2021年1月7日

大根役者

 

例によって、台本棒読み。

消え入るような小役人の言葉には、

力も無ければ説得力もまるで無い。

大根役者とは、まさにこの男のことだ。

一度だけ、力を込めて放った台詞が

「我々は一年かけて学んだことがある」

「飲食の場が主たる感染源だ」

・・一年かかって、これかい。

トラベル、イ―トはその実験場だったのかい。

空いた口が塞がらない。

仮病でとんずらした嘘つき男の尻拭いとはいえ

もはや同情の余地は無い。

芝居小屋の幕を下ろしたくないのなら

発声と台詞をしっかり学び

舞台稽古に精進してから出直して来い。

内容に欠ける三流以下の脚本ではあっても

少しはドラマチックに響くだろうよ。

客は、二度と足を運ぶことはないけどな。

おっと、その前に

大根に謝れ!



2021年1月6日

屑。

 

「会食を目的にやっていない。意見交換を考えてやっている。

全く無駄なことをしているわけではない。」

居酒屋で愚痴や世間話を肴に安酒を呑んでいる

おめ―ら庶民とは違うんだぞと言わんばかりの口調で

キングメ―カ―気取りの爺さんは、こう言ってのけた。

ああ、これがいわゆる高級国民の物言いなのね。

そして、その意を汲むアンドロイド総理大臣とその手下は

街の居酒屋を切り捨てるような愚策に出る。

なんだ、この国は。

そもそも・・不要不急って、何よ。

重要緊急の時、おめ―らは何してた?


2021年1月5日

鬼の目にも涙

 

プライム26話、三日間で観了した。

無限列車を見送った後に、

愛の刃でズタズタにされた心は

痛くもあり、温かくもあり

ほのかな灯だけが残っていた。

愛と憎しみは

強く激しくなるほどに

脆く、そして危うい。

涙する私は、はたして鬼なのか人間なのか。

その見境がつかない。

鬼の目にも涙、とは

よく言ったものだが。



2021年1月4日

鬼殺隊に、私は成りたい。

 

新春万福、今年の年賀状に記した言葉である。

とてもじゃないが、明けましておめでとうとは書けず

あれこれ思案した末に、幸せを願う言葉に留めさせて頂いた。

明けてみれば案の定、己の非や誤りには言及することなく

無能な政権は庶民の飲食店を敵に回すかのような愚策に出た。

人の移動が感染拡大に繋がるとは言い切れないとほざき、

Go toなんちゃらを国を挙げて推し進めたのは誰だ。

まずは失策を詫びなければ、誰が言いなりになるというのか。

先手先手、スピ―ド感、リ―ダ―シップ、緊張感、云々

いったいどの口がそれを言う。

携帯電話料金の見直し?カ―ボンニュ―トラル??

リップサ―ビスより何が急務か、わかりきった事であろうに。

しかもこの期に及んでも我が国の宰相とやらは

ニヤニヤと不敵な笑みを交えながら会見を行う。

当然、前置きと説明だけで謝罪も無ければ中身も無い。

自助共助、ひたすら辛抱、国のために尽くせと言うばかりでは

贅沢は敵だ!と恫喝しながら

痩せ細った国民に竹槍を持たせた時代と何ら変わりないではないか。

恥ずかしながら、これが私の国なのである。

(全額保証したくないから、お願いに過ぎない)営業時間の短縮、

雀の涙ほどの額面で「お願い」を繰り返しておきながら

特措法を改正して、それを順守しなければ罰金を科すという。

おいおい、どの口がそれを言う。

責任を痛感するだけで済んでしまう大臣様には言われたくないよな。

先手というなら、補償が先決だ。

四の五の言わず、各店舗の前年度の収支決算に応じて

休業日数で日割り計算した額を先に支給さえすれば

どこの店だって安心してシャッタ―を下せるじゃないか。

細々した書類添付の(後払い)申請書など無くたって

それくらいのデ―タベ―スは在る筈だろ?

飲食店が元凶だと言うのであれば、中途半端に時短営業させず

全店休業を前提にした英断が必要なのだと思う。

もちろん他にも救済の手を差し伸べなければいけない職種もあるし

個々の生活を維持するための救済も必要になる。

それらを含めて、執り行うのが政治なんじゃないのか?

諸外国や支持母体にバラ撒かれる数兆円規模の銭を

今この時に、国民のために使わずしてどうするというのだ。

お偉い先生方よ、腐った眼と頭でも分かるだろうに。


嗚呼・・この世の鬼は、いつだって人間を装っている。

仮にトランプが、分かりやすい鬼だったとしても

竈門禰豆子(ねずこ)の如く、人間の心を持ち得た鬼だ。

一番怖いのは、善良を装った善人面の鬼だ。

遅れ馳せながら、昨晩私は密林にて鬼滅デビュ―した(遅!)

今さらではあっても、炭治郎を応援したいのだ。

修行も覚悟も、私には無理だから・・


2020年12月31日

災いよ、さらば―!

 

行く年を見送り、新しき年を迎える儀式

いよいよ押し迫って参りました。

この一年は、いったい何だったんだろ?

うじうじ考えても仕方ありませんので

災いよ、さらば―!!と

潔く見送ってあげることにしました。

どちら様も健やかに、新年をお迎えください。

さ、呑むど―!


2020年12月29日

木枯らしの吹く頃

 

あと48時間ほどで、今年におさらば。

ならば惜しみなく、恥をかき捨てようではないか。

40年ほど前、4TRのカセットMTRで

打ち込みとピンポンで作り上げたLo-Fiの極み。

強がって、カッコつけて

臆病なくせに粋がってた(今も同じか)

そんな若かりし頃の、裸のかずらさんの姿だぜ。

見せたくないけど見せたげる。

聴かせたくないけど聴かしたる。

持ってけどろぼ―!

2020年よ、さいならあ―!


2020年12月26日

氷上に舞う神を見た。

 

なぜ私はフォ―クソングを嫌うのか、

今夜それをきっぱりと物申すつもりだったのに

氷上の途轍もなく素晴らしい演技を見せつけられると

ちまちました些細なことなど、もうどうでもよくなった。

王者でも覇者でもなく、もはや彼は神だ。

存在自体が芸術だと言っていいほどに美しい。

音楽やお芝居、スポ―ツやダンス、

はたまた政治の世界でも、表に立つ者に「華」は肝心だ。

ぎらぎらと輝き、躍動感に満ち

心の奥底から燃え上がる炎が人々には「華」として映る。

どんな世界であっても、それが無ければならない。

そしてもうひとつ言うなら、何事もプロとしての自覚だろう。

ぐうの音も出ないほどに圧倒的な力を見せつけられる者こそが

プロフェッショナルと呼ばれる尺度となるのだから。

素人感覚で胡坐をかくフォ―クソングが嫌いなのも

それと同じようなことを感じてしまうからだ。

眼は死んでるのに、ぎらぎらと脂ぎった顔のクソ政治屋も

醜いばかりで華がないどころか嫌悪の対象にしかならない。

舞台に立つ者たちよ

技を磨け、そして見惚れるほどに輝いてくれ。

華の無い私は、たとえ幾つになったとしても

冬の路地裏に佇み、心の刃を研ぎ続ける

ディッセンバ―ズ・チルドレンでありたいのだ。


【後記】神の画像は恐れ多くて使えなかった。