2012年12月11日

千円の切符


選挙まであと数日だというのに、はてな?今回は遅いなあと思っていた矢先、今日になってからようやく投函されてました。「投票のご案内」私の居住区は何かトラブルでもあったんでしょうかね、投票日の五日前に届くなんてかなりタイトな日程です。ま、元はといえば年の瀬のクソ忙しい時期に選挙をやろうなんて決めた輩が悪いんですけど、お役所の方々は準備その他でさぞかし大変な思いをしたことでしょう。けれどもそこは公務員の強み、残業や休日出勤の手当てが付いて懐が潤うのかも。

そんな人件費から始まり、投票箱やら備品やら広報の費用やらで、衆議院議員の総選挙にかかる銭は全国でおよそ800億円と言われています。もちろん全てが税金で賄われますから、有権者一人当たり千円以上の費用負担をしている計算になるのです。費用だけ徴収されるのは癪ですから、皆さん必ず一票を投じてくださいね。

千円で原発が止められるかも知れないのですから。

2012年12月10日

お経、続編

昨晩のBlog、法要の席でお経をハモる楽しみを書いたところ、友人から「アフタービートで木魚を叩く坊主が居た」との驚くべき情報がありました。いやあ、さすがにこれは凄いですね。後打ちの木魚なんて遭遇したことありませんもの。機会があったら是非聴いてみたいものですが、たぶん落ち着かない気分になるんでしょうね。ちょっと想像がつきませんけど(笑)

木魚や鐘の鳴り物を用いるお経って、何か独特なビートを感じますよね。上手い坊主はその使い方も、まるで呼吸するかのように自然なので安らかな気持になれます。反面下手くそな坊主は(ボーカルに相当する)お経も不味ければ鳴り物までもが、音も間もひどくぶっきらぼうで不快な気分にさせられます。私はどうしても音楽と同じように捉えてしまいますけど、鼓動と同期するような安定した「音」のお経は心が洗われる思いがするのです。

どんな世界でもそうですが、声質もとても重要です。明らかに人を不快にさせる攻撃的な質の声もあれば、安心できる友好的な質の声というのもあるのです。(顔の見えない電話などは特に顕著に表れます)こと坊主に関しては、やはり後者の方がいいに決まってるんですが、たまに居るんですよ、人間性を疑いたくなるほどひどく悪質な声を発する坊主が。この手の坊主は下手なお経を誤魔化すかのように、やたらと長い説教をしたり要らぬお節介をしたりする質の悪い者が多いようです。しかも上から目線の物の言いよう、これだけは勘弁してほしいですよね。

かと言って、優しすぎてか弱さを感じさせてしまう声も駄目ですね。人はいいんでしょうけど、何となく頼りない。やはりどっしりとした重厚さが無ければ人を導くことはできませんし、心地好い気分にもなれません。坊主は寡黙でいい、喋らなくていいから(良い声で)上手いお経を唱えてくれ。望むことはそれだけです。

それにしても・・
アフタービートで木魚を叩く坊主はファンキーだなあ。一度お目にかかりたいものです。


画像は法要やお食事会を終えて娘宅に戻った直後のポンタ。
お昼寝もできなかったばかりか(初めての)法事に緊張して疲れたのか、ずっとビービー泣いていたそうです。幼児の泣き顔って可愛いもんですよね~踏ん張った足の小さな指先が、これまた可愛いじゃありませんか。
この後は爆睡した模様です。ポンタ、お疲れさん!!

2012年12月9日

お経をハモる


高輪の円真寺にて義母の三回忌の供養を終えました。高層マンションが建ち並ぶ都会の一角にひっそりと佇むその寺は、入口の間口も車1台がやっと通れるほどの狭さで、何度訪れても毎回通り過ぎそうになってしまいます。現在は昨年の大地震による傷みを補修する工事のため本堂が使えませんでしたが、江戸時代中期からこの場所に在るという歴史の重みを感じるお寺でもあります。すぐ近くには明治41年に建造された高輪消防署二本榎出張所が在り、この建物もまたとても趣がある素敵な姿を現代に伝えているのです。


今でこそビルの陰に隠れてしまってますが、当時は高輪の高台にそびえ立つ火の見やぐらから東京の街を見守っていたんでしょうね。ずいぶんと老朽化しているんでしょうけど、こういった歴史を持つ建造物はこのまま後世に残してほしいものです。

実は法事の席で私にはちょっとした楽しみがあります。
法要の後半、住職に促され皆で「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるときに、最初は周囲の声と同じ音程でスタートして、やがて三度・五度と上の方の音程を重ねて行くのです。いわゆるお経のコーラス、メロディが無いだけにとても深みがあって音の厚さに感動するくらい心地好い気分になります。これ、気が付くと私だけではなく息子や娘たちも同じことをやっていて、ちょっとしたコーラス隊みたいに聴こえてきますから余計に楽しくなるのです。
皆さんも機会がありましたら是非お試しください。仏教がより身近に感じられること請け合いですから(笑)

2012年12月8日

俺ら東京さ行ぐだ


1週間ほど前、末娘と孫のポンタが感染性胃腸炎にかかり発熱と下痢に悩まされてました。病院で検査を受けるとノロウイルスではないという診断で前述の病名が付けられたようですが、ニュースを見ていると、やはりノロウイルスが原因のようですね。従来型と異なる遺伝子を持つ新型のノロウイルスが犯人らしく、2006年に大流行したG24という遺伝子が変異したもののようです。二人とも今はすっかり回復してますが、これからさらに流行しそうな気配なので気を付けなければなりませんね。

「ノロウイルス:変異型が猛威」http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040168000c.html

さて、明日は義母の三回忌で、高輪のお寺さんまで足を運びます。東京へ行くの、久しぶりだなあ~と思っていたら、先月西荻窪界隈に出掛けてました(笑)

でもね、私の感覚をご説明させて頂くと、山手線の上の方は個々に渋谷・新宿・池袋であって「東京」っていう刷り込みが頭の中に無いんですよ。中央線の沿線はあくまで「武蔵野」ですし、品川・田町・浜松町を経て新橋・有楽町・東京へと至る、この一角だけが「東京」であるという印象が根強いんです。広~い東京のほんの一部分、東京湾に近いわずかな地域だけが「東京」というイメージが未だに消えないのが何故なのかは分かりませんけどね。

そんなわけで、明日は「東京」まで。俺ら東京さ行ぐだ!

2012年12月7日

煙草を喫む(のむ)


昨日と同じような気温でも、今夜の方がしんしんと冷えている感じがします。
焼酎に熱いお湯を注いでもすぐにぬるくなってしまうので、
冷めちゃう前に飲まなきゃと、ついついスピードを上げて飲んでしまいますから
それに伴い当然酒量は増えてしまうということになります。
いささか飲み過ぎの昨今・・

前に長女から戴いたスタバの携帯まほうびん、この冬は重宝しています。
ポットが無い私の部屋に居ながらにしてお湯割りがすぐに作れるんですからね。
ある意味「一人居酒屋」グラスから湯気が上がっています。
ただし店内禁煙、吸いたくなったら台所まで出掛けて換気扇の下で吸うのですが
それはとても面倒くさいので、必然的に煙草の本数が減るという効果があります。

煙草を喫む(のむ)という表現がありますが、
空気が乾燥して気温の低いこの季節は、この言葉が実によく似合います。
愛煙家の方なら皆さんお分かりでしょうけど、冬場の煙草はとても旨いんです。
なので深くたっぷりと吸い込んでから「ふう~」と吐き出す
その紫煙を慈しむかのような様は喫む(のむ)という言葉がとても相応しく思えます。

さてと、一服。。。

2012年12月6日

中古製品のお知らせです


昨晩ご紹介したヤマハの革新的なユニットをマウントしたスピーカーですが、NS-15という比較的小型のモデルが福岡の業者さんからヤフオクに出品されてました。片側のコーン紙に少し皺が入ってましたが薄い素材ということと敢えて分割振動させる設計なので、たぶん音の方は問題ないんでしょう。スピーカー・ターミナルは最近の物に交換されてました。15000円スタート、妥当なラインですし興味は大いにあるのですが、業者さんの出品の場合は複数のIDを駆使して価格が釣り上がるのは目に見えてるので今回は手を出さないことにしました。最終的に30000円くらいで落札されるんなら良心的な範囲と言えるでしょうけどね。

それはそうと、昨日ハード・オフを覗いてみると素敵なアナログ・プレーヤーが置いてありました。ヤマハのYP-700C、74年頃のモデルで状態は良さそうです。いやはや、好みのモデルを見てしまったというわけですが・・(笑)


実はこれ、侮れないんです。ダイレクト・ドライブが全盛になりつつあった74年に、敢えてACモーターで駆動するベルト・ドライブの高級機として世に出した、これまた当時の技術陣入魂の製品で、中古オーディオ店では3~4万円で売られているというのに、値付けが解せぬハードオフの売値は何と¥8000です!!
DENONのDP-1700を安価で入手してしまったので私は買えませんけど、本来探していたベルト・ドライブで程度の良い物だけにちょっと悔しいです。(実は昨日、思い切ってこれも買ってしまおうかと思ったくらいなのですが・・)どなたか買われる方いらっしゃいませんか?連絡頂ければ押さえておきますので早急にお知らせください。

製品詳細はこちらのサイトをご参考に。http://audio-heritage.jp/YAMAHA/player/yp-700.html


2012年12月5日

型にはまらず


ヤマハ・オーディオのスピーカーには今も昔も「NS」という品番が付けられています。これは「ナチュラル・サウンド」の略なのであって、世界的な楽器メーカーとしての拘りが感じられるものなのですが、60年代から70年代初頭にかけてこんな奇妙な形をしたスピーカー・ユニットを作っていたことはご存知でしょうか。
グランドピアノの造形をモチーフにして特定の帯域の共振を防ぐための形状だったわけですが、こんな画期的な製品を生み出した当時のエンジニアの情熱って凄いですよね。既存のスタイルに満足せず独自の発想でそれを製品化してしまうパワーは、まさに発展途上国であった我が国の勢いそのものだと言えるでしょう。
大型の物だと長辺1mという巨大なユニットまで存在したというこれを、堅牢なダイキャスト・フレームにマウントして奥行きの浅い後面開放型のエンクロージャーに収め、能率は優に100dBを超えていたそうです。私は実際の音を聴いたことはありませんが、この巨大な振動板をエッジと密閉箱で抑え込むことなく自由に振動させた結果、とても伸びやかな音でダイナミックに鳴っていたであろうことが窺えます。見た目は大きいですがフルレンジに近い特性だったので、これ1発で全帯域をカバーしていたらしいのですが、アクセントとして超高域をスーパー・ツイーターで補っていたようです。
文献によるとこのモデルは「楽器」に近い性質で、倍音の表現力に長けていたとありますが、実際にはユニットそのものが倍音を生み出していたらしいのです。これも驚きですよね、本来のスピーカーの役割としては音楽信号を忠実に音に変換することなのですから、敢えてそこで「色付け」してしまうというのは音響製品としてはタブーだった筈ですからね。とても興味深い製品です。

けれどこれほど独創的で世間を騒がせた製品であっても、生産コストや流通コスト、そしてやがて訪れた小型化の時代の中でその姿は消滅してしまいました。丸でも四角でもなく楕円でもない、こんな革命的な製品を世に送り出した日本人技術者を誇りに思うと共にとても残念な気がしてなりません。ホンダやソニーと同じように、一世を風靡した若きニッポンの底力というか闘争心というか、それが欠乏した現代を嘆かわしく感じてしまうのは私だけなんでしょうか。少なくとも物造りに於いては自由な発想と冒険が必要です。それが失われては陳腐な物しか残らず、見渡す限り同じような物が並んでいる光景とそれを買い求める消費者の姿には何処か恐ろしさまで抱いてしまうのですが・・

何事も型にはまらず、そうありたいものですね。