2011年12月29日

締め括り


この歳になると、
感覚が鈍くなったせいなのか
滅多なことでは焦ったり慌てたりしなくなるようで
O型特有の呑気さが更に増幅されている気がします。

それでも振り返ってみると
今年もまた、あっという間の一年ではありましたが
人類の存亡まで深く考えさせられる日々の連続でした。

総じて重苦しい
どこか罪悪感にも似た一年。
自分、何が出来た?みたいな。

毎度のことながら
それでも年は暮れて行きます。
いろんなものを置き去りにしたまま
お構いなしに新しい年はやって来るのです。
これだから、人間は忘却するのみで
進歩しないのかも知れません。

何はともあれ
今年関わった皆々様、お世話になりました。
行く年来る年の清楚な時を
心穏やかに過ごされることを祈っております。

来年は五回目の年男。
いよいよ、いよいよ未知なる世界に突入します。
例えて言うなら大気圏外、
もはや宇宙の塵となっても本望な気分です。

のんびりと
そのうちまた歌いたくなったら
どこかで歌っていることでしょう。
大台だからと言って、大袈裟に振舞うことなく
淡々と、淡々と、この先を生きて行きたいものであります。

どうか皆さま、良いお年をお迎えください。
O型てんびん座の私が言うのも恐縮ですが、
躓いたら転べばいいのです。
立ち上がれなければ、膝を抱えてしゃがみ込んでいればいいのです。
安易に妥協するくらいなら
多少は辛い思いをしながらも、今の場所に留まりましょう。

議論を尽くすのは良いことですが
舌の根が乾いてしまうと、人はそれが嫌になってしまいます。
一時にたくさんのことを言うのではなく
生涯を掛けて一貫したことをずっと語り続ける姿勢が大切なことを思い知った
そんな一年でもありました。

時間は待ってくれません。
取り戻すことも出来ません。
それでも時間を掛けて、
ずっとずっと訴え続けて行くべきものがあります。
それだけは決して忘れないようにしようと誓う、2011年の年の瀬でした。

いい加減な人間ではありますが
来年もお付き合いのほど宜しくお願い致します。



2011年12月24日

Happy Christmas



一日の中で
たとえそれが一度きりであっても
にこっと笑える瞬間が幸せなんだと僕は思う。

この世の終わりとも言えそうな
地獄絵にも似た出来事に遭遇した僕ら。
たぶんあれから、強くなってる。
強くなった分だけ、やさしくなってる。
そう信じたいものだ。

戦いはこれから先も永遠に続く。
荒んだ心は、そう簡単には癒せないかも知れない。
それでも日常の些細なことに
にこっと笑えるような人間であり続けたいと僕は思うのだ。




私事で、日記はおろか
歌うことさえずいぶんと遠ざかってしまいましたが、
決して言葉を忘れたわけでも、歌を忘れたわけでもありません。
いずれまた、ご無沙汰している皆さんにもお会いできることでしょう。
その折には、にこっと笑って迎えてくださいね。



2011年12月8日

Starting Over


1980年12月8日、
偉大なるミュージシャンがこの世を去った。

自宅の前で、4発の銃弾を受け
「I'm shot!」と二度叫んだ彼は
パトカーで病院へと搬送されたが
失血性ショックで間もなく息を引き取った。

享年40歳。

当時、遺作となった「ダブル・ファンタジー」のアルバムを
いったい何度聴いたことだろう。
A面に針を下ろすと「Starting Over」が始まる。
そのタイトル通り、彼はやり直そうとしていた矢先だったのだ。

この歌を聴くたび、
30年前の冬を思い出す。







2011年12月5日

フォトパネルが重宝してる


九月、親父の三回忌で帰省した折、実家にセットしてきたフォト・パネルが重宝している。
末娘の出産が迫っていた時期でもあり、何かと便利であろうと思ってのことだったが
TVのリモコンですら満足に操作できない年老いた母親にはとても有効な物となったようだ。
携帯も一度は買い与えてみたものの、まるで使いこなせず解約した経緯があるので
勝手に受信して画像を見ることができるこの端末にはとても感謝している。
出産後、ほぼリアルタイムで届く曾孫の姿に喜んでいる母親の顔が目に浮かぶ。
過日、長男一家が退院直後の娘宅を訪れた時の映像も瞬時に送ることができた。
曾孫が生まれたての曾孫を抱くスリーショットを、きっと目を細めて見ていることだろう。

もしかして、iPadも使いこなせるかしら?
これなら動画も観られるし、Face Timeを楽しむこともできる。
うーん、どうかな。

北国は冬本番。
凍てつく大地に心温まるニュースを届けたいものだ。



2011年12月1日

ハンボーキ


ハンボーキ。

嫌な響きの12月がやって来た。
そう聞くだけでゾッとするような
忙しさや慌しさが大嫌いな私にとっての天敵襲来。
サンタが町にやって来るならまだしも
忙殺されそうなハンボーキなんて来てほしくない。
仕事場に人が溢れ、鳴り止まぬ電話。
商売繁盛の賑やかさではなく、不平不満と苦情の嵐が吹き荒れる
この妙にピリピリした空気は何度経験しても体に合わない。
やだやだ。

とは言っても明日は休み。
ポンタ(お腹にいるときからの娘の赤子の愛称)に会いに行ってこよう。
どろどろして小汚い現実を忘れるには
あの無垢で純粋な寝顔を見るのが一番だ。
一眼レフのバッテリーをチャージして
明日は気の済むまでシャッターを切り続けるとしよう。

開き直りではなく
ここまで来たら「爺さん」と呼ばれて結構。
俗っぽい生き方もまたいいものさ。

或る日突然、
「かずら爺さん」と名前が変わってるかも知れないぜ。



2011年11月29日

11月29日16時


2011年11月29日16時、末娘が男の子を出産した。
予定日を六日ほど過ぎ、気を揉む毎日が続いていたが
ようやく陣痛が始まり分娩室に入ったものの、その間の時間が掛かりすぎたせいか
一時的に仮死状態となるほどの難産の末、3450gの元気な子を産み落とした娘を褒めてあげたい。

これで孫は三人目となったわけだが、
次は女の子がいいなあと願ってはいても、またしても男の子。
だが、それ以上は言うまい。贅沢というものだ。
健康な子が生まれたことに感謝しなければ。

母親となった娘が愛おしく思える夜、
一人で何杯も酒を飲んだ。
自分の子供が生まれた時とは違う感動に浸りながら
何杯も何杯も酒を飲んでいた。

この世に、これほどの幸せはない。



2011年11月24日

鬱陶しさと人恋しさは紙一重

喉から出掛かった手は、あっさりと引っ込めた。
そう、近頃は無謀な暴走をコントロールすることが出来るようになったのだ。
何かと痛い思いを経験してきただけのことはある。
いわゆる「教訓」から、今回は見なかったことにしておこう。
というわけで、Ekoの12弦はまたの機会に。

いや、正直に言おう。
実は仕舞い込んでいただけのこんな物があったことを思い出したのだ。


*フェルナンデス・ぞうさんアートロックシリーズ RODEO12*

ボディがバーズの「ロデオの恋人」のアルバムジャケットをモチーフにした限定品で
ぞうさんシリーズ唯一の12弦のレア・モデル、可愛いでしょ。
まずはこの子の将来を考えてあげなきゃね。
とっても弾き辛いんだけど(苦笑)



子供といえば・・
末娘の出産予定日が過ぎてしまったが、未だにその兆し無し。
初産は遅れるものだと聞かされてはいても気を揉む毎日。
カウントダウンがいつまで続くのやら、早くすっきりさせてほしいもんだ。
数日前から女房が娘の家に泊まり込んで様子を見ていることで
留守番の猫も寂しさから生じるストレスが溜まっているようで気の毒。
毎日私が帰ると甘えて纏わりついてくるのだが
私とて、一人で無言のまま晩飯を喰らうのは不健全な気がする。
家族というものは、近くに居ると鬱陶しいが
忽然と姿を消してしまうと何故か戸惑ってしまうものだな、と実感。
今夜は(そそくさと)洗濯物を畳んだ。

鬱陶しさと人恋しさは紙一重。