2012年10月29日

冬はアナログだ!酒だ!人間だ!!


ほうぼう屋にて三十数年ぶりに再会したヨシムラくんから
店内で撮影したとても素敵な写真が届きました。
彼がバッグの中に忍ばせていたミラーレス一眼で撮られた一枚なんですが
私、こんなに柔らかな表情でカメラに収まるなんてこと滅多にありません。
歌ってるときよりも、よっぽどいい顔してますもんね。
旧友と酔いしれる時間が、よほど心地好かったんだろうなあと思います。

この絵が大いに気に入ってしまった私は、ふと思ったのです。
これは先々の葬儀に必ず使ってもらうべきだ!と。
かなり現実的な位置に居る私ですから、決して冗談で言ってるわけではありません。
こんな幸福そうな柔和な目で、皆さんとお別れできたなら素敵じゃないですか。

ただ、あまりそれを強調すると、撮った本人から縁起でもないと叱られそうなので
さらっとこれくらいに留めておきましょう(笑)
けど、いい絵だよなあ・・

いい絵といえばもう一枚。
やはりヨシムラくんから送られて来た酔っ払い三人衆。


さすが一眼、いい色合いしてますよね~
先日UPしたiPhoneで撮ったものとは奥行き感が違います。
前述の絵もそうですが、私みたいに薄っぺらな人間でも深みが出るっちゅーもんですわ。
いろんなものが凝縮されてるようで、とても温かな色彩の絵です。

そうそう、ツトムと寄った二軒目の店で飲みながら
「どう?機会があったらまた一緒に演りたい?」て、尋ねてみたんです。
すると彼、「そりゃあ演りたいさあ~」と、眠そうな目で答えてました。
ほぼ意識を失いかけてたんで、たぶん全然覚えてないんでしょうけどね(笑)
実現できるかどうかは別として、そう答えてくれたことが嬉しかったです。

あれからずっと、気分の良い夜が続くもんですから
今夜は久しぶりにアナログ・ディスクを回してみました。
テリー・メルチャーの声が、冷えた部屋の空気を暖めてくれます。


さて、次は何を回そうか?
などと考えている暇(いとま)も無く、ついいつもと同じジャケットを引っ張り出してしまいます。
ああ、やはり出て来てしまいました。ステファン・スティルスのCBS盤。
このアルバム、ほとんど話題にならなかったと思いますし
アトランティック盤も勿論いいんですが、私は妙に気に入ってるんです。


本日の総括として・・
冬はアナログだ!酒だ!人間だ!!
そう思えて仕方ないのであります。

2012年10月28日

こわやこわや・・


翌日、ツトム邸で目覚めたのは12時ちょうど。
家の前を走る車の音が間近でずっと聴こえていたせいか
夜中に何度も目が覚めたのですが、窓を締め切った部屋は明かりも入らず
おまけに家の中がしーんと静まり返っていたものですから
これはまだ起き上がるような時間ではないのだろうと思いながらうとうとしていたのです。
足元で寝ていた筈のタロウも居ないし、ツトムが犬の散歩から帰ったら起きようか
なんてこと考えながら焼酎臭い息を吐いて再びうとうと・・
暗がりの中で、ふと外してあった腕時計を見て「げっ!もう昼じゃん!!」てことになった次第。
奥さんや娘さんが在宅の日だったら「なんや、このおっさん」みたいに思われたでしょうな、きっと。
飲んで人様のお宅に泊めて頂いた翌日、昼近くになってからむっくりと起き上がり
食卓に用意された朝飯とも昼飯とも言えない微妙な時間帯に
奥様を目の前にしながら食事をする気まずさっていったらないですからね。
奥様も娘さんも所用で不在の日だったことが幸いでした。ふうぅぅ。。

ひとしきり会話をした後、帰りは井の頭線で渋谷へ出るのが良かろうと
ツトムが吉祥寺まで送ってくれると言うので、またまたお言葉に甘えることに。
細い裏道・抜け道も、日曜だったせいか五日市街道に出る直前で大渋滞。
悪いことしたなあと思いつつ、ようやく駅まで辿り着きそこでバイバイ。
歩き出してみて気が付きました、まだ酒が残ってる(笑)
吉祥寺なんて、いつ以来だあ?10年?15年?久しぶりだよなあと感慨に浸り
懐かしさのあまり、ちょいとその辺をブラついてみようかとは思ったものの
日曜の人並みは物凄く、おまけに再開発で景色は変わってしまってるし
田舎もんが歩き回るには酷な環境だろうと決め込み、そそくさと駅に入ってしまいました。
旅慣れてないと、こういうところが駄目なんですよね。

それにしても、東京って凄い処ですねぇ。
半ば強制的に流れに乗せられてしまうような怖さがあります。
山手線がホームに入って来るときのスピードに驚き、
それがわずか3分間隔で次の車両が入って来ることにまた驚き、
乗り損なっても次がすぐ来るのに、敢えて飛び乗る乗客の姿にまたまた驚き、
みんな、なんて忙しい暮らしをしてるんでしょうね。
分刻み、秒刻みの営みに慣れてしまった都会の人間たちのうねりが
この国を物凄いスピードで引っ張って行ってるような、そんな風に思えるのです。
渋谷駅のモヤイ像の顔を見ていると、なんだか憂いを感じます。
僕らが棲んでいた頃の、人通りもまばらだった渋谷には
呼吸できる隙間と実感できる空があったものですが
それが、今は無い。

駅前の、人とは認識できないほどの塊になった群衆を見てしまうと
いくら用事があったとしても、あの中へ身を投じることだけはできないでしょう。
電車の窓から見た情景は、まるで奈落でしたもの。
乗換えで素通りするしか、私にはできそうにありません。
もはや都会恐怖症にまで陥ってしまったのでしょうか。
こわやこわや・・


2012年10月27日

西荻窪にて


西荻窪ほうぼう屋さんにて、同窓会的な飲み会を催しました。
四十年ほど前、私が渋谷ジァンジァンで歌っていた頃のサポート・メンバーでして
左が7年ぶりに逢うベースのツトム、右が30数年ぶりの再会となったギターのヨシムラです。
二人とも当時はまだ高校生、私は二十歳になったばかりくらいだったでしょうか。
若く凛々しかった少年たちの姿も、今ではこんなになっちゃいました(笑)

それぞれの思い出やら記憶やらを肴に酒は進みます。
なんと言っても大昔の話ばかりですから、
誰かが当時のエピソードを口にしたとしても
三人の内の必ず一人くらいは思い出せないでいました。
老齢化のせいかも知れませんけどね(苦笑)

いやあ、ずいぶんと飲みました。
途中退席したヨシムラを見送った後もツトムと飲み、
閉店の時刻を過ぎていることにも気付かず居ました。
(女将、申し訳ない!だって居心地が良すぎたんですもの)


そそくさと会計を済ませ、近所の店で軽くもう一杯飲んでから
ほぼ意識を失いかけている上石神井のツトム邸へ向かうためタクシーを拾い
いきなり運転手に「京都まで行ってください」などと馬鹿な冗談を飛ばしつつ
無事に?ツトム邸のお布団に潜り込むことができました。
私、バタバタと大急ぎで横浜へ帰るつもりなどハナから無く
ツトムのお言葉に甘えて、当初から一泊させて頂く予定で来ていたのですが
日頃はひたすら朝を待ち、始発電車で帰宅することが多かったものですから
横になって寝られるというのはとても有り難いことでした。
彼の愛犬タロウが妙に懐いてきて、とりあえず口元をベロベロ舐められ
布団が敷かれると私が寝付く前までは足元で寝ていました。
久しぶりの犬との接触、それもまた嬉しかったなあ。

話は戻り、Blues居酒屋ほうぼう屋さん、お世話になりました。
期待していた通りの温かでいいお店でした。


一人で店を切り盛りしているスーちゃんも一緒にパチリ。
実はこの方、実力派ブルーズ・シンガーでもあるのですが
生き方に勢いを感じるほどパワフルな女性でした。
Facebookでは以前から繋がっていましたけど、お逢いするのは今回が初めて。
これもまた良き出会いとなりました。

人間て、いいなあ。


2012年10月26日

Hobo


中央線に乗るのは、いつ以来のことでしょう。
明日は西荻窪の駅に降り立ちます。
旧い友人と、止まったままの時間に潜り込んで
サニー・ボーイ・ウィリアムソンを聴きながら
旨い酒でも飲もうかという魂胆なのですが・・

楽しみです。

そして、
生きながらBluesに葬られたという
そんな女性にお逢いできるのもまた
楽しみで仕方ないのです。

私、一度だけでも頭を過ぎってしまったイメージを
なかなか元へ戻すことができない性癖なものですから
軽率に「淳子さん」て、呼んでしまいそうな気がします。
そのときは、呆け老人の戯言とお許しください。

今、いろんなことを思い出しています。
渋谷ジァン・ジァンの薄暗いステージと楽屋、
私のバックでベースを弾いていた少年とギターを弾いていた少年の影、
お坊ちゃま風少年の自宅に在ったラックスのアンプとフォスターのスピーカー、
断片的な石神井界隈の夏の風景・・

あの頃は、いつもお腹を空かしていました。
その飢えを凌ぐために、痩せた体を欲望で満たしていたのかも知れません。
十九、二十歳の、そんな時代。
人間は食べてなんぼ、そう思っていましたから
当時は餓死するんじゃないかという恐怖心に苛まれたものです。
眠れない夜、彷徨う都会、
寝ても覚めても、白昼夢のような毎日でした。

先日、還暦を迎えた私に女房がこう言いました。
「お互い、よくぞここまで生きて来られたもんだわ~」

・・深く頷いたことは言うまでもありません。




*画像はBlues居酒屋ほうぼう屋から転載

2012年10月25日

紙は愛してやまないのですが・・


iPhoneのユーザーである私としては、以前からiPadも欲しい物のひとつでした。
携帯の小さな液晶の中では完結できない部分を補いたいと思うのは当然のこと。
ましてや本を読もうとするには、ある程度大きな画面が必要になりますが
両方を持つにはコストが掛かりすぎますし、重複する機能が勿体ない。
そんな折、AmazonからKindleの日本発売が発表されました。
一番安いKindle Paperwhiteで¥8480、6インチ液晶ですが小振りなところがいいです。

この年齢になってしまうと、読みたい本があっても活字の小さな紙ベースの物は駄目。
老眼鏡を掛ければ済むことじゃないかと思われるかも知れませんが、
あれを着用すると「くっきりすっきり」しすぎてしまい、過剰な集中心が生じてしまうのでして
何事も曖昧さが一番だと思っている私にとっては、かなり辛い環境になるのです。
視覚的には文字をルーペで見るようなものですから、これは肩が凝ってしまいます。
他にも、読書中にコーヒーカップに手をやったり、ふと目を上げて辺りを見たりするときに
視界の先がボヤけてしまうのが老眼鏡を掛けたくない理由でもありますけどね。
要は、意識的に集中したりサクッと流したり、そのサジ加減を思いのままにこなすには
私の場合(ちゃんと見えてなくても)「裸眼」でなければならないのです。
眼鏡によって強制的に集中させられるのは御免被りたい。

などと話しながら女房と晩飯を喰っていると、
私よりもっと活字好き読書好きの女房が(私以上に)欲しがってしまいました。
パソコンもネットもまるで興味が無くアナログな暮らしぶりの彼女ですが、
ランニング・コストが掛からないという部分に重大な関心があるようです。

ああ・・言わなきゃよかった。
私が買ってしまうと奪われそうな勢いです(困惑)

でもね、これはあくまで私の場合ですよ。
何でもかんでもデジタル化されて、紙やインクが消滅してしまうのはもっと困ります。
若い方や視力に問題の無い方々は製本された物を愛してください。
気軽だから手軽だから、場所を取らないからと仰らずに
装丁や紙の匂い、指で頁を捲る感触を楽しみながら文学に浸ってくださいね!


2012年10月24日

石川町にて


文香に逢って来ました。

石川町から山手へ抜ける坂道、
イタリア山公園のすぐ近くの小さなギャラリーは
閑静な住宅地にぽつんと建っていました。
行き交う人もまばらで、
先が行き止まりなことから道路を走る車も無く
とても静かな時間の中でゆったりと過ごすことができました。

表で一服していたお父様に案内され中へ入ると、
1階には文香が少女時代に描いた幾つかの作品や
彼女が生前に愛してやまなかったハーレーダビッドソンに跨る写真、
子供ミュージカル時代の写真など、思い出の品々が並べられていましたが
やはり目を引くのはこの油絵の自画像、小学5年生のときの作品だそうです。
この髪型、この表情、私が覚えている文香はこのまんまでしたから
私の中では、彼女と過ごした時間があれ以来止まっているわけなのです。
成人して二児の母となってからは、一度も会っていなかったですからね。

文香が気を利かせてくれたんでしょうか、
私らが伺う直前まで、大勢のお客様で賑わっていたそうです。
お父様は遅くなった昼食を手短に済ませ、表で一服しているところでした。
伽藍と静かな空気と佇まいの中で
私の息子や娘と共に、お父様とゆっくりお話できたのが何よりです。

2階にはお父様の革工芸と、もうお一方の藍染めの作品が飾られていましたが
さすがにどれも見事な作りのものばかりで、
革の特性を知り尽くした者にしか成し得ない、繊細さと力強さを感じてしまいました。
(革のアートについてはまた後日にでも)

今日は娘と孫も一緒に行ったものですから
プレゼントだと言いながら、その場でお父様がこんな物を作ってくださいました。


10円玉くらいの大きさの(特性)ハロウィン・キーホルダー。
子供たちは学校なので、一人で来ていた長男にも二人分を用意してくれました。
思えばハロウィンですものね。
ギャラリーの外のテーブルには沢山のキャンディが置かれてました。
最終日の日曜、石川町駅界隈はパレードで賑わうそうです。

私、オリジナルのギター・ストラップを注文することにしました。
デザインと材質、アドバイスを受けながら煮詰めます。
柔らかで使い勝手の良い物が出来上がりそうですね。
楽しみ!


2012年10月23日

君は天然色


AYAKAに捧ぐ「革いい藍の物語」展

明日は革工芸作家である知人の個展に行って参ります。
今年の7月に幼い子供を残して急逝した29歳の娘に捧げるものであり、
その彼女が幼少の頃に描いた油絵も一緒に展示されているそうなので
彼女をよく知る私の娘や息子たちと共に出掛けるつもりです。

私が昔携わっていた子供ミュージカルがご縁となり
一時期は家族ぐるみのお付き合いもさせて頂いたお宅でしたから
彼女やその妹、父上や母上との懐かしい思い出がたくさんあります。
葉書の真ん中に載せられた肖像画は、今でもはっきりと覚えています。
十数前、お宅に伺ったとき居間に飾られていましたからね。

そうは言っても、目にした出来事と時間の経過との間にはいつも曖昧さがあります。
彼女のお通夜に伺い、お見送りをしたのはわずか三ヶ月前だというのに
記憶の中では、もうずいぶん昔のことのように思えてしまうのですから。
ただ、その曖昧さのおかげで、私の中の彼女は今でも少女のままなのです。
十数年前の思い出も、三ヶ月前の出来事も
昨日より昔のことは、すべて同じ器に収まっているからなのかも知れません。

文香(AYAKA)という名の、私が知っている少女時代の彼女に
明日もう一度逢えるような気がして仕方ないのは
果たして記憶の曖昧さからなのか、老人性のものなのか、
そこが微妙ではありますが・・(笑)

けれど、思い出という記憶は
むしろ曖昧な方がいいこともありますし、
その不確かな色や形がおぼろげに見えることで
或る物や出来事の幾つかだけが鮮烈に蘇るんだと思うのです。

一昨日の「モノクローム」も、そういうことなのでして、
断片的に「フルカラー」となるのです。

・・故に、君は天然色!