2012年6月18日
FISHIN' ON SUNDAY
週末に楽しく飲み、語り合った友人からこれを戴いた。
76年に徳間ジャパンからリリースされた高田渡「FISHIN' ON SUNDAY」
私が持っていたアナログディスクは行方不明となっていたので
ずいぶんと久しぶりに耳にした気がする。
友人が何故これを持参して来たのかは分からないのだが
40年近く経過したこのアルバム、敢えて今聴くのがいいのかも知れない。
己の環境で言えば、発売当時の70年代中期から後期にかけて
この「ゆるさ」を、全て受け入れられるほどの余裕が無かった気がするからだ。
ところが、今ならすんなり入ってくる不思議。
ちょうどいい時期に、ちょうど良い物を貰ったようだ。
細野晴臣、中川イサト、山岸潤史、
そしてヴァン・ダイク・パークスを交えたサポートメンバーと一緒に
ロサンゼルスのスタジオの空気を運んで来てくれる。
釣竿の糸を垂らしているのは日本の河川ではない、無国籍な何処かだ。
その「さよならアメリカ さよならニッポン」的なところがまたいいのである。
「フィッシング・オン・サンデー」
作詞・作曲:高田渡
日曜日には 日曜日には
あの小川まで
のんびりと魚釣りにでも
朝早くから夕暮れまで
糸を下げて一日過ごします
脇にゃ酒でも一本抱きかかえ
あの小川まで魚釣りに
日頃の鬱憤を餌にして
糸を下げて一日過ごします
あの爺さんは魚釣りの名人だ
糸を引き上げるその時
しわがれ声を押し堪えて
全身に笑みを浮かべてる
そして そして
糸を引き上げると
すると魔法のように
竿から夕暮れが
辺り一面に広がるではないか
日曜日には 日曜日には
あの小川まで
のんびりと魚釣りにでも
朝早くから夕暮れまで
糸を下げて一日過ごします
*
2012年6月17日
Like a Rolling Stone
良い週末を過ごした。
金曜は友人夫妻と愉快に飲み交わし
改めて、人との縁の不思議さに思いを馳せながら
心地好く酔うことができた。
何事も理屈じゃない、
その日その時に見たもの聴いたものが
一生の宝物になるんだってことを思い知らされた。
そして友人夫妻の会話を聞きながら思ったのは
「そうだそうだ、お互いを肯定したり擁護したり
はたまた傷を舐め合ったりするのは健全じゃない」
アンチテーゼ無くして前進は無いという当たり前のこと。
容赦のない否定が新たな道を切り開くってぇもんだ。
中途半端な言葉を投げかけるくらいなら
人は貝のように口を閉ざした方がいいに決まってる。
能弁なこの二人、
先行きが楽しみで仕方なくなるほど面白い人間たちだ。
一夜でファンになったぜ!
そして今日は、
午後から女房と長女を車に乗せて長男宅へ出掛けた。
父の日を祝うためにこちらから出向くのもおかしな話だが
これは成り行きとキャパシティの問題からして致し方ない結論。
その席で父の日と、やがて来る還暦の祝いを兼ねて
ずいぶんと高級なシェーバーのセットをプレゼントされた。
ありがたいことだ。
親としてどうかと思う私なんぞに、何ともありがたいことだ。
長女から戴いたTシャツが、その私を物語っている。
私は今も転がり続けているだけなのだ。
野心も野望も無く、ひたすら道をコロコロと。
長いこと転がり続けていたせいか
角が取れ、ずいぶんと丸い石になってしまった感がある。
いずれは磨り減って消滅してしまうのだろうが
たぶんそれまで止まることはない。
丘のてっぺんから、先の見えない終着点まで
私はずっと転がり続けて行く。
Like a Rolling Stone
・・(酔)
2012年6月12日
筆不精?
近頃はすっかり筆不精となってしまい
言いたいことや書きたいことは数あれど、Blogの更新を怠っておりました。
たぶん、Twitterやfacebookで時折呟くことによって
少しずつガス抜きされていたのも一因かなと思うんですけどね。
ま、ぼちぼちとやって行きましょう。
最近はGillian Welchの歌声にハマッてます。
相方のDave Rawlingsのギタープレイも素晴らしいんですが、
彼女が弾くJ-50のシンプルな音がとても心地好く響くんですよね。
YouTubeでは大きなステージでの映像が多いんですが
NPR Tiny Desk、この小さな空間のライブは必見です。
Gillian WelchもDave Rawlingsも、とてもセクシーで
アコースティックな音が奏でる優しさと激しさに飲み込まれてしまいます。
生で聴いてみたいですね、いつか。
*
2012年6月6日
次の駅、次の町
今年で20年目を迎える西荻窪のブルーズ居酒屋「ほうぼう屋」さん、
このお店の女性オーナーの方からFB(facebook)を通してメッセージを戴きました。
はて?いきなり何故・・?と思いながら文面を見てみると
私の旧い友人であるツトム君と23年来のお付き合いで、
その彼の奥様は彼女の友達であることが書かれていました。
たまたま昨晩、お店に顔を出したツトム君が私のことを話していたのがきっかけだそうです。
こういう繋がりって、面白いですよねぇ。
先日40年ぶりの再会を果たした知魅さんとの出来事が奇跡であるように、
実はこのツトム君と再会するまでにも30年以上の空白がありました。
その昔(大昔ですが)渋谷界隈で歌っていた私のバックでベースを弾いていた彼とは
私が一線から退いて、ほぼ失踪状態となって以来交流が無くなっていたのですが
2005年に昔の名前である「かずら」で再び歌い始めた直後に
NET検索でたまたま私のことを知った彼からメールが送られて来たのです。
びっくりするやら嬉しいやら、その後私のライブに来てくれて30年ぶりの再会となりました。
ところが、その席では懐かしいね~また逢おうね~などと談笑していながら
あれから7年ほど(再び)音信が途絶えてしまっていたのです。
そんな彼から先月、FBの友達リクエストが突然送られて来たのです。
NETやメールに疎い(疎かった)男からなので、とても驚きました。
その前の30年に比べると、7年目の今回は短い期間ではありますが
再々会を果たすべくお膳立ては整ったと言えるのかも知れません。
たぶんそんな経緯から、ほうぼう屋さんで私の話が出たんでしょうね。
くしゃみは出ませんでしたが、知らない処で話題にされて
そして話を聞いたという方からメッセを戴き、そこからまた繋がって行くという流れは
仮にNETを媒体とはしていても、どこか人間臭さを感じさせるものでして
これは明らかにアナログな行為なのだと思えるんですよね。
見ず知らずの方と繋がって行く様、素敵です。
予測できない楽しさと冒険に満ちています。
ここのところ、FBを通じてこんな出会いが増えて来た気がします。
旧い友人たちとの再会は、遠い過去を懐かしむことよりも
お互いの今ある姿を確認することで「これから先」の世界を思い浮かべてしまうのです。
なんだか、とってもワクワクしています。
この歳になって、未来というまだ見ぬ世界に興奮しているのです。
思わず、しゅっしゅっぽっぽーっ!と叫んでしまいそうになるくらい
私の中の一番列車は、真っ黒な煙を吐きながら雪の原野を突っ走って行くのです。
次の駅に着くのが楽しみで仕方ありません。
前述の「ほうぼう屋」さん、近いうちに訪ねてみます。
(画像はFBの「Blues居酒屋 ほうぼう屋」から転載させて頂きました)
*
2012年6月4日
(昔の)昔の名前?
ここ数日、時を遡って昔の出来事を思い出してみたり
これから先のことをニヤニヤしながら思い浮かべてみたり
このBlogのサブ・タイトルのように、現実と非現実の境い目を行ったり来たりしていました。
知魅さんとの40年ぶりの再会が影響していることは間違いありません。
あれから電話とメールで何度かやり取りしてますが、
昨晩は「芸名ではなく、これからは本名で歌うべきだ」と書かれたメールが届きました。
私の本名、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが
声に出して言うと大概の方は「くすっ」と笑うか「えっ!?」と驚きます。
漢字で見る分にはさほどのことはなくても、
片仮名で書かれたり、音で聞いたりするとインパクトがありすぎるのです。
だって・・
この夏の24時間TVの総合司会を務める「あのお方」と同じ名前なんですもの(笑)
「かずら」という名前は、高校時代に歌い始めた頃からのものです。
文学少女だった姉に、何かいいネーミングはないものかと尋ねた時に
万葉集に登場する日陰葛(ひかげのかずら)はどうだ?と言われ
その名前でライトミュージック・コンテストに出場して以来
周囲の人間が皆、かずらと呼ぶようになったので「ひかげ」を外して「かずら」になった、
そんな経緯からでした。
以後三十数年のブランクの前も後も、私を知る者は皆「かずら」と呼びます。
たぶん、誰もがその名前でしか私を認識できないことでしょう。
その長く親しまれた名前を今ここで改めるとなると
知魅さんが提案するように、盛大な改名お披露目ライブを催さなければなりません。
・・もしや、それもプロモーションの一環なのか?(汗)
三十数年のご無沙汰を経て再び歌い始めるきっかけとなったのが
2005年1月15日に山手のライブハウスで催された復活ライブ「Grasshearts Night」でした。
(密かに)結婚30周年の記念も兼ねていましたが、
この日以来「昔の名前で出ています」と言わんばかりに「かずら」の名前も復活させました。
旧い友人夫婦(70年代中期から音信不通)も遠くから駆けつけてくれて
プロのカメラマンである彼が沢山の写真を撮ってディスクにしたのが画像のCDです。
昔の名前は有効でしたし、以降もネットを通じて旧い友人が数人連絡して来て
実際に再会したり或いは連絡を取り合ったりすることができたのも「かずら」のおかげです。
そしてそのライブを終えた夜、これは私にとっての元年と呼べるものだなあ~と思いを馳せ
これから始まる何かを期待しつつ「かずら元年」となったのであります。
(どうして元年なの~?と疑問に思われた方々、これでお分かりですな!)
そんな歴史のある名前なのです。
私が敬愛するエンターティナー、もしもあの方が同じ名前でなかったとしたなら
おそらく気軽に本名を名乗ることもできたんでしょうけどね。
けどね、知魅さんに言われるずっと前から、私も同じことは考えていたんです。
今年で還暦を迎える私、人生は50年で十分だと思っていたにも関わらず
その後大きな事故に遭いながらも、オマケの10年を生きたわけです。
その上さらにオマケが戴けるなんて、これは「生」に対して敬意を表さねばなりません。
持って生まれた己の名前にも感謝しなければバチが当たるってぇもんです。
そう考えると、この際踏ん切りをつけるべきなのかと真剣に思ってしまうわけで・・
10月8日以降、(昔の)昔の名前で出ているかも知れませんよ~
*
2012年5月31日
しゅっしゅっぽっぽーっ!!
昨晩の(七ヶ月ぶり)ワンマン・ライブ、盛況でした。
お集まりくださった皆々様に感謝いたします。
おかげさまで、とても楽しく歌うことができました。
かずら元年、まだまだ行けそうです。
南行徳から足を運んでくれた智魅さんとの40年ぶりの再会、
楽しみだなあと思いながらリハを終えた直後の7時頃に、早くもそれは叶いました。
髭も髪の毛もすっかり無くなっていましたが、あの頃のままの顔です。
艶々したとても健康そうな穏やかな顔つきを目にすると何だか安心してしまい
早速ビールを数杯飲みながら、お互いの40年間のダイジェストを語り合いました。
平日のため、お客様の来店が遅めなので開演を30分ほど遅らせたこともあり
旨いビールを飲みながら、彼とは1時間半の間ずっと話し続けていました。
楽しい、実に楽しい。
40年前の出来事ともなると、もう何もかもが懐かしい思い出です。
高校2年の時にライト・ミュージック・コンテスト(後のポプコン)地区予選から本選に出場した頃
地元のラジオ局の番組収録後に彼が初めて声を掛けてきた馴れ初めや
高校からの帰り道に彼の店に立ち寄っては良質な音楽を試聴させてもらったり
農家の納屋にレコーディング機材を持ち込んでデモ音源を収録しようとしたこと等々
断片的ではありますが、当時の様々な記憶が一気に蘇ってきました。
正直、こうなってくるともう歌うどころではなくなります。
話に夢中になり、ついつい飲み過ぎてしまいました(もちろん、これは想定内のことです)
やがて歌い始めてみると、頭の中を60年代末期と70年代初頭の光景が駆け巡り
今現在ここで歌っている自分が、とても不思議な存在に思えてきました。
しかも目の前には知魅さんが座っているではありませんか。
平常心を失いかけましたが、心地好い空気の中で最後まで歌い終えることができました。
音圧のあるGUILDを選択したことも良かったのかも知れません。
押し出しの強い太い音が、グイグイと私を引っ張ってくれていた気がします。
この店では定番となったコンデンサー・マイク1本での集音も効果的でした。
小気味いいほどに音が抜けて行きましたからね。
終盤にタケちゃんを交えて演奏した「一番列車のブルース」
思わずGUILDを最大音量で掻き鳴らしてしまいましたが、
ザクザクとした質感のタイトな音が皆さんに好評だったことも嬉しい限りです。
(楽器に精通したプレーヤー笹部氏からもお褒めの言葉を戴きました)
GUILDクン、良かったね。
その曲で私はリッチー・ヘヴンスになりきったような感覚でいましたが
如何せん飲み過ぎであることは疑いもなく、
40年後の私の歌が、知魅さんにいったいどのように伝わったのかは
後日彼のBlogに書かれるであろう感想を(恐々)待つことにしましょう。
知魅さんは間もなく帯広に生活の場を移します。
私は彼に言いました。「あの町を再び面白い場所にしてほしい」と。
64歳の彼も、10月で還暦を迎える私も
未だに「なんかいいこと、なんか面白いこと」を求めています。
たぶん、彼が帰ることをきっかけに何かが始まりムーブメントが起こることでしょう。
40年前に果たすことができず、今でも悔やんでいると言う私へのある想い。
たぶんそれは今からでも間に合う筈。
いや、今だからこそ実現できそうな気がするのです。
そのためにも、私はこれからも歌い続けて行かなければと改めて思うのでした。
知魅さん、面白いこと、やろうぜ!
しゅっしゅっぽっぽーっ!!
(画像提供Takeboo)
*
2012年5月29日
イニシャル・G
明日のライブ、ほんとに楽しみです。
あれこれ思い描いているだけでワクワクしてきました。
たぶん(たぶんですが)始まる前に酒が進みすぎるんだろうなあ。
歌詞が飛んだり、ロレツが回ってなかったり、ピックを落としたり、
様々なアクシデントが想定されますが
故・高田渡さんのように、歌いながら寝てしまうことはないと思います。
さあて、どんな夜になることやら。
某氏からの要望で数日間GUILDを調教していましたが、
今夜になってふと思いました。
音がデカすぎて、おまけに太すぎて暑苦しい・・
本気で鳴らすと、私の声が隠れてしまいそうなほどデッカイのです。
さすがGUILD、その昔ウッドストックでリッチー・ヘブンスが
30万人もの聴衆を前にギター1本で歌っただけのことはあります。
そこで思案中。
サスティーンが弱く、パーカッシブな音色のJ-45にするべきか。
音量はありませんが、このカシャカシャした音は好きなんですよね。
明日、起きてから考えます。
何はともあれ、明日は七ヶ月ぶりのライブなのです。
5月30日(水)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00 MC¥500+投げ銭
NO BORDER 横浜市神奈川区松本町4-28-2Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html
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