように、暑さよりも寒さに過敏になるようだ。そろそろ冬ごもりか・・





2020年10月16日

裏口は入試だけではない

 

私が長らく在籍していた某物流会社の神奈川主管は鶴見に在って、各主管ごとに人事課や総務課は勤務地の建屋に同居している。ずっと非正規の扱いではあったが、雇用主はもちろん神奈川主管、必要な書類の申請や各種手続きは同じフロアの人事課にお願いすれば対応して頂けた。ところがである。60歳になると(自動的に)雇用主は自社系列の派遣会社に変わり、申請や手続きは全て郵送や社内便での行き来となってしまう。これが時間や日数を要する事となり、60歳を過ぎてからの8年間はその不便さに悩まされ続けていた。
おまけに雇用主が派遣会社に変わることにより、社会保険も健康保険組合から健康保険協会(協会けんぽ)に移行するわけで、これがまた更なる厄介事を増やしてくれたのだ。たとえば高額医療費の還付手続きの場合、同じ建屋の担当者に「お願いね―」と書類を渡せばよかっただけの事が、既定の書式をダウンロ―ドして自ら協会けんぽに郵送して申請しなければならなくなったり(もちろん切手代は自己負担となる)不便この上ないだけでなく細々した出費にも納得がいかなかったのである。

そんな付き合いもこれっきりとばかりに、本日付けで失効した保険証を返却するため10時に家を出た。派遣会社の神奈川支部は新横浜駅前のテナントビルに在り、さほど遠くないので郵送ではなく直接持参することにしたのだ。そうすれば区役所へ提出する健康保険失効証明書もその場で受け取ることが出来るだろうしね。陽も出て来たし、寒いけど清々しい一日になりそうだあ。煩わしいあんたらともおさらばじゃあ―!!

窓口で保険証を返却、失効証明書をお願いすると・・
「うちでは発行してません、協会けんぽから後日発送されます」とな。ほ―ら出た!この期に及んで悪魔のような回答。届くまでどれくらいかかるんですか?「2週間前後」そ、そんなに!?「保険証を本社に送って、そこから協会に発送して、なんだかんだで10日から2週間くらいは要しますよ」となとな。ま、これも過去の習わしからの想定内。退職証明書だけで勘弁してあげたわ。そそくさと後にして、その足で区役所へと向かう。国保の加入申込をする際、本来は社保の失効証明書が必須なのだが、実は「裏口」もあるのだ。退職証明書と本人確認の免許証の類い、それと印鑑(いわゆるハンコ)が有れば受け付けてもらえるのです。ただし窓口の担当者が雇用主に電話で退職確認をしなければならないので、それを面倒がって拒絶される場合もあるそうな。私は返却した保険証のコピ―を持参したこともあり、今回はすんなり受け入れて頂けた(地方自治体にとっては、失効当日に加入してくれて保険料の取りっぱぐれも起きないのだから優良市民だよね)かくして申請手続きはサクサクとスム―ズに進み・・え!?即日発行ですと!?思いもよらぬ「その場」での保険証発行。てっきり後日郵送だと思っていたのでこれにはびっくり。ちょっとだけ行政の窓口業務を見直したわ。やれば出来るんじゃ―ん。

というわけで、保険証を手にするまでの間の一時的な10割負担も免れたし、即日発行された保険証は今日から使えるらしいし、いい仕事したなあ自分。と、己を褒めてあげたくなる一日だったのであ―る。この顛末、社保から国保に移行する必要が生じたときの参考にしてくだされ。それと、知らない方のために。社保が失効したその日から(裏では自動的に)国保に加入させられてるのよ。つまり失効した日付から保険料が発生してるということ、これ覚えておいてね。以上、現場からのリポ―トでした!


2020年10月15日

カボチャさんたち、さらばじゃ!

 

過日お知らせしました通り、
10月15日の本日をもちまして
某サ―ビス業から完全に足を洗わせて頂きました。
足掛け15年もの長きに渡り
一日におよそ100人の顧客と相対したとすると
年間で100人X20日X12ヶ月=24000人となり、
15年間では延べ36万人もの方々のお相手をした計算になります。
今さらながら、超絶の数字ではありませんか。
よくもまあ続いたものだと、我ながら呆れてしまいます。

明日は会社へ赴き、保険証を返却して
健康保険資格喪失証明書を頂いてくる予定です。
何事も直接やり取りできることは、いつもそうしてます。
よほど遠くない限り、確実に受け渡しできるよう
重要書類の郵送での行き来はなるべく避けたいものでして
基本的にはアナログ重視の姿勢を貫いてますから(笑)

地平線まで続く膨大な数のカボチャ群が
これまでに関わってきた顧客の頭部に思えます。

カボチャさんたち、さらばじゃ!

2020年10月14日

小さな幸せ

 

遅れ馳せながら、長女が祝ってくれました。
六十八歳・・しみじみ。
ありがたいことです。
日頃は何かと口うるさい人なんですが
「はい、わかりました」的に
こちらが口答えさえしなければ
すぐに忘れてくれるので付き合い方は簡単です。
なんたって、家族全員O型の一家ですから。


インナ―のスリッパ(シュ―ズ?)も戴きまして
素足で履くと温かで心地好くなります。
秋を素通りして冬の足音が近づいてきた今日この頃、
小さな小さな幸せに浸る一日でありました。

ありがとうよ!



2020年10月13日

医療保険制度は一本化するべきだ

 会社勤めを辞めると、あれこれ面倒な手続きが必要になる。そのひとつが健康保険の扱いだ。退職により従来の保険が失効した後、社会保険の任意継続にするか国民健康保険に加入するか、その二択を求められる。私の場合9月中旬からは出勤してないが、有給休暇を消化するため書類上の退職日は今月15日となる。つまり翌16日が保険の失効日、現在の保険証を返納して保険協会または横浜市のいずれかに申請しなければならない。そこで頭を悩ますのが保険料だ。社会保険の任意継続にすると、会社負担分が全て個人負担となるので単純に現在の保険料の2倍。それでも国保と比較すると若干は安い。ただし2年間は解約できない規定なので、毎年6月に保険料の見直しをする国保との差が縮まるどころか、2年を待たずして逆転してしまうのだ。おまけに任意継続が終了する2年後には国保の申請をせねばならず、またしても書類のやり取りが発生するというのも憂鬱になってしまう。いやはや、これはなんとも悩ましい限り。WEBに国民健康保険料の自動計算が出来るサイトがあったので試してみたが、出て来る数字に釈然としないので(散歩がてら)区役所の窓口へ赴き試算してもらうことにした。


我が家から区役所までは、車だと15分ほどで電車だと3駅の距離。迷わず田園風景を眺めながらの電車で行くことにした。いずみ野線で湘南台方面へ向かうときいつも驚かされるのが、わずか2駅ほど進んだ辺りから丹沢の山々が急にでかくなること(ほんと、いきなり眼前に迫ってくる感じ)天気の良い日は色濃い緑がくっきりと見えて余計にでかくなるのだが、今日は雲が多くて稜線がぼんやりしていたのが残念なところ。

話を戻そう。窓口で試算してもらった結果、初年度だけは任意継続より幾分高いが、2年後の春になると現在の社会保険料と同じくらいになるらしい。前年度の給与収入が一切無くなるわけだし当然といえば当然なのだが「国保は高い」という先入観が払拭された気分。煩雑な手続きを何度もせず、この際(潔く)国保にしちまうかあ・・と、やたら一所懸命に考えた挙句、お手軽な方を選んでしまうのがO型人間の特性であり、その血を持つ私の頭の中で流れが変わり始めたのであった。

それにしても、何ゆえ医療保険は社保と国保に分かれてるんでしょうね。国の管理と地方自治体の管理とに分ける必要性は無いんじゃないですか?一本化されていれば、こんな面倒なことにはならないでしょうに。その辺り、如何なものかと。

2020年10月12日

カワセ楽器の思い出

 

昨日は赤箱のことをあれこれ書き綴ったもんだなあ・・
一服しながら回想していると、俄かにカワセ楽器店の思い出が蘇った。70年代初頭、渋谷界隈で歌っていた頃に何度も通っていた老舗の店である(今でも一部のマニアの間では聖地とも呼ばれているそうな)その店で販売していたのがブロンズのMASTER弦。他社よりもゲ―ジが細めだからと店主からは12-53のミディアムを薦められ、長らく愛用していたものだった。その当時は白地に1色刷りのチ―プな紙袋入りだったが、KAWASEの太いロゴが入ったデザインがとても気に入っていた。80年代に入ると真空パックのポリ袋入りとなり、オリジナルを知る者にとって、やや残念な気持ちになったことは否めないが、こちらも頻繁に弦を張り替える必然性が無くなってしまったこともあり、その頃からカワセ楽器とは疎遠になった。


そんなわけで懐かしくなってお店のサイトを覗いてみると、80年代のパッケ―ジそのままで今でも販売されていた。お値段550円、当時とさほど変わってないような気がする(一緒に写ってる透明のサムピックも当時愛用していた物。懐かしいなあ)ちょっとだけ甘酸っぱい記憶が蘇る。よし、次はこれを張ってみよう。オススメの弦はありませんかと直球質問してきた友人にも、早速LINEで知らせてあげた。

ご存じの方も多いとは思うが、カワセ楽器は当時からMASTERブランドの良質なギタ―を製造販売していた。70年代の初め頃、15万円前後だったろうか。欲しかったけれど、当時のマ―チンの半額くらいとは言え、そのような大金は持ち合わせていなかったので断念。代わりと言っては語弊があるが、ロ―コストモデルのBILLYを43000円で購入した(当時としては大金だったので今でも価格を覚えているという恐るべき執念)サイド・バックは合板なれどカワセブランドを持つ満足感だけが誇りに思えたのだ。確かケ―スは別売りで7000円ほど、それにレインカバ―を特注した記憶がある。ヘッドロゴは数種類あるようだが、私のは初期モデルだったのでこの画像と全く同じだ。


何故こんな変てこなロゴにしたのか、カワセ楽器に尋ねてみたいものだね(笑)

この思い出深いギタ―も今は手元に無い。例によって売っぱらってしまったんだろ、と思うでしょ。ところがどっこい奇跡的に残っているのですよ。これは大切なものだからと、長男に預けてあるのです。機会があったら引き取ろうかしら、およそ50年の時を経た今、いったいどんなことになっているのやら。ケ―スを開けるのが楽しみでもあり恐ろしくもあり、離別した子供と再会するような心境になってしまう。もしもその時が来たなら、この場でしっかり報告させて頂くつもりである。