2019年6月1日

ナチュラルサウンド


名うてのリペア職人の施術を受け
YAMAHAのオリジナルシェルが蘇った。
少しの間、仮の住まいに預けられていたSHURE M75Bも
我が家に戻れたことで、さぞかし安心していることだろう。
断線した古いリ―ド線をPCOCCの無酸素銅線に変えたので
たぶん少しだけ音の抜けが良くなると思う。
ま、極めて曖昧な「聴感」が支配することなので
これは気分の問題かもしれないけどさ。


プレ―ヤ―にセット、
やはりこのJ字型のア―ムにはこれが一番よく似合う。
見た目だけではなく、ウエイトの位置関係も実にいい。
前すぎず後ろすぎず、重量バランスの均整がとれている。
ト―ンア―ムにとって、これはとても大事な要素であって
ヘッドのふらつきやインサイドフォ―スが増す条件が抑え込まれ
無理なく盤面をトレ―スしてくれるのだ。
・・などと、僕の勝手な解釈ではあるけれど
理に適っていて、あながち大きな間違いではないと思っている。


こうして見てみると、やはり美しい。
デザインも秀逸だけれど、ナチュラルサウンドと称していた頃の
YAMAHAの技術者たちの設計ポリシ―が伝わってくる。
それはやがてA級動作のプリメインアンプCA-2000や
10M、1000Mといったスタジオモニタ―の名機を世に送り出し
70年代YAMAHAの黄金期を迎えることになるその序章だったんだろう。

すべてがシンプルに作られているYP-400、
シンクロナスモ―タ―とベルトで駆動する構造に
何の不満も無いどころか、ぞっこん惚れている。
今の時代じゃ、こんなに素敵な物は創り出せないだろうな。

アナログのいいところは機械的な動作が伴うこと。
そしてそれが目に見えて、さらに触れることによって
調整したり手を加えたりが自分で出来ること、かな。
(何事にも疑り深い僕みたいな人間が好むのは当然かも)

けれどアナログ全盛の時代からずっと残念に思っていたのは
オ―ディオ通は音楽を知らず(ろくな音源を持ってない)
逆に音楽通はオ―ディオを知らないということだ。
ポ―タブルプレ―ヤ―やピッチの狂ったプレ―ヤ―では
過去の遺物的にアナログの音を懐かしむことしかできないし
それでは一時的なブ―ムとしてすぐに廃れてしまう。
世のミュ―ジシャンやヘヴィなリスナ―諸氏は
まずはCDと同等の音が出せるところまで行ってほしいものだね。
USEDで上手く組み合わせれば予算3~5万くらいで
そこそこ本格的なアナログオ―ディオは楽しめる筈だから。



ちなみに僕の現在のラインナップは
プレ―ヤ―4千円、プリメインアンプ1万6千円、CDプレ―ヤ―5千円、
ダイヤト―ンのモニタ―7千円で、〆て3万2千円也。
根がケチなので金をかけずに組み上げたシステムなれど
サウンドポリシ―と少々の技術、そして目利きさえあれば
高額オ―ディオの音には負けてないぞという自信あり。
これから始めたいという方、アドバイスしますよ!

(ガサツな室内写真だけは恥ずかしい・・)


2019年5月31日

匠の技


友人の紹介と協力で、ヴィンテ―ジオ―ディオの修理と調整を行うショップへ断線したシェルを持参した。店主はハンダにかけては超一流の腕と技を持つ方のようで、古いリ―ド線を外し、ピンに残ったハンダをバキュ―ムで綺麗に取り除き、PCOCC無酸素銅のリ―ド線を新たに装着して頂いた。さすが見事な仕上がりである。蘇ったオリジナルのヘッドシェル、大事にしなくっちゃね。明日、カ―トリッジを取り付けて、YP-400に戻してあげる予定。嬉しい!

2019年5月30日

シェル施術


ト―タルバランスが絶妙な仕上がりなので
オリジナルのパ―ツがひとつ欠けても成り立たない
そんな気にさせてしまうのがYP-400の不思議です。

欠かせない物なのに不注意で断線したヘッドシェル
念願叶い、ようやく修理の運びとなりました。
とあるリペアショップへ持ち込み
その場で匠の技による施術を受けます。

その後、旧知の友と飲みながら
辛辣なクソ談議に花を咲かせる予定なり。
クソだよクソ、いったい何発のクソが飛び交うことか
楽しみです。

2019年5月29日

怒りの朝

いつもと変わらぬ朝に
穏やかな日常が始まる朝に
包丁二本振り回して
無防備な人たちを襲うなんて
抵抗できない子供たちを襲うなんて
ましてや事の挙句に自害するだなんて
おまえいったい何のつもりだ
死にたいと思っていたのなら
はなから一人で勝手に死んじまえ!!

朝からの
やり場のない怒りが
夜になっても治まらない
こんな輩が
まだまだ大勢いる筈だ
けれど
それを見極められないほど
みんな同じ顔して生きているから
防ぎようなんてありゃしない
大切な家族を 友人を 知人を
守りたくても守りきれない
それが恐怖となって
警戒心ばかりが先立ち
人間関係はぎくしゃくしてしまう

そんなギスギスした社会は嫌だ
朗らかでいたいと思うのは罪なのか
馬鹿と指差されてもいいから
僕は呑気に空を見上げていたい
子供たちもそうであってほしいと
願ってはいるのだが
何をどうしていいものやら
皆目見当もつかないところで
またぞろ怒りが込み上げてくるのだ

こんちくしょうめ!!

2019年5月28日

コマンダ―・コディ


ふと思い立ち、
「コマンダ―・コディ カントリ―・カサノヴァ」でググってみると
このBlog「かずら的日常」の幾日か分の画像が出て来た。
面白いもんだね。

このアルバムを初めて聴いたのは二十歳の頃、47年くらい前。
所用で帯広に戻ったとき、サウンド・コーナーの店内に流れていて
店主・知魅さんに「これ、いかすだろ」と言われたのが最初の出会いだった。
その当時はカントリー・ミュージックをさほど好きじゃなかったこともあり
「ふ~ん」と、軽く聞き流していたのだが
その後10年以上が経過してから、無性に聴きたくなって購入した次第。
なんていうか、艶っぽくて粘り気の強い音が印象的だったもんでね。

けれど、その昔に知魅さんの店で耳にした時の音とは違っていた。
そこが音楽の摩訶不思議なところであり
その場の空気感みたいなものがイメージとして強く残っていると
記憶とは全く違う音色で聴こえてしまうんだろうね。
「もっと柔らかで艶っぽい音だったよなあ・・」
ビクター盤はビクターのオーディオで鳴らさないとダメなのかなあ。
真剣にそう思ったくらい、まるで違う音。
と言うのも、彼の店にはビクターのコンポが置いてあったし
今思えば真空管が増幅する温かな音のせいもあったんだろうな。
アンプを替えてもモニターを替えても、未だに当時の新鮮さが蘇ることは無い。
だけど、大好きなアルバム。思い出のアルバム。
今でも大切にしてて、ときおり無性に聴きたくなるアルバムだ。

こんなことを思い出してしまうのも、アナログ盤ならではのこと。
音溝に刻まれているのは音だけじゃなく遠い昔の記憶。
空の色、街の景色、風の匂い、
そこに若かりし頃の僕と彼の姿が重なると
なんだかもう、甘酸っぱい(笑)

*注 2014年3月20日のBlogの本文を転載・編集しました。

2019年5月27日

三方六


ふるさと帯広で38.8度を記録した。
僕が暮らしていた50年ほど前なら有り得ない気温だ。
真夏でも平均25度前後、30度まで上がることは滅多になかったし
農業に深刻な影響を及ぼす「冷夏」の肌寒い記憶しか残っていない。
心配になって実家へ電話してみると
姉曰く、風があるんで室内はさほど暑くはないそうだ。
少しだけ安心したけれど
北海道の場合、夜になると15度前後まで気温が下がる。
真夏だってそうだ、夕暮れ以降は肌寒くなる。
おそらく今夜も、日中との気温差は20度以上になるだろうから
高齢の母親のことが心配になってしまう。
わずか50年ほどの間に、何がどうなってしまったんだろう。

数年前、イヌイットの興味深い話をWEBで見かけた。
星の位置が、依然と比べ微妙にずれているらしい。
地球の傾き角度が変化したことを窺わせる貴重な言葉だ。
異常気象の要因は温暖化だけじゃないだろう。
やはり自転軸がずれ始めているのかもしれない。

画像は朝ドラの「なつぞら」に登場する菓子店、
雪月のモデルとなった柳月の銘菓、三方六だ。
白樺の木をあしらったバウムク―ヘンはしっとりとして旨い。
久しく食べてないな。

2019年5月26日

オ―トチェンジャ―


米国盤の2枚組のアルバムは、1面の裏が3面、2面の裏が4面となっていて、3枚組だと3面の裏が6面、という具合に作られている。これは当時の米国のプレ―ヤ―のほとんどがオ―トチェンジャ―システムだったからだ。その仕組みは、センタ―スピンドルに最初から複数枚のディスクをセットして、それを順番に落として行き、落ち切ると今度はそれを重ねたまま逆さまにセットして裏側を再生するという、丁寧すぎるくらいにレコ―ド盤を扱う我が国の国民性からすると、あまりにも荒っぽく感じてしまうほどの構造だった。傷が付かないよう、指紋が付いたりしないようにと、腫れ物に触るように慎重に手に取っていた我が国の風習とは大きな違いだ。

それは音作りにも同じことが言え、アメリカではラジオ(カ―ラジオ)や安価なステレオ装置でも最良の音が聴こえるように製作されている。日本と明らかに違うのはカッティングレベルで、アメリカ盤は音圧があるのに比べ、日本盤となると均一で端正でおとなしく聴こえるほど音圧は低い。聴感上の周波数帯域もアメリカ盤は良い意味でのドンシャリ感が強い。あの広大な土地でヒット曲を生み出すのは大変なことだ。車の中であれ家の中であれ、聴く者にガツ―ン!と感じさせなきゃだめだってことを、でっかい国の製作者は思っていたに違いない。とにかく当たれば稼ぎはデカい。音楽産業は一種のギャンブルでもある。ゆえにレコ―ド盤は消耗品、聴く側にとっても細やかに扱う必要は無くなるわけだ。我が国の場合は、その販売価格ゆえ(再販制度で定価販売のみだった)高価な趣向品として大切に扱わざるを得なかったのと、70年代から80年代にかけてのオ―ディオブ―ムや(機材までもが高級趣向)広帯域で盤面の品質管理を重視したプレス工程などによって
肝心の音そのものが、端正でつまらないものになってしまったのである。音を楽しみたい僕は、もちろんアメリカ盤を好んで聴いた。

ちなみにレコ―ド盤の大敵は静電気、あのパチパチ音だ。日本盤の(緻密に刻まれた美しいほどの)細い音溝はノイズに弱い。カッティングレベルが低いのでノイズに負けてしまうのだ。なのに(盤面に擦り傷が生じないようにと)内袋は柔らかなポリ製だ。何度か出し入れするうちに、静電気が生じてしまうような素材を使うところに矛盾がある。それに引き換え、アメリカ盤は潔いほど硬めの紙で作られている。むろん静電気は起こりにくい。そこへ無造作に出し入れする国民性なのだから、音溝も盤面も、まずは丈夫でなきゃだめなのだ。アメリカ盤の音溝が太くて深いのは、そんな必然性があったからで、少々手荒に扱ったとしても、耐久性は十分だ。おまけに指紋も付きにくい(仮に付いたとしても目立たないような)盤面だった。雑に扱われることを前提に作られていたのだからね。

そんな厳ついアメリカ盤であっても、日本人は(まるで作法のように)丁寧に扱う。裏表をひっくり返すことだって面倒とは思わない。むろん僕もそうである。