2013年1月20日

カスバの女


またしても雪だるまのマークが出てしまいました。
見た目は可愛らしいし、犬も子供も大喜びするんですけど
私ら渡世人にとっては、あまり嬉しくないことであります。

南岸低気圧、これが発達しながら八丈島の下を通って行くと
寒気を引き込んで関東の沿岸部に雪を降らせるらしいですね。
上を通って行った時は内陸部だけで、海側の土地には降らないようです。
14日の大雪は急速に発達した低気圧が八丈島の下を通過したことが原因とか。
明日の夜はどうなるんでしょうね。
夏タイヤのままでチェーンも持たないドライバーが多い土地柄ですから
平年よりも気温の低い冬だとは言っても、やたらと降ってほしくないものです。
もちろん?私の車も、冬の装備は何ひとつありませんもの。



ここは地の果てアルジェリア・・



遠い異国の地で起こった事の、真実が語られることは無いのかも知れません。
「カスバの女」幼い頃に聴いた、私の好きな歌をちあきなおみが歌っています。
友人のミュージシャン、遠藤コージ君もライブで歌っていたのを思い出しました。


*

2013年1月19日

地球の裏側で


人質という極めて卑劣な手段を講じる武装勢力。
要求を一切受け入れず武力で制圧する国防という名の軍隊。
その狭間で犠牲になるのは夥しい数の民間人だ。

救出作戦と称してはいるものの、
準備期間も無く唐突とも思える攻撃には
人命優先などという考えはハナから無かったことが窺える。

国際的に非難を浴びるであろうアルジェリア政府が
いったいどんな弁明をするのか
当事国の宰相の記者会見を待つとしよう。

安否を気遣うご家族の心情を思うと
言葉にならない。

*

2013年1月18日

Hobo


雪かき事件以来、とんだ長期休暇となってしまいました。
苦情と問い合わせに翻弄された仕事場の皆さま、お役に立てず申し訳ありませんでした。
明日から、はい、明日から平常通り出勤致しますゆえ、どうかお許しください。

独り言の前置きはさて置き、今日はリハビリを兼ねて車で外出。
入れ替えた車のマスターキーを作ってもらうためディーラーまで足を運びました。
なんと、無いと言われてたキーレスの受信機が付いているのが分かったのです。

平成11年といえば私が以前乗っていたジムニーと同じ年式。
メーターやステアリングも全く同じ仕様の物でしたから「おや?」と思いルームミラーを見ると
ちゃんと赤外線のセンサーが取り付けられてるじゃありませんか。
14年間あちこち転々としている間にオリジナルの鍵が無くなってしまったのか
私が受け取ったのは2本とも合鍵屋で作られたペナペナの鍵でした。
けれど平成11年、いや絶対付いてる筈だからと調べてみると、やはり有ったのです。
そこでディーラーへ赴き、マスター登録して新たに作って頂いたわけ。
初期の赤外線方式なので、受信距離は1メートル足らずとお粗末ではありますが
やはりこれは有った方が便利に決まってますからね!
(1メートルなのでドアのすぐ傍で押さなきゃならないんですけど・・)笑
真新しい鍵を付けた真紅のKeiで、明日は颯爽と仕事場へ向うのです。

ぼおーっと過ごしていた療養中にも、ひとつだけ収穫がありました。
昨日ご紹介したTHE FG、これを弾いてるうちに歌が出来上がったんです。
酔った勢いで小躍りしながら深夜にFacebookに載せてしまいましたが
そのときは(途中経過の)二番まで、今日になってから三番を書き足しました。
とある方のつぶやきにインスパイアされて書いた三番目の歌詞、
だからというわけじゃないんですけど、タイトルが「Hobo」に替わっています。
ライブを再開する春には、この新曲を引っ提げて行きますからね!お楽しみに!!



「Hobo」

北風が冷たい夜は
君が恋しくなって
記憶の糸 手繰り寄せる
あの日あの時のこと

流離い人よ
夢見る一夜の旅路

薬鑵に一杯お湯を沸かし
熱いお茶を飲んでる
曇った硝子窓の向こう
冬が座り込んでる

彷徨い人よ
悩める一夜の孤独

凍えた指で握り締めてる
その大切な物は何?
たくさんの荷物背負い込んでる
けど本当に必要な物は何?

尋ね人よ
迷える一夜のHobo

Shalala 僕は
Shalala 君と
Shalala 喜望峰を目指すHobo



Lyric & Music by Kazura

*

2013年1月17日

鈍(ナマ)る


数年間、友人にレンタルしていたTHE FG、
手元に戻ってから傷んだあちこちをリペアしたり部品交換などしたものの
気に障る箇所が幾つもあって、磨きを入れてから仕舞い込んでおりました。
相性が悪いのか、私にはどうにも馴染んでくれなかったんです。
つい先日も、久々にその友人と顔を合わせた折、このギターの話が出たので
ロニー&ロケットメンの(毒舌)鈴木クンの口癖みたいに
「あれはクソだ!」と、酔った勢いで何度か言ってしまった覚えがあります。

腰痛で自宅療養中とは言え、上半身だけは暇だったので
思い出したようにこれを取り出して1年ぶりくらいに弾いてみると
あら不思議、ザクザクした音の感触がとても心地好いではありませんか。
しばらく鳴らしているうちに、曲がひとつ出来る前の入口辺りの所まで行ってしまいました。
ちょっとした快感です。

理由はすぐにわかりました。
張り替えた弦が伸びてしまい、音がナマッていたのです。
このギター、いつもメインで使用しているGibsonのJ-45と同じように
ちょっと古くなったくらいの弦の方がバランス良く鳴るみたいですね。
低音弦のサスティーンが少ないところもいい感じに聴こえます。

すっかり気を良くした私、
しばらくの間、身体に一番近い場所に置いておくことにしました。
歌い出すきっかけになるかも知れません。

*

2013年1月16日

由来


突然ですが、私の本名は田守といいます。
日頃は「かずら」としか聞いたことのない皆さんの中にも、
Facebookのローマ字表記を見て気が付かれた方も居るかと思います。
片仮名で目にしたり耳で聞いたりすると、著名な芸人と同じ響きになってしまうので
日頃は公にすることはまずありません。

遡ること45年ほど前、
高校2年の時にライトミュージック・コンテスト(後のポプコン)に出場するにあたり
本名のままだと学校に知られてマズイことになるので、姉に相談してみました。
すると彼女、「万葉集に登場する日陰葛(ひかげのかずら)なんてどう?」と申し、
その当時ろくに学校へも行かずアウトローを気取っていたハナタレ小僧は、
言い得て妙とばかりにその名前で歌い始めたのでありました。
以後、友人知人を筆頭に周囲の全ての者たちは、略して「かずら」と呼ぶようになったのです。
(売れないミュージシャンそのものみたいなので、自ら「日陰」を外したという説もあり)
70年代初頭までの私は写真のような風貌で、その名前で歌っていました。

その後23歳で結婚する直前に(それまでのツバメ状態を脱却するため)
歌うことを辞めてサラリーマンになった以降も、旧い友人たちは皆が「かずら」と呼んでいましたが
私自身としては本名での生活が続いていたので、ずっと封印しておりました。
やがて長男が中学に上がった頃、妹二人が参加していた子供ミュージカルに
彼も加わることになり、女房も私も父兄としてそのグループに関わるようになりました。
今年で三十代半ばとなるその長男は希夢(きむ)といいますので、
女房は「きむおば」私は「きむおじ」と、仲間たちからはそう呼ばれていました。
(10年ほど関わっていたせいか、その当時の方々は今でも「きむおじ」と呼びます)
習慣、なんでしょうね。何度言っても「かずら」とは呼んでくれないのです(笑)

そして2005年1月15日、三十数年ぶりに再びステージで歌うことが決まった時に
それまで封印していた「かずら」の名前を復活させることになったのです。
(云わば、昔の名前で出ています的なプロモも兼ねてね)
それは結婚30周年のイベントとしての一夜限りの企画だったんですが、
大盛況だったことに加え、もっと歌っていたいなあと思う気持ちが込み上げて
そのまま今に至るまで(現在は休業中ですが)続いているわけなのです。
その1月15日のライブ翌日に、Blogで「これは、かずら元年である」と宣言したことから
以来私は「かずら元年」の名前で活動するようになったのです。
(なぜ元年なのー?と、不思議に思われる方はこれで納得されましたよね)

余談になりますけど、数字を覚えるのが苦手な私が
結婚記念日と何周年になるかを正確に言えるのは、このライブがあったおかげなんです。
2005年に30周年、これさえ覚えていればいいんですからね!


今日、一日遅れでいつものワインを買って来ました。
毎年の慣わし、女房と二人だけで乾杯する、それだけの質素な祝いです。
料理もプレゼントも何もありませんけど、お互いが健康であること
それが一番なのだと(勝手に)思うようにしています。
ワインのラベルが、この家で一緒に暮らしていた今は亡きボーダーコリーの顔に
とてもよく似ているので毎回これを買ってしまうのですが、
一人減り、二人減り、一匹減り、二匹減り・・
賑やかだったこの家も、ずいぶんと殺風景になってしまったものです。

*

2013年1月15日

38年目の〇〇

1月の雪は融けないもんですなあ。
晴れていたにも関わらず、北風ぴいぷうの寒い一日でしたもの。

車を出すため庭のほぼ全域を除雪して、さあ出来たぞーと思いながら通りを見ると
轍の底が凍ったままで、その上にシャーベット状の雪。
こりゃ滑るでしょと、お隣の倉庫から(勝手に)平スコップを持ち出して
カチョーン!カチョーン!と、坂の上くらいまでを10mほど削って行き
額に汗しながらおよそ1時間ほど、湿って重たい雪と格闘していたら・・

持病の腰痛、出ちゃいましたわ。いわゆる鈍痛。
ろくに運動もしない軟弱な爺さんが、汗かきながらやることではなかったようです。
とほほ。

それにしても、自分の家の前の道路を全く除雪しない人って多すぎます。
ツルンと滑りそうになっているのに知らん顔って、これいったいどういうことでしょ。
陽射しがあるうちに凍って固まった轍をバラしてくれるだけでいいのにさ。
家の間口分だけ各戸がやれば道路から雪が消えるだろうにねぇ。ちょっと怒り気味。
私にもっと体力があったなら、町内中の道路を隈なく削って回りたかったくらいです。

それともうひとつ理解できないのが、屋根に雪を載せたまま走るドライバー。
これ、とっても危険!走行中に前か後に落ちて来るの必至ですからね。
特に今回のような湿った雪は、屋根との設置面が完全に凍っているので
部分的に落ちるんじゃなくて、塊のまま滑って落ちて来ますから
前に落ちれば見えなくなるし、高速走行中に後に落ちたら後続車に被害を与えかねません。
そこのアホ・ドライバーよ、雪を降ろしてから走り出さんかい!

そんなこんなでドタバタしているうちに大事なことを忘れてました。
私と女房、今日が結婚記念日だったわけでして
毎年(きちんと)覚えていて、必ずワインを1本買って帰る習慣まであったというのに
(決してお洒落じゃないのよ、安上がりで喜んでもらえるからなのね)
大雪騒動のせいで、すっかり忘れてしまっていたのです。
気が付いたのは日付が変わるちょっと前、三日前までは覚えていたのになあ・・


7~8年前に仲間と飲みに行った帰りの写真ですけど、今でもこんなアホ夫婦ですわ(笑)
何故こんな古い写真を引っ張り出して来たかって?
実は去年久しぶりに会ったクックハウスの鈴木クンがこんなこと言ってたんです。
「かずらさん、あの頃よりも若返りましたよね!」って。
その時は「?」だった私、この写真を見て納得しました。
た、確かに今より老けて見える。。(汗)

ま、めでたいかどうかは別として、私ら今年で38年目を迎えました。
皆さまには関心の薄いお話でしょうけど、ご報告まで・・



(注:クックハウスは現在ロニー&ロケットメンとして活動中)


2013年1月14日

雪には滅法弱いんです


私が帰宅した午前9時頃の横浜は、寒いなからもまだ雨でした。
時折白い物が混ざっている程度、しかしそれが数時間後にはこんなことになっていました。
横浜地方、最大で13Cmの積雪という記録的な大雪です。
前日に納車を済ませたピッカピカのKeiクンも、庭で寒さに震えているではありませんか。
雨は仕方ないなあと思ってましたが、まさか雪がこんなに降るなんて!
我が家にやって来たKeiクン、初日からドラマチックな展開となりました。
幸い今日は休日だったので、滑る路面で怖い思いをせずに済みましたけど
朝から快晴とはいえ、こんなに降っちゃって明日の路面状態はどうなんでしょうね。
新米のKeiクン、鶴見までちゃんと走って行けるのかしら?
おまけに私の仕事場、雪の影響で明日も混乱は避けられない状況かと思いますんで
いっそのこと、腹か腰が痛くなって休みを取れたらいいのにと思ってしまいます。
でもなあ、明日は当社の〆日だしなあ・・

関東に降る極度に湿った雪って始末に悪いんですよね。
積もった所に足を踏み入れるとジワーッと水が染み出て来るし、
びちゃびちゃのその部分が今度はとても滑りやすい状態になるし、
歩いていても車で走っていても、その危険性は北国の雪とは大きく異なります。
この車に積もった雪を払うのだって、重たくて粘っこいんで大変なんです。
明日の午後にはどこの通りも水浸しになってるんでしょうね、きっと。
雪に弱い都会の営み、さっさと融けて無くなってほしいものです。

申し遅れましたが、改めて紹介させて頂きます。
テリオスキッドに代わり、新たに私の相棒となった平成11年のスズキ Keiクンです。


昨日の納車時はこんなにピカピカだったんですよ。
燃ゆる赤、還暦の赤!のワインレッド。
14年落ちの旧いボディに残った小傷や垢を業者さんが綺麗に修復してくれました。
アルミを履いてなかったので、ヤワなホイールカバーを外し
馬鹿にされないよう、黒い鉄チンを剥き出しにしてワイルド感を演出してみました。
ここ数年は車重のある四駆ばかり乗ってましたから、軽量のFF車に乗るのは久しぶりです。
アクセルもタッチが軽いので踏み過ぎに注意、てところでしょうか。
下りの坂道とか、フルタイム四駆のようにエンジンブレーキが効かないのがちと怖く
アクセルを離しても、ダーッ!と速度が上がって行く習性にも慣れなきゃなりません。
軽いだけあって小気味良くキビキビと走ってくれるのはいいんですが、
ややもすると制動が効かなくなる点にだけは注意して走ろうと思っています。
そんな新人研修中のKeiクン、皆さまよろしくお願い致します!

ところで、乗り換えてみてから気付いたことがひとつ。
娘の子供である孫のポンタ、父親が授けた名前が京寿(けいじゅ)なのですが
このリア・エンブレムに一文字加えようかと思案中なのであります(笑)




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