近頃、よく思うんです。
俺・・闘争心が希薄になってきたなあ、と。
人生に於ける「戦う姿勢」が弱まり、
何事もホイホイと受け入れてしまうようになってしまったのです。
政治や社会に対する憤りや怒りは忘れてないし反骨精神は未だ健在なのですが、
敢えて冒険することもなく、リスクを排して無難に乗り切ろうとしたり
辛抱や努力とは無縁の楽な生き方を求めるようになったり、
こと自分自身に対しては「甘やかす」傾向が多々見受けられる気がします。
たぶん、娘の出産を境にして大きく変わってしまったのだと思いますが
今年還暦を迎える、そんな年齢になったことが理由のひとつかも知れません。
上手く表現できませんが、その変化の狭間に居ることで
心と体のバランスが今ひとつ噛み合ってないような感覚になることがあります。
旧態依然とした根本的な(若い)想いと、老いて行く肉体と正比例する(歳相応の)想いとが
体の中でせめぎ合いを演じているような、そんな不思議な感覚です。
現代人に於いて、還暦というのはそのターニングポイントなんでしょうかね?
私の歌は、その多くが自身の葛藤を描いたものです。
どうにもならないことへの苛立ちが歌を生み出しました。
ある意味それは内面に向けた闘争心でもあったわけですから
それらを今そのまま歌うことに躊躇するようにもなりました。
主義・思想は変わらずとも、心の平静さとのギャップは大きくなるばかりだったのです。
当然、ライブからは遠ざかってしまう結果となりました。
こんな時、いつも悲観してしまうんですよね。
懐が狭く、引き出しも少なく、挙句ボキャブラリーが貧困な男だよなあと。
unはっぴいえんどです(笑)
けれど、そんなに追い込んで思い詰める必要って、ありませんよね。
やがて60歳にもなる男が、今どきの若者以上に青臭いこと歌っていたとしても
それが私の日常・人生であるなら、何も気にすることなんてないんですからね。
読んで字の如くの「音楽」です。
演じる側も聴く側も、どこかで解放されてハッピーになれればいいことです。
少々遠回りしてしまいましたが、辿り着いた先には簡単な答がありました。
「塀にもたれて」や「くさっちまうぜ」
或いは「134号線の夕陽」や「水曜日の朝」
いつもの私のナンバーを、いつも通りに歌い続けて行こうと思っています。
恥じらいも無く、爺さんは歌います。
「かずらじじい」のスタートは5月14日に決めました。
http://www.noborder.toypark.in/sche3/sche3.cgi/sche3.cgi?year=2012&mon=5
来いよ、恋よ、鯉よ、・・阿呆な語呂合わせです。
アラ還の男は、クソジジイ!と揶揄されるくらいのことを喜びとして邁進する所存。
詳細は後日お知らせ致します。
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