2011年11月8日
めしや
と、いうわけで
今夜も深夜食堂の下町話に舌鼓。
いいなあ、あったかいなあ。
さらっとした人情が
ぎすぎすした世の中に
ひとときの安らぎを与えてくれる。
これがニッポンだ。
どうしてもそう思ってしまう。
飯も酒も
旨くなければいかんのだ。
そして人間は
面白くなければいかんのだ。
*
2011年11月7日
黎明期の音
YouTubeが便利で楽しいところは関連する膨大な紐付け。
ひとたびサイドバーのクリックを始めるときりがなくなる。
今夜はこんなものを拾ってしまった。
「ロック・サーフィン・ホットロッド」と「レッツ・ゴー・モンキー」
東芝が64年と65年にリリースしたアルバムだ。
ボーカルは尾藤イサオと内田裕也、バックはブルージーンズとブルーコメッツの混合バンド。
コピーとカバーを繰り返していた我が国のロック黎明期を感じさせる熱い演奏を聴くことができる。
特に小田啓義のオルガンは必聴もの!
尾藤イサオの不良っぽいドスの利いた声とシャウトが生きる「アイム・ダウン」はいいなあ。
余談だが、私が中学生くらいの時にTVで観た尾藤イサオは
「悲しき願い」がヒットした後だったせいか、とても突っ張っていた。
顔つきも目付きも悪く、お茶の間向けじゃないよなあと子供心に思ったものだが
その夜、自身のバックバンドを引き連れて歌っていた彼が(たぶんカバー曲)
メンバーが出したミス・トーンに腹を立て、演奏中ずっとその男を睨み付けていたのを目撃した。
ほんと、すごい形相で。
たぶん楽屋で殴りつけていただろうな、ありゃあ。
それくらいワルな顔していたわけだが、今こうして聴いてみると
この当時の歌い手の中じゃピカイチなシンガーだったんだなと改めて思う。
それに比べて・・
ねえ、内田裕也って何者なのさ。
尾藤のシャウトに比べると声もひ弱で上手くもない。
一時期はロック界のドンとまで呼ばれたこの男の功績って、何だったんだろうね。
70年代に入った早々くらいの雑誌の座談会で「英語じゃなきゃロックじゃねえ!」と一喝、
日本語はロックのビートに絶対合わないと豪語しまくったのだが
本人の歌う「英語のロック」聞くに堪えないじゃありませんか。
今もってワカラナイ。。
*
2011年11月6日
おそるべき16歳!
数日前、仕事場へ向かう途中カーラジオから流れて来たこの歌が頭から離れない。
すてきな16歳(Happy Birthday Sweet Sixteen)
http://www.youtube.com/watch?v=bzSmF7q_oVk
小学生の頃にリアルタイムで聴いていながら、改めて耳にするとちょっとした衝撃だった。
弘田三枝子、14歳でデビューして16歳の時にレコーディングされた曲だ。
声量もあって実に上手い。さすが小さい頃から米兵相手に歌っていただけのことはある。
コロンビアに移籍後ヒットした「人形の家」も有名だが、私は彼女が歌うカバー曲が好きだ。
整形とダイエット前の、ぽっちゃりした顔立ちのこの頃の方が声も太くていい。
65年のニューポート・ジャズ・フェスティバルには日本人として初めて出場して
居並ぶ本場の大御所にも臆することなく三日目のトリを務めたこともあるそうだが、
とても16歳とは思えぬ堂々とした貫禄には、今聴いても圧倒されるばかりである。
YouTubeに当時の映像があった。
「恋のクンビア」コロンビアに移籍した翌年の曲、溌剌とした身のこなしがパワフルだ。
語尾がクイッと上がるのと「あ」が「は」と発音される独特の癖は64歳の今もなお変わっちゃいない。
ちなみにクンビアは南米コロンビアに伝わるラテン・ミュージックだが、
「恋のクンビア」は弘田三枝子のオリジナル曲で、カバーではない。
65年当時はラテンが大流行していたのである。
*
2011年11月4日
猫はいいなあ
猫はいいなあ。
猫になりたいなあ。
なんとなく、負の連鎖が続く。
ババを引いてしまうことが多いのは
何かしらの災いを引き寄せているのに違いない。
昨日から良からぬ客に遭遇するばかりだ。
明日は明るい色のシャツを着て行こう。
カミさんが持病の腰痛で動きが鈍くなっているので
今夜の晩飯用に「かつや」の市沢町店に寄ってカツ丼を買って帰った。
和田町の信号の脇にパトカーが停まり、警官が立ち番をしていて
環2の市沢下町に至る道の途中で数台のパトカーとすれ違った。
物々しい雰囲気、何か事件でもあったのかしら。
帰宅して(近所の情報に詳しい)カミさんに尋ねてみたが分からず。
金曜の夜だから、暴走族の取り締まりだったのかもね。
先週もバイパスを100台くらいで爆走してたもの。
けれど今夜は極めて静か、バイクの音など聞こえやしない。
たぶん警察は肩透かしを喰らったのであろう。
おつかれちゃん。
さてと、今夜も寝る前に(未明の)ゴミ出しをしなければ・・
*
2011年11月3日
Poison Ivy
気分の悪い夜だ。
身に覚えのないことで、見ず知らずの人間からいきなり因縁をつけられたような
そんな不愉快な相手は毒以外の何物でもない。
近付いただけで体がかぶれてしまうと言われるツタウルシの毒。
こんな夜はストーンズを聴こう。
ナンバーは往年の名曲「Poison Ivy」に決まってらあね。
*
2011年11月2日
青春時代の回想
秋から冬にかけてのちょうど今くらいになると
何故なんだか、ビートルズの歌が妙に染み入るようになる。
クリスマス・シーズンを迎えた街角で耳にすることも多くなるということは
たぶん世の中の風潮としても、それは自然なことなのかも知れない。
今夜のNHK「SONGS」も、来日45周年・結成50周年を迎える彼らの特集だった。
私は昔からポールの歌をあまり好んで聴くことはないのであるが、
「We Can Work It Out」これは別格の部類に入る名曲だと思っている。
サビの後半で3拍子に変わるアレンジがスムーズで実に見事!
60年代初めにそれをやってのけたことにも感服するのみだが、
おそらくはジョージ・マーティンの成せる業だったのであろう。
そのジョージ・マーティン、自身の存在をアピールすることにも長けていた。
世界初の衛星中継、その試験放送である67年の「アワ・ワールド」の冒頭にも登場する。
ビートルズの音は俺が創ってるんだぜ、と言わんばかりにね。
この映像は懐かしい。
当時は白黒の画面で、こんなに鮮明なものではなかったけれど
深夜(未明か)興奮しながらTVを凝視していたものだ。
このイベントのためにジョンが書き下ろした歌が「All You Need is Love」なのであり、
EMIのアビーロード・スタジオには、ミック・ジャガーやキース・ムーン、
クラプトンやマリアンヌ・フェイスフルなどなど、大勢のミュージシャンが顔を並べていた。
その光景を目にして、田舎の15歳の少年が興奮しないわけはない。
でもね、邦題の「愛こそはすべて」とは口にできなかった。
照れ臭かったのか、純情だったのか、
そんな時分のことが思い出される夜なのであった。
いわゆる私の青春時代の回想、というやつかな(笑)
*
2011年11月1日
クルマのお勉強、3
深夜食堂を観ていたら、アサリの酒蒸しが食べたくなってしまった。
あの汁をすする音と貝が皿に当たる音・・たまらんねぇ。。じゅるっ
さて、気を取り直して「クルマのお勉強、3」
近頃の新し目の車を運転するドライバーの皆さん、
エンジンを掛けた途端にサーッと発進して行くのをよく見かける。
なんでも、現代の車は構造的に昔みたいな暖機運転の必要が無いんだとか。
そういやあ以前修理の間に借りたほぼ新車の代車、水温計も付いてなかったんで驚いた記憶がある。
どうやらエンジン素材の進化や精度が上がったおかげらしい。
オイルポンプの回転を上げて末端まで潤滑させるためにも、はたまたギヤ周りを暖めるためにも、
手っ取り早く走り出しちゃった方が得策というのが最近の説。
暖機で無駄な燃料を消費しないようにと、省エネルギーの風潮も追い打ちをかけている。
私みたいな古い人間には、どうにも馴染めない言葉ばかり。
水温計が動いてから走り出さなければ、エンジンを傷めてしまうものだと信じ込んでいるので
今でも始動した後に煙草を1本吸ってから発進することにしているくらいだ。
(車が旧いせいもあるけどね)
実はエンジンを止める時もそう。
ターボ車はタービンを冷やすためにクールダウンさせるものなんだって教えを今でも守ってる。
なので停車してからエンジンを切るまでの間に煙草を一服、となるわけだが、
これも最近のマニュアルでは「必要ない」ときたもんだ。
オイルも良くなったし、レースカーでもない限りアフターアイドリングは不要なんだってさ。
むしろ走行風が入らない分、エンジンルームの温度が上がって悪影響を及ぼすとまで言われる始末。
いやあ、どれをとっても昔の教えとはかなりの隔たりがあって困ってしまうよ。
ちなみにガソリン車って、10年ほど前からは
エンジンも足回りもこれ以上ないくらい完成の域に達してると思うんだよね。
だからよほど荒っぽく走らない限り、製造のバラつきが無い車に関しては
うまく行けば10万Kmはおろか20万Kmくらいまで平気で走っちゃう気がしてる。
けど現在の低燃費車やハイブリッドって、そこまで持ってくれるのかしら?
エコカーの耐久性にはやや疑問あり。
私は頻繁にエンジンを掛けたり切ったりするのが嫌いだ。
根拠は無いのだが、何となくエンジンに負担をかけてしまうような後ろめたさからである。
なので停車時間が数分であれば、なるべく切らないようにしている。
排ガスの環境問題からしてみると時代に逆行しているかも知れないが
これは私の哲学なので致し方ない。
そんな私ゆえ、流行のアイドリング・ストップなんてとんでもない話だ。
そもそもあんなに回したり止めたりを繰り返して、エンジンなんともないのかしらね。
環境問題を考える前に、根がケチなのでそっちの方が心配になる。
始動時のピストンの負荷って、結構なもんだと思うんだけどなあ。
(勝手な推測だけど)故障が相次いで、廃車率が高まって
スクラップの山が別の環境問題を生み出したりしなきゃいいんだけどね。
火力発電が原子力へと移行して行った過程とその危うい結末が
なんとなくダブって見える今日この頃。
飛躍しすぎと言うなかれ、資源だ環境だと叫んだ挙句
地球を滅ぼしかねないほどの危機を招くのは言語道断というものだ。
そして機械や道具にブラックボックスは無い方がいいに決まってる。
人間が動かし、管理するべきものなんだから。
*
あの汁をすする音と貝が皿に当たる音・・たまらんねぇ。。じゅるっ
さて、気を取り直して「クルマのお勉強、3」
(愛車テリオスキッドのエンジン)
近頃の新し目の車を運転するドライバーの皆さん、
エンジンを掛けた途端にサーッと発進して行くのをよく見かける。
なんでも、現代の車は構造的に昔みたいな暖機運転の必要が無いんだとか。
そういやあ以前修理の間に借りたほぼ新車の代車、水温計も付いてなかったんで驚いた記憶がある。
どうやらエンジン素材の進化や精度が上がったおかげらしい。
オイルポンプの回転を上げて末端まで潤滑させるためにも、はたまたギヤ周りを暖めるためにも、
手っ取り早く走り出しちゃった方が得策というのが最近の説。
暖機で無駄な燃料を消費しないようにと、省エネルギーの風潮も追い打ちをかけている。
私みたいな古い人間には、どうにも馴染めない言葉ばかり。
水温計が動いてから走り出さなければ、エンジンを傷めてしまうものだと信じ込んでいるので
今でも始動した後に煙草を1本吸ってから発進することにしているくらいだ。
(車が旧いせいもあるけどね)
実はエンジンを止める時もそう。
ターボ車はタービンを冷やすためにクールダウンさせるものなんだって教えを今でも守ってる。
なので停車してからエンジンを切るまでの間に煙草を一服、となるわけだが、
これも最近のマニュアルでは「必要ない」ときたもんだ。
オイルも良くなったし、レースカーでもない限りアフターアイドリングは不要なんだってさ。
むしろ走行風が入らない分、エンジンルームの温度が上がって悪影響を及ぼすとまで言われる始末。
いやあ、どれをとっても昔の教えとはかなりの隔たりがあって困ってしまうよ。
ちなみにガソリン車って、10年ほど前からは
エンジンも足回りもこれ以上ないくらい完成の域に達してると思うんだよね。
だからよほど荒っぽく走らない限り、製造のバラつきが無い車に関しては
うまく行けば10万Kmはおろか20万Kmくらいまで平気で走っちゃう気がしてる。
けど現在の低燃費車やハイブリッドって、そこまで持ってくれるのかしら?
エコカーの耐久性にはやや疑問あり。
私は頻繁にエンジンを掛けたり切ったりするのが嫌いだ。
根拠は無いのだが、何となくエンジンに負担をかけてしまうような後ろめたさからである。
なので停車時間が数分であれば、なるべく切らないようにしている。
排ガスの環境問題からしてみると時代に逆行しているかも知れないが
これは私の哲学なので致し方ない。
そんな私ゆえ、流行のアイドリング・ストップなんてとんでもない話だ。
そもそもあんなに回したり止めたりを繰り返して、エンジンなんともないのかしらね。
環境問題を考える前に、根がケチなのでそっちの方が心配になる。
始動時のピストンの負荷って、結構なもんだと思うんだけどなあ。
(勝手な推測だけど)故障が相次いで、廃車率が高まって
スクラップの山が別の環境問題を生み出したりしなきゃいいんだけどね。
火力発電が原子力へと移行して行った過程とその危うい結末が
なんとなくダブって見える今日この頃。
飛躍しすぎと言うなかれ、資源だ環境だと叫んだ挙句
地球を滅ぼしかねないほどの危機を招くのは言語道断というものだ。
そして機械や道具にブラックボックスは無い方がいいに決まってる。
人間が動かし、管理するべきものなんだから。
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