数ヶ月に一度のペースでしか歌わなくなった今、
最も恐れていることは本番で歌詞が飛んでしまうこと。
自分の書いた歌なのにね。
スタイルに妙な拘りを持つ僕にとっては
譜面台に歌本を置くような真似は絶対にしたくないのであって
その頑固さが災いして肝心な部分がすっ飛んでしまったことが幾度となくある。
潔く譜面台を立てりゃいいのに!
そんな声がどこからか聞こえて来そうだけれど
やだね、僕は嫌だ。格好悪いんだもん。
昨夜、実は歌いたい曲があった。
出番を待つ間、飲みながら詩の一節を思い浮かべていると
どうしても思い出せない箇所がある。
あれ?なんだっけ?あれ・・?
そうこうしているうちにどんどん深みに嵌って行き
まるで思い出せなくなってしまった。
言わば、物忘れのツボ。
それが、トイレに行って用足しをしてるとき
不意に思い出したのだから笑ってしまう。
しかし、こりゃいかん。
それがトラウマになると、歌い出した途端にまた飛んでしまうもんだ。
結局、臆病風を吹かせてその曲は避けたのだが
歌いたかったと後になってから思う、とんだ小心者である。
ありがたいもので
こんな僕を招待してくださる方が時折いらっしゃる。
昨晩のPasta de acoustic vol.1というイベントも
一度しかお会いしたことのない方からのお招きだった。
本当にありがたいお話だ。
当然、心地好い気分で歌わせて頂いた。
リハのサウンドチェックの時点から
肩の力が抜け、僕は楽しくて仕方なかったくらいである。
たぶん気付いた方も居たことだろう。
昨夜の僕の声は、いつになく柔らかだったことを。
風景としての歌に、密かに表情を加えてみたんだ。
そしたら、今までとは全く別の世界が見えて来た。
それがもう、楽しくて楽しくて。
スタンダード、
僕が生み出した歌は、既に自身にとってのスタンダードになっているわけで
それを色付けすることで、とても新鮮な感覚を伴って自分に返って来る。
これが昨夜の収穫、楽しさ(愉しさ)の源だったのだ。
共演者であり、古くからの友人でもある楼茶が撮ってくれたスナップ。
これを見ていても、楽しんでいた自分の気持ちが伝わって来る。
いい写真だね。
歌の世界では異端児的な(児じゃないか)僕を誘って頂いた堤さん、野田シェフ、
帰りに車で送ってくれたディープなブルーズを(でかい声で)歌うディクソン清水さん、
カウンターでずっと話し込んでしまうほど意気投合した大野さん、
いつ以来なのか思い出せないくらい久しぶりに会ったタケちゃん、
旨い酒と心地好い時間を提供してくれたボーマスと若女将のレイナ、
そして僕の歌を愛してくれている(らしい)楼茶。
みんなに感謝!な夜は、家に帰ってから呑み直すという結果を生んだ。
そして、撃沈。
テーブルに突っ伏したまま夜明けを迎えたのである。
大人の事情で、仕事をサボろうかとも思ったけれど
酒の臭いをぷんぷんさせながら仕事場へと車を走らせ
きっちりと業務をこなして来た自分を、僕は褒めてあげたい。
今年で63歳となる、かずら元年。
この先の道が、ちょっぴり垣間見えたような気がしている。
まだまだ、まだまだ、歌うよ。
幾つになっても、修行の毎日だなんて
こんな素敵な人生はないからね!
思いの丈 伝わらなくて
唇を噛むなら
人一倍頑張った自分を
褒めてあげよう ねえ君
くよくよしないで
いつもの白い歯を見せてくれよ
ヘイ!夕焼けの134号線を南へ下れ
ヘイ!夕焼けの134号線を南へ下れ
「134号線の夕陽」より
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