2015年1月1日

はっぴ(いいえ)んど



振り返ると
あっという間の一年

日の出と共にやって来る新年とは
意地悪で悪戯好きなのか
暦に終止符を打って
あたかも非連続な日常が
其処から始まるかのように思わせる

我が家の長女に言わせると
今日は13月1日なんだそうな
盆も正月も無い忙しい人間にとっては
確かにそれも一理ある

どうだい
ここいらで昔の姿に戻ってみないか
正月の三が日くらいは皆が休んで
静かに新年とやらを迎えてやろうじゃないか

そうでもしなきゃ
去年と今年の境い目なんて無い

慌しく13月を迎え入れるのは
忙しなくて嫌だし
何かを引き摺ってるみたいで
先へ進めそうにもない

24時間営業や年中無休は
過剰な便利さだといつも思ってる
おまけに人間を馬鹿にしてしまうだけで
工夫や知恵は生まれて来やしない

少しは不便さにも慣れなきゃだめだってば



・・なんだか
毎年同じ事を書いているような気がしてきた

こんな具合に2015年は始まる(始まってしまった)
わけであって
2014年も僕の中では
「はっぴ(いいえ)んど」だったのである

*

2014年12月28日

一年の瀬戸際


ご無沙汰しております。
すっかり筆不精となってしまい、Blogの更新も怠っておりましたが
今年もあとわずか、年の瀬というよりか一年の瀬戸際あたりまで来てしまいました。

仕事をしながらも、あいかわらず主夫業は続いておりまして
己の自由な時間を堪能する機会はまだまだ限られている状況ですけど
そんな環境にあっても時折興味を抱かせるものと遭遇します。

今日はこれを買ってしまいました。


一世を風靡したビクターSX3の初期型です。
家の近くのハードオフに二ヶ月くらい前から置かれていたんですが
程度の割りには値段が高く、なかなか買い手が付かなかったようです。

とは言っても、ヤフオクに出品されている物ほど酷い状態ではなく
毎回目にする度に、もうちいと安くなればなあ・・とウオッチを続けておりましたら
或る日突然かなりのプライスダウンとなっていたのです。

けれどそのまま放置、2週間ほどが過ぎました。
(途中、格安のYAMAHA NS-451に目移り)

それが昨日覗いてみると、まだ残ってまして
なんだか悲しい表情をしているので不憫に思えてしまい
迷った挙句、今朝仕事へ行く前に家まで連れ帰ってしまった次第であります。

実はこれ、アナログ再生用にと探していた時期があるんです。
現代風にフラットな特性の物よりは、ナローレンジのこの時代の製品の方が
音楽を愉しく聴かせてくれるに違いないですから。

スタジオモニターではご法度の色付けとか癖とかが
行き当たりばったりで自分の好みに合うものに変身するあたりが
オーディオの醍醐味でもあり、とりわけアナログには必要なことなんだと思っています。

ふふ、セッティングが楽しみですな。
一番最初に掛けるのはJ.J.CALEの「リアリー」
このアルバムのノーバート・プッナムのベースラインが僕のリファレンス・ソースなんですよ。

そして大瀧さんの一周忌を偲びつつの「ナイアガラ・ムーン」かな。


オリジナル盤の裏ジャケに、SX3の姿がありますからね。

*

2014年12月11日

なのであ~る。



僕の田舎、北海道では
冬になると足回りはスパイクタイヤがお決まりだった。
リベットが打たれたスノータイヤは、新雪だろうとアイスバーンだろうと
それさえ履いていればどこでも走れる安心感とお手軽さで重宝されていたものだ。

けれど30年ほど前、雪解け時期のアスファルト路面を削り取る粉塵が大問題となり
一世を風靡したそのスパイクタイヤは姿を消した。
確かに強烈な粉塵、春先の道路脇に残った雪が真っ黒になるほどだったから
人体に及ぼす悪影響は素人目にもわかったことだろう。
おまけにアスファルトの道路に轍ができてしまうことから
春は傷んだ路面を工事することが毎年の恒例になってしまっていた。

悪名高きスパイクタイヤ、ではあるが
あれほど強力に冬の路面をグリップしてくれる物は他に無かった。
なので使用が禁止されてからの数年は
仕方なく(制動の悪い)スノータイヤを履いた車の事故が後を絶たず
凍った路面で止まり切れずに踏切へ侵入し、列車と衝突するような
そんな痛ましい事故のニュースを頻繁に目にしたものだ。
当時のスノータイヤと呼ばれていた物は、
新雪ならまだしもアイスバーンには全く効果の無いものだったのである。

以来僕は、ゴムだけのタイヤで雪道を走れるわけがないと
ずっとずっとそう思い込んでいた。
スタッドレスタイヤが登場してからも全く信用できなかったのだ。
故に、やむを得ないときはチェーンを巻くようにして
ただの一度も冬のタイヤに履き替えることは無かった。
(年に一度か二度しか雪の降らない土地に住んでいるせいもあるがね)

けれど予期せぬときに雪は降るもので
昨年も一昨年も、結構なドカ雪に今住むこの町もやられた。
仕事場から(夏タイヤで)恐る恐る帰って来たことも何度かあった。
最近のスタッドレスはずいぶんと性能が向上しているようだし、
そろそろ年貢の納め時か・・

というわけで
(生まれて初めて)冬タイヤを買ってしまった。
おそらく数ヶ月間のほとんどは乾いた路面を走ることになるのであろうが
アルミ付きの安いPB製品を、しかも新品で、買ってしまったのである。
備えあれば憂いなし、とは言ってみたものの
ケチな僕が大奮発して購入したからには、たぶん今期は降らないだろう。

今日、そのニュータイヤを履いて仕事場まで走ってみた。
皮肉なもので、今まで履いていた夏タイヤが古かったせいもあり
乾いた路面ではあっても、乗り心地とグリップ感は申し分ないものであった。
新品のタイヤなんて、いつ以来だろう?
思い出せないくらいずっと中古のタイヤばかり履いていたものだから
真新しい柔らかなゴムの感触が、とても心地好く思えた一日なのであ~る。

・・スタッドレスとしての性能は
わからないまま磨り減って行くのかもしれませぬ(笑)



久しぶりのBlog更新、なのであ~る。

*

2014年11月24日

ゆるりと・・



カミさんが退院してから五日が過ぎた。
早いもんだ。

広くて平坦な病棟の床に比べると
家の中は狭くて出っ張りや障害物が無数にあるのだけれど
心配していたよりはちょこまかと動き回ることが出来ている。
それだけでもひと安心だ。

買い物や料理、台所の片付けなど
本来の日常生活に戻るまでにはまだ長い時間が掛かりそうだが
材料を準備して作業がしやすいようにセッティングしてさえおけば
僕が帰る頃までには晩飯を作れるようにもなった。
これは嬉しい誤算、今夜は野菜たっぷりの味噌汁が待っていた。

それでも後片付けは相変わらず僕の仕事。
食べ終わるとすぐにシャカシャカ洗ってしまう。
(時間が経つと面倒になってしまうからね)

けれど昼と夜の献立、それに伴う材料の確認が少々面倒臭い。
仕事へ行く前に近所のスーパーへ買出しに出掛け、
あれこれバランスを考えながらチョイスするのは脳味噌が疲れるものだ。
慣れてないせいもあるけど、毎日それを考える主婦ってのは凄いもんだね。(尊敬)

三ヶ月間の昼間のほとんどを一人で留守番していた猫、
近頃はいつも誰かが家に居るので、寝顔に余裕と安心感が漂っている。
とにかく一日中ずっと寝てばかりいる。
おまけに寝相も悪い。

毎日一人だけ家にぽつんと残されて
もしや自分は見捨てられたんじゃないだろうかと思いながら
薄暗い部屋で僕や娘の帰りを待っていた頃は
おそらく相当なストレスを感じていたであろうことは想像できる。
心細くて頻繁に目を覚ますので飯もたくさん食べていた。

けれどカミさんが家に戻ってからというもの、極端に食が細くなってしまった。
なあに、飯ならいつでも喰えるさ。
危機感の欠片もなく、寝てばかりいるのである。
そして思い出したようにむっくりと起き上がっては
ちょっとだけカリカリと飯を頬張って、再び寝床へと帰って行くのだ。

安堵感に満ちた猫の仕草を見ながら
僕もまた、気持ちに余裕が生まれているのを実感してる。
敢えて言うなら、「ゆるい」のである。
少なくとも、時間に追われるような切羽詰った感覚はすでに無い。

このゆるさ、実に心地好い。

*

2014年11月11日

アンクル・チャーリーと愛犬テディのカリキュラム



明け方から冷たい雨が降る予報だったので、前夜の洗濯物は内干し。
当然乾いちゃいないから、取り込んで片付けるための時間が浮いた。
いや、それだけじゃないだろうけど、今日はいつになく余裕がある。

久しぶりに、自分だけの時間を過ごしてみようか。
そう思い、おもむろにアンプの電源を入れ
およそ三ヶ月ぶりくらいにターンテーブルにディスクを乗せた。

しばらく通電していなかったアンプはアイドリング不足だったのか
JBLで鳴らすと鼻を摘んだような音が出て来た。
アナログ盤は時として、こんな具合にイコライジングを間違えたような音になるものだ。
そのじゃじゃ馬的なところが動物的で魅力的でもあるわけなんだがね。
(・・変態と呼ばれても結構である)

けど、あまりにも気色が悪くなったので
デスクのニア・モニターであるオーラトーンの5Cに切り替えると
中域がカットされたような音が一変して、途端に瑞々しい音を奏で始めた。
一辺わずか17Cmほどのキューブに、12.5Cmのユニットをマウントしてるだけなのにね。
これだからアナログってやつは侮れない。
入口から出口まで、全てが相互の相性で成り立っているのだから。

心地好い気分に浸りながら数枚を聴いた。
その中にはカミさんが入院する直前に購入したまま
ただの一度も針を通していなかった盤まであった。

ああ・・(僕だけの)時間がもっとたくさんあればいいのに。

後ろ髪を引かれながらも、それほど悔いを感じることもなく
いつもの休日と同じく、午後の遅めの時間になってから病院へと向った。
学校のカリキュラムみたいなもんで、頭と体に行動が刷り込まれているのかも知れないな。
そう考えながらいつもの道を、いつもと変わらぬ速度で、車を走らせて行く。
(ちなみにカリキュラムという言葉はラテン語の「走る」が語源らしい)

病院に着いた早々、執刀医から経過の説明があって19日の退院が決まった。
救急車で搬送された三ヶ月前と同じ日だ。
一瞬、肩の荷が下りたような気にはなったものの
帰宅できたとしても毎日がリハビリで、暫くは家事などやれる筈もなく
僕の家庭内でのカリキュラムに幾つかの追加項目が生じることとなる。

病院へ行く手間は省けるものの
やれやれ、またまた険しい道程が待っているではないか。
卒業式が待ち遠しい・・(苦笑)

*

2014年10月21日

振り返らず先も見通さず、是即ち我が日常かな



カミさん、入院から64日目を迎えまして
少しの距離ならヨチヨチ歩きくらいは出来るようになったので
今後の(新たな)リハビリに備え、介護用品店で杖と外履き用の靴を購入しました。
たぶん来月の中旬くらいまでには退院の運びとなるんでしょうけど
家に戻っても寝室のある2階まで(危なくて)上り下り出来ないでしょうから
1階の狭いリビングにベッドを置かざるを得なくなってしまいます。
家具の配置に頭を悩ませながら、あーでもないこーでもないと
メジャー片手に部屋の中をうろうろしている日々であります。
(今までリビングを独占していた猫の機嫌を損ねないよう気をつけなきゃね)

ああ、それにしても
長いような短いような、あっちゅーまの2ヶ月でした。
夏から秋へ、北国ではもう冬が訪れようとしています。
僕はといえば、毎日規則正しい時間割の日常を過ごし
どれかひとつでも欠けたり遅れたりしようものなら
その日常が一気に崩れ落ちてしまいそうな不安に苛まれながら
今日まで駆け抜けて来た気がします。

友人は、苦難に立ち向かう姿勢が素晴らしいと褒めてくれましたけど
実は災いも試練も、何でも受け入れてしまう臆病者なだけなんです。
怖いから、後先考えず一目散に突っ走るんですよね。
くよくよしないのも、O型特有の大雑把さから来るものなんだと思います。
だから今、改めて思ってます。
自分、馬鹿でよかったわあ・・と。
頭脳明晰な人間なら、こんなに呑気に構えてられないでしょうからね。

でありますから・・
この64日間は、いったいなんだったんだろう?
そう思ってしまいます。
その昔、鉄道と蒸気船で80日間の世界一周をした小説もありましたよね。
時間で考えるなら、それくらい途轍もなく長いのですが
これを日常に換算すると「あっちゅーま」になってしまうのです。
恐ろしや、日々の営みの謎。

かずら的日常は、夏から冬の入口まで
一足飛びでワープしてしまったような、そんな感覚なのです。
けれど不思議なことに、無駄な時間を過ごしたとは一度も思ったことがありません。
自分のやりたいことが何ひとつ出来ないまま夕暮れ時を迎えたとしても
それはそれで何となく一日の終わりを受け入れてしまってます。
若い頃なら欲求不満で爆発してるでしょうけどね。

僕も大人になったものです。

*

2014年10月9日

自らを祝い、己を見直す



東白楽の空は雲に覆われ
残念ながら皆既月食は見られなかった。
店に着いた早々、リハを始める前に居合わせた友人の奥様から
「お誕生日?じゃあ一杯ご馳走させて」と促され、ググッと生を戴く。
さあて始めっか、ひとしきりした後セッティングを開始するも
あらら・・これがブランクってやつかい、声が伸びない。
さすがにこの歳ともなると、歌わない期間が長いと辛いものがある。
出番までかなり時間がある、こりゃ飲むしかないな。
そして案の定、飲み過ぎた。

ぽつりぽつりと馴染みのお客さんがやって来る。
予想してたよりは集まって頂けたようで一安心、ありがたいことだ。


定刻より少々遅れての開演。
まずは、最近になって妙に仲良くなってしまった感の池内光子さん。
(僕は日頃みっちゃんと呼ばせて頂いている)
今回の合同バースデーライブのゲスト、友情出演である。
始まる前から空気が和んでいたせいかノリがいい。
そうじゃなくてもアコーディオンの響きは心地好いのだが
この夜のみっちゃんは明らかに乗っていたし、可愛いとさえ思えたほどだ。
もはや芸人の域だね。
たまには一緒に飲みたいものだが、彼女まったくの下戸なので常に素面。
けど、相対した時の(適度な)おとぼけ具合が僕は好きなのだ。
たぶんこれから先、長い付き合いになるような気がしてる一人である。
やがて還暦を迎えるまでは、足取り軽やかに踊っているよう釘を刺しておいた。
10Kg以上ある重たい楽器を肩からぶら提げているのだから
足腰への負担は相当あるだろうしね。
頑張ってくれよ、みっちゃん。


芸人と言えば、この男も益々磨きがかかってきている。
ビト、僕と同じ誕生日で共に北海道の生まれ。
数年前から続いている合同バースデーライブの相方だ。
どこまでがMCで、どこからが歌なのかよく分からない流れが凄いと思う。
アコギ1本でロック・スピリットを醸し出すパフォーマンスが相変わらずいいし
何といっても腰のくねりと(落ち着きがないほどの)足元が楽しい。
そう、楽しませてくれるんだ。いつも彼は。
おまけに僕の大好きな場末の香りを放ち続ける。
安酒と煙草、ざわつく酔客が似合う歌は、実はそう多くはないのだが
この男の歌は、間違いなくその数少ないひとつであり
ブルーズにも通じるこのバタ臭さが僕は好きだ。

知り合ったのは10年ほど前、とある居酒屋で隣り合わせたのが始まりだった。
口数が少なく、痩せて精悍なマスクと鋭い眼光が印象的だったことを覚えている。
それが今じゃ、体も含めずいぶんと丸くなってしまったのは
10年の間に刻まれた人生の道程ってやつなんだろうな。
太くしっかりと根付いている感じがした。


恒例となった合同バースデーライブ、僕はうっかり口を滑らしてしまった。
「君が還暦を迎えるまでは続けるよ」と。
後から気付いたが、そのとき僕は77歳である。
まあいいさ、喜寿と還暦を共に祝おうではないか(笑)


そんな強気の発言(失言)をした我が身。
飲み過ぎを理由にはしたくないが、トリだというのにお粗末な出だし。
3曲ほど歌い終わったところでアルコールが飛び
ようやく我に返ったという体たらくを見せ付けてしまった。
これじゃいかんね。
月に10本前後の現場をこなすビトちゃんやみっちゃんと比べ
年に1度か2度くらいしか歌わなくなった「自称」ミュージッシャンとの違いはここにある。
メッキは剥がれやすいものなのだ。
まだまだだね、反省してます。

けれど酔いが覚めてからは仕切り直し、
温まったエンジンは回転数を上げて行ったのさ。
すると今度はレッド・ゾーンを超えてしまい、ミッションが悲鳴を上げ始めた。
いかんいかん、これはいかん。
何事も少しは余裕を持たせなくてはぶっ壊れてしまう。

エンジンが白煙を上げる直前で辛うじてゴールした気分。
お客さんは楽しんでくれたようだけど、内心ハラハラだったのさ。
いやはや、少しは歳のことを考えなくっちゃ駄目よね。
ちょっとだけでもセーブして、粋なところを見せられるくらいになるまで
まだまだ修行せねばと痛感した62歳の夜である。
(たぶんボーマスは、それを見抜いていただろうな。こわやこわや)


間一髪でチェッカーフラグの僕、終演後は安堵の表情(笑)
可愛いみっちゃんと記念撮影さ。
若い時分なら己の不甲斐なさに自棄(ヤケ)酒を煽るところだが
歳を取ってしまうと、こんなズルさと開き直りで済ませてしまうものなのね。
「大人っていうのは、もっと素敵なんだ」
ジャックスのラブ・ジェネレーションを歌っていた15歳の頃の事が脳裏を掠める。
「泣きながら飲めない酒を交わすのだ」
・・あれから47年、今じゃ飲兵衛になってしまったわ。


ひょっこりやって来た長男と、
十数年の付き合いになる娘みたいな友人(知人?)と。
今や人妻、27歳におなりになったとか。
みっちゃん曰く、「かずらさんに似てませんよね?イケメンだあ~」
こらっ!その昔は俺もイケメンだったのだ!!

ま、いいさね。

最後に歌った「一番列車のブルーズ」
格安弦Ashtonの耐久性を試すためガッシガシに弾き倒したけれど、
切れない!これは使い物になると確信できたのが嬉しかった。
無くなる前に(醜い大人買いで)買占めようかな?
鎌倉の白髭さん、これいいよ!!

そしてガンボに告ぐ。
あなたが助言した通り、一番列車はミストリー・トレイン風の味付けになった。
聴かせてあげたいわ。

そんなこんなで・・

昨晩お集まり頂いた皆さま、
自らを祝う夜に花を添えて頂いて感謝してます。
かずら元年、この歳になって自らを見直す良い機会となりました。
この場を借りて御礼申し上げます。
いずれかの後、更なる進化を遂げた姿をお見せしたいと思っております。
坂道を転がり落ちながらも、それが愉快に感じられるような
そんな人生を全うしたい所存です。
喜寿を迎えるまで歌っていたなら、笑ってお付き合いしてください。
今はその過程です。

ボーマス、レイナ、リアリー・ミュージックの松田夫妻(Tシャツありがとう)
そして飲み過ぎ注意のメッセをくれたそこのあなたにも感謝!!
な、良き夜でありました。

みんな、ありがとうな!

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