2012年1月18日

昭和の達人がまた一人・・


Twitterで布谷さんの急逝を知りました。
何度かお会いしたことのある、類稀なミュージシャンであり
大瀧さん(大瀧詠一)のファースト・アルバムに収められている「びんぼう」も
彼のバックコーラス(シャウト)によって独特の色合いに味付けされ、
後の「ナイアガラ音頭」で、その名が広く知れ渡り
廃盤となっていた73年の「悲しき夏バテ」の再発売に至った経緯があります。
突然の訃報、まだまだ歌っていてほしかったので残念でなりません。

布谷文夫・・彼は1947年、私と同じ北海道に生まれ
DEW、ブルース・クリエーションのボーカルを経てソロ・シンガーとなりました。
当時のライブでは、声もアクションも(揉み上げも)まるでジョー・コッカーのようで
田舎から出て来た私は、羨望の眼差しで溜息をつきながら観ていたものです。
前述のアルバム「悲しき夏バテ」は、大瀧詠一のプロデュースで73年に発売され
サポート・ミュージシャンの豪華さにも関わらず全く売れず
(仲間内の噂では、全国でたったの17枚しか売れなかったそうです)
すぐに廃盤になってしまった経緯があります。
ちなみにその時のバックはココナッツ・バンクで、粘り気のあるいい音を出していました。
伊藤銀次(g)、藤本雄志(b)、上原裕(ds)、駒沢裕城(ペダルスティール、ドブロ)、矢野誠(p)
クレジットを見ただけでワクワクしてしまう、当時のそうそうたる顔ぶれです。
私はこのアルバムの見開きジャケットの内側の写真が好きでした。


たぶん福生の大瀧さんの家(米軍ハウス)だと思われる室内で談笑している光景が
後のナイアガラ・レコード誕生を予見させる、そんな絵に思えるからです。

機会があったら聴いてみてください。
ココナッツ・バンクがサポートしたA面も勿論良いのですが
アコギ1本で弾き語るB面に、より魅力を感じると思います。
(すみません、アナログディスクの表現だとこうなります)

南部臭漂う彼の歌声、新たな物は聴けないことが残念です。
35年ほど前、大瀧さんのライブでお会いした時に
「喰うための気軽ないい仕事、ないですかね~」と尋ねると
「俺のやってる学研のセールス!これいいよぉ、気楽だし!」と勧誘された記憶があります。
「ナイアガラ音頭」が売れてもなお、家族を養うために働かなければならなかった
そんな時代のお話です。

私の中の「昭和の達人」が
また一人逝ってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。



2012年1月17日

すくすく。


またまた大きくなっていました。
赤子の成長は本当に早いもので、
数日前に浴槽デビューして父親とお風呂に入っているそうです。

謎なのが髪の毛の癖。
何故なんだか、みんな立ってしまいます。
気合十分、てこと?
すでにパンク系なのかも知れません。

今日は機嫌が良かったせいか
一枚だけ、まともな写真が撮れました。
鼻の開いた猿顔ばっかりじゃね~(笑)

月の終わりにはお宮参りです。
すくすく。



2012年1月16日

マスクマン

私は、マスクをするのが嫌いでした(覆面じゃないですよ)
昔のガーゼで出来た小さいのも嫌でしたが、
紙製で使い捨ての今のは、サイズが大きすぎてもっと嫌だったのです。
顔の半分ほどを覆い隠してしまう見た目が、大袈裟すぎる気がしてずっと敬遠していたのと
私の奥二重の細い目には目力(めぢから)が欠乏しているため
口元が見えない状態では感情を表現する妨げとなってしまいそうな気がしていたからです。
(目力が弱いとアイ・サインにも苦労するものなのですよ)
その元来「マスク嫌い」な私に大きな変化が訪れました。

数日前に風邪をひいて喉をやられ、やむなく(大きな)マスクを着用したのですが
この異常乾燥が続く渇ききった気候にはとても有効な物なのだと(今さら)気付いたのです。
喉と鼻に適度な湿り気を与えてくれて、おまけに屋外では顔も暖かいじゃありませんか。
実験的に寝る時もマスクをしてみました。
その効能は以前から耳にはしていたのですが、息苦しくなって眠れないような気がしていました。
ところが・・
その予想とは裏腹に、気持良くて寝つきまで良くなってしまいました。
息苦しくなることもなく、おまけに露出した顔が温まるので心地好いのです。
夜の乾いた空気を吸い込まないせいでしょうか、起きた時の喉も滑らかで
こりゃあええ!!とばかりに毎晩の愛用品となってしまいました(笑)

そんなわけで、今日も仕事場へはマスク姿で行きましたが
誰だか分からないのでは?という根拠の無い不安は今もあります。
(私だったら見分けがつかなくなって人違いしてしまいそうですもん)
果たして目力だけで意思の疎通はできるのか?
目下の研究課題であります。


ねえ、こんな感じでも私だって分かるものなの?
街で擦れ違ったら絶対に気付かないよね(笑)



2012年1月15日

記念日

私事ではありますが、
小豆粥を戴く小正月の今日は結婚記念日でもあるのです。
振り返ると37年・・途轍もなく長い年月を一緒に暮らしてきたわけで
その間にお互いの嗜好性が違って行くのも仕方の無いことなのであります。

ある頃から、全く干渉し合わないようになりました。
簡単に言えば無視、口を挟むと喧嘩になってしまうので
自分にとって居心地の良い空間で、それぞれの日常を過ごすようにしています。
お互いを知り尽くしているゆえの知恵、なのでしょうか。
そんな夫婦生活です。

10年ほど前、私にとっては大変迷惑なCMがありました。
長年連れ添った奥様に、ご苦労さまと記念の指輪を贈る内容です。
それを観るたび我が女房どのは「いいなあ・・」と(こちらを見ながら)溜息をつく。
銀婚を過ぎると、記念日には宝石の名前が付いています。
それが年を重ねて行くと、ごんどん高価な物へとなって行くのですから
私の収入で買い与えられるような代物ではありません。
くっそー、ジュエリー・ショップめ!と、当時は苦々しく思ったものです。

そして30年目を迎えた2005年(30年は真珠婚というのだそうです)
ひと区切りとして何か贈らねばなあ・・と、あれこれ思いあぐねた末に
結婚を境にやめていたライブを復活させることにしたのです。
おそらく一番喜んでくれるであろう人間が、当時の苦楽を共にした女房なのですから
プレゼントとしては打って付けですし、安いコストで済むのも有り難いことでした。
2005年1月15日、三十数年ぶりのステージに上がったその日こそが
私にとっては忘れられない記念日となったわけなのです。

早いもので、あれから7年が過ぎました。
音楽を通して多くの方々と出会い、そして今の私が在ります。
あの時に歌い出さなければ、老け込むだけの人生だったかも知れません。
そう考えると、プレゼントとして思い起こすきっかけとなった女房には
やはり感謝しなければならないのでしょう。

今年は還暦を迎えます。
それでも気持ちだけは若造のままです。
しかも青い。
大人になった子供たちから、よく小言を言われます。
そんな時、私も大人にならなきゃなあ・・と、思うのですが
のらりくらりとかわすもんですから、最後は叱られるんです。
こればっかりは治りそうにありません。


(2005年冬)
いつも思うのですが、この頃の方が老けて見える気がします。
私がそう思うだけでしょうか?(笑)



2012年1月14日

ズンチャッチャ


この冬は風邪もひかず健康だよなあ~
と、思っていましたが
ようやく私の体にも風邪菌が入り込んで来たようです。
鼻と喉をやられ、肺が重苦しい感じ。
口内炎も二つばかり出来ています。
息抜きの煙草も不味いので、仕事は早退して来ました。

今夜のお酒は熱燗一本に留め
薬も飲んだのでもう寝ます。
空のベッドに潜り込み、夢の世界を漂いましょう。
治ったら、馴染みの店にも顔出します。
昨年の10月以来、全く出歩いてないですからね。
そろそろ外に出なくっちゃ。

石油ストーブに乗せたヤカンから
ボッボッボッと蒸気が噴き出しています。
今宵もまた、しんしんと冷える夜。
スクロール・ボタンの調子が悪くなってしまったので
間に合わせに西友で買って来たマウス、
なんでこんなの選んじゃったんだろう?
色も形も使い勝手も、すこぶる悪い三拍子。

ズンチャッチャ ズンチャッチャ・・
もう寝ます。



2012年1月13日

引き篭もり、です

ちょっと気兼ねしながら話す相手が知人、
ついポロッと本音を吐いてしまう相手が友人、なんですかね?
近頃私の中では、その垣根というか違いが分かり辛くなってきました。
一度しかお会いしてない方でも、お互いの中身が分かり合っていることもあれば
頻繁に顔を合わせていながらも、実は何も分かっていなかったりするものです。
これもまた、NETを多用する生活習慣の影響なんでしょうか、
遠く離れた関係であっても、身近な人間以上に物事を共有できたりするわけですから
便利だなあと思う反面、なんだか不思議な気分にもなります。
そして思い起こしてみると、実は自分の周囲に居るのは「知人」ばかりで
「友人」として相対する人間が、実はただの一人も居ないんじゃないのかと。

一日を家の中で過ごした休日の今日、そんなことを考えていました。
群れたり、不用意に馴れ合ったりすることを嫌う人間の性、なんでしょうね。

ずいぶんとライブからも遠ざかってしまっていたので
今日は楽器のご機嫌取りをしながら数曲ばかり歌ってみました。
忘れちゃあいない(つもり)ですが、詞の一部に詰まる場面に遭遇して苦笑いです。
けれども少しばかりのブランクがあることによって
自分の歌でありながら、その解釈というか表現というかが違ってくるのも楽しい瞬間です。
今までに「134号線の夕陽」を、こんなに優しい声で歌ったこともなければ
肩の力が抜けて傍観してるかのように歌う「塀にもたれて」も初めての経験でした。
気負いの無い自然体って、やはりとても良い姿ですよね。
日常の如何なる場面に居たとしても、そのままスーッと歌い出せたら素敵だと思います。
敢えて「かずら元年」に変身するのではなく、
普通のオヤジが、普段通りのままで歌えるようになるのが目下の理想形なのですが
私の歌の性格上、そのあたりが研究課題でもあるのでして
日頃は真っ当に?暮らしている分、見た目以上に苦労する部分は多々あるのです。
中身は変人なのですがね。


こんなの引っ張り出してみました。
20年ほど前に購入したShenandoahのMD-18、
C.F.Martinプロデュースによる黒澤楽器のコピーモデルですが、
板材が良質なのと、仕上げがラッカーなので
ほどよく風合いのある色合いに焼けて、おまけに音もいいんです。
これを手に取ると、古い歌を唄いたくなってしまいます。



2012年1月12日

「The」の誘惑

ここ数日の口癖となりました。寒い!!
横浜市内、午前零時の時点で2℃しかありません。
北国で生活している人からすると、ふざけんな!って叱られる気温かも知れませんが
いやはや異常乾燥が続くこちらではとても寒く感じられるのです。
灯油ストーブに点火して1時間が過ぎましたが、室温は未だ11℃台。
もう一度言わせて頂きます、寒い!!

今夜は音楽や楽器の話でもしようかと思っていたのですが、
JTからのニュースが目についたので方針転換しました。


嗜好品の極みとして20本入り¥1000のザ・ピースが来月発売されるそうです。
芳醇な香りのバージニア葉を100%使用している贅沢な代物、
1本吸う度に50円を灰にしてしまう勘定ですが・・味わってみたいという欲望に駆られます。

1946年から今もなお販売されている両切りのピースはとても良い香りがします。
それは数ある国産煙草の中でも異質の存在で、現在も愛好家は多く居るのですが、
いかんせんタール28mg、ニコチン2.3mgという超ヘビー級の数字を見てしまうと
旨いことは分かっていても、すっかり軟弱になってしまった私が気軽に吸えるものではありません。
なのでピースを持っている人間を見掛けると「ねえ、1本いい?」と、おねだりして
「1本だけ」深々と吸い込みながら香りを味わうことにしています。
今回のザ・ピースはタール10mg、ニコチン1mgと少々控えめの数値のようで
ピースが軽くて旨いのか!?とは思いつつ、やはり一度は味わってみたいものです。

対面販売形式の店(いわゆる煙草屋か?)のみで売られるようなので、
2月1日になったら早速探しに行ってみたいところですが
「全国3500店舗」って、置いてある店がかなり少ないのでは?
・・ま、何とか探し当てて後日レポートさせて頂きます。

余談ですが「The」と冠されると、大いなる魅力を感じてしまうのは何故なんでしょうね?
オンリー・ワンの予感と期待??
私も名前に加えてみようかしら、ザ・かずら元年(笑)




明日は日が悪いので完全休養日、
家から一歩も出ない所存なり。