2011年7月21日

去り行くもの
































ぴあ休刊、そう聞くと
近頃はまったく目にすることも無くなってしまっていたけれど
なんだか残念な気持ちになってしまう。
及川正道さんのイラストが毎回楽しみだったし
情報誌として一世を風靡した歴史がある。

イラスト・レーターとしては、矢吹申彦さんの世界観も大好きだった。
彼の描く「空」には詩的な色合いがある。























彼が表紙を手掛けていたニューミュージック・マガジンの創刊は1969年。
小倉エージや北中正和の論評がいつも的を得ている気がして
彼らの薦めるアーティストを輸入盤店で探し歩いたこともよくあった。

その雑誌の編集長を務めた中村とうよう氏が亡くなった。
自殺、らしい。

70年代の文化を築いたものたちが
ひとつ、またひとつと消えて行く。
それが時代の流れというものだとしても
感傷的になってしまうのは、その時代を生きて来たからだろうか。

NETも携帯も無い時代に欲しい情報を得る手段は限られていた。
己の足で探し求め、己の感性で吸収しなければ何も得られなかったのだ。
それはある意味、壮絶な戦いでもあったわけで
その過程で関わったものたちは、敵か味方どちらかでしかなく
味方となったものたちは「戦友」でもあるのだ。

志を同じくする部落や集落が無数に生まれながらも
お互いにその垣根を閉ざしていたのがあの時代なのであって
反大衆性を貫いたものたちが、やがて大衆から迎え入れられ
亜流が本流と交わった先に現代があるような気がする。
川の流れと同じ、ということか。
ちょっと穏やかすぎる気がしないでもない。


2011年7月20日

No Border 7th Anniversary 3Days

1号線沿いの私の港、NO BORDERが今年で7周年を迎える。
週末はその祝いを兼ねて、馴染みのミュージシャンが集まり、そして歌う。
金土日の三日間、初日は私も(ちょっとだけ)歌わせて頂く予定なので
是非、旨いビールでも飲みに来てくれたまえ。

7月22日(金)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00(予定)
出演:かずら元年、よしさん、平野誠、ビト、WINNIE、Hiromi


NO BORDER
横浜市神奈川区松本町4-28-2 Rotunda 1F
TEL 045-314-8985
HP http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html


2011年7月19日

爽やかな気分に水をさす男・・だな

凱旋帰国した「なでしこジャパン」のインタビューは実に面白かった。
チームワークと選手間の綿密な作戦があってこその勝利だったことが窺える。
成田へ詰め掛けた大勢の報道陣やファンを目にしての感想を聞かれ、
ドイツへ出発する時は数人のペン記者と数台のカメラだけだった。
(それくらい話題にはなっていなかった)と明かした佐々木監督も実に楽しい人柄だ。
話題にもならず、期待もされず、ドイツへと旅立って行った彼女たちにとって
行きと帰りでは目に映る光景が大きく変わってしまってはいたが
本人たちは秘めたる決意と自信を持って試合に臨んだことがよく分かる。
それよりも、世界中を驚かせるほどの偉業を成し遂げたにも関わらず
優勝したことへの驕りや傲慢さが全く無いどころか、
いつもと変わらぬ素顔のままで居られる辺りに
この素朴な野武士軍団の清々しさがあるのだと改めて実感した。
本当に素敵な人たちばかりだ。

ただ、その爽やかな気分を害されたと思えるのが
例によって「バカ菅の一言」で実現させた帰国早々の官邸への招待。
成田からその足で首相官邸を訪れるのは極めて異例らしい。
さらに呆れたのが7月16日付読売オンラインのこのニュース、
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110716-OYT1T00086.htm?from=top
このバカ男は重大な政局の最中に政府専用機をチャーターして
なんとドイツまで「高飛び」して決勝戦を観戦しに行こうと企んだらしいのだ。

さすがに「未遂」に終わったが、こいつの頭をカチ割って中を覗いてみたくなる。
いったいどういう発想なんだろうか。
あー、けど行ってくれなくて良かったぁ~
退陣表明して、支持率一桁間近で、周囲からボロクソに言われてる、
こんな疫病神がスタンドに居たら絶対に勝てなかったと思うぜ。


2011年7月18日

野武士































強豪アメリカの選手たちに比べると
走り方も蹴り方も、決してスマートではない。
けれどもボールを追うその姿には
我々が忘れかけていた純粋さを思い出させてくれた。
澤 穂希、彼女はまるで
合戦へと向かう野武士のようにも見えたものだ。

感動をありがとう。
ゴールの度に、歓喜よりも涙が溢れて仕方なかったのは
気持ちを鼓舞して這い上がり、絶望など感じさせない
その健気な一途さを見せつけられたからだろう。
女は強い!

今朝は多くの人々が清々しい朝を迎えた筈だ。
もちろん、私も。


2011年7月17日

観戦

早朝(未明)の決勝戦、
これを観てから寝るとしよう。
明日は休みだ。


2011年7月16日

運を天に任せる

9月の法要のために、AIR DOで航空券を予約した。
「スペシャル28往復」を利用すると、
JALのスーパー先得よりも1万円以上安く済んだ。
座席はコックピットと主翼に挟まれた「クラスJ」の辺り、
残念ながら窓側は埋まっていたので通路側を指定。
片側3列のシートなので乗り降りを考えると通路側の方が便利かと思う。

AIR DOの機体、小さいからなあ・・と思っていたら
JALの機体も従来のエアバスからひと回り小さくなっていて
現在就航しているのは165席・3列シートのボーイング738-73Hに替わっていた。
経営再建中だし、効率の良い運行に転換したわけだな。

それにしても、毎回空席を探すのはひと苦労。
JALとAIR DOを合わせると、日に7便が往復してるというのに
秋の北海道(とりわけ帯広空港行き)は、空席が少ないのは相変わらずだ。
いわゆる、黒字路線。
便数を削られて不便になるよりはいいけどさ。



・・安易に予約してしまったが
実は私、大のヒコーキ嫌い。
運を天に任せるとは、まさにこのことだ(笑)


2011年7月15日

ばかかん・いらかん
















渦中の人物が突然、記者会見を開くと耳にすれば
ついに辞任か!と、各メディアは色めき立ったことだろう。
ところが蓋を開けてみると・・
(大方の予想を裏切って)この男は居並ぶカメラに向かい「脱原発」を公言し、
それはゴールデンタイムの全国のお茶の間に放映された。
内閣総理大臣としての将来的な決意表明と受け取れる言動は
プロセスや賛否は別として、評価に値するものだったと私は思う。
けれども・・
周囲の批判からなのか「個人的な考えを述べただけだった」と、
いとも簡単に「バカ菅」と呼ばれるこの男は発言を翻してしまった。
おまけに・・
裏ではトルコの原発建設の受注に積極的だったことが露呈して
いつものように呆れて物が言えなくなってしまった。
何の裏付けも無く、相変わらず場当たり的なことばかり口にするこの男は
猿にも失礼な猿芝居がよほど好きなのだろう。
個人的な発想と考えだ?
そんなもんのためにわざわざ記者会見なんて開くな!
と、言いたい。

この男・・確かに歴史に残りそうだ。
内閣を敵にまわした異端の総理大臣として。

ここ数日間、午後からは毎日頭が痛くなる。
陽気のせいなのか、馬鹿な男の駄々をこねてるような声のせいなのか。
世には人を不快にさせる声質と喋り方がある。
国会答弁や記者会見での菅の声がまさにそれ。
前かがみでボソボソ喋られると余計に苛々してくる。
ミュージシャンと国会議員は声が良くなきゃ駄目だ!
そう思わんかい?