2015年1月5日

もう一人の30歳



英国ワッツ社のパロスタティック・ディスク・プリーナー。
ご存知ない方のために言うと、これはレコードクリーナーでありまして
中の芯棒に水を湿らせると外側のスポンジが湿気を帯びて
盤面の埃と静電気を取り除いてくれる優れものなのです。
持ち手の付いた(一般的な)形状の物よりも使いやすいですし
甘ったるくて大嫌いな臭いのレコードスプレーを使わないで済みますから
僕は72年頃からずっとこれを愛用してるんです。
けれど残念なことに今ではもう見かけません。
これは我が家に現存する最後の一本、たぶん30年くらい前に買ったまま
小物入れの片隅に仕舞い込まれていたものだと思いますけど、
これが残っていたことでアナログディスクとの付き合いを楽しめてるとも言える
僕にとってはまさに貴重なアイテムなのであります。
(よくぞ生き残っていてくれた!)
確か当時はこの黒の他に、表面のフェルト地が赤と青の製品もあったと思いますが
どなたか今でも愛用しているという方、いらっしゃいませんか?
お友達になりましょう(笑)


そして今夜はジャクソン・ブラウンから始まりました。
暫くの間、僕はリスナーに徹しますよ。

そうそう、昨晩FBで「お高いアナログ盤」についてボヤいてしまいました。
いったい何枚プレスしたのかは知る由もありませんけど
景気の上向きを力説するアベノミクスを後押しするようなもんじゃないかと思うんです。
いくら好きであっても、あの価格に手を出せるのは一部のマニアじゃないんでしょうか。
それも(中国風に言うと)限られた富裕層。
まるでオークションみたいな価格設定に僕は反対ですね。

ついでに某○ルウッド社の重量級アナログ復刻版についても言うと
いったいどんな人が思いついた企画なんでしょう。
確かに名盤と呼べるものは数点ありますけど、¥3800は足元見すぎです。
断言します、あれは大量に売れ残るでしょう。
趣味嗜好品なら高く売れるだろうという発想はやめてください。
返品と廃盤率を高めるだけなんですから。

アナログ盤を愛する一人として
僕、密かに怒ってます。

*

2015年1月4日

40歳と30歳


どうしてなんだ?
何故このSX-3は、アナログ盤よりもCDの方が心地好い音で鳴るんだあ?
昨晩からずっと気になっていた謎なのだが
仕事場への行き帰り、運転中に考えていてふと思いついた。
カートリッジを特性に癖の無いMCに替えてみよう。


手持ちのMCの中で唯一まだ使えそうなDENON DL-103 GOLDに替えてみた。
使える、とは言っても購入してからすでに30年くらいは経過している老練なので
針先は磨耗してなくともカンチレバーやダンパーはかなり劣化している筈だ。

しかあし!
この策は見事に的中して、アナログ盤が生き生きとした瑞々しい音で鳴ってくれた。
恐るべし放送局仕様のDENONの耐久性!!
SX-3との相性もいいようで、痩せず太らず滑らかに朗々と鳴る。

今まではコンパクト・モニターだったので、シュアーのドスの効いたMMの方が
低域が盛り上がってバランスよく聴こえていたんだろうね。
そのドンシャリ感がウーハーのサイズだけでも倍くらいあるSX-3には逆効果となって
特定の帯域が暴れて耳障りな音を増幅してたんだと思う。
感激するくらい、この古いカートリッジのおかげでアナログ盤が蘇った。
どうやらSX-3は、MCのフラットな特性を艶やかに鳴らす技を身に付けているようで
こうして聴いていると、このマッチングはベストに近い。
昨晩ご紹介したジョージ・ムラーツとローランド・ハナのアルバムも
ピアノのアタックやベースの締まり加減が申し分ない。

うーん、大奮発してDL-103の新品を買ってしまうか!
昔の倍くらいの値段になってはしまったけれど、
安定した品質のジャパン・メイドだからね。
(工場のラインじゃ今でもコイルを手で巻いてるのかしら?)


そんなわけで、シミだらけになってしまったJ.J.CALEのアルバムも
とてもとても良い音で鳴ってくれました。
40歳を超えたSX-3よ、ありがとう!
そして30歳を超えたDL-103もありがとう!
君らとはいい関係になれそうだ。

*

2015年1月3日

誤算?



深夜、ブルーノートやプレステイジからリリースされた
いわゆるジャズの名盤という幾つかを聴くことがたまにあります。
酒を呑みながらなので、CDは手軽で気を遣うことがないので楽なんですが
ジャケットをアートとして捉えると、やはりコンパクトサイズでは物足りません。
30Cm角の中で完結されたそれを縮小すると、まるで別物に感じてしまうからです。

たとえば僕の愛聴盤であるこのアルバム、
ジョージ・ムラーツとローランド・ハナの「ポギー&ベス」
これなんかは完璧にジャケットを見ての衝動買いでした。
トリオ・レコードから76年に発売された(あまり評判にならなかった)物ですけど
写真もデザインも(もちろん演奏も)秀逸な一枚だと思っています。
これが仮にCDだったとするなら、視覚に訴えてくるものが希薄なので
たぶん手に取ることもなかったんじゃないでしょうか。

そもそもプラスチックケースというのが
指先から感じるイメージや直感を阻害しているような気がします。
紙の素材や質、インクの乗り具合なども内容を伝える重要なファクターなのですから
デザインと併せそれらが凝縮した30Cm角のアートは唯一無二の物と言えます。

絶滅寸前まで追い詰められ、再び脚光を浴びる形になったアナログ盤の醍醐味は
実はこんなところにもあるのですが、こうして外観だけで捉えるなら
文庫本と単行本の違いみたいなものでしょうかね。

そんなアナログ盤の音を楽しむため、暮れに旧いスピーカーを買ってしまいました。
僕には以前から根拠のない思い込みがありまして
30Cmのディスクを再生するには同サイズのターンテーブルと
そして30Cmのウーハーがマウントされたスピーカーが最低限必要なのだと。
今までに使用した中で一番理にかなっていたのはJBLの4311でしたが
大きな音で鳴らせない現在の住環境では宝の持ち腐れになってしまうので
妥協できるぎりぎりのところでビクターのSX-3という
70年代初頭に一世を風靡した国産モデルが安く売られていたので入手したわけです。


ウーハーは持論に反して25Cmですが、これはやむを得ない結果でしょう。
ただしこれ、僕はずっと反目していたモデルでして
名機と謳われ、とても評判の良かった物なんですが
当時の僕は尖った音が好みだったので、滑らかで綺麗な音には全く関心が無かったのです。
それが・・年齢のせいなんでしょうかねえ、
今じゃ受け入れられるどころか「いい音」に聴こえてしまいます(笑)

いや、ほんとこれはいいですよ。
ソフトドームのツイーターは刺激音も無くスーッと伸びていますし
2KHzでクロスするウーハーとの繋がりもとてもスムーズです。
当時の評判通り、音の響きがいいんですよね。
フロントバッフルがスプルース材だからなのか
密閉箱なのに天板を叩くと、スコーンと抜けの良い音が響くから不思議です。
アコースティック楽器の音は特筆ものですね。

ま、これがクラシック音楽を愛好する方々に認められた所以なんでしょうけど
若い頃の僕がどうしても受け入れられなかったのは、この「音の甘さ」なんです。
それがどうでしょ、今ある僕には心地好い。

けれど、たったひとつだけ誤算がありました。
アナログ盤より、むしろCDの方が艶やかに鳴るんです。
デジタルの音源が、極めてアナログっぽい音がするもんで
ここ数日はヤフオクで仕入れたLPはそっちのけでCDばかり掛けています。

これはある意味嬉しい誤算てやつですな。
40数年の時を経て、老兵が現代に蘇ったようなもんです。
ようやく働ける場を得たような、そんなところでしょうけど
マーチンはマーチンらしく、ギブソンはギブソンらしく
見事に鳴り分けてくれるんですよ、これが。

数日前、FBで呟いた言葉
「往年のフォークソングの響きだ」と書いてしまったのは
解説するとこういうことだったんです。

いやはや
侮るなかれ国産機、ですな。



呑みながら綴っていると
だんだん訳がわからなくなってきてしまいました。
他にも言いたいことがあったような気がしますけど
それはまたいずれ。

ジャック・エリオットが気持ち良さそうに歌っている夜でした。

*

2015年1月1日

はっぴ(いいえ)んど



振り返ると
あっという間の一年

日の出と共にやって来る新年とは
意地悪で悪戯好きなのか
暦に終止符を打って
あたかも非連続な日常が
其処から始まるかのように思わせる

我が家の長女に言わせると
今日は13月1日なんだそうな
盆も正月も無い忙しい人間にとっては
確かにそれも一理ある

どうだい
ここいらで昔の姿に戻ってみないか
正月の三が日くらいは皆が休んで
静かに新年とやらを迎えてやろうじゃないか

そうでもしなきゃ
去年と今年の境い目なんて無い

慌しく13月を迎え入れるのは
忙しなくて嫌だし
何かを引き摺ってるみたいで
先へ進めそうにもない

24時間営業や年中無休は
過剰な便利さだといつも思ってる
おまけに人間を馬鹿にしてしまうだけで
工夫や知恵は生まれて来やしない

少しは不便さにも慣れなきゃだめだってば



・・なんだか
毎年同じ事を書いているような気がしてきた

こんな具合に2015年は始まる(始まってしまった)
わけであって
2014年も僕の中では
「はっぴ(いいえ)んど」だったのである

*

2014年12月28日

一年の瀬戸際


ご無沙汰しております。
すっかり筆不精となってしまい、Blogの更新も怠っておりましたが
今年もあとわずか、年の瀬というよりか一年の瀬戸際あたりまで来てしまいました。

仕事をしながらも、あいかわらず主夫業は続いておりまして
己の自由な時間を堪能する機会はまだまだ限られている状況ですけど
そんな環境にあっても時折興味を抱かせるものと遭遇します。

今日はこれを買ってしまいました。


一世を風靡したビクターSX3の初期型です。
家の近くのハードオフに二ヶ月くらい前から置かれていたんですが
程度の割りには値段が高く、なかなか買い手が付かなかったようです。

とは言っても、ヤフオクに出品されている物ほど酷い状態ではなく
毎回目にする度に、もうちいと安くなればなあ・・とウオッチを続けておりましたら
或る日突然かなりのプライスダウンとなっていたのです。

けれどそのまま放置、2週間ほどが過ぎました。
(途中、格安のYAMAHA NS-451に目移り)

それが昨日覗いてみると、まだ残ってまして
なんだか悲しい表情をしているので不憫に思えてしまい
迷った挙句、今朝仕事へ行く前に家まで連れ帰ってしまった次第であります。

実はこれ、アナログ再生用にと探していた時期があるんです。
現代風にフラットな特性の物よりは、ナローレンジのこの時代の製品の方が
音楽を愉しく聴かせてくれるに違いないですから。

スタジオモニターではご法度の色付けとか癖とかが
行き当たりばったりで自分の好みに合うものに変身するあたりが
オーディオの醍醐味でもあり、とりわけアナログには必要なことなんだと思っています。

ふふ、セッティングが楽しみですな。
一番最初に掛けるのはJ.J.CALEの「リアリー」
このアルバムのノーバート・プッナムのベースラインが僕のリファレンス・ソースなんですよ。

そして大瀧さんの一周忌を偲びつつの「ナイアガラ・ムーン」かな。


オリジナル盤の裏ジャケに、SX3の姿がありますからね。

*

2014年12月11日

なのであ~る。



僕の田舎、北海道では
冬になると足回りはスパイクタイヤがお決まりだった。
リベットが打たれたスノータイヤは、新雪だろうとアイスバーンだろうと
それさえ履いていればどこでも走れる安心感とお手軽さで重宝されていたものだ。

けれど30年ほど前、雪解け時期のアスファルト路面を削り取る粉塵が大問題となり
一世を風靡したそのスパイクタイヤは姿を消した。
確かに強烈な粉塵、春先の道路脇に残った雪が真っ黒になるほどだったから
人体に及ぼす悪影響は素人目にもわかったことだろう。
おまけにアスファルトの道路に轍ができてしまうことから
春は傷んだ路面を工事することが毎年の恒例になってしまっていた。

悪名高きスパイクタイヤ、ではあるが
あれほど強力に冬の路面をグリップしてくれる物は他に無かった。
なので使用が禁止されてからの数年は
仕方なく(制動の悪い)スノータイヤを履いた車の事故が後を絶たず
凍った路面で止まり切れずに踏切へ侵入し、列車と衝突するような
そんな痛ましい事故のニュースを頻繁に目にしたものだ。
当時のスノータイヤと呼ばれていた物は、
新雪ならまだしもアイスバーンには全く効果の無いものだったのである。

以来僕は、ゴムだけのタイヤで雪道を走れるわけがないと
ずっとずっとそう思い込んでいた。
スタッドレスタイヤが登場してからも全く信用できなかったのだ。
故に、やむを得ないときはチェーンを巻くようにして
ただの一度も冬のタイヤに履き替えることは無かった。
(年に一度か二度しか雪の降らない土地に住んでいるせいもあるがね)

けれど予期せぬときに雪は降るもので
昨年も一昨年も、結構なドカ雪に今住むこの町もやられた。
仕事場から(夏タイヤで)恐る恐る帰って来たことも何度かあった。
最近のスタッドレスはずいぶんと性能が向上しているようだし、
そろそろ年貢の納め時か・・

というわけで
(生まれて初めて)冬タイヤを買ってしまった。
おそらく数ヶ月間のほとんどは乾いた路面を走ることになるのであろうが
アルミ付きの安いPB製品を、しかも新品で、買ってしまったのである。
備えあれば憂いなし、とは言ってみたものの
ケチな僕が大奮発して購入したからには、たぶん今期は降らないだろう。

今日、そのニュータイヤを履いて仕事場まで走ってみた。
皮肉なもので、今まで履いていた夏タイヤが古かったせいもあり
乾いた路面ではあっても、乗り心地とグリップ感は申し分ないものであった。
新品のタイヤなんて、いつ以来だろう?
思い出せないくらいずっと中古のタイヤばかり履いていたものだから
真新しい柔らかなゴムの感触が、とても心地好く思えた一日なのであ~る。

・・スタッドレスとしての性能は
わからないまま磨り減って行くのかもしれませぬ(笑)



久しぶりのBlog更新、なのであ~る。

*

2014年11月24日

ゆるりと・・



カミさんが退院してから五日が過ぎた。
早いもんだ。

広くて平坦な病棟の床に比べると
家の中は狭くて出っ張りや障害物が無数にあるのだけれど
心配していたよりはちょこまかと動き回ることが出来ている。
それだけでもひと安心だ。

買い物や料理、台所の片付けなど
本来の日常生活に戻るまでにはまだ長い時間が掛かりそうだが
材料を準備して作業がしやすいようにセッティングしてさえおけば
僕が帰る頃までには晩飯を作れるようにもなった。
これは嬉しい誤算、今夜は野菜たっぷりの味噌汁が待っていた。

それでも後片付けは相変わらず僕の仕事。
食べ終わるとすぐにシャカシャカ洗ってしまう。
(時間が経つと面倒になってしまうからね)

けれど昼と夜の献立、それに伴う材料の確認が少々面倒臭い。
仕事へ行く前に近所のスーパーへ買出しに出掛け、
あれこれバランスを考えながらチョイスするのは脳味噌が疲れるものだ。
慣れてないせいもあるけど、毎日それを考える主婦ってのは凄いもんだね。(尊敬)

三ヶ月間の昼間のほとんどを一人で留守番していた猫、
近頃はいつも誰かが家に居るので、寝顔に余裕と安心感が漂っている。
とにかく一日中ずっと寝てばかりいる。
おまけに寝相も悪い。

毎日一人だけ家にぽつんと残されて
もしや自分は見捨てられたんじゃないだろうかと思いながら
薄暗い部屋で僕や娘の帰りを待っていた頃は
おそらく相当なストレスを感じていたであろうことは想像できる。
心細くて頻繁に目を覚ますので飯もたくさん食べていた。

けれどカミさんが家に戻ってからというもの、極端に食が細くなってしまった。
なあに、飯ならいつでも喰えるさ。
危機感の欠片もなく、寝てばかりいるのである。
そして思い出したようにむっくりと起き上がっては
ちょっとだけカリカリと飯を頬張って、再び寝床へと帰って行くのだ。

安堵感に満ちた猫の仕草を見ながら
僕もまた、気持ちに余裕が生まれているのを実感してる。
敢えて言うなら、「ゆるい」のである。
少なくとも、時間に追われるような切羽詰った感覚はすでに無い。

このゆるさ、実に心地好い。

*