2014年4月18日

筍と松島病院と東白楽と



昨日の朝、旧宅の大家さんから電話があり
ようやく筍が採れたんで取りにいらっしゃいとのこと。
早速車を走らせ南本宿まで行って来ました。
初筍!嬉しいじゃありませんか。

なんでも昨年に続き今年も不作なんだとか。
前の年の雨が少ないと出来が悪いそうですが、
ここ数日の乾燥も災いしているようで
例年の今頃なら庭のあちこちからニョキニョキと顔を出すのに
この春の収穫は寂しい限りです。

この旬の筍、もしかすると今年が最後になるかも知れないことを思うと
それもまた寂しい限りなのであります。
南本宿の思い出を噛み締めるように、じっくりと味わいながら頂くことにしましょう。

大家さんと暫し庭で談笑した後、
筍を車に積んだまま松島病院へと向いました。
もはや年貢の納め時、医者の言う通り手術を受けることにしたので
その入院予約をするためだけに赴いた次第。
6月2日から入院、手術は翌3日に決まりました。
入院期間は約10日、退院後数日間は自宅療養となるため
月の半分は屋内に篭り、酒も断たねばなりませぬ。
とほほほ。。

家に筍を降ろした後、駅へと向かい電車で半年ぶりの東白楽へ。
馴染みの店をお借りして、某新聞社の取材を受けて参りました。
ひょんなことから僕の田舎の地方紙の
東京支社の方から取材申込みがあり、僕で良ければとお受けしたのですが
あれは本当に取材だったのでしょうか。
夕方の6時から終電の時間まで(皆で)ずーっと飲んでいたんですから(笑)
いったいどんな記事になることやら・・
少々不安になりますが、事の顛末はいずれまた。

そして今夜の食卓は・・


とりあえず「筍二選」
僕の好きな煮物は只今大鍋で灰汁抜き中。
明日はそれも食卓に並ぶ予定です。

春爛漫!

*

2014年4月17日

終電



ジョン・レノンの誕生日よりも一日早く生まれてしまった僕は
彼が愛用した眼鏡を掛けて久しぶりに東白楽まで出掛けた。
以前のような街の活気が、感じられなかったのは気のせいだろうか。
たぶん気のせい、だよね。

馴染みの店の若女将は、飲み過ぎて声が出ないと言っていた。
僕らオッサンとジイサンだけが、勝手に盛り上がっていたのが申し訳ない気分。

あー、でもよく飲んだ。
終電に乗ってから寝てしまい、
最寄り駅で目が覚めたのは奇跡的。

ホームで長女と出くわした。
駅前のコンビニでアイスクリームを買ってあげたら
少しだけ喜んでくれたみたい。
ほんの少し、だけどね。

家族ってえもんは
それくらいの関係がちょうど良いのだと思う。
べたべたしすぎるのは気色悪い。

*

2014年4月16日

O SORE MIO



先日、ジェシと一緒に注文したジョー・ママを聴いております。
新・名盤探検隊シリーズのCD、70年のファースト・アルバムです。
44年前の音源とは言え、決して古めかしさはありません。
今聴いても、とても新鮮に感じます。
この時代のダニー・コーチマーは脂が乗ってますし、
リズム隊も紅一点のアビゲイル・ヘイネスのパワフルなボーカルも
どれをとっても「出来すぎ」の感があるくらい素晴らしいアルバムだと思います。
リリースがアトランティックというところも僕にはツボ。
このレーベルは傘下のアトコ・レコードなどと共に
70年代の音楽を牽引したと言っても過言ではないほど数々の名盤を世に送り出し
僕の好きなアルバムやアーティストがそこに集中しているからでもあります。
こうして聴いていると、サウンドもレコーディング・テクニックも
70年代初頭に完成されていたという僕の持論を再認識できます。
もちろん、そこへ至るまでの50年代や60年代があってこそですけどね。

ちなみに・・
昔持っていたアナログ盤よりもやたら音がいいなあと思ったら
リマスターされてたんですね。
それでもいずれ米国プレスのアナログ盤を再び手に入れたいものです。
このジャケットは何と言っても30Cm角がいい!

*

2014年4月15日

おやまあ。




知らなかった。

爺さんたち、
こんなのに乗って
やって来たのね。

Aeronexus Corporation
Boeing 767-200

南アフリカのビジネスジェットオペレーター
だそうです。

*

2014年4月14日

Yummy



15歳という設定、どう見ても無理があります。
名子役、チビはなちゃんの大ファンであった僕ですから
わずか5年でこんなに大人になってしまったことには
なおのこと不満が残る第三週なのでありました。

それはさておき、
今回も登場した「ヤミー」なる単語。
前作ごちそうさんでも米軍将校が使っていましたが
英語に疎い僕はてっきりスラングだと思っていたのです。
ところが女学院の生徒さんが普通に使っていたものですから
早速調べてみると・・

「Yummy」主に子供が使うようですけど
大人も日常的に使っているそうですね。
上品に言う「おいしゅうございます」的な「Delicious」に対し
おいしいー、うめえー、的な「Yummy」
そんな違いだそうです。

またひとつ学習しました。
初めて行った店で旨いものを口にしたとき
すかさず「ヤミー!」と言ってみることにします。

立ち飲み屋で焼酎を飲みながら焼き鳥を頬張り
にこっと笑って「ヤミー」と呟く変な爺を見掛けたなら
たぶんそれは僕なのであります。

*

2014年4月13日

さらば、南本宿!



旧宅を離れ、すでにひと月半が経過したというのに
ピアノの搬出やら室内の清掃やら、
ちまちまと休日の度に少しずつやっていたものですから
未だに鍵をお返しすることができないでいました。
如何に大家さんのご好意とは言え、お恥ずかしい限りです。

ですが本日、ようやくその作業を全て終え
11年に及ぶ思い出深い家を明け渡して参りました。
これで名実共に南本宿とは別れることとなったのです。

ここへ越して来たのは、長男が結婚する前の年の暮れでした。
その後ボーダーコリー犬が家族に加わり、
人間四人と猫数匹の賑やかな生活が始まったわけです。
仲間を大勢集めて近所の公園で花見をしたり
庭先に十数名が集い、バーベキューを催したことも数回あります。
時には一晩の宿泊人数が10名を超えたこともあり、
当時の仲間たちからも愛されていた家だったのだと思います。

竹薮に囲まれたその環境は、言ってみれば何をやってもお構いなし。
ピアノ、ギター、歌、オーディオ、果ては何とサックスまで
音の出る物はその音量を気にすることなく自由にやらせて頂きました。
僕が三十数年間のブランクを経て歌い始めるきっかけとなったのも
でんと構えるこの家の包容力だったのではないでしょうか。

50ちょうどにこの家にやって来た僕は、今年で62歳になります。
この11年間を振り返ると、人生にとって転機とも言えるような
大きなうねりが幾つもあったことが印象的です。
前述の長男の結婚、初孫の誕生。
次女の嫁入り、三人目の孫の誕生。
その間に僕は大きな事故に遭い、半年ほど右半身が麻痺していた出来事や
右眼の急性網膜壊死という稀な病気を発症して二度の大掛かりな手術を受けたり
人生の後半に喜びも苦しみも、様々な経験をさせてもらった気がします。

そして悲しい出来事もたくさんありました。
20年以上も家族と共に過ごした長寿の猫を二匹見送り、
若くして急死したボーダーコリーを見送り、
その後に残った数匹の猫もみな他界して
今は一番最後にやって来た猫一匹だけになってしまいました。

あれこれと記憶を遡って行くと、とても感慨深い家なのであります。
今日カミさんは2階の窓を開け、そこから見る最後の風景を眺めておりました。
数年後、この場所は宅地となり、景色は大きく変わっていることでしょう。
竹薮も全て伐採されますから、毎年楽しめた旬の筍も今年が最後になりそうです。
鍵をお返ししたときに「筍が採れたら連絡しますからね」と、言われたのが
何より嬉しい別れの言葉となりました。
春が来たとは言え気温の低い南本宿、筍の季節はまだ先なのです。

思い出というやつは
或る日ふと記憶の底から湧き上がるものであり
決して大切に抱え込むものではありません。
そうじゃなければ前に進めないことを、人間の脳は知っています。
消去や再生を繰り返しながら生きることで
脳味噌はそのキャパシティを保っているのでしょう。
期せずして湧き上がるであろう南本宿の思い出は
本日をもってリセットすることにします。

この地で関わった皆さま、
この家で共に過ごす機会を得た皆さま、
僕ら一家、とても幸せな11年間でした。

みんな、ありがとう!
さらば、南本宿!!

*

2014年4月12日

次は気をつけなはれ



11日に亡くなったジェシ、
アマゾンに注文した彼のファーストアルバムが
あちこち彷徨いながらも僕の処へようやく辿り着きました。
お帰り、ジェシ!
そう、昨日から行方不明になっていたのはこれなんです。

朝8時、郵便局に電話。
事情を説明して調査を依頼。
1時間ほどして女性オペレーターから経過連絡あり。
昨日の配達員が午後から出社するので待ってほしいとのこと。
さらに1時間後、配達責任者という上司の方から電話。
調査結果を必ずお知らせするので時間を頂きたいと低姿勢なお詫びの言葉。

仕事場へ向う時間が来たので家を出て車に乗り込む。
運転中に着信あり、すぐに折り返すと前述の責任者から再びお詫びの言葉。
数軒先のアパートのドアポストに、間違えて投函したことが判明したそうな。

え!?このきっちりと区画整理された住宅地で
おまけに各戸の入口に番地まで表示されているというのに
思わず「配達員は委託かアルバイトですか?」と、尋ねると
申し訳なさそうに、正規社員であることを恥じるように重ねてお詫びの言葉。
あいにくと誤配先の家人が留守で未だ回収できてないけれど
必ずお届けに上がりますと謝られ電話を切る。

再び車を走らせ、15分ほど経過した頃に何度も着信あり。
運転中で出られなかったが、留守電には2度もメッセージが入っていた。
何事か、と心配になりこちらから掛けてみると
回収は出来たのだが、誤配先で気付かずに開封されてしまった旨の更なるお詫び。
(個人情報云々で大きなクレームになる危険性の高い案件ですからね)

けれど僕は
中身に支障が無く、納品書も抜き取られてないなら構わないと伝え
そのままドアポストに投函するよう指示したのですが・・
誤配した配達員が直接届けに来て、
おまけに夕方にはその上司が粗品を携えて謝罪に訪れたそうであります。
たかがゆうメール1個の誤配で、なんだか申し訳ない気分になりました。

JPは嫌いだ。そう書いてしまいましたけど
一日を通しての顧客対応の品質には感心させられた点が多々あります。
ゆうパックもゆうメールも、嫌いなことには変わりありませんが
有事の際の処理能力が高いのは賞賛に値する素晴らしいことです。
JPは(相変わらず)好きではありませんが、泉郵便局は合格!
そう言わせて頂きます。

でもね・・
午後に配達員が来て、夕方頃には上司が謝罪に来て
その都度応対したカミさんの「お昼寝タイム」が邪魔されたようですから
不機嫌極まりなく、凄い怖い顔で相対したんだと思いますよ。

だから、そのままドアポストに入れていいと言ったのに。
カミさん、ここぞって時は容赦しませんから。鬼と化します。
怖かったろうなあ、きっと(笑)

これに懲りたら、次は気をつけなはれ。

*