2019年6月30日

僕の名は


今までにも何度かTVで放映されてはいたけれど
いつも決まって途中からしか観る機会を得られなかった。
なので、あまりにも断片的すぎて
何が何やらわからないというのが正直なところ。
流行りものに疎いので劇場へも行ってなかったしね。

今夜、初めて最初から最後までじっくりと観た。
なあんだ、そういうことだったのか。
いいお話じゃないかあ。

公開から三年も経過してるのに、何を今さら・・
呆れた目で見られても仕方ないわよね。
お恥ずかしい。

ぼ―っと生きてるわけじゃないのに
今年も半分、終わっちまったわ。
なんだこれ、早すぎる。
君の名は・・どころか
僕の名が思い出せなくなる日も
じきにやって来るのかね。

手の平に、書いておこうか。

2019年6月27日

お決まりの文言


コンプライアンスの徹底・・云々
誰かが言い出し、瞬く間にブ―ムとなる。
倫理・法令の遵守って、
企業や団体にとっては当たり前のことなのに
その言葉を用いることによって
如何に理知的で正義感が強いかを訴えかける。
お決まりの謝罪の文例みたいなもんで
ひとたび不祥事が起きてしまうと
(すっぱ抜かれる、という方が正解か)
会見や謝罪文には、この言葉が何度も何度も登場する。

ガバナンス、なんてのを多用する人も居るよね。
主に上から目線のお偉いお役人さんの方々。
どちらにしても、片仮名ひと言で言い表そうとする怠慢か
ふ―ん、なんだかわからないけどそ―なんだあ・・と
社会や国民を嘲笑うかのように煙に巻く手法としか思えない。

そんな片仮名を使いまくった最近のニュ―スの中で
いま一番の違和感は、芸人と「反社会的勢力」の構図。
え?・・何を今さら感。。

大衆芸能って、その筋の皆さんが取り仕切ってきたもんでしょ。
興行主なんて、裏の裏で必ず関係してる。
取り沙汰されない限り、暗黙の了解が業界にはあるってことくらい
誰だって知ってるだろうし、目くじら立てたりしないでしょうに。
相撲の巡業も彼らの協力なしには成り立たないだろうに
ご時世からなのか(表向きは)排除されてしまった。
TV中継に組の関係者が映り込むのは、さすがにマズかったんだろうけど
昨今チケットの売れ行きが鈍くなったのは
単純に相撲人気の低迷だけじゃないんだと思う。

今回の騒動、事務所がマネ―ジした仕事であれば
相手を見極めお断りしてたんだろうけど
脇の甘い闇営業だったことが命取りになってしまった。
相談役としての「その筋」を通してなかったからね。
ヤクに手を染めたり、馬鹿な事件をしでかしたりしない限り
芸人さんたちの裏の事情には目をつぶってあげたいと思いつつ
ここまで騒ぎ立てられたんじゃどうしようもない。
政治家や役人が汚い金に手を付けたり
その金で便宜を図ったりする卑劣な人間関係とはわけが違えど
会社としては己の保身に全力を傾けるしかないのだから。
その決まり文句が前述のコンプライアンスの徹底・・云々
正義を振りかざさなければ、会社のイメ―ジダウンとなる。
便利な言葉「コンプライアンス」を連呼するのは当然だ。

されど世の芸人たちよ、萎縮するな。
芸は破天荒な奴ほど面白い。
ただし、思い上がるなよ。

2019年6月26日

映画のお話あのねのね


「インクレディブル・ハルク」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00JRMZIMW/ref=atv_wl_hom_c_unkc_1_3

B級覚悟で観始めたら
あらら、案外と面白いじゃないか。
中盤の展開には多少無理があったものの
後半のスピ―ド感とCGの出来栄えで持ち直した感あり。
けれど終わってみると
一体なんだったの?
そしてこれからどうなるの?
説明不足と思わせぶりなエンディングに
なあんだ、やっぱB級じゃないか。
もやもやしたものが残ってしまった。
だが待てよ?
これは同じくマ―ベル映画の
「アイアンマン」に繋がって行くのか?

?マ―クが頭の中で点滅を続けるのは
たぶん酒のせいばかりではないんだろうな。

2019年6月25日

ゆ―つなつゆ


束の間の晴れ、梅雨時には恵みのお天道様。
ありがたいなあ・・と、思いながらも
どこか憂鬱でスカッとしない気分。
猫も何となく不快感を露わにしてる。
湿気のせいで、あちこちムズムズするんだってさ。
おちおち寝られやしねえとぼやく。
こら、毎日寝てるだけなのに文句ゆ―な。


爺さんがボ―っと生きてる間に
次女宅の双子さんは今日で四歳になったとか。
口が達者になり、会う度に驚いてしまう。
去年あたりまでは双子間にしかわからぬ言葉を多用してたけれど
(例えて言うならミニオンズの言語)
近頃では我々と共通の言語を嗜むようになり
説教じみたことをリアルに言われてたじろぐことも。
この調子だと、数年後の爺さんは
こやつらにこっ酷く叱られてそうで怖い。
女の子に指摘されたことには言い返せない性分なのでね。

何を言われても、どっしりと構え
動じないほどの風格を漂わせて生きてみたいものだが
やれ市民・県民税が上がっただとか
やれ年金の支給額が少なすぎるだとか
チマチマしたことでボヤく事柄の如何に多いことか。
間違いなく、叱られるわ。

2019年6月24日

余談付き映画のお話


「スターファイター 未亡人製造機と呼ばれたF-104」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07BB6V567/ref=atv_wtlp_wtl_5

60年代の冷戦期、西ドイツはNATOでの発言力と存在感を増し
大国として返り咲くために軍備の拡張は急務だった。
米国の管理下の基、核を保有することを認められた代わりに
当時破産寸前だったロッキ―ド社からF-104スタ―ファイタ―を916機購入、
迎撃用の機体を爆撃機としても使えるよう急な設計変更が行われたらしい。
それが仇となり、1962年の導入当初から制御不能の異常動作が頻発。
老朽化して退役する1984年までの間に、262機が墜落したと言われている。
パイロットの死亡は116名、半数近くが緊急脱出さえ出来ない状況だったようだ。

我が国でも同型の機体がF-86Fの後継機として主力だった時期はあるが
同じ機体を導入した諸外国を含め、西ドイツの事故件数は異常すぎるほど多い。
未亡人製造機と揶揄されたのは、それが理由にあったのだ。
ところが当時の空軍関係者は事実を隠蔽し、操縦ミスと断定したことから
一人の未亡人が真実を公表するよう国防省に迫り
様々な妨害や迫害を受けながらも米国でロッキ―ド社を提訴、
原因究明には至らなかったものの損害賠償を勝ち取るというスト―リ―である。

どこまでが実際にあったことなのか、それは確かめようがないけれど
作品としては、とてもよく出来ている印象。
2015年、ドイツで製作された2時間ほどのテレビ映画。
お時間とご興味のある方は是非。。(ネタバレごめん)

(余談)
ちなみに、F-104のフォルムは美しくて好きだ。
仮にそれが、憎むべき戦争の道具(武器)であったとしても
アナログな時代の軍艦や戦闘機、戦車などの姿には美を感じてしまう。
そこんところが僕らの世代の不思議な感覚なのだが
たぶんそれは、邪悪なゴジラに立ち向かう正義の象徴として
幼少期に植え付けられたのが大きいんじゃないだろうか。
勝手にそう解釈している。

2019年6月23日

百年休まずにチクタクチクタク


60歳を過ぎてしまうと
否応なしに高齢者としての括り。
同じ会社で継続勤務するとなると
給料は格段に安くなる半面
厚生年金はずっと払い続けることになる。
会社勤めの場合は強制加入で、
70歳まで天引きされるそうな。
結構な額が引かれるというのに、
70歳以降の年金支給額に上乗せされる金額は
それこそ雀の涙で微々たるものだ。

先日、横浜市の県民税・市民税の納税通知書が届いた。
給料が少ない上に無職の女房を扶養してるので
去年まではせいぜい月額千円くらい、
非課税だった年もあったくらいなのに
開けてみてたまげた、いきなり月額6200円とな。
なんじゃこりゃあ―!!ですわ。
慌ててWEBであれこれ調べてみたら
税込年収が6万円ほど増えたことによって増税となった模様。
つまり、大変な思いをしながら余計に働いた分が
そっくりそのまま税金で持って行かれるということ。

・・なんだこれ。

この秋で67歳になるワタシ、
税金やら保険料やら、毎月結構な額を国に納めてるけれど
(介護保険料なんて年間で約10万円も引かれるんだよ)
見返りなんて無に等しく、負担は年ごとに大きくなるばかり。

過日のニュ―ス、野党が政争にしたがる具。
夫婦の年金額だけでは月5万円の赤字となる試算、
例の「百歳まで生きるなら2千万円なんとかしなさい」てやつ。
現実的な話をするなら、貯えの無い我が家に於いては
計算上、すでにそれ以上の赤字になっているわけで
僕が仕事を続けていられる間は何とかなるんだろうけど
2年、3年後にはどうなっていることやら。
僕らの世代ですら、数年後には破綻するかもしれないのだから
10年、20年後は、とんでもないことになってると思う。

「老後」なんていう響きの良い言葉は
一部の富裕層にしか当てはまらないのが現実なのさ。
これからのジジババは、幾つになっても(或いは死ぬまで)
ずっと働き続けていなきゃ喰っていけないのだよ。
人生百年だ?
百年休まずにチクタクチクタク、
・・古時計の歌みたいじゃないか。

やだやだ。
年金やら税金やら
「金」と書かれたものを見ると腹が立ってくる。
酒だ酒だあ―!!

2019年6月22日

人生は大道芸だ


伝説・・て、いいよね。
史実に基づいて、とは言いながら
伝え聞きでしかないんだから
嘘か誠か、本当のところは誰も知らない。
途中で誰かが大袈裟に吹聴してしまうと
あることないことに尾びれまで付いて
そのまま後世に語り継がれて行くことになる。
人間の、そんな曖昧さが僕は好きだ。
きっと誰もが、物語に酔いしれたいだけなんだろうね。

嘘っぱち、八百長、作り話、誇張、
なんでもいいから
「此処にこんな男が居たんだよ」
そう語られる人間になれたとしたなら
生きた甲斐があるってもんじゃないか。

人生は大道芸だ。