旧宅を離れ、すでにひと月半が経過したというのに
ピアノの搬出やら室内の清掃やら、
ちまちまと休日の度に少しずつやっていたものですから
未だに鍵をお返しすることができないでいました。
如何に大家さんのご好意とは言え、お恥ずかしい限りです。
ですが本日、ようやくその作業を全て終え
11年に及ぶ思い出深い家を明け渡して参りました。
これで名実共に南本宿とは別れることとなったのです。
ここへ越して来たのは、長男が結婚する前の年の暮れでした。
その後ボーダーコリー犬が家族に加わり、
人間四人と猫数匹の賑やかな生活が始まったわけです。
仲間を大勢集めて近所の公園で花見をしたり
庭先に十数名が集い、バーベキューを催したことも数回あります。
時には一晩の宿泊人数が10名を超えたこともあり、
当時の仲間たちからも愛されていた家だったのだと思います。
竹薮に囲まれたその環境は、言ってみれば何をやってもお構いなし。
ピアノ、ギター、歌、オーディオ、果ては何とサックスまで
音の出る物はその音量を気にすることなく自由にやらせて頂きました。
僕が三十数年間のブランクを経て歌い始めるきっかけとなったのも
でんと構えるこの家の包容力だったのではないでしょうか。
50ちょうどにこの家にやって来た僕は、今年で62歳になります。
この11年間を振り返ると、人生にとって転機とも言えるような
大きなうねりが幾つもあったことが印象的です。
前述の長男の結婚、初孫の誕生。
次女の嫁入り、三人目の孫の誕生。
その間に僕は大きな事故に遭い、半年ほど右半身が麻痺していた出来事や
右眼の急性網膜壊死という稀な病気を発症して二度の大掛かりな手術を受けたり
人生の後半に喜びも苦しみも、様々な経験をさせてもらった気がします。
そして悲しい出来事もたくさんありました。
20年以上も家族と共に過ごした長寿の猫を二匹見送り、
若くして急死したボーダーコリーを見送り、
その後に残った数匹の猫もみな他界して
今は一番最後にやって来た猫一匹だけになってしまいました。
あれこれと記憶を遡って行くと、とても感慨深い家なのであります。
今日カミさんは2階の窓を開け、そこから見る最後の風景を眺めておりました。
数年後、この場所は宅地となり、景色は大きく変わっていることでしょう。
竹薮も全て伐採されますから、毎年楽しめた旬の筍も今年が最後になりそうです。
鍵をお返ししたときに「筍が採れたら連絡しますからね」と、言われたのが
何より嬉しい別れの言葉となりました。
春が来たとは言え気温の低い南本宿、筍の季節はまだ先なのです。
思い出というやつは
或る日ふと記憶の底から湧き上がるものであり
決して大切に抱え込むものではありません。
そうじゃなければ前に進めないことを、人間の脳は知っています。
消去や再生を繰り返しながら生きることで
脳味噌はそのキャパシティを保っているのでしょう。
期せずして湧き上がるであろう南本宿の思い出は
本日をもってリセットすることにします。
この地で関わった皆さま、
この家で共に過ごす機会を得た皆さま、
僕ら一家、とても幸せな11年間でした。
みんな、ありがとう!
さらば、南本宿!!
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