2015年11月5日

お口の恋人



深夜に
ウィスキーを呑みながら
ロッテのラミーチョコを食べているのだと
そう呟いたら思わぬ反響があった。
この懐かしいラム・レーズンの味が
好きな人は多いらしい。

僕がラミーやバッカスを初めて口にしたのは
確か中学か高校の頃だった筈だ。
そんなに歴史のあるチョコだったということなのか?

調べてみた。
何とラミーは1965年、
コニャックを贅沢に使った姉妹品バッカスは
その前年、1964年の誕生らしい。
つまり、今年は生誕50周年ということになる。

すごいね。
しかも、中のお酒が溶け出さないよう
秋冬にしか販売しないという拘りよう。
さすが、お口の恋人と言わしめる哲学を感じさせる。

ちなみに
オリジナルはこんなパッケージだった。


僕はこの方が好き。
出してくれないかな、復刻版。



そして、今夜も僕は
その恋人と呼ばれる冷えた体を
口に放り込んでいちゃついている。


*

2015年11月3日

虎馬(とらうま)



FBからお知らせが来る「過去の思い出を振り返ってみましょう」というやつ。
3年ほど前の(今日の)些細な出来事を書き込んだだけの物であっても
それがいきなり目の前に現れると、何だか新鮮に感じられるから不思議。
いいもんですよね、あれは。

今日は3年前に他界したアナログ・プレーヤーのことを思い出させてくれました。
友人から譲り受け、長らく愛用していたクオーツロックのテクニクス製フルオートが
深夜にレコードを再生中、突然回転が止まってしまい息を引き取ったのです。

あれは驚きました。
再生中なのですから、いきなりウオォォォ~ンとピッチと回転数が下がって行き
いったい何が起こったのか、すぐには理解できずうろたえましたもの。

完成度の高い、良い製品だったので残念でなりませんし
次なるプレーヤーを(安価で)物色せねばならず
突然の出来事に、その夜は途方に暮れたものです。

けれど数日後、現在愛用しているDENONのターンテーブルを
ハードオフにて破格のプライスで入手できたわけですから
出逢いと別れの関係は、うまく作用していたと言えるようです。

で・・


テクニクスが急逝したとき、
ターンテーブルに乗っていたのがこのアルバムでして
それがトラウマとなり、以来掛けることが出来ずにいるのです。

CBSが日本コロムビアからリリースされていた当時のオムニバス盤で
帯のタイトルといい、ジャケットデザインといい
くっさいことこの上ない代物ではありますが、
このラインナップは何だかワクワクさせてくれると思いませんか?


見開きのジャケット内側がこれですよ。
ペラなCDでは味わえない「時代」の息吹が伝わって来るじゃありませんか。

発売当時は見向きもしなかった(くっさい)オムニバス盤、
けれど今はこの手のアルバムが楽しくて仕方ありません。

あとは・・

あの忌まわしい出来事を乗り越えて
これをターンテーブルに乗せられる日が待ち遠しい。。(笑)

*

2015年11月2日

教訓、冬はいきなりやって来る



さっぶい一日でした。
朝のゴミ出しに外へ出たときは大粒の雨、おまけに北風。
再び布団に潜り込んだものの、起きてみたらやっぱり寒い。
いきなり冬がやって来ちまいました。

今日ほどではなかったものの
土曜に催された長男の倅二人が通う小学校の運動会、
曇天に北風と、これまたさっぶい一日でありました。
指先の感覚が無くなる、いわゆる「かじかむ」なんて症状は
ずーっと昔の少年期以来だった気がします。
(歳を取ると血行が悪くなるのもその要因か?)
そんな冷たい風の中でも、皆でほおばるお弁当の時間は楽しいものです。
二人とも、頑張ってましたよ。

実は土日月と、三連休を取っていまして
土曜は運動会、明けて日曜はハロウィン最終日のDL、
そして月曜はお疲れ休みと、完璧なスケジュールでした。
しかしながら、月曜のDL来場者数の予測7万人!
おそらく入場規制もあるであろう混雑を考えると
長い距離をスタスタ歩けない婆さんには
駐車場から入口までへも辿り付けないであろうという結論に至り、
前日の運動会の観戦で体力を消耗していることもあって
爺さん婆さんは次回に見送り、子供たちだけで行ってもらうことにしたのです。

正解でした。
若い連中も、その子供たちも
疲れ果て、ヘロヘロで帰って来ましたもの。
夜間の首都高が工事で一部通行止めとなっていたらしく
帰路は渋滞も激しかったそうで、
僕がハンドルを握ることがなかったのは幸いでしょう。
間違いなく居眠りしますもん!(危)

そんなわけで、日曜と月曜は家でウダウダ。
昨日のBlogに記したように、近所へ買い物に出掛けたくらいです。
冬の寒さに打ちひしがれ、月曜の今日も家で縮み上がってましたから
娘の家にも行かず仕舞いの爺さん婆さんでしたけど
双子の姉妹はこんなだったみたいです。


見事なシンクロ具合ですな!!(笑)

*

2015年11月1日

ハイにならなくっちゃね!



ふらりと立ち寄る近所のハードオフ。
運が良ければ思わぬ掘り出し物が見つかることもある。
けれど、この店ではアナログ盤はジャンク品扱い。
なので管理は悪く、餌箱の中でぐちゃぐちゃになっていることの方が多い。
たとえ500円とか800円で売られていたとしても、所詮はジャンクなのだから
アホらしいので僕は百円の物しか手を出さないようにしている。

入荷したての小奇麗なジャケットが並んでいたので
今日はその中から5枚ほど百円のアルバムを買って来た。
帰宅して針を通していると、以前に購入したまま
一度も再生してなかったビージーズのことを思い出したので
「メロディ・フェア」聴きたさにターンテーブルに乗せてみた。

僕は元来、ポリドールの日本プレス盤の音が好きではなく
(独特の篭った音質で高域にキレが無く、分離の悪い物が多い)
このアルバムもどうせそうなんだろうと、音には期待してなかったのだが
聴いてびっくり、この時代の代物としては音圧も十分にあって
僕が知り得るポリドール盤の中ではレンジも広い方だろう。

これなら許せる。
楽しくなって両面全てを聴いてしまった。
いずれにしても、この時代のビージーズはいいね。
ブリティッシュ感がぷんぷんしてる。
フーやキンクス、ストーンズなどにも共通する
アコギのジャキジャキした質感の音がたまらなく好きだ。


それはそうと、
スタイラスクリーナーってやつは
どうしてこんなにたくさん入ってるんだろうね?
いくら容量の少ない小瓶だからといっても
時折針先を磨くだけなら、おそらく一生掛けても使い切らない。
たぶん成分は無水アルコールなんだろうから
あちこちの端子を磨くのに使ってもいいんだろうけどさ。
瓶をひっ倒して零さない限り、絶対に減らないと思うけど
今も昔も、目薬ほどの大そうな量が瓶に詰まってる。


話は飛んで、
西友にハイニッカが並んでいたので買ってみた。
初号復刻版の限定販売後、レギュラーとして9月から登場した模様。

さすが二級のハイエンド、口当たりが滑らかだ。
けれど安いブラックニッカに慣れてしまった僕の口には上品すぎる味で
やはりガツーンと来るブラックニッカの方が合っているようだ。

ちなみにハイニッカの「Hi」は
64年当時に隆盛したHi-Fiオーディオから拝借したようで
「高品質」を訴えたネーミングだったそうな。

いつの時代も
ハイにならなくっちゃね!

*

2015年10月30日

業務、なのだ



またか・・と、思うほど
高齢者の暴走事故が相次ぐ。

アクセルとブレーキの踏み違いや
高速道の逆走なども
ほとんどが認知症から起因してると言われてる。

現在の道交法では75歳の免許更新から
講習予備検査と高齢者講習が実施され
記憶力や判断力が衰えている場合は専門医の診断を受け
そこで認知症と判断されると
免許の取り消しや停止の処分とするシステムはある。
けれど何度も繰り返される痛ましい事故を見る限り
その法令は全くと言っていいほど機能してないように思えるのだ。

今回の宮崎の事件も、高速道を逆走した事件も
期せずして、どちらも73歳の人間だったらしい。
どんな場合でも、そんなグレーゾーンに位置する者が
法の網にかからず、一番厄介で危険な存在だ。
つまり、危険運転の予備軍は無数に居るということで
これは途轍もなく恐ろしい社会ではないだろうか。

膝が痛くて満足に歩けない、
多少呆けてはきているがまだまだ運転くらいは出来る、
老いてしまったので買い物に行くには車が絶対に必要だ、等々
そんな理由で(危険を承知で)認めてきた社会や家族の罪もある。
多くの高齢者が車を捨ててしまうことによる販売台数の落ち込みを危惧する
自動車メーカーの思惑と、その政治献金で潤う政治家の事情もあるだろう。
規制を強めると「自動車離れ」が生じて奴らは困窮するのだから。
けれど、ここで転換していかなければ悲惨な事故は必ず起きることになる。

かく言う僕も63歳であり、若い頃に比べれば
判断力や危険の回避に少なからず衰えはあるのだろう。
しかし敢えて提言する、高齢ドライバーに意味のないステッカーを貼らせる前に
一定の年齢に達した際に改めて適正検査と路上試験を行い
新たな免許証を発行するようにしなければ社会の安全は担保できないと思うのだ。

マニュアルで重たいハンドルを切りながら運転していた頃とは違い
ATやCVT、パワステが普及してからというもの
車の運転は安易なくらいにとても簡単な事になってしまい、
実走行での運転技術もさほど必要なくなった。
これが怖い。注意力が散漫であっても、車は難なく走るのだ。

事故があったときに「業務上過失・・」と言われるように
国から免許を授かり、それを実行することが「業務」であるということを
いったいどれほどの人間が認識して車を運転しているだろう。
少なくとも高齢者と呼ばれる(旧い)方々は
誰もが教習所の机でそれを学び、熟知している筈である。
もちろん僕もその一人であり、しっかりと頭に刻み付けられている。

その業務を怠るようなことを、先人としての高齢者は絶対にしてはいけない。
社会の模範となるべく運転のマナーと技能だけは維持していかなければならないし
もしもそれが困難な状況に陥ったならば、潔く免許証を返納した方がいい。
僕はそう思いながら、今日もハンドルを握っているのだ。

悪いことは言わない。
如何なる反対論があろうとも、人命には代えられないのだから
免許証更新のあり方を見直すべき時であろう。



蛇足ながら・・

この宮崎での事件で無残に路上に転がっている車が
僕が以前乗っていたテリオス・キッドであることで
余計に悲しく、とても腹立たしく思えるのだ。
パジェロ・ミニやジムニー、そしてこのテリオス・キッドなど
軽のRV車や四駆車を高齢者は好んで乗りたがる傾向がある。
小さくて取り回しが良くて、ボディが頑丈で安心できるからだろう。

けどな、そこのジジイ!
その安全対策は乗ってるおめえじゃなくて
歩行者に向けるのが筋ってもんだぜ!!

生身の人間を6人も跳ね飛ばした挙句、
仰向けに転がった車の損傷があまりにも少ない光景を目にして
そんな怒りが込み上げるのであった。

*

2015年10月29日

爆買い



双子の様子を見に出掛けようかと思い
何か手土産を・・と考えていたら
娘からリクエストがあった。

ミスド・リラックマ・ワッフルケット45周年記念スペシャルセット

27日からスタートしたキャンペーンで
お好きなドーナツとパイ7個に
ワッフルケットが付いて¥1080だそうな。

デザインが3種類あったので
どれにするんだ?と、娘に尋ねると
双子とポンタがそれぞれ使うから3枚とも欲しいと言う。

・・3枚全部??(汗)

かくして、日ごろミスドで買い物などしたことのない爺さんは
言われるままにドーナツやらパイやら
なんと計21個を購入して来たのでありました。
ワッフルケット欲しさの、いわゆる「爆買い」です。

ゆえに
当然ながら娘宅での昼食はドーナツ&パイ。
爺さんは四個半も喰らってしまい、お腹いっぱいになりましたとさ。

ああ、でも
初めて食したフランクパイとエビグラタンパイ、
これは旨かったですね。
また食べたくなるような(大人の)お味でした。

仕事場での昼食時、
ミスドの箱をテーブルに置き
それを食べている姿を想像してしまいましたけど、
単品ではおひとつ税込¥172もするんですねえ。

コストダウンを図り
ワッフルケットが我が家にやって来るかも知れません。

*

2015年10月28日

天空の村



マチュピチュ村の村長として
その地を観光名所とすることに貢献したのが
野内与吉さんという日本人であったことを初めて知りました。

1939年から1941年にかけての3年間は地域の最高責任者である行政官。
(この当時はまだ村になっていなかった)
そして1948年にはペルー政府から村長を任命されたそうです。

東京大学総合研究博物館の文献を紐解くと
1917年、24歳のときに契約移民としてペルーに渡ってからの功績が記されています。
国鉄の工事に関わったり、水路の普及とそれに伴う水力発電、
1935年にはホテル・ノウチを建設して村の発展に尽力したとのこと。
土地の開拓中に温泉まで掘り当て、貧しかった村の暮らしを豊かにしたことで
その名は今でも語り継がれ、村の歴史に刻まれているのです。

そんな経緯から、
野内さんの出身地である福島県大玉村とマチュピチュ村の間で
友好都市協定に調印されたことが今日報じられました。
世界各地の自治体から申し込みが殺到するほどの地でありながら
我が国の小さな村を友好都市に選んだ背景には
野内さんへの感謝の気持ちを忘れていないペルー国民の心情があるのでしょう。

その昔、こんな素晴らしい方が居たことを
僕は日本の国民の一人として誇らしく思います。
「天空の城ラピュタ」のモデルとなった地の開拓に奔走したのが
百年前ペルーに渡った日本人であったことを
多くの子供たちにも知ってもらいたいものです。
文科省のお役人さん、教科書に載せましょうよ。

・・などと言いながら

すでにご存知であった方々から
今になって知り得た僕の知識の薄弱さを責められることが
ちょっとだけ心配でもあるのです。

*