2019年6月3日

冬の時代は終わらない


その昔、湾岸戦争が勃発した頃
流出した油に塗れた海鳥たちの姿が
イラク(フセイン)の非道さを象徴する映像として
世界中に配信され、米国は正義の使者となった。
時が経てから、実はそれはアラスカで座礁した
タンカ―事故の際の映像だったということを知る。
己の行いを正当化して、敵を悪の権化と位置付けるための
巧妙な宣伝広告だったというわけだ。
戦争なんて、始まりはそんなもんさ。
いつの時代も口実さえあればいい。
あとは脚本家のシナリオ通りに進んで行き
誰にも止められなくなるほど暴走し続ける。
「もういいでしょう!」と戦いを制してくれる
水戸のご隠居様みたいに奇特な人は居ない。
けれど共通してるのは善と悪のわかりやすさ。
そこを明確にするのが仕掛け人の手法なのだ。
真っ当な市民(国民)は
煽られると一斉に走り出すものである。

その1991年に僕が書いたこの歌も
実は見事に煽られ
まんまと術中に嵌ってしまったのかと思ってしまう
ちょっと気恥しい夜だった。
「冬の時代」http://kazura-sound.up.seesaa.net/image/fuyunojidai64k.mp3
・・28年前の声は若いね。

今夜、ちょっと嫌なことがあった。
チンピラって、頭悪くてほんとに馬鹿だ。
社会はず―っと冬の時代。

2019年6月2日

備忘録的な・・


数日前、友人と飲んだ。
脈絡は覚えてないが、いきなりエリック・アンダ―スンの
「ブル―・リバ―」の話題になった。
ナッシュビルでレコ―ディングされたこのアルバムは
70年代の名盤として今も語り継がれている。
当時、アルバム・クレジットで目を引いたのが
プロデュ―スを担当したノ―バ―ト・プットナムの名前。
ナッシュビルのスタジオミュ―ジシャンで
初めて彼の存在を知ったのは「エリアコ―ド615」
英国ポリド―ル盤は2枚組で
セッションアルバムの色合いが濃すぎるせいか
名うてのミュ―ジシャンが顔を揃えていたとはしても
何が何だかぐちゃぐちゃの作りだった印象がある。
(現在は手元に無いもんでね)


ところがその後、
敬愛してやまないJ.J.CALEの「Really」のアルバムで
ベ―シストとして、またしても彼の名前を発見!
「Everything Will Be Alright」のベ―ス・ランなんて
何百回聴いたとしても飽きません。
小難しいことは何もしてないんですけど
あのフレ―ズは、ほんとシビレます。大好き。

というわけで
「ブル―・リバ―」が、なぜ今でも好きか
エリアコ―ド615とJ.J.CALEの「Really」を絡めつつ
友人に熱く語ったあの夜のことを忘れないための
備忘録的意味合い濃厚な今宵のBlogでした。

2019年6月1日

ナチュラルサウンド


名うてのリペア職人の施術を受け
YAMAHAのオリジナルシェルが蘇った。
少しの間、仮の住まいに預けられていたSHURE M75Bも
我が家に戻れたことで、さぞかし安心していることだろう。
断線した古いリ―ド線をPCOCCの無酸素銅線に変えたので
たぶん少しだけ音の抜けが良くなると思う。
ま、極めて曖昧な「聴感」が支配することなので
これは気分の問題かもしれないけどさ。


プレ―ヤ―にセット、
やはりこのJ字型のア―ムにはこれが一番よく似合う。
見た目だけではなく、ウエイトの位置関係も実にいい。
前すぎず後ろすぎず、重量バランスの均整がとれている。
ト―ンア―ムにとって、これはとても大事な要素であって
ヘッドのふらつきやインサイドフォ―スが増す条件が抑え込まれ
無理なく盤面をトレ―スしてくれるのだ。
・・などと、僕の勝手な解釈ではあるけれど
理に適っていて、あながち大きな間違いではないと思っている。


こうして見てみると、やはり美しい。
デザインも秀逸だけれど、ナチュラルサウンドと称していた頃の
YAMAHAの技術者たちの設計ポリシ―が伝わってくる。
それはやがてA級動作のプリメインアンプCA-2000や
10M、1000Mといったスタジオモニタ―の名機を世に送り出し
70年代YAMAHAの黄金期を迎えることになるその序章だったんだろう。

すべてがシンプルに作られているYP-400、
シンクロナスモ―タ―とベルトで駆動する構造に
何の不満も無いどころか、ぞっこん惚れている。
今の時代じゃ、こんなに素敵な物は創り出せないだろうな。

アナログのいいところは機械的な動作が伴うこと。
そしてそれが目に見えて、さらに触れることによって
調整したり手を加えたりが自分で出来ること、かな。
(何事にも疑り深い僕みたいな人間が好むのは当然かも)

けれどアナログ全盛の時代からずっと残念に思っていたのは
オ―ディオ通は音楽を知らず(ろくな音源を持ってない)
逆に音楽通はオ―ディオを知らないということだ。
ポ―タブルプレ―ヤ―やピッチの狂ったプレ―ヤ―では
過去の遺物的にアナログの音を懐かしむことしかできないし
それでは一時的なブ―ムとしてすぐに廃れてしまう。
世のミュ―ジシャンやヘヴィなリスナ―諸氏は
まずはCDと同等の音が出せるところまで行ってほしいものだね。
USEDで上手く組み合わせれば予算3~5万くらいで
そこそこ本格的なアナログオ―ディオは楽しめる筈だから。



ちなみに僕の現在のラインナップは
プレ―ヤ―4千円、プリメインアンプ1万6千円、CDプレ―ヤ―5千円、
ダイヤト―ンのモニタ―7千円で、〆て3万2千円也。
根がケチなので金をかけずに組み上げたシステムなれど
サウンドポリシ―と少々の技術、そして目利きさえあれば
高額オ―ディオの音には負けてないぞという自信あり。
これから始めたいという方、アドバイスしますよ!

(ガサツな室内写真だけは恥ずかしい・・)


2019年5月31日

匠の技


友人の紹介と協力で、ヴィンテ―ジオ―ディオの修理と調整を行うショップへ断線したシェルを持参した。店主はハンダにかけては超一流の腕と技を持つ方のようで、古いリ―ド線を外し、ピンに残ったハンダをバキュ―ムで綺麗に取り除き、PCOCC無酸素銅のリ―ド線を新たに装着して頂いた。さすが見事な仕上がりである。蘇ったオリジナルのヘッドシェル、大事にしなくっちゃね。明日、カ―トリッジを取り付けて、YP-400に戻してあげる予定。嬉しい!

2019年5月30日

シェル施術


ト―タルバランスが絶妙な仕上がりなので
オリジナルのパ―ツがひとつ欠けても成り立たない
そんな気にさせてしまうのがYP-400の不思議です。

欠かせない物なのに不注意で断線したヘッドシェル
念願叶い、ようやく修理の運びとなりました。
とあるリペアショップへ持ち込み
その場で匠の技による施術を受けます。

その後、旧知の友と飲みながら
辛辣なクソ談議に花を咲かせる予定なり。
クソだよクソ、いったい何発のクソが飛び交うことか
楽しみです。

2019年5月29日

怒りの朝

いつもと変わらぬ朝に
穏やかな日常が始まる朝に
包丁二本振り回して
無防備な人たちを襲うなんて
抵抗できない子供たちを襲うなんて
ましてや事の挙句に自害するだなんて
おまえいったい何のつもりだ
死にたいと思っていたのなら
はなから一人で勝手に死んじまえ!!

朝からの
やり場のない怒りが
夜になっても治まらない
こんな輩が
まだまだ大勢いる筈だ
けれど
それを見極められないほど
みんな同じ顔して生きているから
防ぎようなんてありゃしない
大切な家族を 友人を 知人を
守りたくても守りきれない
それが恐怖となって
警戒心ばかりが先立ち
人間関係はぎくしゃくしてしまう

そんなギスギスした社会は嫌だ
朗らかでいたいと思うのは罪なのか
馬鹿と指差されてもいいから
僕は呑気に空を見上げていたい
子供たちもそうであってほしいと
願ってはいるのだが
何をどうしていいものやら
皆目見当もつかないところで
またぞろ怒りが込み上げてくるのだ

こんちくしょうめ!!

2019年5月28日

コマンダ―・コディ


ふと思い立ち、
「コマンダ―・コディ カントリ―・カサノヴァ」でググってみると
このBlog「かずら的日常」の幾日か分の画像が出て来た。
面白いもんだね。

このアルバムを初めて聴いたのは二十歳の頃、47年くらい前。
所用で帯広に戻ったとき、サウンド・コーナーの店内に流れていて
店主・知魅さんに「これ、いかすだろ」と言われたのが最初の出会いだった。
その当時はカントリー・ミュージックをさほど好きじゃなかったこともあり
「ふ~ん」と、軽く聞き流していたのだが
その後10年以上が経過してから、無性に聴きたくなって購入した次第。
なんていうか、艶っぽくて粘り気の強い音が印象的だったもんでね。

けれど、その昔に知魅さんの店で耳にした時の音とは違っていた。
そこが音楽の摩訶不思議なところであり
その場の空気感みたいなものがイメージとして強く残っていると
記憶とは全く違う音色で聴こえてしまうんだろうね。
「もっと柔らかで艶っぽい音だったよなあ・・」
ビクター盤はビクターのオーディオで鳴らさないとダメなのかなあ。
真剣にそう思ったくらい、まるで違う音。
と言うのも、彼の店にはビクターのコンポが置いてあったし
今思えば真空管が増幅する温かな音のせいもあったんだろうな。
アンプを替えてもモニターを替えても、未だに当時の新鮮さが蘇ることは無い。
だけど、大好きなアルバム。思い出のアルバム。
今でも大切にしてて、ときおり無性に聴きたくなるアルバムだ。

こんなことを思い出してしまうのも、アナログ盤ならではのこと。
音溝に刻まれているのは音だけじゃなく遠い昔の記憶。
空の色、街の景色、風の匂い、
そこに若かりし頃の僕と彼の姿が重なると
なんだかもう、甘酸っぱい(笑)

*注 2014年3月20日のBlogの本文を転載・編集しました。