またちょいと話は遡り、一喜荘時代の少し前の話。
僕が高校時代に知り合った面白い男のことを。
(これを書いておかないと次の話に繋がらないのだ)
帯広畜産大学に在籍していた彼はヤンケと呼ばれていた。
京都の出身で「そうやんけ―」を連発することから
周囲の者たちは誰も糸川という本名で呼ぶことは無かったのだ。
いつもギラついた鋭い眼光を向けてはいたが
嬉しい時、楽しい時に見せる笑顔とのギャップが大きすぎ
ほとんどの者たちは近寄り難く思っていたことだろう。
けれど、僕とはいい関係だった。
帯広から出たい、大阪や東京で歌いたい
その野望を果たすため、小樽から舞鶴までフェリ―に乗り
電車を乗り継ぎ中津川のフォ―クジャンボリ―へと向かう。
そこでヤンケと再会し、最愛の女性であるミユキちゃんとも
僕は初めて顔を合わせることができた。美人である。
けれどその年のフォ―クジャンボリ―はというと
観客の質が悪く、演奏も中途半端な印象で
何かが崩れて行く前兆のようなものを感じて楽しめなかった。
主催者側の発表で25000人とも言われた大勢の人々とは
何も共感することなく、夜明けと共に僕らは引き上げた。
あまりにも劣悪な環境に腹が立ったのだ。
その足で京都の伏見に在るヤンケの実家に立ち寄り
図々しくも、そのまま居候させて頂くことに。
朝晩(時には昼も)食事を頂戴して、誰よりも早く風呂に入り
働くことも無く長居できるほど僕の心は頑丈ではない。
ヤンケが「ここに居ろ」と言ったからそうなったのである。
ゆえに肩身は狭く、遠慮がちにご飯のお替りをした。
やることが無いので、平日の昼間は市内へ出掛け
イノダの椅子に座って詩を書いたり本を読んだりしながら
あれこれと妄想を膨らませては、週末に飛び込みで歌ったり
カタギの暮らしではない自分が嫌になることもあったくらいだ。
それにしても京都の夏は暑い。ひどく蒸し暑い。
北海道の寒いくらいに涼しい夏が恋しくもなるほど
僕は少々投げやりになっていた。
(続く)