2012年10月13日
焚き火
家庭で出たゴミは自分の所で始末する。
燃やせる物はみんな燃やしちゃえ、というのが昔は当たり前のことでした。
焚き火は落ち葉だけのものではありません。
不要になった物、他人の目に触れると困る物、灰にしてしまうのが一番です。
画像は4年ほど前の光景。
大家の爺さんが裏庭で焚き火をしているところです。
私の部屋のサッシを開けるとすぐ目の前、なのですが老人の行動はダイナミックでして
何やら熱い空気が風に乗って私の部屋に吹き込んで来るなあ・・と、外を見てみると
爺さんの姿は無く、赤々と大きな火柱が上がっておりました。
おいおい、爺さん燃えちまったのかい!?と、思ったくらいです。
火を点けてから何処かへ行ってしまい、火事になる心配もせず、
消えた頃に戻って来ましたが、呑気なもんですよねぇ(汗)
実は隣に住む大家さん、先代から造園業を営んでおりまして
現場で切り取られた木や枝を持ち帰って処分するために
数年前までは敷地内に大型の焼却炉を備えていました。
我が家のゴミも年末になるとそこで一緒に燃やしてもらったりしてましたから
シュレッターに掛けなきゃいけないような書類関係を処分するのにとても重宝してました。
けれど造園の仕事は減るわ、広大な土地の固定資産税の負担は大きくなるわで
畑になっていた部分や焼却炉があった場所は売却して宅地になってしまい、
今では建て売りの大きな家が4軒建ち並んでいます。
4年前は元気に焚き火をしたり、大きな庭の草むしりをしていた爺さんも
婆さん(奥様)に先立たれてからというもの、すっかり足腰も弱ってしまい
このダイナミックな炎が立ち上がる焚き火の光景も見られなくなってしまいました。
おまけに裏庭は手入れされることもなくなり、かなり荒れた状態になっているので
数年前の出来事を懐かしく思わずにはいられません。
ちょっと涼しくなった頃の、古き良き思い出なのであります。
焚き火・・したいなあ。
*
2012年10月12日
文明の光
寒くなってきたので、デスクの灯りを熱源の高いミニ電球のタイプに交換しました。
かなり熱を発するので、夏場はとても使えたものではありませんが
今の時期は温かみのある光と、ほんのり手元が暖まる感じがいいのです。
いわゆる裸電灯の黄色と朱色が混ざり合った色、心が落ち着きますし
光に照らされた物たちすべてが、命を与えられたように鮮やかな色を発します。
それは夕焼けに映し出された風景に似た世界、
デスクの上が黄昏色に染まって行くのは楽しいものです。
けれども世は省エネのご時勢、厄介者の電球は姿を消しつつあります。
後を引き継ぐのは無機質な光を放つLED照明。
昔ながらの電球を小ばかにするように、利口ぶった生意気そうな顔をしています。
私はそんな冷徹さが好きになれません。
確かに省電力化は必要なことでしょうけど、
部屋や人を温かく包み込むような、光がもたらす幸福感てのがあるんだと思います。
如何にご時勢とは言え、それが失われて行くのは悲しい気持ちになってしまうんですよね。
十数年後、電球はオークションで高値で売買されていたり
はたまた真空管のようにヴィンテージな物になっているのかも知れません。
やがて「電球マニア」などとオタクっぽく揶揄されるようになるのは御免ですが、
私は安く手に入る間は使い続けて行こうと思っています。
小まめに消すなど、省エネ対策は別の方法で十分貢献できますからね。
この温かで心安らぐ橙色の光は捨てられません。
ちなみに我が家の電気料金、昨年の節電時期をも凌いで前年比30%減を保っています。
旧型の照明器具ばかりですが、努力と工夫で何とかなるものです。
四六時中点灯させなければならない業務用の照明ならLEDの方が有利でしょうけど
点けたり消したりする一般家庭での節電効果には疑問を抱いてしまいます。
それに何と言っても高い!
売り物が無くなってしまった家電業界の罠なんじゃないでしょうか。
諸説ありますが、ジョゼフ・スワンが発明し、
後にトーマス・エジソンが竹をフィラメントに用いることで実用化されるに至った電球。
明かりを灯すと、大いなる歴史の光が満ちて来そうな気がします。
いけません、そんな文明の光を絶やしてしまっては!
(猫も杓子も省エネ)に関連して、自動車にも同じようなことが言えるのですが
それは次回にでも。
*
2012年10月11日
向こう岸まで
還暦前夜、「川の向こう岸まで今夜渡ります」と、ツイートすると
或る方から、「向こう岸なんてあるわけないじゃないですか」と、返されました。
でも、やはり私は川を渡ったような気がしてます。
溺れもせず、向こう岸の土手まで辿り着いて
バッグの中から取り出した酒を飲みながら
明け行く空をのんびりと眺めていた記憶がありますもの。
反対側の岸に、何かいろんなものを置いて来ました。
「手ぶらで来い」そう誰かに言われたのかも知れませんが
邪魔臭そうなものはほとんど持たずに渡りましたから
ほら、おかげですっかり身軽になってます。
それはあたかも、トム・ウエイツが歌う「Ol '55」のようでもありました。
時間はすぐに去って行ってしまう
だから俺は急いで乗り込むのさ、自分の古い55年型に
遅い車を追い越して行くと、祝福されているようで気分がいい
神に誓ってもいい、生きている実感がしたんだ
今、太陽が昇り
俺は幸運の女神と一緒に乗っている
高速道路を走る車とトラック
薄れゆく夜空の星達、まるで俺がパレードを先導しているみたいだ
もう少しこのままでいたいと願いながら
俺はこの昂まる気持ちを、お前に話したいと思っているんだ
朝の6時
急かされなくても、出発しなければならない時間だ
トラックがパッシングしながら俺を追い越し
通り過ぎざまライトが煌めく
こうして俺はお前の処から家へと帰るのさ
今、太陽が昇り
俺は幸運の女神と一緒に乗っている
高速道路を走る車とトラック
薄れゆく夜空の星達、まるで俺がパレードを先導しているみたいだ
もう少しこのままでいたいと願いながら
俺はこの昂まる気持ちを、お前に話したいと思っているんだ
「Ol '55 私訳」 ひとつのポケットから出た話から引用
私も今、52年型の車のシートに座り、エンジンを掛けたところです。
日常は何ひとつ変わっちゃいませんけど
川の水で洗い流されたのか、とても新鮮で神聖な感覚でいます。
大袈裟に聞こえるでしょうけど、生まれ変わったような気分。
何かが静かに始まろうとしている予感がするほど穏やかです。
還暦という名のその川を渡った先に、
「老齢」と呼ばれる者たちが棲む「向こう岸」が在るのです。
私はその町の住人となり、
この先の旅に思いを馳せながら歌っていたいと思うんです。
*
2012年10月10日
汽車が田舎を通るそのとき
69年の秋、田舎の本屋で音楽誌を立ち読みしていた私は
URCレコードという見慣れぬ音楽出版社の名前を目にしました。
何やら面白そうなアルバムが何枚かリリースされていて聴いてみたくはなりましたが
高校2年のその当時、北海道の片田舎のレコード店に置いてあるわけもなく
途方に暮れていましたら、なんと駅前のサウンドコーナーにそのほとんどが並んでいたのです。
このBlogでも何度か書いている(私の音楽の師)高村知魅氏の小さな小さなお店に。
記憶では、北海道で仕入れていたのは彼の店だけだったと聞いた覚えがあります。
そこで手に入れたのがこれ、高田渡フォーク・アルバム「汽車が田舎を通るそのとき」
前作のプロテスト・ソングから一変して、内面を描く作品が並んだそれを
凍えそうな北海道の長い冬の間中、何度も何度も繰り返し聴いていました。
なのでいつこれを聴いても、私はすぐに冬の匂いでいっぱいになります。
遅い春を待ちわびた、高校生の頃の思い出が蘇ってくるんです。
けれど、愛聴盤であった時期があったにも関わらず
私は若い頃から全く、彼の作品を歌うことはありませんでした。
「フォーク・ソング」という括られ方が嫌だったからです。
それはずっとずっと、つい最近まで変わることがなかったほどに頑固な想いでした。
7年前にスーマーと出逢うまでは。
トラッドや高田渡を見事に消化して歌うスーマーは、
それまでに出会ったミュージシャンの中で異彩を放っていました。
彼が歌うと、そのすべてがスーマーそのものになってしまうのです。
そんな男との出会いは驚異でした。そして何度か彼の歌を聴くうちに、
私の音楽観が如何に狭くて窮屈なものであったかを教えられた気がしました。
なんたって、バンジョーで「マザー・ネイチャーズ・サン」を歌ってしまうんですからね。
その自由奔放な感覚には脱帽です。
先日のバースデー・ライブの折、ゲストで歌ってもらった彼にリクエストして
最後の締めに高田渡の「生活の柄」を一緒に歌わせてもらいました。
私が(私流に)歌い、彼がバンジョーとコーラスで合わせてくれたんですが
予想していた以上に楽しく歌うことができました。
彼とは何度も顔を合わせていながら、一緒に歌うことなどありませんでしたし
ましてや高田渡を人前で歌う自分の姿など、想像したこともなかったものですから
その心地好さに酔いしれながらも、どこか不思議な感覚に襲われていました。
正直、嬉しかったのです。スーマーと歌ったこと、
自分の中で拘っていたフォーク・ソングという呪縛にも似たものから解放されたこと。
ベルリンの壁のように強固だった垣根が取り払われ
その瞬間、何だかとても自由で身軽になれた私を客観的に見ていました。
折りしも還暦を迎えた夜、気負い無くその一歩を踏み出せたのは
どうやらその辺りに理由があったのかも知れませんね。
ちなみにこの夜のスーマー、
本邦初と称して日本語でレナード・コーエンの「ハレルヤ」を歌ってくれたのですが、
これがまた悔しいくらいに(憎たらしいくらいに)良かったのです。笑
「汽車が田舎を通るそのとき」に話は戻りますが、
私が擦り切れるほどに聴いたアナログ盤はすでに手元にはありません。
見開きのレコード・ジャケットというのは、中も外も開いたときに完結するものなのでして
このアルバムの裏側まで繋がった絵が実にいいのです。
*
2012年10月9日
還暦初夜(2)
昨夜、友情出演のスーマーが「いい写真が撮れた」と嬉しそうに言っていた
私が歌っているのを前で観ている孫の姿を捉えた画像です。
「孫たちを前に歌うってすごいなぁ」と、instagramの彼のページには書かれてました。
http://instagram.com/p/QhUi9YqDOG/
ほんと、自分でも凄いと思いますよ。
小学校低学年の子に分かるような歌、わたし歌ってませんからね!
いつものようにいつものナンバー、幼児向けの曲は何ひとつありませんもの(笑)
それでも興味津々で見つめていたのは、音楽好きだからなのか
それとも爺さんの歌ってる姿が珍しくて驚いていたのか、果たしてどっちだったのやら。
いや、そんなことはどうでもいいんです。
私が見たもの聞いたもの感じたものを、私の歌を聴きながら
それをどう受け止めるかは個々の問題なんですから、相手が大人でも子供でも関係ありません。
感じてくれた何か、或いは(何だかわからないけど)生で演じられるライブの醍醐味、
そんな「何か」が、彼らの脳を刺激したり心を揺さぶってくれたりしたのならそれでいいんです。
音楽って、所詮そんなものですよね。
私の歌がどう伝わったか、やがて思春期を迎える頃にでも尋ねてみることにします。
お爺ちゃんカッコイイ!そう思われたかどうかは分かりませんけど
ごく稀にですが、小さな体でライブに足を運んでくれるのは嬉しいことです。
演奏後にパチリ。さすがにこれは気恥ずかしいですな(苦笑)
数日前から山口の(旦那方の)祖母宅へ子供連れで出掛けていた末娘から
前の日にお店宛てに内緒でケーキが送られていました。
びっくりするやら嬉しいやら、家族に乾杯!いや、家族に感謝!!であります。
本当にそうです。この歳でこうして歌っていられるのも家族の理解があってこそですもの。
ドサクサ紛れに?昨夜のステージでこう宣言させて頂きました。
「家族の皆さま、すみませんが私はこの生き方を変えられません」・・とね。
実は還暦を迎えるにあたって、いざその日が近付いて来ると
水溜りを避けるときのようにピョンと跳ねなきゃいけないのかな?
日付変更線の前でそんなことを思っていました。
歌い続けたまま通過するってことに、少しだけ気負いめいたところがあったようです。
けれどいつもと変わらずに、その日は過ぎて行きました。
自分にとっての未知なる世界、60歳を迎えるというプレッシャーからだったのでしょうか、
それが解き放たれ、今はいつも以上に身も心も軽くなったような気がします。
超えられたことの安堵感、なのかも知れません。
旧い友人が、Facebookの私のタイムラインに一枚の写真を載せてくれました。
40年ほど前の私の姿だそうです。
場所は石神井公園の野外ステージ、イベントに出演したときの映像です。
72年くらいのものでしょうかね、たぶん私はまだ19歳。
この痩せ細った少年が、まさかこの歳になるまで生きて来られたとは。
いや、それ以前に今なお歌っているだなんて驚きです。
何度か死にかけ、失いそうになったこの命、大切にしなければいけません。
だってこの先、どれほど面白いことが待ち受けているのか
それをこの目で見届けなければなりませんからね!
かずら元年は、これからもずっと歌い続けて行きます。
その糸口が、昨晩のライブで見つかったことをお知らせしておきます。
この体が朽ち果てるまで歌いますとも!!
「こんな夜は」
思いあぐね闇に逃れ
彷徨う夜は
行くあてもないまま
風に吹かれて
こんな夜は帰りたくないよ
千鳥足で何処行こう
千鳥足で何処行こう
電信柱にぶら下がる
雑巾みたいな夜は
星明りさえ見えない
空を見上げて
こんな夜は帰りたくないよ
千鳥足で何処行こう
千鳥足で何処行こう
Lyric & Music by Kazura
実は昨晩のライブで、この曲を歌っていると涙が出て来たんです。
気が付かれた方は居なかったと思うんですが「半べそ」かいてました。
こんな夜は帰りたくないよ、そう歌いながら泣いていたのは何故なのか
いくら考えても、明確な答は見つかりませんでした。
音楽って、そんなものです。
*
2012年10月8日
還暦初夜(1)
ビト&かずら元年バースデーライブ、盛況でした。
お集まり頂いた皆さん、友情出演のスーマー、一人で店を切り盛りしたボーマス、
そしてFacebookに寄せられた沢山のメッセージ、そのどれもに感謝感激な夜となりました。
人生の節目とも言える「還暦初夜」を存分に楽しみながら歌うことができたのも
温かな声援、お言葉などなど、ひとえに皆さまのおかげであることを噛み締めております。
どうもありがとうございました!私は幸せ者であります!!
余韻に浸りながら(のんびりと)朝まで六角橋周辺で過ごし、
電車を乗り継いで帰宅したのは6時半頃となりました。
還暦を迎えた初っ端から「午前様」と相成った不埒なジジイではありますが、
どうか皆さま、これから先もお付き合いのほど宜しくお願い致します。
*
2012年10月7日
前夜・・
昼過ぎまで雨がパラつく寒い一日でした。
今日が運動会だった子供さんと父兄の方々は大変だったでしょうね。
夜になって一段と冷えてきた感の横浜です。
さて明晩、皆さまのお越しをお待ちしております。
かずら元年とビトちゃんのバースデー・ライブ!
1952年生まれの私は、長い道程を経て還暦を迎えることに相成りました。
ちょっとしたひと区切り、けどいつもと変わらずいつものナンバーを歌います。
かずら元年60歳!めでたしめでたし。
10月8日(月)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00(予定) MC¥500+投げ銭
出演:ビト、かずら元年、スーマー(ゲスト)
NO BORDER 横浜市神奈川区松本町4-28-2Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html
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