2013年3月19日
だんだん馬鹿になって行くのです
三月のこの時期に各地で初夏の気温とは、
これを異常と呼ばずして何と言おう。
けれどあまり騒ぎ立ててる節は見受けられない。
やれやれ・・と、溜息をつきながら
皆が黙って受け入れている、そんな感じ。
2年前、あれほどの自然の驚異と脅威を目の当たりにしたせいなんだろうか。
人々は、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっているのかも知れない。
或いは己の力じゃどうにもならないことには無関心を装い
軽はずみに口を挟むことを躊躇しているのか。
「諦め」と言えば聞こえはいいが、異常な物事が当たり前のように受け取られ
さほどの関心を抱くことも無いのだとしたなら、それほど怖いことはない。
昨夜の福島第一の停電だって、
あってはいけないことが起きてしまったというのに
メディアの厳しい追求も無く、国民も以前ほど敏感には反応しなかった。
これから先、50年100年といった
気が遠くなるほどの時間を掛けなければ廃炉の作業は終息しないのだが
家を追われ、土地を追われた者以外にとっては、
過去の事件としか捉えることが出来ず、おまけに記憶から消えかかっているかのようだ。
それは世界各地で勃発する戦争にも似ている。
当事者でなければ、その痛みも苦しみもわかりゃしないし
海の向こうで今もなお続いていることなど知る由も無いのだから。
けれど福島はすぐそこだ。
日本で起きた深刻な大災害だ。
孫の代まで終わることのないその事故対応の
過程を検証することだけは忘れないようにしなくっちゃ。
決して無関心では居られないし、ああそうですかと受け入れることも出来やしない。
何がどうして、どうなって行くのか、誰が何をどうしようとしているのか
僕らは生きてる限りアンチテーゼの目を向け、耳を澄ましていようじゃないか。
どうです僕は大地のように
関わるすべてを受け入れるふり
だんだん馬鹿になって行くのです
細野晴臣「ありがとう」
*
これを異常と呼ばずして何と言おう。
けれどあまり騒ぎ立ててる節は見受けられない。
やれやれ・・と、溜息をつきながら
皆が黙って受け入れている、そんな感じ。
2年前、あれほどの自然の驚異と脅威を目の当たりにしたせいなんだろうか。
人々は、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっているのかも知れない。
或いは己の力じゃどうにもならないことには無関心を装い
軽はずみに口を挟むことを躊躇しているのか。
「諦め」と言えば聞こえはいいが、異常な物事が当たり前のように受け取られ
さほどの関心を抱くことも無いのだとしたなら、それほど怖いことはない。
昨夜の福島第一の停電だって、
あってはいけないことが起きてしまったというのに
メディアの厳しい追求も無く、国民も以前ほど敏感には反応しなかった。
これから先、50年100年といった
気が遠くなるほどの時間を掛けなければ廃炉の作業は終息しないのだが
家を追われ、土地を追われた者以外にとっては、
過去の事件としか捉えることが出来ず、おまけに記憶から消えかかっているかのようだ。
それは世界各地で勃発する戦争にも似ている。
当事者でなければ、その痛みも苦しみもわかりゃしないし
海の向こうで今もなお続いていることなど知る由も無いのだから。
けれど福島はすぐそこだ。
日本で起きた深刻な大災害だ。
孫の代まで終わることのないその事故対応の
過程を検証することだけは忘れないようにしなくっちゃ。
決して無関心では居られないし、ああそうですかと受け入れることも出来やしない。
何がどうして、どうなって行くのか、誰が何をどうしようとしているのか
僕らは生きてる限りアンチテーゼの目を向け、耳を澄ましていようじゃないか。
どうです僕は大地のように
関わるすべてを受け入れるふり
だんだん馬鹿になって行くのです
細野晴臣「ありがとう」
*
2013年3月18日
野球とベースボール
三連覇を阻んだのはカリブの海賊たち。
メジャー集団のあの勢いには、如何にお侍さんとて勝てやしない。
でも謝ることなんてないのよ。
野球しか知らない者たちが、本場のベースボールと戦ったんだから。
せめてあのスピード感だけでも日本に持ち帰って
ゲームの緊張感を高めることに貢献してほしいな。
日本野球に見られる妙に長い投球の間や打者の間、
あれって土俵に上がったお相撲さんと同じだよね。
それが日本のやり方だとしても、国際試合じゃ通用しない。
井端が打席でタイムを要求して手を挙げたのに
球審は全く無視してストライク!象徴的なシーンだった。
あれがベースボールの試合展開なのさ。
ゲームを作るのが球審の仕事。
メジャーではこれが当たり前で、故にジャッジには従わなければならない。
けど今日のは酷かったな、ストライクゾーンが滅茶苦茶。
あんなに外れた球をストライクにしてくれるアンパイアを見ていると
(例えが悪いかも知れないが)高校野球を思い出してしまったくらい。
野球とベースボール・・
律儀なお侍さんと荒くれたガンマンの違いかな。
ある意味、全く異なるスポーツなのだということです。
脈絡も無く、風の強い夜なので
ザ・スパイダース「風が泣いている」
私の記憶では
井上尭之のリッケンバッカーは、ハニーというコピーモデルで
重鎮ムッシュの方のは本物だったような・・
余談ですが。
*
2013年3月17日
男らしいってわかるかい
明日は五日ぶりの休日。
まあ飲めや、お侍さんもそう申しております。
お侍さんと云えば、
海の向こうでプエルトリコと戦うそうな。
芯に当たればどこまでも飛んで行きそうな兵ぞろいの強豪、
マエケンの肩と度胸に期待しよう。
八重の桜の影響かしら、
近頃は会津の言葉を耳にすると妙に和む。
好きな女性から「なじょした?」なんて聞かれたら、
心を開いて正直に何でも答えてしまいそう。
会津の方言 http://aizunogakujin.web.fc2.com/countorytongue.htm
「めっこ飯」は北海道でも使われていたし、
東京生まれのカミさんも知ってたくらいだから全国区なのかしらね?
他にも、なげる ばっち ぶすいろ みそっぱ
何処でも通じそうな言葉がたくさんあるけれど
これらが会津のイントネーションで語られると、ほっこりしてしまうから不思議。
都会人の言葉は刺さるほどに冷たくて痛いものだから。
なんにしても
私みたいな腰抜けは、幕末のお侍さんや西部のガンマンに憧れてしまうもの。
腰には竹光(たけみつ)ガンベルトには鳴らないピストル、
そんな出で立ちじゃ戦えないものね。
男らしいってわかるかい?ピエロや臆病者のことさ・・
「男らしいってわかるかい」
大塚まさじさんによる「I shall be released」の名和訳です。
71年にリリースされたディランⅡのアルバムから。
*
2013年3月16日
Wonderland
朝方、夢を見た。
いつものように、日常と非日常がごちゃ混ぜになった不思議な世界。
顔馴染みの何人かと一緒にテーブルを囲む。
みんな知り合いだと勝手に思っていても
実はその内の幾人かは、決まって誰だかわからない。
顔が無いのだ。
そう、「千と千尋の神隠し」に出て来るカオナシみたいな奴ら。
何故そこに居るのかもわからない。
それでもたった一人だけ
微笑みかけてくれる者が居る。
快活に話し掛けてもくれるのだが
悲しいかな、無音の夢の中では何を言ってるのか聴こえやしない。
それはまるで無声映画のワン・シーン。
モノクロで画質の悪いところまで同じだ。
唇の動き、顔の表情で台詞を頭に想い描いてはみても
たぶんそれは自分に都合の良い言葉に置き換えられてしまうんだろう。
だから心地好い。
けれど目覚めてから、微かな記憶を手繰り寄せてみると
あまりにも現実離れしていたことに気付く。
当たり前だ、それが夢だもの。
その気恥ずかしさが甘酸っぱさを連れて来る。
どうやら僕は
林檎の匂いでいっぱいだったあの日の空を
悔しいけれど忘れられずにいるようだ。
不思議の国で、また逢おう。
*
2013年3月15日
Tさんへ
THE FGの純正オープンギア・タイプの糸巻きを新品で見つけた。
私のは初期モデルで、前のオーナーさんが手入れを怠っていたらしく
ボディやらネックやらあちこちの傷みが多かったこともあり、
当初からギアの滑らかさが欠けていたので未だにチューニングも一苦労。
この際だからリペア用に買っておこうかと思う。
ちょっと高い気もするけど、あまり市場には出回らない物なんでね。
あれ?同じショップで同じくTHE FGの純正牛骨サドルが格安で出品されてた筈なのに
今日開いてみたら消えちゃってる。
すぐに売れちゃうような代物じゃないのでメールで問い合わせてみよう。
たぶんまだ在庫があるだろうさ。
いやあ、それにしてもこのTHE FG、
無茶苦茶いい音で鳴ってくれてるんですわあ。
半年間張りっ放しの伸びきった弦だというのに、音が死んでないのが驚き。
これじゃ怖くて、おいそれと弦を張り替えられないのが困ったところ。
一時は別れる寸前まで関係が冷え切っていたというのにねぇ。
しばらくの間レンタル提供していたTさん、お返し頂いてありがとう。
ようやく僕に馴染んできたようです。
ひょっこり歌い始める時は、たぶんこいつを持って行くことでしょう。
*
2013年3月14日
アナグラ
都内有数の繁華街、渋谷が大きく発展して行った背景には
1928年に開業した東急東横線と地下鉄銀座線の功績があるのでしょう。
巨大化して昼夜を問わず膨大な人間が行き来する渋谷、
その混雑ぶりに今では足を踏み入れることが無くなった私ですが
70年代初頭、まだ街が閑散としていた頃の渋谷の風景は大好きでした。
神南1丁目から渋谷公会堂へと上って行く坂道がオリンピック通りと呼ばれていた時代。
公会堂の手前には旧い公団住宅が建ち、その向かい側辺りにLalaという喫茶店が在って
仲間たちと落ち合ったり何時間も語らったりする、私(たち)の格好の隠れ家でもありました。
通り沿いの店も少なかった頃ですから、日中でも道行く人影はまばら。
それが夜ともなると辺りは真っ暗になり、その寂れた風情がとても良かったのです。
(当時、私が何度か出演したジァンジァンがその通り沿いに在ったことも理由のひとつかな)
反面、道玄坂は繁華街の様相を呈してました。
百軒店(ひゃっけんだな)のギラギラした灯りやお店は新宿みたいで好きではありませんでしたが
唯一ライブハウスのB.Y.Gにだけは、お目当てのミュージシャン見たさに何度か足を運びましたし
今では伝説の店となったブラックホークには暇さえあれば通ってました。
渋谷の街が私にとって「ちょうどいいサイズ」だった、遠い昔の思い出です。
その渋谷を支えた東横線の駅が、16日からヒカリエの地下5階に移転するそうです。
ここ数日間、ホームは記念撮影をする人々で「祭り」状態だとか。
私も見納めと、地上駅の乗り納めに行きたい気もしましたが、
あのセンター街なみの人出だけはうんざりなので行きません。
穴蔵の駅なんて、
渋谷がまた嫌いになりそうです。
*
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