2012年12月15日

爺の戯言

政治を語るつもりはありません。
経済のことなんてまるで分かりません。
世界情勢がどうこうと言われても
イデオロギーや宗教に起因する出来事は
難しすぎて安易に口を挟むことはできません。
むろん、正義感なんてものも持ち合わせていません。
あるのは怒り、ただそれだけです。
金と権力による横暴、それらへの怒りだけなのです。

幾つになっても保守の側には付けず
反体制という死語に近い言葉が今でも体に染み付いています。
それを思い出してしまったのは
危険な暴走を加速させようとする輩のせいでした。

私の子供や孫たちに銃を持たせることなどできません。
豊かで便利な暮らしの代償だからと言って
放射能に汚染された空気を吸わせることもできません。
戦後を馬車馬のように働いて先代たちが築き上げたこの国を
大日本帝国の時代に戻すことなんて絶対にあってはいけないことなのです。

今夜の私は、それだけを言いたい。






湯川れい子さん、この方の最近の言葉には力が漲っています。
著名人であるが故の言動に対して繰り返される
多くの脅迫にも動じない姿勢には、ただただ敬服するばかりです。
ご本人曰く、戦争や原発に比べたら恐れるに値しないとか。
政治家を志す諸氏よ、せめて彼女のようにブレない信念を持て!

今夜の私は、それだけを言いたい。

2012年12月14日

拒むものと受け入れるもの


二十代の若者たちが、同世代の者たちを投票所へ向かわせるために、NETや広報などを駆使して様々な活動をしているそうです。今夜のNews23クロスでその幾つかが紹介されていました。

その番組の中で、とある団体の女性代表が口にした言葉、「政治や政策が若者の方を向いてないから関心が高まらない。」私はその意見を耳にして愕然としてしまいました。社会保障・年金など中高年向けの政策ばかりが争点となっている実情を嘆いたのかも知れませんが、将来そのツケが己に降りかかって来るのですから、自身の問題として受け止め考えて行かなければなりません。

仮にそれが難しい問題であったとしても、原発の是非・憲法改正論・集団的自衛権の行使など、この国の将来を決める重要な事柄に対しては、世代や年齢に関わらず明確な意思表示が成されて当然だと思えるのですが・・

何かひとつだけでもテーマを決めて、それに対する自分の答を持って、どうか投票所へ足を運んで頂きたい、そう思うのです。選挙とは「選ぶ」という目的の他に、自分たちの暮らしをどうしたいのかという個々の意思表示でもあるのですから。

拒むものと受け入れるもの、これだけは傍観してるだけではいけません。あなたの意見や主張を票に託して投じることが肝心です。老人たちの暴走を止めるためにも、将来を担う若者の1票が重要なのだと思えるのです。

Google 選ぼう2012 http://www.google.co.jp/landing/senkyo2012/index.html


2012年12月13日

TELL ME WHY

冬の空を見上げてきました。
ふたご座流星群、新月で空が暗いので数分間に幾つも見ることができましたけど
首が痛くなり、おまけに軽装で庭に出てしまったので寒くて早々に退散。
部屋に戻って灯油ストーブの前で焼酎お湯割りを頂いております。

午後から出掛けた期日前投票は、思ったほどの混雑もなく少々拍子抜けの感あり。
およそ2年ぶりに洗車した(清めた)車に乗って戦闘モードで行ったんですけどね(笑)
それでも訪れる市民は後を絶たず、今回の選挙への関心の高さが窺えます。

それにしても分からないことが多すぎます。
この時期に国内のタカ派を挑発するような中国の一連の動き、
このままじゃ改憲を唱え武力行使を目論んでいる者たちの思惑通りになりかねません。
「ほらごらんなさい、憲法改定しなくっちゃこの国は危ういですよ!」
そんなデモンストレーションを応援するかのように(小っちゃな)プロペラ機が一機、
これ見よがしに領空を飛び回って帰って行ったそうです。

私、何か裏があるような気がして仕方ないんですよ。
自民党が政権奪還するために中国共産党と仕組んだシナリオじゃないかとか。
見えないところにお互いの利害関係の共通点が何かあるんじゃないでしょうかね?
我が国に革新勢力が台頭することを望まない諸外国の都合みたいなものが
同盟関係にあるアメリカを含め、右も左も東も西も、あちこちで見え隠れしてる
そんな気になってしまうほど分からないことばかりです。
日本が世界に向けて正真正銘「真っ当な事」を言い出したら大変だ!
そうならないように仕向け、仕組まれてると思うのは私だけかも知れませんけど
諸外国はこの国の変革を求めていないどころか、
五十数年続いた旧政権との様々な密約があるように思えて仕方ないのです。

私の投じた一票が、そんな深い闇を切り裂く一筋の光と成り得るか
その答は間もなく明かされます。


こんな夜はニール・ヤング、「TELL ME WHY」


2012年12月12日

冬の時代


負けました、寒さに。
今夜、この冬初めて私の部屋の灯油ストーブに火を点けました。
ひと昔前のガソリンかと思ってしまうくらい高価な灯油、
節約を心がけましたが、もう我慢の限界に達してしまったのです。

室温や外気温、温度計では昨日より高くても寒さの質が明らかに違っています。
なんだかズシリと重く、底冷えするような感覚です。
昨晩は電気ストーブのスイッチを入れても、室温は13.8℃より上まで上がりませんでした。
もう無理ー!!電気ストーブはそう叫びながら敗北を認めたので
やむなく今夜からは灯油ストーブにバトンタッチした次第です。
冬、本番となりました。
これからは狂ったような寒さが襲って来るんでしょうね。やだやだ。

灯油ストーブの天板にヤカン、これは欠かせませんね。
いつでも熱いお湯が使えますし、加湿器としても有効です。
ただし、ピーピーケトルなので音が鳴りやみません。
そりゃあやかましいだろう、そう思われるかも知れませんが
一気に沸かした時の「ピーピー」ではなく「プヨプヨプヨ・・」と鳴るのでホッとします。

明日は休日、期日前投票に赴く予定です。
未来への道筋に責任を果たさなければなりません。
原子力の平和利用などと謳いながら、
その技術と蓄積は核武装の隠れ蓑としか思えませんもの。
金儲けだけの目的にしてはリスクが高すぎますし、
近頃声高に叫ばれる国防軍やら改憲やらの主張が不気味に重なります。

私は理想としての平和憲法を守り抜きたい。
そして全ての原発の永久停止と廃炉を求めます。
淡々と、そんな一票を投じて来ようと思うのです。




凍て付いた空に星は溢れ
蒼褪めた月が輝いても
心閉ざした虚ろな眼は
道を見出すこともない

吐き出した息は凍りついて
言葉にさえもならなかった
悴んだ指の間から
零れ落ちて行くよ俺の愛が

冬の時代の中で 新しい年を迎え
冬の時代の中で 行く年をただ見送るだけ



「冬の時代」 かずら元年



2012年12月11日

千円の切符


選挙まであと数日だというのに、はてな?今回は遅いなあと思っていた矢先、今日になってからようやく投函されてました。「投票のご案内」私の居住区は何かトラブルでもあったんでしょうかね、投票日の五日前に届くなんてかなりタイトな日程です。ま、元はといえば年の瀬のクソ忙しい時期に選挙をやろうなんて決めた輩が悪いんですけど、お役所の方々は準備その他でさぞかし大変な思いをしたことでしょう。けれどもそこは公務員の強み、残業や休日出勤の手当てが付いて懐が潤うのかも。

そんな人件費から始まり、投票箱やら備品やら広報の費用やらで、衆議院議員の総選挙にかかる銭は全国でおよそ800億円と言われています。もちろん全てが税金で賄われますから、有権者一人当たり千円以上の費用負担をしている計算になるのです。費用だけ徴収されるのは癪ですから、皆さん必ず一票を投じてくださいね。

千円で原発が止められるかも知れないのですから。

2012年12月10日

お経、続編

昨晩のBlog、法要の席でお経をハモる楽しみを書いたところ、友人から「アフタービートで木魚を叩く坊主が居た」との驚くべき情報がありました。いやあ、さすがにこれは凄いですね。後打ちの木魚なんて遭遇したことありませんもの。機会があったら是非聴いてみたいものですが、たぶん落ち着かない気分になるんでしょうね。ちょっと想像がつきませんけど(笑)

木魚や鐘の鳴り物を用いるお経って、何か独特なビートを感じますよね。上手い坊主はその使い方も、まるで呼吸するかのように自然なので安らかな気持になれます。反面下手くそな坊主は(ボーカルに相当する)お経も不味ければ鳴り物までもが、音も間もひどくぶっきらぼうで不快な気分にさせられます。私はどうしても音楽と同じように捉えてしまいますけど、鼓動と同期するような安定した「音」のお経は心が洗われる思いがするのです。

どんな世界でもそうですが、声質もとても重要です。明らかに人を不快にさせる攻撃的な質の声もあれば、安心できる友好的な質の声というのもあるのです。(顔の見えない電話などは特に顕著に表れます)こと坊主に関しては、やはり後者の方がいいに決まってるんですが、たまに居るんですよ、人間性を疑いたくなるほどひどく悪質な声を発する坊主が。この手の坊主は下手なお経を誤魔化すかのように、やたらと長い説教をしたり要らぬお節介をしたりする質の悪い者が多いようです。しかも上から目線の物の言いよう、これだけは勘弁してほしいですよね。

かと言って、優しすぎてか弱さを感じさせてしまう声も駄目ですね。人はいいんでしょうけど、何となく頼りない。やはりどっしりとした重厚さが無ければ人を導くことはできませんし、心地好い気分にもなれません。坊主は寡黙でいい、喋らなくていいから(良い声で)上手いお経を唱えてくれ。望むことはそれだけです。

それにしても・・
アフタービートで木魚を叩く坊主はファンキーだなあ。一度お目にかかりたいものです。


画像は法要やお食事会を終えて娘宅に戻った直後のポンタ。
お昼寝もできなかったばかりか(初めての)法事に緊張して疲れたのか、ずっとビービー泣いていたそうです。幼児の泣き顔って可愛いもんですよね~踏ん張った足の小さな指先が、これまた可愛いじゃありませんか。
この後は爆睡した模様です。ポンタ、お疲れさん!!

2012年12月9日

お経をハモる


高輪の円真寺にて義母の三回忌の供養を終えました。高層マンションが建ち並ぶ都会の一角にひっそりと佇むその寺は、入口の間口も車1台がやっと通れるほどの狭さで、何度訪れても毎回通り過ぎそうになってしまいます。現在は昨年の大地震による傷みを補修する工事のため本堂が使えませんでしたが、江戸時代中期からこの場所に在るという歴史の重みを感じるお寺でもあります。すぐ近くには明治41年に建造された高輪消防署二本榎出張所が在り、この建物もまたとても趣がある素敵な姿を現代に伝えているのです。


今でこそビルの陰に隠れてしまってますが、当時は高輪の高台にそびえ立つ火の見やぐらから東京の街を見守っていたんでしょうね。ずいぶんと老朽化しているんでしょうけど、こういった歴史を持つ建造物はこのまま後世に残してほしいものです。

実は法事の席で私にはちょっとした楽しみがあります。
法要の後半、住職に促され皆で「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるときに、最初は周囲の声と同じ音程でスタートして、やがて三度・五度と上の方の音程を重ねて行くのです。いわゆるお経のコーラス、メロディが無いだけにとても深みがあって音の厚さに感動するくらい心地好い気分になります。これ、気が付くと私だけではなく息子や娘たちも同じことをやっていて、ちょっとしたコーラス隊みたいに聴こえてきますから余計に楽しくなるのです。
皆さんも機会がありましたら是非お試しください。仏教がより身近に感じられること請け合いですから(笑)