2012年1月21日

facebookとカーネーション


登録してから、やや放置気味だったfacebookの面白みがようやく分かってきました。
フォロワーさんはtwitterとほぼダブってはいるんですが
ツブヤキ以外の部分で視覚的に直接伝わって来る楽しさがあるようです。
要はtwitterに足りなかった物を補ってくれているような、そんな感じなのでしょうか。
色気を出して?ウォールをタイムラインに切り替えたり、友人検索したりしながら再度構築中です。
アカウントは(そのまんま)かずら元年、繋がりご希望の方はお気軽にリクエストしてくださいね。

ここ数日間、twitterとの連携が上手く行ってないようで(以前から時折その傾向はありましたが)
Blogの更新データがfacebookの方に反映されてなかったりしています。
一部の投稿が重複してしまうかも知れませんが、本日から個別に書き込むことにしますので
拙い言葉の羅列ではありますが、「かずら的日常」ご贔屓にして頂ければ幸いです。

話は唐突に飛び、NHKの連続TV小説「カーネーション」実に面白いです。
大阪弁のスピード感と、キャラクターの濃さからなのでしょうか、15分の時間がとても濃厚に感じられます。
毎作観てはいるんですが、第1話から一度も欠かさず観ているのは今回が初めてで
しかも土曜が終わると月曜が待ち遠しくて仕方なくなるくらいです。
ちょっとした中毒症状?いや、それほど楽しみになるのですよ。
来週の展開も面白くなりそうだなあ・・と、いつものように期待しながらも
3月が近付いて来ると、終わりを迎えることが残念な気持ちになってしまいます。
もっともっと観ていたい。
椎名林檎のテーマ曲が流れて来るたび、そう思うのです。

連続TV小説は半年ごとに東京と大阪で交互に制作されるのですが、
私は毎回、秋から春にかけての「大阪版」が好きでした。
その中でも岸和田を舞台にした今回の大阪版はバタ臭い作りとなっていて
大河ドラマでもお馴染みとなったフィルム映像に似た色合いが良い雰囲気を醸し出し
昭和の家庭の日常のドタバタ感に、言いようの無い楽しさを覚えてしまいます。
「カーネーション」もう中盤を過ぎてしまいましたが、おススメですよ!




・・それにしても、今夜も脈絡が無いな(自戒)



2012年1月20日

とんとん冬が戸を叩く


横浜にも初雪が降りました。
夜の間は気温が高めだったので、雪に変わることはあるまいなどと
素人判断していた自分が甘かったようです。
朝にかけて気温が下がり、予報通りの積雪となりました。
冬本番の1月とはいえ、寒い寒い一日です。

今夜は北風が強く吹いてます。
「とんとん冬が戸を叩く」
私の古い古い歌を思い出してしまいました。



2012年1月19日

冷たい女

アルバム「悲しき夏バテ」の中に、「冷たい女」という曲があります。
70年代の一時期に仲良くしていた私の友人、千葉信行の作品です。
笑うと笑窪ができる、どこか憎めない顔つきで
のらりくらりと暮らす様はフーテンの寅さんみたいな人でした。
布谷さんはこの曲をレコーディングするにあたり、
「おんな」は「おな」、「おとこ」は「とこ」と聴こえるほどに
言葉をリズムに乗せるため巧妙にアクセントを変えていました。
それには理由があって、バックコーラスを担当したのがシンガーズ・スリーという
ある意味当時の著名な女性コーラス・グループだったことによります。
伊集 加代、団 洋子、尾形 道子の三人からなるこのグループは
大瀧さんもベルウッドのソロ・アルバム以降に重宝していたのですが、
如何せんそれまではロックとはまるで無縁の畑違いの方々。
イメージ作りから始まり、かなり無理な注文をつけてようやく収録できたと
後で笑いながら布谷さんが教えてくれました。
まだこの時代は、レコーディングに使えるプロのコーラス・グループというのが
彼女たちくらいしか居なかったというお寒い現実があったわけです。

ニコニコ動画にスタジオ・テイクの音源があったので聴いてみてください。
たぶん何を言ってるかわからないでしょうが(笑)歌詞は至ってシンプル。

おまえは女 冷たい女
どうしてそんなに冷たくするの

俺は男 おまえが欲しい
だけどおまえは振り向いてもくれない

銀次さんのスライド、ゆかりさんのドラムも最高です。
そして(熟年)シンガーズ・スリーも頑張ってくれてます。

そのノブユキさん(実は大瀧詠一氏と同郷で同級生)
一緒に福生の大瀧さんの家に遊びに行って朝までブラックジャックに呆けたとき
私や女房、大瀧さんらに(冗談で)ボロクソに言われたことに腹を立て
それっきり顔を見せなくなったまま現在に至っています。
三十数年前の出来事・・ふと思い出してしまいました。
今ごろは何処でどうしてるのやら。



2012年1月18日

昭和の達人がまた一人・・


Twitterで布谷さんの急逝を知りました。
何度かお会いしたことのある、類稀なミュージシャンであり
大瀧さん(大瀧詠一)のファースト・アルバムに収められている「びんぼう」も
彼のバックコーラス(シャウト)によって独特の色合いに味付けされ、
後の「ナイアガラ音頭」で、その名が広く知れ渡り
廃盤となっていた73年の「悲しき夏バテ」の再発売に至った経緯があります。
突然の訃報、まだまだ歌っていてほしかったので残念でなりません。

布谷文夫・・彼は1947年、私と同じ北海道に生まれ
DEW、ブルース・クリエーションのボーカルを経てソロ・シンガーとなりました。
当時のライブでは、声もアクションも(揉み上げも)まるでジョー・コッカーのようで
田舎から出て来た私は、羨望の眼差しで溜息をつきながら観ていたものです。
前述のアルバム「悲しき夏バテ」は、大瀧詠一のプロデュースで73年に発売され
サポート・ミュージシャンの豪華さにも関わらず全く売れず
(仲間内の噂では、全国でたったの17枚しか売れなかったそうです)
すぐに廃盤になってしまった経緯があります。
ちなみにその時のバックはココナッツ・バンクで、粘り気のあるいい音を出していました。
伊藤銀次(g)、藤本雄志(b)、上原裕(ds)、駒沢裕城(ペダルスティール、ドブロ)、矢野誠(p)
クレジットを見ただけでワクワクしてしまう、当時のそうそうたる顔ぶれです。
私はこのアルバムの見開きジャケットの内側の写真が好きでした。


たぶん福生の大瀧さんの家(米軍ハウス)だと思われる室内で談笑している光景が
後のナイアガラ・レコード誕生を予見させる、そんな絵に思えるからです。

機会があったら聴いてみてください。
ココナッツ・バンクがサポートしたA面も勿論良いのですが
アコギ1本で弾き語るB面に、より魅力を感じると思います。
(すみません、アナログディスクの表現だとこうなります)

南部臭漂う彼の歌声、新たな物は聴けないことが残念です。
35年ほど前、大瀧さんのライブでお会いした時に
「喰うための気軽ないい仕事、ないですかね~」と尋ねると
「俺のやってる学研のセールス!これいいよぉ、気楽だし!」と勧誘された記憶があります。
「ナイアガラ音頭」が売れてもなお、家族を養うために働かなければならなかった
そんな時代のお話です。

私の中の「昭和の達人」が
また一人逝ってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。



2012年1月17日

すくすく。


またまた大きくなっていました。
赤子の成長は本当に早いもので、
数日前に浴槽デビューして父親とお風呂に入っているそうです。

謎なのが髪の毛の癖。
何故なんだか、みんな立ってしまいます。
気合十分、てこと?
すでにパンク系なのかも知れません。

今日は機嫌が良かったせいか
一枚だけ、まともな写真が撮れました。
鼻の開いた猿顔ばっかりじゃね~(笑)

月の終わりにはお宮参りです。
すくすく。



2012年1月16日

マスクマン

私は、マスクをするのが嫌いでした(覆面じゃないですよ)
昔のガーゼで出来た小さいのも嫌でしたが、
紙製で使い捨ての今のは、サイズが大きすぎてもっと嫌だったのです。
顔の半分ほどを覆い隠してしまう見た目が、大袈裟すぎる気がしてずっと敬遠していたのと
私の奥二重の細い目には目力(めぢから)が欠乏しているため
口元が見えない状態では感情を表現する妨げとなってしまいそうな気がしていたからです。
(目力が弱いとアイ・サインにも苦労するものなのですよ)
その元来「マスク嫌い」な私に大きな変化が訪れました。

数日前に風邪をひいて喉をやられ、やむなく(大きな)マスクを着用したのですが
この異常乾燥が続く渇ききった気候にはとても有効な物なのだと(今さら)気付いたのです。
喉と鼻に適度な湿り気を与えてくれて、おまけに屋外では顔も暖かいじゃありませんか。
実験的に寝る時もマスクをしてみました。
その効能は以前から耳にはしていたのですが、息苦しくなって眠れないような気がしていました。
ところが・・
その予想とは裏腹に、気持良くて寝つきまで良くなってしまいました。
息苦しくなることもなく、おまけに露出した顔が温まるので心地好いのです。
夜の乾いた空気を吸い込まないせいでしょうか、起きた時の喉も滑らかで
こりゃあええ!!とばかりに毎晩の愛用品となってしまいました(笑)

そんなわけで、今日も仕事場へはマスク姿で行きましたが
誰だか分からないのでは?という根拠の無い不安は今もあります。
(私だったら見分けがつかなくなって人違いしてしまいそうですもん)
果たして目力だけで意思の疎通はできるのか?
目下の研究課題であります。


ねえ、こんな感じでも私だって分かるものなの?
街で擦れ違ったら絶対に気付かないよね(笑)



2012年1月15日

記念日

私事ではありますが、
小豆粥を戴く小正月の今日は結婚記念日でもあるのです。
振り返ると37年・・途轍もなく長い年月を一緒に暮らしてきたわけで
その間にお互いの嗜好性が違って行くのも仕方の無いことなのであります。

ある頃から、全く干渉し合わないようになりました。
簡単に言えば無視、口を挟むと喧嘩になってしまうので
自分にとって居心地の良い空間で、それぞれの日常を過ごすようにしています。
お互いを知り尽くしているゆえの知恵、なのでしょうか。
そんな夫婦生活です。

10年ほど前、私にとっては大変迷惑なCMがありました。
長年連れ添った奥様に、ご苦労さまと記念の指輪を贈る内容です。
それを観るたび我が女房どのは「いいなあ・・」と(こちらを見ながら)溜息をつく。
銀婚を過ぎると、記念日には宝石の名前が付いています。
それが年を重ねて行くと、ごんどん高価な物へとなって行くのですから
私の収入で買い与えられるような代物ではありません。
くっそー、ジュエリー・ショップめ!と、当時は苦々しく思ったものです。

そして30年目を迎えた2005年(30年は真珠婚というのだそうです)
ひと区切りとして何か贈らねばなあ・・と、あれこれ思いあぐねた末に
結婚を境にやめていたライブを復活させることにしたのです。
おそらく一番喜んでくれるであろう人間が、当時の苦楽を共にした女房なのですから
プレゼントとしては打って付けですし、安いコストで済むのも有り難いことでした。
2005年1月15日、三十数年ぶりのステージに上がったその日こそが
私にとっては忘れられない記念日となったわけなのです。

早いもので、あれから7年が過ぎました。
音楽を通して多くの方々と出会い、そして今の私が在ります。
あの時に歌い出さなければ、老け込むだけの人生だったかも知れません。
そう考えると、プレゼントとして思い起こすきっかけとなった女房には
やはり感謝しなければならないのでしょう。

今年は還暦を迎えます。
それでも気持ちだけは若造のままです。
しかも青い。
大人になった子供たちから、よく小言を言われます。
そんな時、私も大人にならなきゃなあ・・と、思うのですが
のらりくらりとかわすもんですから、最後は叱られるんです。
こればっかりは治りそうにありません。


(2005年冬)
いつも思うのですが、この頃の方が老けて見える気がします。
私がそう思うだけでしょうか?(笑)