2014年4月20日

道化師



この古い写真を見た或る方が
50年代初頭に車のある裕福な家庭で育ったお坊ちゃまなのだと
僕の生い立ちを勘違いしてしまったそうな。
いやいや、しがない公務員だった親父が車など持てる筈もなく
これは知人の物であり、その前でお握りを手にした僕が写っているだけなのだ。
お気に入りの写真なので、WEBで公開してしまったが
まさかそんな風に解釈されていたとは露知らず・・(笑)


幼い頃の僕は、いつも笑っていたらしい。
おまけに、やかましいほどにはしゃぐので
神妙な席には連れて行ってもらえなかったそうだ。
そう言えば、一番上の姉の結婚式のときも家に残され
一緒に留守番をしていた婆さんと猫のお産で右往左往した記憶がある。
あのときは5匹生まれた。それを目を丸くしながら見ていた。
もちろん大はしゃぎで。


複雑で、様々な問題を抱えた陰湿な家庭だったせいだろうか。
僕はその重苦しさを払拭しようとしていたのかも知れない。
陽気に振舞えば皆が笑う、そんな単純なことではないだろうに
僕は何処へ行っても道化師の如く明るく努めていたようだ。

けれどやがて思春期を迎えた頃、
僕は家ではまったく笑わなくなった。
すぐ上の姉が家を出て以来、あの息が詰まりそうな場所に
親父とお袋と僕の三人だけが暮らしていたのだから。

実は当時の田舎のことを思い出すと
今でも心が塞がれるような暗さを感じてしまう。
それは途轍もなく重く圧し掛かって来るようで
ときには頭が痛くなるほどだ。

昨晩ご紹介した自叙伝なるもの。
これが何故中途半端にずっと未完のままでいるのか
どうやらそのわけは、これが原因のようである。
思い出そうとすると鬱になってしまうのだ。

道化師でいられた時期はとても短い。
無邪気な子供でいられた時間もあまりに短い。
憂鬱な時を過ごした思い出は
消えろ!消えろー!と、
脳味噌に訴えかけているのだろう。

その鬩ぎ合い(せめぎあい)が
肉体と魂を疲弊させ、心を閉ざしてしまうような
そんな因果関係がきっとある。

ここ数日、僕はとても疲れてしまった。
明日の夜に友人と飲み交わす酒が
何よりの癒しになりそうだ。

僕は、現在(いま)の事しか語りたくない。
道化師は今日を生きているのだ。

*

2014年4月19日

生い立ち



一昨日、同郷の方々と飲んでいたせいでしょうか。
田舎のこと、遠い昔のこと、
あれこれ思い浮かべてしまうようになってしまいました。

記憶が曖昧な時期もあったので
10年ほど前に書き記した文献?を読み直してみましたが
若い時分、特に十代の頃は何事にも攻撃的だったようです。

恥ずかしながら、書き始めたときは自叙伝のつもりでした。
自分の寿命は50歳なんだと、小さい頃から何故か確信していた節があり
その歳が近付いた或る日、一気に書き綴った記憶があります(笑)

けれどこれは完結してません。
と言うよりほんの序章、その後の事が一切書かれてないのです。
果たして幾つまで生きられるのかわかりませんが
死ぬまでにはその続きとやらを書いてみたいものです。

当Blogのサイドバーにも当初からリンクを貼ってありましたけど
お時間のある日にでもご覧になってください。

kazura in his own write

拙い文章で恐縮ですが、
こんな風景が残っていた時代を生きた家族と
その息苦しい家庭の中で屈折して行った自分を描いたつもりです。


この写真、親父が珍しく上機嫌でポーズを決めているところを見ると
新築した我が家をバックに、誇らしげに息巻いていた頃だと思います。
幼い僕は嬉しそうに親父のポーズを真似てます。

今思えば、家族の皆が一番幸せな時期だったような気がします。
この頃を境に、親父もまた苦悩の挙句に屈折して行き
会話が無いまま僕と彼の溝は深まったのかも知れません。

膝を交えて語らうことが、一度も無いまま逝ってしまった親父ですから
今さら確かめる術は無いのです。

*

2014年4月18日

筍と松島病院と東白楽と



昨日の朝、旧宅の大家さんから電話があり
ようやく筍が採れたんで取りにいらっしゃいとのこと。
早速車を走らせ南本宿まで行って来ました。
初筍!嬉しいじゃありませんか。

なんでも昨年に続き今年も不作なんだとか。
前の年の雨が少ないと出来が悪いそうですが、
ここ数日の乾燥も災いしているようで
例年の今頃なら庭のあちこちからニョキニョキと顔を出すのに
この春の収穫は寂しい限りです。

この旬の筍、もしかすると今年が最後になるかも知れないことを思うと
それもまた寂しい限りなのであります。
南本宿の思い出を噛み締めるように、じっくりと味わいながら頂くことにしましょう。

大家さんと暫し庭で談笑した後、
筍を車に積んだまま松島病院へと向いました。
もはや年貢の納め時、医者の言う通り手術を受けることにしたので
その入院予約をするためだけに赴いた次第。
6月2日から入院、手術は翌3日に決まりました。
入院期間は約10日、退院後数日間は自宅療養となるため
月の半分は屋内に篭り、酒も断たねばなりませぬ。
とほほほ。。

家に筍を降ろした後、駅へと向かい電車で半年ぶりの東白楽へ。
馴染みの店をお借りして、某新聞社の取材を受けて参りました。
ひょんなことから僕の田舎の地方紙の
東京支社の方から取材申込みがあり、僕で良ければとお受けしたのですが
あれは本当に取材だったのでしょうか。
夕方の6時から終電の時間まで(皆で)ずーっと飲んでいたんですから(笑)
いったいどんな記事になることやら・・
少々不安になりますが、事の顛末はいずれまた。

そして今夜の食卓は・・


とりあえず「筍二選」
僕の好きな煮物は只今大鍋で灰汁抜き中。
明日はそれも食卓に並ぶ予定です。

春爛漫!

*

2014年4月17日

終電



ジョン・レノンの誕生日よりも一日早く生まれてしまった僕は
彼が愛用した眼鏡を掛けて久しぶりに東白楽まで出掛けた。
以前のような街の活気が、感じられなかったのは気のせいだろうか。
たぶん気のせい、だよね。

馴染みの店の若女将は、飲み過ぎて声が出ないと言っていた。
僕らオッサンとジイサンだけが、勝手に盛り上がっていたのが申し訳ない気分。

あー、でもよく飲んだ。
終電に乗ってから寝てしまい、
最寄り駅で目が覚めたのは奇跡的。

ホームで長女と出くわした。
駅前のコンビニでアイスクリームを買ってあげたら
少しだけ喜んでくれたみたい。
ほんの少し、だけどね。

家族ってえもんは
それくらいの関係がちょうど良いのだと思う。
べたべたしすぎるのは気色悪い。

*

2014年4月16日

O SORE MIO



先日、ジェシと一緒に注文したジョー・ママを聴いております。
新・名盤探検隊シリーズのCD、70年のファースト・アルバムです。
44年前の音源とは言え、決して古めかしさはありません。
今聴いても、とても新鮮に感じます。
この時代のダニー・コーチマーは脂が乗ってますし、
リズム隊も紅一点のアビゲイル・ヘイネスのパワフルなボーカルも
どれをとっても「出来すぎ」の感があるくらい素晴らしいアルバムだと思います。
リリースがアトランティックというところも僕にはツボ。
このレーベルは傘下のアトコ・レコードなどと共に
70年代の音楽を牽引したと言っても過言ではないほど数々の名盤を世に送り出し
僕の好きなアルバムやアーティストがそこに集中しているからでもあります。
こうして聴いていると、サウンドもレコーディング・テクニックも
70年代初頭に完成されていたという僕の持論を再認識できます。
もちろん、そこへ至るまでの50年代や60年代があってこそですけどね。

ちなみに・・
昔持っていたアナログ盤よりもやたら音がいいなあと思ったら
リマスターされてたんですね。
それでもいずれ米国プレスのアナログ盤を再び手に入れたいものです。
このジャケットは何と言っても30Cm角がいい!

*

2014年4月15日

おやまあ。




知らなかった。

爺さんたち、
こんなのに乗って
やって来たのね。

Aeronexus Corporation
Boeing 767-200

南アフリカのビジネスジェットオペレーター
だそうです。

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2014年4月14日

Yummy



15歳という設定、どう見ても無理があります。
名子役、チビはなちゃんの大ファンであった僕ですから
わずか5年でこんなに大人になってしまったことには
なおのこと不満が残る第三週なのでありました。

それはさておき、
今回も登場した「ヤミー」なる単語。
前作ごちそうさんでも米軍将校が使っていましたが
英語に疎い僕はてっきりスラングだと思っていたのです。
ところが女学院の生徒さんが普通に使っていたものですから
早速調べてみると・・

「Yummy」主に子供が使うようですけど
大人も日常的に使っているそうですね。
上品に言う「おいしゅうございます」的な「Delicious」に対し
おいしいー、うめえー、的な「Yummy」
そんな違いだそうです。

またひとつ学習しました。
初めて行った店で旨いものを口にしたとき
すかさず「ヤミー!」と言ってみることにします。

立ち飲み屋で焼酎を飲みながら焼き鳥を頬張り
にこっと笑って「ヤミー」と呟く変な爺を見掛けたなら
たぶんそれは僕なのであります。

*