2012年5月5日

南本宿午後七時


世のGWとやらを、生まれて初めて制覇することになりそうです。

昔から日曜・祝日には縁のない仕事に就くことがほとんどだったもので
年末年始を含めてカレンダー通りに行かないのが私の日常でしたから
今回の事情は別として「生まれて初めて」の体験なのです。

おおよそ十連休。
療養とは言え、そのほとんどを家で過ごしたことが
途轍もなく勿体ない気がするのは当然でしょう。

快方には向かっているようですし、歩くことに障害はありません。
けれどパンツや靴を履く時、長い時間椅子に座っている時、患部に鈍い痛みが走ります。
これが一向に改善されないことで憂鬱になります。
いったいいつになったら完治するのやら・・

今夜はちょっと作戦を変えてみました。
数日間服用していた薬を飲まず、ついでにロキソニン・テープも貼らずに寝てみることにします。
薬の効果が頭打ちのようなので、今度は体の「自然治癒力」を試してみようかと。
猫みたいに喉をゴロゴロ鳴らすことができれば、より効果的なんでしょうけどね(笑)
ま、素人考えの浅はかな発想ですけど。

大きく輝く今夜の月、
そのエネルギーが病んだ心と体を癒してくれるような
そんな気がするのです。



2012年5月3日

一週間が過ぎました


私のアルバム・ジャケットです。

・・なあんてね。

腰痛で一週間も隠居してたもんですから
どんだけやつれた顔してるのか確かめてみたんですよ。

こりゃあいけませんね。
表情に活力がありません。
けど面白半分で文字入れしてみました。
売れるかしら?このジャケット写真で(笑)

腰はまだ完治してませんが
明日の朝の様子を見て社会復帰しようかと思います。
試しに今日、車のシートに座ってみましたが
10分ほどで痛みが出てしまったので無理かも知れません。
でもねぇ、家の中でじーっとしてるだけだと
なんだか憂鬱になって、こんな顔になっちまうもんですからね~

・・と、少々焦りのツボが疼いてきてるのです。

焦りと云えば、
社会復帰もそうですが、十日後にライブも控えているんです。
およそ半年ぶりのワンマン。
その日のために少しずつ上げて来てたテンションが
今回の事件でかなり下がってしまい、気力も萎えているのが心配です。
おまけに・・
ギターを弾くと腰に響いてイタイ!!(泣)


Shenandoah MD-18
ボディが軽くて音離れの良い20年ほど前のギターを引っ張り出してみました。
(一応ヤル気だけはありますから)
Produced by C.F.Martinの刻印が押された、ラッカー・フィニッシュの黒澤楽器オリジナルです。

少しだけ弾いてみましたが、ガツーン!とは行けませんでした。
歌なんてもっと最悪、腰を庇おうとすると声が思うように出せないんですもの。
これには参りましたね。トホホです。

まずは明日、
目覚めの体調と気分次第です。
どうなることやら・・(汗)(焦?)



2012年5月1日

アイタタ・・

しばらく休んでいる間に、五月になってしまいました。

数日前に「まつたろうと焙り家、そして・・」が第三章に続くと書いておきながら
パソコンの前に座る気力も失せるほどの腰痛に悩まされておりました。
まだ完治はしてない状態で、朝目覚めてから夕方くらいまでの間は鈍い痛みがあり
未だに寝起きの激痛には顔を顰めるほどの有様です。

そんな体たらくも今日で四日目、リハビリ?を兼ねてパソコンを開いてみました。
腰には湿布のロキソニンテープ、おまけに胃袋には錠剤のロキソニンと
まるでロキソニンの漬物みたいな体になってますが、
朝と昼間を除き、不思議と夜だけは痛みが治まって調子がいいんですよね。

実は、この腰痛こそが第二章の最後に書いた「更なる災い」なのでして
狭いシートに横になっていたせいで少々痛めてしまったその腰が
仕事場の駐車場で決定的なダメージを受けてこのようになってしまったわけなのです。

私、駐車スペースにバックで車を停める際に
ドアをちょっとだけ開けて、首を出して後を見ながらバックする癖があります。
それをシートベルトをしたままやっちゃったもんで、
上半身だけをかなり捻った姿勢が腰の左半分に影響を与えたようです。
車を降りて歩き始めた途端に異常に気付きましたが後の祭り、
仕事場でパソコンに向かってる間に痛みが増して早退せざるを得なくなってしまいました。

いやあ、不注意でした。
時折痛みの出る箇所なので気をつけてはいるつもりだったんですが
今回の捻りは弱っている所を相当に痛めつけてしまったようで
その翌日に目覚めた時は、起き上がることも立ち上がることもできなかったのです。
おかげでポンタの初節句を祝うお食事会にも行くことができず
爺さんとしてはかなりの減点となってしまった己を情けなく思ったものです。
あれから四日間、GWの好天の空を恨めしく思うほどの退屈な自宅療養を余儀なくされました(泣)


病院へ行く途中で通り掛かった公園のベンチ、
連休の谷間だからでしょうか、人っ子一人居ませんでした。
なんだか取り残されてしまったような気分です。
楽しい時間を過ごした後の、この間逆の展開には
これはもう笑っちゃうしかないですね。

さてと、明日の朝はいったいどんな按配なのやら・・
取り急ぎ近況報告でありました。



2012年4月27日

まつたろうと焙り家、そして・・第二章


まるで吸い込まれるように、自動ドアの向こうのカウンター席に座った私。
あの店の前を通りかかると、恐ろしいほどの力で引き寄せられるのかも知れません。
もはや電車は諦め、ビールを注文して居合わせた友人と暫しの歓談。
彼女とは久しぶりに顔を合わせたからでしょうか、
スマホ、猫、犬、家族愛・・なんだかたくさんのことを語り合った気がします。

しばらくすると、カウンターの奥の方で、お客の一人がカードを使ったマジックを始めました。
これがまた、ぽっかりと口を開けたまま言葉を失ってしまうほどのテクニックでして
見事としか言いようのない技に一堂唖然としてしまいました。
私なんて、だらしなく口を開けて立ち尽くしてましたもんねぇ~(絶句?)
ただ、そこに居た誰もが抱いた共通の感覚として
見てるうちに酔いがすっかり醒めてしまい、だんだん不愉快になってくるのです。
いったい、どーなってるんじゃあー!!という疑問が膨張し続け
やがて理解の限界を遥かに超えてしまうと、人は皆この状態に陥るようです。

パニックに陥った脳細胞を冷却しなければなりません。
皆に別れを告げて、店を出て歩くことにしました。
未明の夜風が心地好かったので、スタスタと上麻生道路を東神奈川方面へと向かい
1号線を右折して反町へと向かう、まるで車のようなコースを辿り
反町駅の近くまで来てからようやくタクシーを拾いました。
かなり飛ばし屋の、やたらと揺れる車には閉口しましたが
おかげで?びゅびゅーんと家まで着いてしまいました。

・・ここまでは、極めて順調だったのですが
なんと、玄関ドアの鍵が開かないではないですか(がーん!)

どうやら普段は閉じない方の鍵を長女が何気なく閉めてしまったようです。
錆び付いたその鍵はビクともせず、何度トライしても回りません。
未明の玄関先に立ち、鍵をこじ開けようと躍起になる男の姿、これは怪しい。
近隣の住民に見られたりしたなら、間違いなく通報されるでしょう。
それでも力まかせに開けようとするうちに、
哀れ私の鍵は無残にもグニャグニャに変形してしまいました。
もはや観念するのみの結末。
電話を掛けるのも忍びない朝帰りのオヤジは、やむなく自宅前の車に乗り込み
狭い車内で家族が目覚めるのを待つ羽目となってしまったのです。

窮屈で眠れないまま、がらがらっと雨戸が開く音が聞こえた時は
捕らえられていた囚人が解放された瞬間のような安堵と喜びが交錯しました。
なんたって軽自動車の車内は狭いもんです。
たとえシートを倒したとしても、眠れるような環境じゃありませんからね。

カチャッ!と軽やかな音と共に(開かずの)玄関ドアが中から開きました。
女房殿の第一声「電話すりゃいいのに~」呆れてます。
何を言われようとも、私はベッドに入ることができる喜びに満ち溢れ
着の身着のままで布団の中に潜り込みました。
そしてこの後、更なる災いが降りかかることになるとは・・
(続く)





2012年4月26日

まつたろうと焙り家、そして・・


昨晩初めて訪れた友人の店「まつたろう」
評判通り、旨い料理と格安の値段に感激しました。
なんたって、店主は修行を積んだ板前さんですからね。
ネタの良さと、朝から丁寧に仕込まれた煮物の味は絶品です。
この新鮮なお刺身が並んだ人気の刺身盛合せ、
一人で戴くのはとても贅沢な気もしますけど、なんと驚きの¥980!!
煮魚・焼き魚、おまけにご飯セット(ご飯・味噌汁・糠漬付きで¥250)まで平らげて
ゲーップとばかりに、お腹いっぱいになるまで飲み食いして店を後にしましたが
家が近ければ度々足を運ぶであろう良きお店のオープンを祝いたいと思います。
東横線の白楽駅東口(六角橋の反対側)改札を出て左方向へ20mほどの所ですから
この提灯を見つけたら引き戸を開けて入ってみてください。


白楽居酒屋 まつたろう
OPEN 17:00 CLOSE 24:00(ラストオーダー23:00)月曜定休
横浜市神奈川区白楽103 TEL 045-432-2878




新しい店が出来た反面、長年に渡り親しまれてきた(歴史的な)店が閉じられます。
白楽駅から上麻生道路を横切り、神奈川大学入口の信号を左へ少し上がった所
黄色い行燈が置かれている小さな居酒屋、焙り家です。
六角橋周辺のミュージシャンが夜な夜な集う(ほぼ終夜営業の)お店でした。
店主はギタリストです。
今月29日で閉めると聞き、まつたろうからの帰りに寄ってみました。


私はライブが終わった後、ここへ寄って明け方近くまで飲むことがありましたが
大勢の素晴らしきシンガー、ミュージシャンたちと出会った場所であり
何かとお世話になった思い出深い店でもありました。
閉店するのは残念ですが、店主が決めたことに立ち入ったり
或いは詮索したりするのは野暮というもんです。
この先どこかで顔を合わせる機会もあるでしょうから
軽く飲んで(すでにお腹いっぱいで入らない)お疲れさま、ありがとうと言って店を出ました。
29日のファイナルには所用で顔を出せませんが、長い間ご苦労さまでした!

焙り家 横浜市神奈川区六角橋3丁目2-2-102 TEL 045-491-7822




この時点では家に帰る気持ち十分。
電車のある時間帯に東白楽の駅へと歩き始めたのですが・・
上麻生道路に面した馴染みの店の前を通り過ぎることなど出来る筈もなく
まるで吸い込まれるようにカウンター席に居た友人の隣に座ったのでした。
当然・・お約束の朝帰りです。
この後、とんでもない事件に巻き込まれることになったのです。
(続く)



2012年4月24日

どうやら今年は不作のようです

昨晩暴露したように、今や下戸ではない私、
明日の休日は六角橋界隈を飲み歩きます。
まずは先週白楽に開店した友人の店、肴が旨いと評判のようです。
夕方5時からやっているとのこと、早めに行ってみます。
お次は惜しまれながらも今週いっぱいで閉店してしまう「あの店」
こちらもニュースを耳にした方々で連夜賑わっているそうな。
夕刻から白楽周辺に出没しますので、見かけたら声を掛けてくださいね。



さてさて、収穫が遅れていた我が家の敷地内の筍、
本日ようやく今年最初の物が大家さんから届けられました。
待ちに待った旬の一品です。


少々小ぶりですが、これくらいのが一番旨いんです。
この土の付き具合もまた絶妙!期待が膨らみますね~
そして今夜は待望の筍ご飯、柔らかく香りがあって実に美味でした。

大家さんは造園業でして、筍も専用のスコップで掘り起こします。
その音がまたダイナミックでして、この時期は早朝からドッスンドッスン響き渡ります。
けれど今朝は何故か静か・・
聞くところによると、例年より量が少なく発育も良くないそうです。
本来なら今頃は敷地のあちこちにニョッキニョキ生えて来るんですから
確かにいつもの春とは違うように感じます。

我が家の筍ご飯を楽しみにしている友人たちにも振舞いたいのですが
柔らかく一番美味しい期間に行事が入ってしまっているので
せめて来月早々にはと思ってはみても、今のところ微妙な雲行きです。
うーん、困った。


2012年4月23日

歴史秘話「下戸時代」

信じてもらえないかも知れませんが
実は私、二十代前半くらいまでは下戸でした。
どこをどうやって今みたいに飲めるようになったのか分かりませんが
当時は酒を全く受け付けない体質だったのです。
煙草なら16の時からハイライトをスッパスパ吸ってたんですけどねぇ。

今、焼酎を飲みながらPCに向かっていて思い出したエピソードがあります。
あれは・・高校を卒業する前の晩のことでした。

銭湯へ行った帰り道、当時可愛がってくれていた地元の先輩諸氏が集う店に立ち寄り
(サウンドコーナー店主の高村氏や帯広畜産大学生だった糸川氏などの酒豪です)
こともあろうに、グラスになみなみと注がれた焼酎をクイッ!と飲んでしまったのでした。
記憶では私の送別会だったような気がするんですが、
その場の楽しい雰囲気に後押しされるように(気軽に)クイッ!と行っちゃったんです。
(生まれて初めてそのとき口にした焼酎とやら、まるで水みたいな味だったんですもん)
それからしばらく談笑した後、トイレに行こうと席を立った瞬間
プチン・・と何かが切れるように、視界が消え失せました。

気がついたのは数時間後、白々と夜が明ける頃でした。
私はお店の座敷に寝かされていたようです。
糸川氏の心配そうに見つめる顔が最初に見えてきました。
なんでも、バッタリと見事に倒れたそうです。
意識を失った私の姿にかなり動揺したらしく、糸川氏はずっと指圧を続けていたとか。
「頭打ってなくて良かったわあ~」と安堵の言葉を口にしながら
私が下戸であることを知らない彼は「湯上りやったし、寒い外から来てすぐやったし・・」等々
無様な姿の私への労いというか何というか、ずいぶん気を遣ってくれてました。
たぶん、自分が無理に飲ませた格好になったことで責任を感じてたんでしょうね。

しばらくして外が明るくなった頃、糸川氏やお店の方々にお礼を言って
まだ冬の寒さが残る3月の北海道の凍てつく路を歩き、家に戻り布団に入りました。
これが人生最初の「朝帰り」だったと思います。
その日の卒業式には出席しましたが、頭がボーッとしていたせいか
体育館の窓から見えた薄曇りの空しか覚えていません。
苦い思い出ではありますが、酒の洗礼を受けた記念すべき出来事のお話でした。

そんな下戸時代(江戸時代じゃないよ)の逸話のある私、
今じゃ立派な飲兵衛なんですから、人間の体って不思議なもんですね。
倒れることもなく、千鳥足で家までちゃんと帰れるんですから!!(笑)





(筆者後記)
今夜の日記は、かずら元年の歴史を紐解く上で貴重な文献となったことであろう。