2011年10月17日
浪漫
TBS日曜劇場「南極大陸」を今夜になってから観た。
昨日は帰宅が遅くなったので、録画予約してあったのをゆっくりと。
南極観測船宗谷、
オレンジ色の船体が2万Kmの航海に出発したのは昭和31年11月8日。
敗戦国ニッポンの復興の象徴となったその雄姿と共に
関わった人間たちの壮大なドラマが伝わってくる。
脚本やカメラワークにTBS色と日曜劇場らしさを随所に感じつつ
(不覚にも)ころっと簡単にやられてしまうシーンが幾つかあった。
貧しい子供たちが5円玉や1円玉を握り締めて夢を託そうとする光景、
あれにはやられた。思わず泣いてしまった。
僕は昔から、健気な子供の仕草にはめっぽう弱いのだ。
生きて帰って来いよ、そう語りかける家族は出征兵士を見送る姿とダブる。
まだ戦争の爪跡が至る所に残っていた時代、命の尊さを思う気持ちは
平和な暮らしに慣れきってしまった現代とは比べ物にならないかも知れない。
たとえ物資が乏しく貧しい生活に身を置いていたとしても、
夢や憧れに思いを馳せる心だけは純粋だった昭和のあの時代。
何も無いから浪漫が生まれるのだ。
物品や便利なサービスに溢れた現代社会に生きる僕らは
いったい何処で道を間違え、そして迷い込んでしまったんだろう。
不便だと感じる物の一つや二つを我慢して工夫することから
全てが変わって行く気がしてならないのだが・・
思想や理念はころころと変わっても
文明と豊かな暮らしは後戻りできない。
現代社会の歪さは、どうやらそこから来ている。
*
2011年10月16日
10月の第3日曜は「孫の日」らしい
雨が未明に上がってくれたおかげで、1時間遅れながら運動会が催されると連絡があり
鼠の海辺は取りやめ、孫の通う公田小学校へと車を走らせた。
10時頃にはお天道様が顔を出し、季節外れの夏日となった校庭で
ジリジリと太陽に焼かれたながらの(暑い)観戦となってしまった。
下馬評では「飛べない走れない踊れない」と散々な言われ方をしていた我が孫ではあったが、
予想を覆し50m走でなんと(驚愕の)1等、苦手の縄跳びも特訓の成果ありで難なくこなし
本人としてはかなりの頑張りように、応援に出掛けた甲斐もあったというところか。
炎天下、広げた弁当に舌鼓!ぽん!!
驚きもあった。
前を通り過ぎた女性を見たカミさん「はて・・○○さんに似ているような・・?」
次に通り過ぎた男性(ご主人)を見て「えーっ!やっぱ○○さんだー!!」と奇声を上げる。
15年以上前に住んでいた東戸塚の名瀬町のマンションで仲良くしていた御一家だった。
その町には長男が中学を卒業し、娘二人が小学の5年と6年になるまでの
およそ10年近くの間住んでいた、云わば我が家の「子育て」時代。
家族の様々な思い出が詰め込まれた場所であり、同じ年頃の子を持つ家庭数軒と
ドライブや飲み会を催したりしながら親しくご近所付き合いしていた経緯がある。
今日偶然再会したその家族もそのうちの一軒で、こちらが転居してからというもの
音信もすっかり途絶えていたのだが、なんとその娘の子供が孫と同じクラスだったわけ。
母親同士は何も知らないまま接していたらしく、その偶然に一同が驚嘆した。
現在のお互いの住まいからは遠いというのに、何故この場所でばったり出くわすのか
その不思議さといったらないではないか。ほんとびっくり、たまげたね。
双方の孫の存在が結び付けた途切れた糸・・
期せずしてこんなことも起きるから、人生は面白いのだと思う。
家族親族が増えて行くほど意外な展開が生じるわけだ。
ちなみに1999年から、10月の第3日曜日は「孫の日」に制定されていたらしい。
お爺ちゃんお婆ちゃんとのコミュニケーションを図るため、と言われてはいるが
実際のところは日本百貨店協会が孫へのプレゼントなどで消費を拡大するために提唱したもの。
まさに今日がその日にあたる。
けれど今回はプライスレス、金品に頼ってばかりじゃいかんよね。
*
鼠の海辺は取りやめ、孫の通う公田小学校へと車を走らせた。
10時頃にはお天道様が顔を出し、季節外れの夏日となった校庭で
ジリジリと太陽に焼かれたながらの(暑い)観戦となってしまった。
下馬評では「飛べない走れない踊れない」と散々な言われ方をしていた我が孫ではあったが、
予想を覆し50m走でなんと(驚愕の)1等、苦手の縄跳びも特訓の成果ありで難なくこなし
本人としてはかなりの頑張りように、応援に出掛けた甲斐もあったというところか。
炎天下、広げた弁当に舌鼓!ぽん!!
驚きもあった。
前を通り過ぎた女性を見たカミさん「はて・・○○さんに似ているような・・?」
次に通り過ぎた男性(ご主人)を見て「えーっ!やっぱ○○さんだー!!」と奇声を上げる。
15年以上前に住んでいた東戸塚の名瀬町のマンションで仲良くしていた御一家だった。
その町には長男が中学を卒業し、娘二人が小学の5年と6年になるまでの
およそ10年近くの間住んでいた、云わば我が家の「子育て」時代。
家族の様々な思い出が詰め込まれた場所であり、同じ年頃の子を持つ家庭数軒と
ドライブや飲み会を催したりしながら親しくご近所付き合いしていた経緯がある。
今日偶然再会したその家族もそのうちの一軒で、こちらが転居してからというもの
音信もすっかり途絶えていたのだが、なんとその娘の子供が孫と同じクラスだったわけ。
母親同士は何も知らないまま接していたらしく、その偶然に一同が驚嘆した。
現在のお互いの住まいからは遠いというのに、何故この場所でばったり出くわすのか
その不思議さといったらないではないか。ほんとびっくり、たまげたね。
双方の孫の存在が結び付けた途切れた糸・・
期せずしてこんなことも起きるから、人生は面白いのだと思う。
家族親族が増えて行くほど意外な展開が生じるわけだ。
ちなみに1999年から、10月の第3日曜日は「孫の日」に制定されていたらしい。
お爺ちゃんお婆ちゃんとのコミュニケーションを図るため、と言われてはいるが
実際のところは日本百貨店協会が孫へのプレゼントなどで消費を拡大するために提唱したもの。
まさに今日がその日にあたる。
けれど今回はプライスレス、金品に頼ってばかりじゃいかんよね。
*
2011年10月15日
明日はどっちだ
朝方の雨と強風、落雷注意報などなど
諸々の事情が重なり公田小学校の運動会は明日に順延となった。
とは言っても、明日もまた午前中は雨の予報。
ただし明日の日曜は休みなので、雨天の場合は鼠の海辺に進路変更の予定で
どちらにしても7時起床の7時半出発とは・・とほほほ。
どっちへ転んでも「まだ起きたくないよぉぉ」の朝となるのが辛いところ。
どうなることやら。
明日は午後から晴れ、気温もかなり上がるようだ。
昼間は半袖で十分!となれば
これ、着てこうかな。
うん、休日は楽しく行こうぜ。
れーなよ、ありがとね~♪
今始めたOSの更新作業、iTunesとiPhoneの間でウゴウゴしてる。
待ちに待ったiOS 5にアップデート中なり。
しかしまあ、DLだけで15分。インストールが終わるまで1時間超ですって。
明日は早いので、ほっといて寝ることにしよう。
バグッてなきゃいいけどなあ。
*
諸々の事情が重なり公田小学校の運動会は明日に順延となった。
とは言っても、明日もまた午前中は雨の予報。
ただし明日の日曜は休みなので、雨天の場合は鼠の海辺に進路変更の予定で
どちらにしても7時起床の7時半出発とは・・とほほほ。
どっちへ転んでも「まだ起きたくないよぉぉ」の朝となるのが辛いところ。
どうなることやら。
明日は午後から晴れ、気温もかなり上がるようだ。
昼間は半袖で十分!となれば
これ、着てこうかな。
うん、休日は楽しく行こうぜ。
れーなよ、ありがとね~♪
今始めたOSの更新作業、iTunesとiPhoneの間でウゴウゴしてる。
待ちに待ったiOS 5にアップデート中なり。
しかしまあ、DLだけで15分。インストールが終わるまで1時間超ですって。
明日は早いので、ほっといて寝ることにしよう。
バグッてなきゃいいけどなあ。
*
2011年10月14日
妖怪?
Epiphone Inspired by 1964 Texan
なんか、いい感じに化けた。
1年半に渡り部屋の隅っこに仕舞い込んであったのに
捨てられてたまるか、くそー!みたいな意地らしさを感じさせるではないか。
初めは全然鳴らなかったのだが、今じゃちょっとした心地好さがある。
楽器の出来不出来は、時間が経たないと分からないものなのかもね。
思えばこれは昨年の3月、横浜に靴を買いに出掛けた筈が
帰宅した時に肩に背負われていたという不思議な出会い。
靴屋に置いてあったわけでもないだろうに、未だ謎の多いギターなのだ。
靴が化けた挙句、今度は表情まで化けちゃうなんて
・・やはり妖怪なのか?
さてと、明日は孫の運動会。公田まで足を伸ばさねば。
仕事前の午前中しか観られないので、私にとっては(地獄の)早起き。
天気は微妙だが、決行の知らせが来ると7時に叩き起こされる。
長い一日になりそうだあ。早めに寝るか・・
*
2011年10月13日
されど私の髪型は
冷えるなあ・・と、思いながら
洗面所の鏡の前に立ってハタと気付く。
そうか、髪を切って来たんだった。
今さらながら、どえりゃあ短くなっちまったものよのぉ。。
若い頃のように、再び髪を伸ばしたい気持ちはあるのだが
髪質と襟足が濃い私の場合、伸ばすと決まってこんな形になってしまう。
旧ドイツ軍のヘルメット。
横から見ると、これにそっくりな形になるんだよなあ。
それが悩みの種。
歳相応に昔ほどの剛毛さはないにしても
行き着く先は、ほぼこれに近いものがある。
戦場の名車、タイガー戦車を持ってしても
サンダース軍曹にやられっぱなしだったドイツ兵。
どうして彼らの手榴弾には長い棒が付いてるんだろう、
ベルトに装着しても邪魔臭くて動き辛いだけじゃないか。
と、不思議に思いながらコンバットを観ていた幼少期。
このヘルメットにも、あまりいい想い出はない。
されど私の髪型は
・・ジャーマンなんだよねぇ。
*
洗面所の鏡の前に立ってハタと気付く。
そうか、髪を切って来たんだった。
今さらながら、どえりゃあ短くなっちまったものよのぉ。。
若い頃のように、再び髪を伸ばしたい気持ちはあるのだが
髪質と襟足が濃い私の場合、伸ばすと決まってこんな形になってしまう。
旧ドイツ軍のヘルメット。
横から見ると、これにそっくりな形になるんだよなあ。
それが悩みの種。
歳相応に昔ほどの剛毛さはないにしても
行き着く先は、ほぼこれに近いものがある。
戦場の名車、タイガー戦車を持ってしても
サンダース軍曹にやられっぱなしだったドイツ兵。
どうして彼らの手榴弾には長い棒が付いてるんだろう、
ベルトに装着しても邪魔臭くて動き辛いだけじゃないか。
と、不思議に思いながらコンバットを観ていた幼少期。
このヘルメットにも、あまりいい想い出はない。
されど私の髪型は
・・ジャーマンなんだよねぇ。
*
2011年10月12日
或る日突然
何故なんだろう?
漬物でもあるまいし、
何故なんだろう?
長く寝かせた酒でもあるまいし、
何故なんだろう?
別れた恋人でもあるまいし、
何故なんだろう・・
私は衝動に駆られて、店先に置いてあったギターを連れ帰ることが度々ある。
(万引きではなく、ちゃんと金を払ってだよ)
一目惚れ、或いは目が合ったような気がして
はたまた、こいつとの出会いは運命だ!などと即座に結論付けしながら。
けれども意気揚々と連れ帰ってから冷静に見つめ直してみると
なんだよー、こいつダメじゃあーん!と
手の平を返したように気に入らないところだけが目に耳について
三日と経たないうちに隅っこの方に仕舞い込んでしまうことがよくあるのだ。
月日は流れ、そのまま1年も2年も過ぎてしまうと
呆けもあるのだろうが、仕舞い込んでいたことすら忘れてしまうことがある。
そして或る日、ふと思い出してケースから取り出してみると
あれー?これ、いいじゃあーん!
・・不思議なことに、ほんと不思議なことに、放置していた間に音が良くなっていて驚くのだ。
私の部屋はギターの醸造所なのか?
Epiphone Inspired by 1964 Texan、
去年の春先からずっと仕舞い込まれていたダメ(だった)ギターだ。
かの有名なTexanを名乗ってはいても、所詮は中国製のリーシューの安物。
ちっとも鳴らないし、おまけにピッチは悪いはシャドウのピエゾの音が硬過ぎるはで
いつか誰かに売りつけようかと思っていたくらい木偶の坊だった筈・・が、
今夜弾いてみたら、まるで別人のように素敵な音で鳴ってくれた。
音量だって、サスティーンだって、以前とは全然違う鳴りっぷり。
これにはびっくりだあ~
或る日突然の変貌に慌てふためく私。
己の感性にも疑いの眼差し。
・・これでいいのか?(汗)
*
漬物でもあるまいし、
何故なんだろう?
長く寝かせた酒でもあるまいし、
何故なんだろう?
別れた恋人でもあるまいし、
何故なんだろう・・
私は衝動に駆られて、店先に置いてあったギターを連れ帰ることが度々ある。
(万引きではなく、ちゃんと金を払ってだよ)
一目惚れ、或いは目が合ったような気がして
はたまた、こいつとの出会いは運命だ!などと即座に結論付けしながら。
けれども意気揚々と連れ帰ってから冷静に見つめ直してみると
なんだよー、こいつダメじゃあーん!と
手の平を返したように気に入らないところだけが目に耳について
三日と経たないうちに隅っこの方に仕舞い込んでしまうことがよくあるのだ。
月日は流れ、そのまま1年も2年も過ぎてしまうと
呆けもあるのだろうが、仕舞い込んでいたことすら忘れてしまうことがある。
そして或る日、ふと思い出してケースから取り出してみると
あれー?これ、いいじゃあーん!
・・不思議なことに、ほんと不思議なことに、放置していた間に音が良くなっていて驚くのだ。
私の部屋はギターの醸造所なのか?
Epiphone Inspired by 1964 Texan、
去年の春先からずっと仕舞い込まれていたダメ(だった)ギターだ。
かの有名なTexanを名乗ってはいても、所詮は中国製のリーシューの安物。
ちっとも鳴らないし、おまけにピッチは悪いはシャドウのピエゾの音が硬過ぎるはで
いつか誰かに売りつけようかと思っていたくらい木偶の坊だった筈・・が、
今夜弾いてみたら、まるで別人のように素敵な音で鳴ってくれた。
音量だって、サスティーンだって、以前とは全然違う鳴りっぷり。
これにはびっくりだあ~
或る日突然の変貌に慌てふためく私。
己の感性にも疑いの眼差し。
・・これでいいのか?(汗)
*
2011年10月11日
90年代の私
これは決して手前味噌でもなんでもないんだが
数年に一度くらい、物好きな人間から声を掛けられることがある。
いわゆる「業界の人間」から。
プロデュースさせてくれとか、アルバムを作らせてくれとか。
素材を求める輩は、荒削りな石っころみたいな物を探し歩いては
それを自分の色に染め抜いて世に出すことを目論むものだ。
自身がミュージシャンであれば尚更のこと、そんな風潮は今も昔も変わっちゃいない。
拘束されたくないから、今まではのらりくらりと断ってきたが
なんだか勿体無いことしちまったなあ・・と、この歳になると後悔するようにもなってきた(笑)
彼らの思惑がわからないでもない。
自宅に機材を置いて、自らのレコーディング技術が向上してくると
アレンジや様々な実験を繰り返すのが、どれほど楽しいことか私もよく知っているからだ。
宅録というやつは、昨晩ご紹介したような蔵出しのローファイな作品から始まり、
やがて機材が良くなりハイファイな音質が作り出せるようになると
人間てやつは得てして、歌の本質よりも着飾ることに翻弄するようになる。
一種の落とし穴なんだけど、反面その行為が耳当たりの良いポップスを生み出して行くのだから
一概にどちらが良いとは言えないし、最終的な判断はリスナーに委ねられ
要は聴き手が好むか好まざるかによって、その作品の成果が問われるのが世の常なのだ。
今の私の歌は、十代の頃に築いたスタイルに近い。
綺麗なメロディとは懸け離れ、どちらかと言うと癖の強い言葉とビートが支配している。
アコギ1本で歌うそのスリル感が生む緊張が、ライブでも楽しい要因となるのだが
果たしてそれが聴き手にどう伝わるのかは、その場の「出来」が大きく作用することにもなる。
カバーしてくれる物が何も無いのだから、常に私は素っ裸で歌っているようなもんだ。
その裸の姿を見たいかどうかと問われると、おそらく多くの人は「見たくない」と即答するだろう。
そりゃそうだ、間もなく還暦を迎えるようなジジイの裸なんて、見たいと思うわけがない。
こんなとき、物書きはいいなあと羨ましく思う。
肉体・肉声を曝け出すこともなく、自身の想いを綴ることができるんだからねぇ。
「今の私の歌は、十代の頃に築いたスタイルに近い」
こう書いたのは、現在は宅録することもなく生で歌うだけになってしまったからだ。
あれこれ試行錯誤する必要もなく、思ったままに歌える今の方がリアルでいい。
けれども「かずら元年」を名乗る前、自宅でレコーディングに没頭していた時期は全くの別物だった。
前述の者たちと同じように、私も大いにアレンジを楽しみながら作っていたのだ。
それはそれで愉快だったし、今改めて耳にしたとしても
やはりそれなりの情熱は十分に感じ取ることができるのだから善しとしようではないか。
そんな私のポップな時代の曲「空色真冬」をご紹介。
http://kazura-web.up.seesaa.net/image/sorairomafuyu64k.mp3
昨晩の80年代に引き続き、今夜は90年代の蔵出し秘蔵音源なり。
数年に一度くらい、物好きな人間から声を掛けられることがある。
いわゆる「業界の人間」から。
プロデュースさせてくれとか、アルバムを作らせてくれとか。
素材を求める輩は、荒削りな石っころみたいな物を探し歩いては
それを自分の色に染め抜いて世に出すことを目論むものだ。
自身がミュージシャンであれば尚更のこと、そんな風潮は今も昔も変わっちゃいない。
拘束されたくないから、今まではのらりくらりと断ってきたが
なんだか勿体無いことしちまったなあ・・と、この歳になると後悔するようにもなってきた(笑)
彼らの思惑がわからないでもない。
自宅に機材を置いて、自らのレコーディング技術が向上してくると
アレンジや様々な実験を繰り返すのが、どれほど楽しいことか私もよく知っているからだ。
宅録というやつは、昨晩ご紹介したような蔵出しのローファイな作品から始まり、
やがて機材が良くなりハイファイな音質が作り出せるようになると
人間てやつは得てして、歌の本質よりも着飾ることに翻弄するようになる。
一種の落とし穴なんだけど、反面その行為が耳当たりの良いポップスを生み出して行くのだから
一概にどちらが良いとは言えないし、最終的な判断はリスナーに委ねられ
要は聴き手が好むか好まざるかによって、その作品の成果が問われるのが世の常なのだ。
今の私の歌は、十代の頃に築いたスタイルに近い。
綺麗なメロディとは懸け離れ、どちらかと言うと癖の強い言葉とビートが支配している。
アコギ1本で歌うそのスリル感が生む緊張が、ライブでも楽しい要因となるのだが
果たしてそれが聴き手にどう伝わるのかは、その場の「出来」が大きく作用することにもなる。
カバーしてくれる物が何も無いのだから、常に私は素っ裸で歌っているようなもんだ。
その裸の姿を見たいかどうかと問われると、おそらく多くの人は「見たくない」と即答するだろう。
そりゃそうだ、間もなく還暦を迎えるようなジジイの裸なんて、見たいと思うわけがない。
こんなとき、物書きはいいなあと羨ましく思う。
肉体・肉声を曝け出すこともなく、自身の想いを綴ることができるんだからねぇ。
「今の私の歌は、十代の頃に築いたスタイルに近い」
こう書いたのは、現在は宅録することもなく生で歌うだけになってしまったからだ。
あれこれ試行錯誤する必要もなく、思ったままに歌える今の方がリアルでいい。
けれども「かずら元年」を名乗る前、自宅でレコーディングに没頭していた時期は全くの別物だった。
前述の者たちと同じように、私も大いにアレンジを楽しみながら作っていたのだ。
それはそれで愉快だったし、今改めて耳にしたとしても
やはりそれなりの情熱は十分に感じ取ることができるのだから善しとしようではないか。
そんな私のポップな時代の曲「空色真冬」をご紹介。
http://kazura-web.up.seesaa.net/image/sorairomafuyu64k.mp3
昨晩の80年代に引き続き、今夜は90年代の蔵出し秘蔵音源なり。
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