2013年12月5日

terrorist



寒い夜に
背筋が凍りそうなニュース。

特定ってなんだ?

線引きや施行、管理の
何も決まっちゃいないってのにさ。

ダッフィー、
絶叫はテロだと言い放った奴に
爆音のパンクでも喰らわしてやれ。

おめえらこそがテロリストじゃねえか!
て、言ってやれ。


*

2013年12月4日

プロデューサーは私自身


日曜の早朝に義弟が急逝しまして
暫くBlogを更新できずにいましたが
本日告別式を終え、ほっとしている次第です。

亡くなられたのは女房の妹のご亭主で
私の子供たちや孫たちを可愛がってくれた方であり
年齢も私と同じだったので知らせを聞いたときは驚きました。

故人の意思から、他言してなかったそうですが
今年の6月に癌が見つかり、その時点ですでに手遅れだったとか。
その後も普通の生活を送り、煙草をやめることもなく
先週の火曜に肺炎を起こすまで仕事にも通っていたとのこと。
緊急入院したことも聞かされてなく、亡くなる前の晩に初めて知らされました。
昨年末の義母の法事の席で会ったのが最後となってしまい
何も聞かされてなかったとは言え、とても残念でなりません。
なんと言っても私と同い年なものですから
その早すぎる死が居た堪れず、衝撃を受けたのが正直なところです。

明日は我が身と思えるような、そんな年齢になっていることに改めて気付くと共に
葬儀の規模や在り方など(その時に)家族が慌てずに済むような
準備と指示を今の内からきちんとしておかねばなりませんよね。
漠然とした言葉で「大袈裟なことはしなくていいから」と言い残したとしても
どの程度のことをしなければいけないかということまでは解らないものです。
その辺りを掘り下げて、女房や子供たちには具体的な指示をしておこうと思います。

己の最期を迎える日だけは、他人事では済まされません。
人が亡くなる度に、いつもそう思うんですが
避けては通れない大切なことですものね。

ぶっちゃけ私の葬儀は
酒と歌がそこにあればそれで十分です。
プロデューサーは私自身、そうありたいと思っています。

*

2013年11月30日

家族に乾杯!



いやあ賑やかすぎてやかましいくらいの夜!
男の子が3人集まると、予想した通りのドタバタ劇であります。
シチューとパンとチキン、そしてケーキを皆で囲み
今年も滞りなく孫3人の合同誕生日会を終えることができました。

全員の都合を合わせるのは至難の業なので
クリスマスを一緒に過ごすことはできませんから
次に集うのは1ヶ月後の元旦となることでしょう。

1ヶ月後に正月?!
そう思うとドキッとして、やれやれ間もなく今年も終わるんかいと
なんだか嬉しいような悲しいような、とても複雑な気分にもなります。

しかあし!
皆が健康で、すくすく育ってくれたことに感謝しなければいけませんよね。
家族の幸せ、それは誰もが病むことなく笑って暮らせることが何よりですから!
少々フライング気味の言葉ではありますが、
今年も1年間ありがとうございました!!

というわけで、
このタイミングでのお誕生日会はクリスマスを兼ねたようなものでもあり
孫たち3人は皆から沢山のプレゼントを戴くことになるのでありまして
私からのプレゼントは1号機と2号機にラジコン・カー、
フェラーリとポルシェであります。


車種と色は違っても、喧嘩にならぬよう同じ物を贈らねばならんのです。
が、実はこれ、私も欲しかった。
トイザラスでポルシェを2台買おうとしたくらいですもん(笑)
ま、またの機会にでもね。

そしてポンタには、トイザラス・オリジナル「初めてのドラムセット」
ドラマーでもある父親の、今後の英才教育に期待してます!


風呂上りにプレゼントを渡したもんでパジャマ姿ではありますが、
なかなかどうして、様になってるじゃありませんか!
期待に胸膨らみますよ、こりゃあ。

爺さんの細い目が、一段と細くなっちまって
家族に乾杯!そんな夜でありました。
すんません!!

*

2013年11月29日

イイニク



今日11月29日(イイニク)はポンタ2歳の誕生日である。
娘宅では昨日の内にお祝いをしたらしく
特性ケーキを前にしてご満悦の画像が届いた。

明日は長男一家と私ら家族全員が娘宅に集まり
共に11月生まれである孫三人の合同誕生日会を催す。
総勢10名、さぞ賑やかなことだろう。

そして私の部屋に2週間前から置いてある
大きなトイザラスの袋がようやく片付くわけだ。


これは昨年の画像。
ポンタは1歳で、1号機2号機共にまだ小さい。
このときも賑やかだったなあ。


そしてこれはポンタが生まれて間もない頃。
こうして遡って行くと、成長の早いことに改めて驚かされる。
わずか2年ほどの間に、子供らはずいぶん大きくなった。

皆が一堂に集まることができる間は
この催しを毎年続けて行こうと思うのだが
さて、どうなることやら。

*

2013年11月28日

初雪~自動車税



列島各地から初雪の便りが届く。
寒いわけだね、猫もすっかり冬の寝姿。
気象庁は「寒冬」を宣言、厳しい冬になりそうだわ。
灯油の消費量と電気料金が心配。

そういえば、
燃費の良い車があまりにも増えたせいで
ガソリンの売り上げが低迷してるんですってね。
店をたたむ所が出てくるかも。

敢えて再び吠える。
燃費のいい灯油ファンヒーターを開発しろー!!

そして、
軽自動車が売れすぎて税収がままならないからと
この際普通車と同じ税金にしちゃえという目論見があるとか。
まったくもう・・

何年か前、軽自動車の規格を660CCから800CCにしてくれと
スズキやダイハツが進言したとき、大手メーカーの反対で潰されたことがある。
普通車が売れなくなるっていう理由でね。
あの時点で黄色いナンバーを無くしておけばよかったろうにさ。

今の軽自動車は普通車と比べて何ら遜色が無いほど高性能になってるんだから
未だに特権がある方が何か不思議な気分。
この際、自動車税は車重と排気量で区分けして
白いナンバーに統一した方がいいんじゃないの?
軽ユーザーである私でさえそう思いますもん。

車重1t未満の場合で、1300CC、1000CC、800CC未満・・みたいな区分け。
もちろん何年度の新車登録からってことにして。
従来の軽の恩恵に授かりたい者は旧い車を大事にすると思うよ。

あ、思い出した。
どこぞのアホが「燃費の悪い旧車は税金を上げるべきだ」と言ったらしい。
たぶんこれも税収を上げるための謀(はかりごと)。
目先のことばっかりで、どいつもこいつもクソッタレだね。
古い物はそれだけで悪なのか?

そのうちさあ、
ハイブリッドやEVの使用済バッテリーの処分に頭を悩ますんじゃないの?
近代文明は有害物質とゴミの山をどんどん増やしているようなものだ。
そこんところがどうにも納得できない。

・・あらら
初雪から始まったのに、ずいぶんと話が飛んでしまったようだ(笑)

*

2013年11月27日

Khaki



60年代、モッズ・ムーブメントのシンボル・マークはイギリス空軍のラウンデル。
ファッションは細身のスーツにモッズ・コートと呼ばれた米軍のミリタリー・パーカーが定番で
だっぷりとしたカーキー色のコートは若い時分の私の好みでもあった。

カーキー(Khaki)、本来は土埃という意味であり陸軍の軍装色なのだが
「茶色がかった黄色」と表現されるその色は、緑からベージュまで実に幅広い。
そのせいだろうか、私が好きな緑に近い色を近頃はオリーブと呼ぶようになった。

戦闘機や戦車が好きだった幼少時代が影響しているのか、
ミリタリー調の物はこの歳になった今でも大好きであり
カーキー色(オリーブ)のジャケットやコートにはつい目が行ってしまうのだ。

ケツが隠れる程度の丈で、細身で邪魔臭くないコートが欲しいなあ。
(車に乗るときブカブカのコートだと運転するには邪魔臭くて落ち着かないのだ)
そう思いながら店の中を物色していると、モッズ・コートが目に付いた。やはりね(笑)
細い作りだけれど、ツイル・コットンとキルティングの裏地でかなり暖かい。
値段も手頃だったので、即決で買ってしまった。もちろんオリーブ色だ。


(年甲斐もなく)日頃は細いパンツを履いているもんで
この手のデザインはやはり一番しっくりくる。

あ~なんか嬉しい。
憂鬱な仕事場へ向うのが苦にならないような楽しさが込み上げる。
身に纏う物を買った時って、これがいいんだよなあ。

*

2013年11月26日

ヒ・ミ・ツ


考えてみたら
この国には秘密なんて何も無いような気がする。
口の軽いオッサンが、或る日ポロッと余計な事を言い
それを揉み消すのに右往左往する姿ばかり見てきたからだ。

事の重要性を客観的に推し量ることが出来ず
社会の反応や批判を受けてからようやく気付く程度の
そんなお粗末な危機管理の意識しかない者たちに
秘密保護法なんて大きなザルを与えて良いものだろうか。

どれほどの重要性があるのか
考え出すとキリが無いし面倒だから
役人は機密・極秘の判をやたらと押したがるだろう。

情報公開する手間と
それによって不利益を被るくらいなら
最初から極秘扱いにしてしまうのが得策だと
役人や政治家の多くがそう考えるのは目に見えている。

機密だとか情報管理だとか
そもそもこの国の人間にとって、それは一番不得手な分野なんだろう。
物騒な世の中とは言え、諸外国に比べると治安は良いし
テロや戦争が身近なものだと気構える者は極めて少数派だ。

所詮は薄い壁ひとつ、障子一枚の家屋で暮らしてきた民族にとって
話し声が隣近所に筒抜けになることくらいお構いなしだった。
向こう三軒両隣のコミュニティによって成り立ってきたせいもあるし
海に囲まれた島国で単一民族という背景もある。
けれどお人好しで気のいい国民性も今では
分厚い壁の頑丈な家に住み、セキュリティというアイテムを手にした途端
お互いが「個」に執着するようになってしまい、
インターネットは生の会話の機会を激減させる結果になった。

情報垂れ流しの現状があったとしても
個人情報などという響きの良い言葉を植え付けて
何事も保全されているような安心感だけを国民に与えているが
官も民も、それを徹底して極秘とする意識は相変わらず低い。

誰の利益のために、どう運用して行くのか
それがないまま厳つい言葉だけが一人歩き始めるのがこの国のようである。
実はそれが一番怖い。
大本営発表に踊らされ、検閲に戦々恐々とした
そんな歴史が繰り返されることがあってはいけないのだ。


永田町に罵声が飛び交ったその日、
何事もなかったかのように
何も変わっちゃいないかのように
夕陽はいつもと同じ辺りに落ちて行った。

*