この古い写真を見た或る方が
50年代初頭に車のある裕福な家庭で育ったお坊ちゃまなのだと
僕の生い立ちを勘違いしてしまったそうな。
いやいや、しがない公務員だった親父が車など持てる筈もなく
これは知人の物であり、その前でお握りを手にした僕が写っているだけなのだ。
お気に入りの写真なので、WEBで公開してしまったが
まさかそんな風に解釈されていたとは露知らず・・(笑)
幼い頃の僕は、いつも笑っていたらしい。
おまけに、やかましいほどにはしゃぐので
神妙な席には連れて行ってもらえなかったそうだ。
そう言えば、一番上の姉の結婚式のときも家に残され
一緒に留守番をしていた婆さんと猫のお産で右往左往した記憶がある。
あのときは5匹生まれた。それを目を丸くしながら見ていた。
もちろん大はしゃぎで。
複雑で、様々な問題を抱えた陰湿な家庭だったせいだろうか。
僕はその重苦しさを払拭しようとしていたのかも知れない。
陽気に振舞えば皆が笑う、そんな単純なことではないだろうに
僕は何処へ行っても道化師の如く明るく努めていたようだ。
けれどやがて思春期を迎えた頃、
僕は家ではまったく笑わなくなった。
すぐ上の姉が家を出て以来、あの息が詰まりそうな場所に
親父とお袋と僕の三人だけが暮らしていたのだから。
実は当時の田舎のことを思い出すと
今でも心が塞がれるような暗さを感じてしまう。
それは途轍もなく重く圧し掛かって来るようで
ときには頭が痛くなるほどだ。
昨晩ご紹介した自叙伝なるもの。
これが何故中途半端にずっと未完のままでいるのか
どうやらそのわけは、これが原因のようである。
思い出そうとすると鬱になってしまうのだ。
道化師でいられた時期はとても短い。
無邪気な子供でいられた時間もあまりに短い。
憂鬱な時を過ごした思い出は
消えろ!消えろー!と、
脳味噌に訴えかけているのだろう。
その鬩ぎ合い(せめぎあい)が
肉体と魂を疲弊させ、心を閉ざしてしまうような
そんな因果関係がきっとある。
ここ数日、僕はとても疲れてしまった。
明日の夜に友人と飲み交わす酒が
何よりの癒しになりそうだ。
僕は、現在(いま)の事しか語りたくない。
道化師は今日を生きているのだ。
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