2012年10月23日

君は天然色


AYAKAに捧ぐ「革いい藍の物語」展

明日は革工芸作家である知人の個展に行って参ります。
今年の7月に幼い子供を残して急逝した29歳の娘に捧げるものであり、
その彼女が幼少の頃に描いた油絵も一緒に展示されているそうなので
彼女をよく知る私の娘や息子たちと共に出掛けるつもりです。

私が昔携わっていた子供ミュージカルがご縁となり
一時期は家族ぐるみのお付き合いもさせて頂いたお宅でしたから
彼女やその妹、父上や母上との懐かしい思い出がたくさんあります。
葉書の真ん中に載せられた肖像画は、今でもはっきりと覚えています。
十数前、お宅に伺ったとき居間に飾られていましたからね。

そうは言っても、目にした出来事と時間の経過との間にはいつも曖昧さがあります。
彼女のお通夜に伺い、お見送りをしたのはわずか三ヶ月前だというのに
記憶の中では、もうずいぶん昔のことのように思えてしまうのですから。
ただ、その曖昧さのおかげで、私の中の彼女は今でも少女のままなのです。
十数年前の思い出も、三ヶ月前の出来事も
昨日より昔のことは、すべて同じ器に収まっているからなのかも知れません。

文香(AYAKA)という名の、私が知っている少女時代の彼女に
明日もう一度逢えるような気がして仕方ないのは
果たして記憶の曖昧さからなのか、老人性のものなのか、
そこが微妙ではありますが・・(笑)

けれど、思い出という記憶は
むしろ曖昧な方がいいこともありますし、
その不確かな色や形がおぼろげに見えることで
或る物や出来事の幾つかだけが鮮烈に蘇るんだと思うのです。

一昨日の「モノクローム」も、そういうことなのでして、
断片的に「フルカラー」となるのです。

・・故に、君は天然色!


2012年10月22日

ドロン!


間に合わせで購入したバンパーが手に馴染まず
思い切って裸にしてしまったiPhone5でしたが、
ツルンと滑って落っことしてしまうのが怖くなり
評判の良いカバーを注文することにしました。

パワーサポートのエアージャケットセット
薄くて精密な作りであることから人気のモデルです。
しかも単品で¥1680する同社の液晶保護フィルムが2枚、
アンチグレアとクリスタルが付属して¥2680と、お得なセットになっています。
カラーはクリアブラックにしてみました。

到着が待ち遠しい・・




さて、明日から暫くの間
空想と創作と小旅行の日々となります。
これから先を生きるための充電期間とも言えそうな
ゆったりとした時間に身を置く予定でいます。


見慣れた夜の屋上の風景も
来月の半ばまでは見ることが無いでしょう。

おさらばです。
ドロン!


2012年10月21日

モノクローム


案外と早く目覚めたものの
やはり昨日の疲れが残っておりました。
痛いとかだるいとか、そういうことではなく
椅子に座っていると、ただただ眠くなってくるような
そんな日曜の午後でした。

先日、六十を過ぎてしまったもので
現在の仕事場での雇用形態が変わります。
今日は必要な書類を集め、二十数枚にも及ぶ提出書類と格闘してました。
家のプリンターは調子が悪いので、コンビニへ行ってコピーしたり
すべてが終わるまで2時間ほどは掛かったと思います。

署名・捺印、署名・捺印、これを二十枚ほど繰り返すと
私は筆圧が高いせいか、それだけでも肩が凝ってしまいます。
そこへ一字一句間違えないように書こうとするプレッシャーが加わると
なんだか気分が悪くなってきて苛々し始めます。
いくら紙が好きな私でも、書類と名の付くものだけは大嫌いなのです。
おかげで今日も、疲れ果ててしまいました。

嗚呼、それにしても
秋の青空はなんて綺麗なんでしょう。
思い出はモノクロームなのですが
空の蒼色だけが心に焼きついています。


明後日から暫くの間、
鶴見の海へと続く大きな空を見ることはできません。





2012年10月20日

快挙



・・え!?
予想だにしない結果に誰もが驚きました。
50m走の4コースでスタートした我が1号機クンが
事もあろうに、1着でゴールしたのですから。

両手を横に振り、小首を傾げながら走るその姿は
どう考えても短距離走の走り方ではないのですが
同じ組の他の者たちが遅すぎたのか(マイペース走りで)勝っちゃいました。
これは嬉しい誤算です(笑)

けれど、他の種目を観ていて思ったんです。
去年(1年生のとき)とは明らかに体の動きが違います。
ダンスも振り付け通りにきちんと出来てましたし、
団体競技の中で他の子たちと全く違う動きをすることも無くなってましたからね。
これは進歩です。終わってから大いに褒めてあげました。
地元のサッカーチームに入っていることが幸いしたのかも知れませんが
ようやった!!

いやあ、それにしても疲れました。
昨晩の就寝はいつもと同じ時間、そしてあっという間に朝を迎え
車を飛ばして長男宅へ向かい、車を停めてから徒歩で公田の急な坂道を上って行き
学校のグラウンドに着いた頃には膝がガクガクになってましたもの。
(日頃の運動不足もありますけど、あの坂と階段はかなり堪えます)
そして6時間にも及ぶ長丁場を、ほとんど立ったままで観戦し
合間を縫って路駐している車の様子を見るために徒歩で急な坂道を下り
再びその(過酷な)道を引き返して午後の部を観戦して・・
片道15分以上は掛かる「山道」を、計2往復+立ちっぱなしだったんですからねぇ。
終わって長男宅に帰った時には、腰と背中と膝が悲鳴を上げてました。
坂道のある風景は大好きなんですけど、さすがにあそこの急坂だけは・・(泣)

とは言いながら、肉体疲労と寝不足のくせに
夜ともなると、いつもと同じように元気になるから不思議です。
不埒な爺さんの面目、てやつなんでしょうかね?

そうは言っても、確実にダメージを受けてるこの肉体。
今夜は布団に入ると「あっという間」の「間」を感じることも無いまま
一足飛びに眠りにつくことでありましょう。

それでは皆さま、あっという間に訪れる明日またお会いしましょうね!


2012年10月19日

あっという間の「間」


早いもので、一人目の孫は来年になるともう小学3年生。
すくすくと育ち、どんどん大きくなって行くのです。

この1号機、あと10年もすると立派な大人になっているわけで
その頃には親父は四十を過ぎ、私は七十になっているという
そんな先の世界を想像してみると、楽しみでもあり怖くもあり。
10年なんて、長いように思っていても、あっという間ですからねぇ。

晴天の予報の明日はこの子の運動会なのでして
朝っぱらから車を飛ばして公田まで行かねばなりません。
夜更かし朝寝坊の(不埒な)爺さんにとっては
一年の間に何度かある早起き行事の日なのであります。

今夜は酒をセーブして早めに寝なければ。
布団に入っても、あっという間に朝が来そうです。
この「あっという間」の繰り返しである日常が
物凄いスピードで現在から未来へ物事を運んで行き、
性懲りも無く辿り着いた先で「あっ!」と呟くんでしょうね、きっと。

あっという間の「間」に、何を求めたか何が出来たか何を残せたか
それが問題なのだよと人は言うかも知れませんが
得られるものが何も無かったとしても、
幸せだと感じられれば私はそれでいいのです。

過去にも何度か書きましたが、松本隆の「ゆでめん」に於ける名言
「幸せなんて 何を持ってるかじゃない 何を欲しがるかだぜ」
私はこの言葉が今でも頭から離れないで居るのです。
形ある物を求めて行く行為は想像力を阻害してしまいますからね。
なんちゃって!な、爺さんだとお笑いください。

さてと、1号機の雄姿に期待して
あっという間の「間」を楽しみながら朝を迎えることにしましょう。


2012年10月18日

旧い扉


iTunesに入っている昔の音源を聴いていました。
古い物では25年ほど前に宅録した秘蔵の?歌も。
さすがに今と比べると声が若い。
三十代後半とは言っても「若者」の声帯です。
だからでしょうか、自分の声なのに他人みたいに感じてしまいます。

半ば忘れかけていたそれらの中に、
今また歌いたくなるような幾つかの良い曲がありました。
折を見てご披露できたらと思います。

それと、
現在でも歌っている曲の別バージョンが見つかって
手前味噌になりますけど、それがまた実にいいのです。
旧い扉は、たまに開けてみるものですね。

いつの日か、お聞かせいたします。
お楽しみに。


2012年10月17日

友とBluesを喰らう


来週末、Bluesが流れる西荻窪のとあるお店で
旧い友人と逢うことになりました。
私が渋谷界隈で歌っていた40年ほど前のこと、
バックでベースを弾いていた男です。
その後三十数年間、連絡を取り合うことはありませんでしたが
7年ほど前、たまたま私のホームページを見つけたとメールが届き
一度だけ横浜(山手)の店までライブを見に来てくれたことがあります。
それからまた音信が途絶えてしまっていたのですが、
今度はFacebookを通じて再び繋がるようになり、
時折あれこれと短い言葉を送り合う中で、再度?「再会」を果たすことになった次第です。

携帯電話などこの世に無かった(想像することさえできなかった)70年代、
連絡手段は家の固定電話か手紙、或いは人から人への伝達に限られてましたから
当時はいったいどうやって待ち合わせをしていたのかと不思議に思います。
たぶんですが、まず電話で連絡が取れる人間に用件を伝え
その後は原始的な方法ながら、個々に口頭で伝達してもらったんでしょうね。
そうして約束の時間・場所に、皆がちゃんと集まったものでした。

しかしながら、そのような「直接的な」関わりを保っていた者同士が
いざ音信不通となってしまい数十年が経過してしまうと
連絡を取り合う手段が何も残されてないことに後から気付くのです。
電話番号、住所、仲介してくれた友人の友人、
これらがひとつでも欠けると、当時の「連絡網」は全く機能しなくなってしまいます。
私の旧い友人たちとは、そんな理由で疎遠になっていたのでした。

そこへ「通信の文化大革命」とも呼べるネットや携帯電話が登場して
居所も分からないまま私たちは再び連絡を取り合うことが出来るようになったのです。
旧友をネット上で探し当てられる、これはやはり素晴らしいことですよね。
人を介す手間も無く、ましてや時間帯も気にせず机上で完結するなんて
極めて原始的な方法でやり取りしていた私たちにとっては革命以外の何物でもありません。

そんな紆余曲折を経て再会する友と飲むのは楽しみで仕方がないのです。
待ち合わせに選んだお店も、以前から行ってみたかった場所であり
そこのオーナーも実に興味深い方なので楽しみが倍増してしまいます。

古いテーブルを囲み、旧友と共に酒とBluesを喰らう。
心地好いでしょうねぇ、飲み過ぎてしまうに違いありません。
潰れちゃったら堪忍です!(笑)



(画像はお店のサイトからお借りしました)