2011年10月26日

寒い夜


思い出したように歌い始めたのが2005年の1月。
早いもんだ、あれから7年が過ぎようとしている。

力が蓄えられたような気もすれば
何かを磨り減らしてきたような気もする。
顔見知りや仲間が増えたような気もすれば
すっかり疎遠になってしまった者もいる。
なにがなんだか・・

スタンドのギターを手に取り弾いてみた。
昨日までは何ともなかった筈なのに、GUILDの開放弦がビリつく。
鉄で出来たトラスロッドが寒さで縮むと、ネックは僅かに逆反りとなる。
そのせいだ。人間よりも、楽器は敏感で繊細だから。

今年もまた、木枯らしの吹く頃となった。
59回目の冬を迎えても、心構えはおろか何の準備もできてない。
それでも生きて行けるのだから、何と有り難いことか。

胸を焦がすほどの情熱とやらを呼び戻したいと思うくらい
なんだか淡々と生きている自分が居る。
これが加齢というものなのかしら。

30年ほど前のこの歌が、今じゃすっかり子守唄。
http://kazura-web.up.seesaa.net/image/kogarashi64k.mp3

落ち葉に埋もれていた思い出を掘り返すようなものかもね。
しんしんと冷える寒い夜だ。




2011年10月25日

心は温い(ぬくい)

たとえ拙い文章であったとしても、毎日書くことに意義がある。
そう思ってはいるのだが、一度休むと「休み癖」がついてしまうのが駄目なところ。
そんな日記を久しぶりに。

「深夜食堂」今夜もいいお話だった。
にんげんの臭いぷんぷん。
唐揚げとハイボールかあ、あのカウンターで食べたら美味しいんだろうな。

映像が妙に懐かしく感じられるのは、
60年代の新宿を彷彿とさせる、都会の片隅に息づく田舎の人情だからなのか。
それともカット割りやカメラワークが当時の映画みたいだからなのか。
どちらにしても、あの頃にありがちだった人物像と話題が
冬が近付くこの季節ともなると、何だか染み入るんだよねぇ。
十代の終わりに初めて体験した東京の冬、寒かったもんなあ。。


新基準となった(使い難い)使い捨てライターを買う気も起きず
古いジッポーを引っ張り出してみた。
わずかに残っていたオイルを入れてあげたら、優しい火がぽっと灯る。
これもまた、冬には心温まるものである。

北風が冷たい夜なれど、心は温い(ぬくい)。


2011年10月19日

デンキノチカラ


冷える夜にはデンキノチカラ。
もうちょっと
もうちょっとで冬が来る。
それまでは、デンキノチカラで耐え凌ごう。

だが・・
今年は灯油が高騰するぞと巷の噂を耳にした。
おお・・
デンキノチカラが及ばぬ冬の暮らしをどうしよう。



今朝、我が家の洗濯機が臨終を迎えた。
25年も頑張り続けた働き者だ。
うおんうおんと鳴きながら
最後の力を振り絞って洗濯だけは済ませたが、
脱水する直前で力尽きたようだった。
25年間、家族と共に生きてきたデンキノチカラに感謝。
そして合掌。。


2011年10月18日

小腹も心も満たします



ふと気付く。
わたしって、案外とテレビ好きだったんだ。



「深夜食堂」再び始まりました。
路地裏には、にんげんが溢れています。

鈴木常吉さんのあたたかな歌に
後半には福原希己江さんの歌も加わりました。
せつないけど、しあわせな気持ちになります。

小腹と心が満たされると
人はやさしくなれるんですね。


2011年10月17日

浪漫


TBS日曜劇場「南極大陸」を今夜になってから観た。
昨日は帰宅が遅くなったので、録画予約してあったのをゆっくりと。

南極観測船宗谷、
オレンジ色の船体が2万Kmの航海に出発したのは昭和31年11月8日。
敗戦国ニッポンの復興の象徴となったその雄姿と共に
関わった人間たちの壮大なドラマが伝わってくる。

脚本やカメラワークにTBS色と日曜劇場らしさを随所に感じつつ
(不覚にも)ころっと簡単にやられてしまうシーンが幾つかあった。
貧しい子供たちが5円玉や1円玉を握り締めて夢を託そうとする光景、
あれにはやられた。思わず泣いてしまった。
僕は昔から、健気な子供の仕草にはめっぽう弱いのだ。

生きて帰って来いよ、そう語りかける家族は出征兵士を見送る姿とダブる。
まだ戦争の爪跡が至る所に残っていた時代、命の尊さを思う気持ちは
平和な暮らしに慣れきってしまった現代とは比べ物にならないかも知れない。
たとえ物資が乏しく貧しい生活に身を置いていたとしても、
夢や憧れに思いを馳せる心だけは純粋だった昭和のあの時代。
何も無いから浪漫が生まれるのだ。

物品や便利なサービスに溢れた現代社会に生きる僕らは
いったい何処で道を間違え、そして迷い込んでしまったんだろう。
不便だと感じる物の一つや二つを我慢して工夫することから
全てが変わって行く気がしてならないのだが・・

思想や理念はころころと変わっても
文明と豊かな暮らしは後戻りできない。
現代社会の歪さは、どうやらそこから来ている。


2011年10月16日

10月の第3日曜は「孫の日」らしい

雨が未明に上がってくれたおかげで、1時間遅れながら運動会が催されると連絡があり
鼠の海辺は取りやめ、孫の通う公田小学校へと車を走らせた。
10時頃にはお天道様が顔を出し、季節外れの夏日となった校庭で
ジリジリと太陽に焼かれたながらの(暑い)観戦となってしまった。
下馬評では「飛べない走れない踊れない」と散々な言われ方をしていた我が孫ではあったが、
予想を覆し50m走でなんと(驚愕の)1等、苦手の縄跳びも特訓の成果ありで難なくこなし
本人としてはかなりの頑張りように、応援に出掛けた甲斐もあったというところか。
炎天下、広げた弁当に舌鼓!ぽん!!

驚きもあった。
前を通り過ぎた女性を見たカミさん「はて・・○○さんに似ているような・・?」
次に通り過ぎた男性(ご主人)を見て「えーっ!やっぱ○○さんだー!!」と奇声を上げる。
15年以上前に住んでいた東戸塚の名瀬町のマンションで仲良くしていた御一家だった。

その町には長男が中学を卒業し、娘二人が小学の5年と6年になるまでの
およそ10年近くの間住んでいた、云わば我が家の「子育て」時代。
家族の様々な思い出が詰め込まれた場所であり、同じ年頃の子を持つ家庭数軒と
ドライブや飲み会を催したりしながら親しくご近所付き合いしていた経緯がある。
今日偶然再会したその家族もそのうちの一軒で、こちらが転居してからというもの
音信もすっかり途絶えていたのだが、なんとその娘の子供が孫と同じクラスだったわけ。
母親同士は何も知らないまま接していたらしく、その偶然に一同が驚嘆した。
現在のお互いの住まいからは遠いというのに、何故この場所でばったり出くわすのか
その不思議さといったらないではないか。ほんとびっくり、たまげたね。

双方の孫の存在が結び付けた途切れた糸・・
期せずしてこんなことも起きるから、人生は面白いのだと思う。
家族親族が増えて行くほど意外な展開が生じるわけだ。
ちなみに1999年から、10月の第3日曜日は「孫の日」に制定されていたらしい。
お爺ちゃんお婆ちゃんとのコミュニケーションを図るため、と言われてはいるが
実際のところは日本百貨店協会が孫へのプレゼントなどで消費を拡大するために提唱したもの。
まさに今日がその日にあたる。
けれど今回はプライスレス、金品に頼ってばかりじゃいかんよね。


2011年10月15日

明日はどっちだ

朝方の雨と強風、落雷注意報などなど
諸々の事情が重なり公田小学校の運動会は明日に順延となった。
とは言っても、明日もまた午前中は雨の予報。
ただし明日の日曜は休みなので、雨天の場合は鼠の海辺に進路変更の予定で
どちらにしても7時起床の7時半出発とは・・とほほほ。
どっちへ転んでも「まだ起きたくないよぉぉ」の朝となるのが辛いところ。
どうなることやら。

明日は午後から晴れ、気温もかなり上がるようだ。
昼間は半袖で十分!となれば
これ、着てこうかな。


うん、休日は楽しく行こうぜ。
れーなよ、ありがとね~♪



今始めたOSの更新作業、iTunesとiPhoneの間でウゴウゴしてる。
待ちに待ったiOS 5にアップデート中なり。
しかしまあ、DLだけで15分。インストールが終わるまで1時間超ですって。
明日は早いので、ほっといて寝ることにしよう。
バグッてなきゃいいけどなあ。