2011年11月11日

快挙!

私と同世代の方であれば、深夜のラジオ放送から流れて来たS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」に似たギターフレーズで始まるスキャットが清々しく聴こえた思い出があることだろう。
その「夜明けのスキャット」を歌った由紀さおりのニューアルバム「1969」が、アメリカで大ヒットしているらしい。iTunesのDL数ではジャズ部門で堂々の第一位と聞くと何だか嬉しくなってくる。

そもそもはアメリカのオレゴン州で94年に結成され、その後脚光を浴びた13人編成のオーケストラ、ピンク・マルティーニが2007年にリリースしたアルバムの中で由紀さおりの「タ・ヤ・タン」をカバーしたことから始まる(このオーケストラにはチャイナ・フォーブスという女性ボーカルが居て、歌姫を擁した往年のスタイルが受け継がれていることでも評判となった)
この歌姫が流暢な日本語で歌っているのだが、いかにも日本的なフレーズを白人のプレーヤーが演奏していても不思議と違和感がまるで無い。



リーダーでピアニストのトーマス・M・ローダーデールが、アメリカの中古レコード店で由紀さおりの古いアルバムを見つけたのがきっかけだと言う。
ジャズ、映画音楽、ラテン、フレンチ・ポップス、イタリアン・ポップス、そして日本の歌謡曲と、世界中の美しいメロディを発見、カヴァーしてきた彼の触覚とアレンジが素晴らしいではないか。
今年10月のロイヤル・アルバート・ホールでのライブには、ゲストとして由紀さおりが登場し「夜明けのスキャット」他4曲を歌い、アンコールの「マシュケナダ」では観客がスタンディングオベーションで賞賛した模様が彼女のオフィシャルサイトに記されている。http://www.emimusic.jp/pmsy1969/

由紀さおりのニューアルバム「1969」はピンク・マルティーニとのコラボレーションで構成され、
そのタイトル通り、69年当時にヒットした国内外の名曲で埋め尽くされている。
その中から、いしだあゆみのヒット曲「ブルーライト・ヨコハマ」を聴いてみよう。



ラテン系の味付けもまたよし。



2011年11月10日

心の準備に入る


末娘の出産が間近に迫ってきた。
予定日は23日だし、初産は遅れ気味になるもんだと聞いてはいるが
私の予感(勘?)では、早まるような気がしてならない。
もう3000gくらいまで成長しているらしいし、
腹の中で暴れまわっているようなので、早く解放させてあげたい気分。

明日は預かっていた猫を家まで送り届ける役目。
真ん中の美人な子だ。
賢く、働き者だったので居なくなると寂しくなりそうだな。
(後の方でぐうたらしてる子とは姿勢からして違いすぎる)笑

昼間、娘が大きな腹を持て余し気味に迎えに来るようなので
そしたらケージに入れて車に乗せ、娘の家へと向かう。
臨月の妊婦を乗せた車・・運転、緊張するかもな(汗)

何はともあれ
そろそろ落ち着かない日々がやって来そうなのだ。

名前・・決まったのかなあ?


2011年11月9日

意見

いったい何が得策だと言うの?
国や国民にどれほどの利益があるの?
失うものはないの?
冷静に考えて、十分な議論を重ねた上で
交渉の席についてもらわなければなるまいて。
今や売国奴と化した政権与党よ、参加表明を急ぐな!

TPP協定に、私は反対だ。
おそらく国民の大多数がそうだろう。
一握りの大企業と金融機関が潤うだけで
この国の実態が消滅しかねない事態となる。
外交が不得手な「後進国」の人間が、危ない橋を渡ることはない。

サルでもわかるTPP http://luna-organic.org/tpp/tpp.html




2011年11月8日

めしや


と、いうわけで
今夜も深夜食堂の下町話に舌鼓。
いいなあ、あったかいなあ。

さらっとした人情が
ぎすぎすした世の中に
ひとときの安らぎを与えてくれる。

これがニッポンだ。
どうしてもそう思ってしまう。

飯も酒も
旨くなければいかんのだ。
そして人間は
面白くなければいかんのだ。



2011年11月7日

黎明期の音


YouTubeが便利で楽しいところは関連する膨大な紐付け。
ひとたびサイドバーのクリックを始めるときりがなくなる。
今夜はこんなものを拾ってしまった。
「ロック・サーフィン・ホットロッド」と「レッツ・ゴー・モンキー」
東芝が64年と65年にリリースしたアルバムだ。
ボーカルは尾藤イサオと内田裕也、バックはブルージーンズとブルーコメッツの混合バンド。
コピーとカバーを繰り返していた我が国のロック黎明期を感じさせる熱い演奏を聴くことができる。
特に小田啓義のオルガンは必聴もの!
尾藤イサオの不良っぽいドスの利いた声とシャウトが生きる「アイム・ダウン」はいいなあ。



余談だが、私が中学生くらいの時にTVで観た尾藤イサオは
「悲しき願い」がヒットした後だったせいか、とても突っ張っていた。
顔つきも目付きも悪く、お茶の間向けじゃないよなあと子供心に思ったものだが
その夜、自身のバックバンドを引き連れて歌っていた彼が(たぶんカバー曲)
メンバーが出したミス・トーンに腹を立て、演奏中ずっとその男を睨み付けていたのを目撃した。
ほんと、すごい形相で。
たぶん楽屋で殴りつけていただろうな、ありゃあ。
それくらいワルな顔していたわけだが、今こうして聴いてみると
この当時の歌い手の中じゃピカイチなシンガーだったんだなと改めて思う。

それに比べて・・

ねえ、内田裕也って何者なのさ。
尾藤のシャウトに比べると声もひ弱で上手くもない。
一時期はロック界のドンとまで呼ばれたこの男の功績って、何だったんだろうね。
70年代に入った早々くらいの雑誌の座談会で「英語じゃなきゃロックじゃねえ!」と一喝、
日本語はロックのビートに絶対合わないと豪語しまくったのだが
本人の歌う「英語のロック」聞くに堪えないじゃありませんか。
今もってワカラナイ。。


2011年11月6日

おそるべき16歳!


数日前、仕事場へ向かう途中カーラジオから流れて来たこの歌が頭から離れない。
すてきな16歳(Happy Birthday Sweet Sixteen)
http://www.youtube.com/watch?v=bzSmF7q_oVk
小学生の頃にリアルタイムで聴いていながら、改めて耳にするとちょっとした衝撃だった。

弘田三枝子、14歳でデビューして16歳の時にレコーディングされた曲だ。
声量もあって実に上手い。さすが小さい頃から米兵相手に歌っていただけのことはある。
コロンビアに移籍後ヒットした「人形の家」も有名だが、私は彼女が歌うカバー曲が好きだ。
整形とダイエット前の、ぽっちゃりした顔立ちのこの頃の方が声も太くていい。
65年のニューポート・ジャズ・フェスティバルには日本人として初めて出場して
居並ぶ本場の大御所にも臆することなく三日目のトリを務めたこともあるそうだが、
とても16歳とは思えぬ堂々とした貫禄には、今聴いても圧倒されるばかりである。

YouTubeに当時の映像があった。
「恋のクンビア」コロンビアに移籍した翌年の曲、溌剌とした身のこなしがパワフルだ。
語尾がクイッと上がるのと「あ」が「は」と発音される独特の癖は64歳の今もなお変わっちゃいない。
ちなみにクンビアは南米コロンビアに伝わるラテン・ミュージックだが、
「恋のクンビア」は弘田三枝子のオリジナル曲で、カバーではない。
65年当時はラテンが大流行していたのである。







2011年11月4日

猫はいいなあ


猫はいいなあ。
猫になりたいなあ。

なんとなく、負の連鎖が続く。
ババを引いてしまうことが多いのは
何かしらの災いを引き寄せているのに違いない。
昨日から良からぬ客に遭遇するばかりだ。
明日は明るい色のシャツを着て行こう。

カミさんが持病の腰痛で動きが鈍くなっているので
今夜の晩飯用に「かつや」の市沢町店に寄ってカツ丼を買って帰った。
和田町の信号の脇にパトカーが停まり、警官が立ち番をしていて
環2の市沢下町に至る道の途中で数台のパトカーとすれ違った。
物々しい雰囲気、何か事件でもあったのかしら。
帰宅して(近所の情報に詳しい)カミさんに尋ねてみたが分からず。
金曜の夜だから、暴走族の取り締まりだったのかもね。
先週もバイパスを100台くらいで爆走してたもの。
けれど今夜は極めて静か、バイクの音など聞こえやしない。
たぶん警察は肩透かしを喰らったのであろう。
おつかれちゃん。

さてと、今夜も寝る前に(未明の)ゴミ出しをしなければ・・