2013年11月1日

アンチテーゼ



本拠地宮城での日本シリーズ第6戦、とても楽しみです。
生憎と仕事のため生で観ることは出来ませんけど
田中クンには日本球界での最後の大仕事を何としてでも成し遂げてもらいたい。
そう願いつつ、明日の朗報を待つことにしましょう。
都会の小奇麗な坊ちゃまたちに、野武士の如き地方のパワーを見せ付けてほしいものです。

人気のセ、実力のパ、と昔から言われてきましたが
今やそのどちらもパ・リーグが上回っていると確信してます。
セ・リーグを衰退させた張本人は、人気に胡坐をかいて
だらだらとしたつまらぬ試合ばかりしてきた読売です。
覇気も生気も感じられない、能面のような顔つきの選手ばかりの
そんな球団には応援する気持ちも湧きません。
長嶋さんが退いて以降、読売の栄華は終わりを迎えたのです。

これからはパ・リーグ(或いは地方)の時代!
野球を面白くするためには、金に物を言わせる読売の権力依存の体質や
一流選手と呼ばれるような優等生を多く抱えるだけでは駄目だということを
楽天の諸君、どうか全国にそれを知らしめてください。
政治に例えるなら、巨人は長期政権当時の自民党そのものなのであります。
野党や参議院といった「良識の府」の存在なくして物事が露にならないのと同じく
たかが野球と言えども、強大な権力と互角に戦うことが求められているのです。
古い言葉では反体制、アンチテーゼは永遠の哲学なのだと私は思ってますから。



・・政治の話はあまり好みませんが、
昨日から話題になっている山本太郎氏の行動、私には全く理解できません。
有識者が目くじらを立てるような政治的な意図などあるわけないでしょうけど
ならば何故、天皇に手紙など差し出すのでしょうか。
天皇に現状を伝えたかったと彼は言いますが、いったい何を天皇に求めたのでしょう。
己の思想や主張を口に出来ない(閉ざされた)皇室という密室で暮らす天皇に
毛筆の手紙を差し出して、いったい何をして欲しかったのでしょう。
パフォーマンスであるということ以外、今回の行動には首を傾げたくなります。
選挙運動中から彼が伝えようとしている事柄には共感を抱いていただけに
保守派の多くの敵が潰しにかかる題材を与える結果となったのが残念です。
頭の良い男ですから、当然その後の反響や批判も分かっていたと思いますが
・・ならば何故?
私には全く理解できないのです。

もしやこれもアンチテーゼ?弁証法のひとつなのでしょうか。

*

2013年10月31日

宮城で決めろ!


所用で早起きしたため寝不足、
楽天も王手をかけたことだし早めに寝るか。

それにしても
則本の気迫、藤田の悔し涙が印象的なゲームだった。
土曜の宮城で決めてくれよ!
国民のほとんどがそう思っている筈。
日頃はG党を自負する者まで
おそらくそう思っていることであろう、きっと。

2連覇?小さい小さい。
V9に比べりゃ、そんなもん吹けば飛んでく記録ですわ。
球団創設9年目、シリーズ優勝経験無しの星野に
ここはきっちりキメてもらって、気持ち好く田中をメジャーへ送り出しましょうよ。

そうそう、海の向こうじゃ上原の活躍も素晴らしかった。
もしも今日のゲームが僅差でセーブが付いていたならMVPだったろうね。
それは贅沢な願望かも知れないけど、何はともあれおめでとう!
日米共に熱い!!

それに引き換え優等生でお坊ちゃま揃いの巨人さんよ、
あんたらの淡々としたプレーは感情表現が希薄でつまらん。
気迫の篭ったファイティング・ポーズを見せんかい!!
そして球界のドン、ナベツネよ
潔く1リーグにして12球団総当りにするべし。
日本全国津々浦々で試合をやるべし。
それが興行主としての使命だと思うんだがね。


脈絡もなく、FIAT 500買っちゃった。
トミカの新製品。
実車、欲しいなあ・・

おっと、10月が終わってしまった。

*

2013年10月30日

侍の死



川上哲治さんが亡くなられた。

私が6歳のときに現役を引退されたそうなので
赤バットと称され数々の記録を塗り替えた生の姿は全く覚えてないのだが、
我が国に於ける野球の普及に貢献した功労者であることは間違いない。

V9という常勝巨人の黄金時代を築き上げた監督としての姿はよく覚えている。
長嶋や王がスターとなったその時代、川上の評価は更に上がったが
厳しい姿勢や言動から敵も多かったと聞いている。

監督を退いた後も球界(とりわけ巨人軍)の重鎮としてマスコミは見ており
1980年の長嶋監督電撃辞任も、解任の黒幕だったという説が当時は横行していた。
その後諸説が取り沙汰され真相は闇の中なのだが、
親会社読売が解任を決め、それを川上に擦り付けたというところだろう。
現在も日本球界の頂点に君臨する読売の手口はいつも汚い。
当時のオーナーであった正力享との関係が冷え切っていたせいもあり
ファンやマスコミの矛先を(悪者)川上に向けさせる策だったとしても
当の本人はそれに対して一切反論しなかったことが未だに謎である。

いずれにせよ、強大な権力の読売を去った者、追われた者、
それらの者たちが球界(或いは日本人として)の良心を持ち得ていたのだろうと
様々なニュースに触れる度、そう思えて仕方ない。

野球とプロレスの興行主が政治とも深く関わっていたという歴史。
自社のテレビと新聞を活用して原発政策を推進した故・正力松太郎、
福島の事故後も平然と原発を推し進めるナベツネこと渡邉恒雄会長。
この暗部が戦後の経済発展の影で不気味に蠢いていたのは事実であり、
我が国を誤った方向へと導いた元凶がそこにあったというのなら
国民を躍らせる、なんとも卑劣な手段ではなかろうか。

侍・川上哲治の訃報に触れ、そんな思いを強くした一日である。

*

2013年10月29日

36年前のチケット



日本シリーズの第3戦は楽天の勝利に終わった。
美馬、良かったねぇ。
交流戦でボロクソに打たれた時とは別人のようだった。
明日と明後日は星を分け合い、
宮城に戻ってからホームで胴上げってのが理想的な展開なんだが
うまい具合に是非そうあってほしいと願うのみ。

去年、部屋の模様替えをしたときにこんな物が出てきた。
77年の日本シリーズ第5戦のチケットである。
阪急と巨人、2年連続の対戦となったシリーズだ。
上田監督率いる阪急黄金時代の最強軍団と若き長嶋監督の戦いは
4勝1敗で阪急が日本一となったわけだが、その優勝を決めた試合が第5戦。
つまり私は目の前で胴上げを見ていた筈なんだが何も覚えてない。
唯一覚えているのは、このチケットを手にするために
始発電車で有楽町へ行き、銀座鳩居堂の前に並んだことだけ。
なぜなんだろうね?他の試合はよく覚えているのにさ。

まだ長男が生まれる前の、36年前のお話。

*

2013年10月28日

LOU



昨日の深夜になってから
ルー・リードが亡くなった(らしい)という情報がネット上を駆け巡った。
そしてそれは間もなく「事実」として多くのサイトで公表されることに。
ROCKの一時代を築いた男が、また一人逝ってしまったわけだ。

彼は慢性的な肝臓疾患を抱えていたようで、
5月に肝臓移植手術を受けて延命措置を施されたが
ドラッグとアルコールで蝕まれた体が元に戻ることはなかった。
享年71歳。

今夜はヴェルベット・アンダーグラウンドを聴きながら
焼酎を飲んで供養したいと思う。
肉体は滅びたとしても、残して逝ったものがある。


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2013年10月27日

夜ご飯



いつ以来なのか覚えてないくらい久しぶりの青空の下、
長男の長男の晴れ舞台を一目見ようと、栄区のとある小学校まで出掛けた。
1号機は小学三年生となり、今年は赤組の応援団として張り切っていた。

運動会・・

くらあーっ!しっかり走らんかいボケー!!
自分の子供に対しては、厳しい目と熱い眼差しが交錯したもんだ。
いわゆる叱咤激励というやつ。
あまりにもチンタラしてると、つい叱りたくなってしまうのが親父というもの。

ところが孫に対してはそれが無い。
ほんわかと見ているだけで、時折がんばれーと声を上げる程度。
結果なんてどうだっていい、元気に走り回っているだけで満足できるのだ。

この違いは何なのだろうと、ずっと考えていたのだが
おそらく直接的な子育ての責任が無いからなんだろうと今日になって気付いた。
気楽な気分で成長を傍で見ていられるのだから
子供の人生を左右するような切迫感や緊張感が無くて当たり前なのだ。
孫に甘くなってしまうのは、そんな無責任さも潜んでいるに違いない。

いや、これではいかんな。
事あればガツンと言ってやらなくちゃ。
ま、もう少し大きくなって己の意見を言えるようになった頃にでもね。

いや待てよ、逆に説教される立場になるやも知れぬという一抹の不安も。
爺ちゃん、体に毒だからタバコやめたら?とか
お酒飲み過ぎだよ爺ちゃんは!とか。
何か真っ当な理由を考えておかねば・・

ミュージッシャンは皆、酒飲みで女好きで煙草プカプカなんだぜ!!
こんなんで納得するだろうかね?(汗)

話を今日の運動会に戻す。
カミさんを助手席に乗せ、環状2号線~鎌倉街道と走り抜け
丘のてっぺんに在る小学校の真ん前で降ろしてから
長男のマンションへ行き車を置いて、今度は徒歩でその急な坂道を上った私。
遠いし高低さもかなりあるので、小学校に辿り着いた頃には
膝はガクガク腿パンパン、太巻さん曰くの「生まれたての鹿状態の足」となる。
が、午後からは仕事があったので、午前の演目だけで退散。
カミさんを残し再び急な坂道を下って車まで戻るとヘロヘロになってしまった。
責任感は無いけれどサービス精神は旺盛、こんなところに爺さんの大変さがある。
爺さんは体力勝負!なのかも知れないな。

仕事場から帰宅すると、カミさんが「夜ご飯」と称して弁当を買って帰っていた。
おお!崎陽軒のシウマイ弁当ではないか!!
ウキウキしながら食べてみたが、これは家で喰うものではないな。
旨さ半減、感動はそのまた半分程度に落ち込む。
やはり日常とは異なるロケーションで食してなんぼのものである。
長い一日の、その結末がちと残念な夜だった。

*

2013年10月26日

夕焼け電気



そうか、こいつはナツメ球または常夜灯と呼ばれていたのか。

車に例えるならスモールであろう豆電球のことを
我が家の子供たちは小さい頃から大人になった今でも
(カミさんを含め)ずっと「夕焼け電気」と呼んでいるので
すっかりその名前が定着してしまっていたのだ。

夕焼け電気・・
はてな?と思われるかも知れないが、それは夕焼けの色を指したものではなく
夕暮れ時の薄暗くなった室内の明るさを重ね合わせたものだろうと察している。
だとしたら、なんて素敵な名称ではないか。
このわずか5Wの小さな豆電球が、とても愛おしく思えてくる。
家族(家庭)の中になくてはならないものだと思ってしまうほど的を得た呼び名である。

そんな名前を思い付く娘たちが可愛らしい。
三十を過ぎた姉妹が今でもそう呼んでいるのが微笑ましい。
そう思うのだ。

私は言わないが、娘二人は晩飯のことを「夜ご飯」と呼ぶ。
晩ご飯ではなく夜ご飯。
朝ご飯、お昼ご飯、夜ご飯。朝昼晩は彼女たちに言わせると「朝昼夜」となる。
この「夜ご飯」もまた、夕焼け電気と同じように耳当たりがソフトで
実にいい響きを伴って聞こえてくる。

他にもあった気がするが、思い出せないのでいずれまた。


それにしても、近頃の夕焼け電気はよく切れるな。
これは西友のバリュー商品だが、一流メーカー品を選んでも寿命が短い。
電球そのものが昔より切れ易くなり、蛍光管の消耗も早くなってしまった。
原因は中国製だからなのか?
それとも高額なLEDの普及を目論む業界の罠なのか?
おい、フィラメントを馬鹿にしちゃあだめよ。

と、わずか一年足らずで切れてしまった夕焼け電気を取り替えながら思ったことを
だらだらと書き綴った今宵の徒然であ~る。
明日は雨で順延した長男の長男の運動会へ応援に行くのだ。
予報では天晴れなくらいの快晴!1号機よ頑張れ!!

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