2015年12月27日

この歳にして気付くこと



実は数日前から(密かに)
1966年のベンチャーズ日本公演のライブ映像を楽しんでいる。

https://www.youtube.com/watch?v=QGdxrjQU5-o 10番街の殺人
https://www.youtube.com/watch?v=3bKG0p6Tv9Q ワイプ・アウト

白のモズライトに憧れた
田舎の中学生だった時分から
ずいぶんと遠ざかっていたものだが
ひょんなことから目にした当時の生の演奏に
レコード盤とは桁違いのロック・スピリッツを今になって感じたからだ。
そのライブに於けるギザギザした尖った音とビートは
今さらながら聞き惚れるほどにワイルドでストレートだったのだ。
しかもシンプルでとてもわかりやすい。

やはりバンドは四人の編成がいい。
リボルバー辺りまでのビートルズがそうであったように
個々の音が聴き取れるくらいの音の密度が心地好く思えるのは
たぶん僕だけじゃないだろう。
バンドとしての(或いは音作りの)原点がそこにあるんだと思う。

ずいぶんと遠ざかっていた・・
そう書いたのは
やがてビートルズやストーンズを筆頭に
「歌うバンド」が台頭してからというもの
いつしか僕の中でインスト・バンドを蔑むようになっていたからだ。

歌が無きゃ、だめよ。
言葉が無きゃ、だめよ。
・・みたいな(或る意味)差別に似た感覚で
その後の50年ほどを生きて来たわけである。

考えてみりゃ
ブルーズがそうであるように
小難しい言葉を並べ立てなくたって
はたまたポップスがそうであるように
曲の長さが3分ほどであったとしても
僕らの好む「音楽」は成立するのだ。

NTT回線の市内通話は3分10円、
カップ麺が出来上がるのは3分、
ウルトラマンのカラータイマーも3分。
俗世間では「3分」が物事を完結する基準なのかと思うくらい
あらゆる場面で登場する時間の枠組みなのである。
(待てる限界が3分だなんて、せっかちに考えないでね)

侮るなかれ、3分!



・・そんなことを想いながら
63歳の2015年は暮れて行くわけで
人生とは日々気付きの毎日なのであります。

それにしても・・
ノーキー・エドワーズのギタープレイは
カントリーフレイバーに満ち溢れてますな。
バック・オウエンスのバンドメンバーだったことが頷けます。

この歳にして
ようやくそんなことがわかってくるのが
浅はかな「人間」であることの証明なのです(笑)

*

2015年12月22日

time is on my side


若い時分には
むしゃぶりつくように
一年という時間を食い漁りました。
旺盛な食欲の前では
味なんて、どうでもよかったんです。

ところが社会人となり
家庭を持つ頃になると
生き方だの、スタイルだのと
やたら過ごし方の味わいにうるさくなってしまいました。

同じ一年なのに
満足を得るためには
ずいぶんとお金が掛かるようになり
裕福でなければ幸せじゃないような
そんな錯覚を抱くようにもなりました。

一家の長として
人並みの生活を維持することが責務なのだと
働き盛りのその頃は思ったものです。

人並みの暮らし
そう言うことは簡単であっても
一年中、常に背伸びしながら
見栄を張って生きていた気がします。

時間に追われるように
はたまた時間を食い潰してしまう勢いで
我武者羅に働き続けるのが
悲しいかな庶民の姿なのです。

ふと気付くと、僕はもう
63年もの時間を平らげてしまってました。
お腹いっぱいです。

だからなのでしょうか、
近頃は焦りを感じることもなく
ただただ、淡々と一日を過ごしています。
どれほど大変で忙しい状況にあっても
己を見失うことがないように逃げ道を用意して
あくせくせぬように生きる強かさまで身に着けてます。

歳を取ると食が細くなるものですから
たとえ僅かな時間であっても
幾ばくかの満足を得ることができるようになりました。
今はそれで十分なのだと思います。

けれど若い諸君よ、
君たちは旺盛な食欲で時間を食い漁ってくれ。
不味かろうが旨かろうが、今はたらふく喰うがいい。
その飢餓感がなくてはならないのだ。

・・なあんて
呑みながら想う年の瀬でした。


この者たちは
まだ「時間」が何たるかを知りません。
その反面、親にとっては
時間の重さを痛切に感じてしまうのです。

それが世の常、人の常。
そんなもんです人生は。

幼な子はひたすら観察を続け
若者はありとあらゆるものを喰い
やがて毒と薬を見分けられるようになるのです。

ああ・・
偉そうなことをほざいてしまいました。
僕にとっての薬は酒だというのに。。



淡々と
2015年が去って行こうとしています。
淡々と
見送りましょう。

*

2015年12月11日

困惑


来週末、家族全員が集まることになった。
恒例の合同お誕生日会とクリスマス会を併せた催し。
男の子三人が皆11月生まれなので
いつの頃からか大勢で一堂に会すようになった。
今年は六月生まれの双子が加わったので、三世帯総勢12名となる。
きっと、喧しいくらい賑やかな一日となるであろう。

そのときに渡そうと思い
かねてから決めていた品を買い求めたのだが・・


パ、パーツが細かすぎる!!
しかも部品点数が多すぎ!!

これ、あやつらに組み立てられるんだろうか(汗)
如何にプラモ好きな僕であっても
老いた視力と指先では厄介そうな代物である。

どーしましょ・・(困)

*

2015年12月7日

思い留まる


何かと出費の多くなる年の瀬ですが
クリスマスが近付いて来ると
思わず衝動買いしたくなるのは何故なんでしょうね。
わあーっ!!と、まるで子供みたいに
目を輝かせながら見入ってしまう物に遭遇してしまうのです。

つい先日も、ぶらっと立ち寄ったハードオフで
プロポーションが素敵すぎるギターを見つけてしまいました。
生憎そのブランドと製品の知識が無かったもので即買いはせず
帰宅してからネットでしらみつぶしに調べ上げ
日本には12本しか入荷してないことが解りました。

安いくせにアディロンダック・スプルースをトップとブレイシングに使い
グローバーのオープンバック・ペグに鼈甲柄のピックガードと
風貌は限りなくマーチンOMなのでして
おまけにトップの塗装はラッカー風味に黄色っぽく仕上げられているのです。
うーん、これは買いだな。
明日、仕事場へ行く前に買っちまおう!
懐に余裕があるわけでもないのに、そう決心して床に就きました。

ところが翌日、ふだんより少しだけ早く起きてはみたものの
コーヒーを飲み一服しながら、もう一度冷静に考えてみました。

今までもそうやって、いったい何本の衝動買いをしたんだ?
ろくに弾いてあげもせず、すぐに手放してしまった物だって沢山あったじゃないか。
なんたって暮れのこの時期に、そんな余裕は無いんじゃないのか?

・・自問自答ではありながら
はい、仰る通りです。と呟いてから
ふうぅ~と煙を吐き出した僕は(あっさり)見送る決断をしたのです。
パソコンと相対しながら、気持ちが昂っていた前夜の自分は何だったのでしょう。

台所の換気扇の下で、風船が萎むように力が抜けて行くのを感じながら
「俺、大人になったもんだなあ・・」と、妙な感慨にふけっておりました。
六十三歳ですけど(笑)



忙しない年の瀬に追い詰められるのは嫌なんで
休日の今日は早々にリビングの大きなサッシのガラス磨きを終えました。
いわゆる大掃除ってやつです。
眩しい太陽に目を細めながらの二度拭き三度拭き、
ガラスも網戸もぴっかぴかに仕上がり、満足の行く結果となりました。
大掃除が面倒な皆さん、僕のように小掃除を積み上げて行く方式がお勧めですよ。

体が温まったので、薄着のまま窓磨きセットを携え愛車の元へ。
ついでに車のガラスも、ぴかぴかツヤツヤにしてあげました。

・・ここでドライバーの皆さんに質問。
洗車した直後の車がキビキビと快調に走ってくれるのは何故なんでしょ。
わあーい!綺麗になったあー!!って
車が喜んでくれてるんでしょうかね?
それとも己の達成感から来る思い過ごし?
いずれにしても、たかだか窓が綺麗になっただけのことで
Keiクンはぶるるーんと楽しそうでした。


そんなこんなで、今日の休日はめんこい奴らに逢うことはできず。
にゃはあ~、3ナンバーの幅広バギーに乗る二人
めんこいなあ。。

*

2015年12月2日

Turn! Turn! Turn!



ちょいと前の暮らしなら
あれもやらなきゃこれもやらなきゃと
まるで子供が宿題を一気に片付けるような勢いで
12月という追い詰められた時間の中を
バタバタと駆け抜けて行ったものだ。

けれど忙しいのは決して自分ではなく
職場や学校、役所の都合でそうなるのであって
そこに師走やら繁忙期やらの漢字を宛がわれると
なんとなく暇にしてちゃいけないような
そんな脅迫めいた気分になるだけのことなのである。

だから、慌てないことにした。
たとえやり残した事柄があったとしても
潔く放り投げ(放棄とも言う)
一年の中で僕が一番好きな時間である大晦日と元日を
静かに過ごそうと思うのだ。

子供たちに手が掛かり、何かと金も入り用な
若き夫婦の営む所帯の忙しさは重々承知しており
甚だ申し訳ない気にもなるのだが
それらから開放された身であるがゆえの
小さな幸せ、小さな抵抗として開き直るのだ。

この歳になると、常に思う。
時の世に踊らされるな、惑わされるなと。
そう、何事も淡々と相対して生きなければ。
熱くなりすぎてはいけない。

余談ながら・・

バーズがカバーした名曲「Turn! Turn!Turn!」
これを僕は「淡々と」と、勝手な解釈で訳したことがある。
ロジャー・マッギンのアレンジが、そう感じさせたものだからね(笑)

そう すべては淡々と
成されるままに淡々と
その時が来るまで
静かに見守っていよう

今、改めて読み直してみると
原詩から遠く懸け離れた誤訳とも思えないので安堵している。
ピート・シーガーからは叱られそうだが・・

The Byrds - Turn! Turn! Turn!
https://www.youtube.com/watch?v=W4ga_M5Zdn4

*

2015年11月26日

ツレヅレ



僕の田舎、北海道の帯広市は
冬の凍て付くような寒さは毎年の事ながら
日本海側に比べると積雪量は少ない地域だ。
けれど今年は、まだ11月だというのに
30Cmほどの積雪を観測したらしい。

僕の実家の玄関から表通りまでの10数メートルを
68歳になる姉が雪掻きに勤しむ。
積もっては掻き、積もっては掻き
どこの家も高齢者ばかりだから同じような状況であろうが
どれほど大変な作業であるかがよく解る。

これから雪との戦いが始まる北国の長く厳しい冬の日常、
その煩わしい生活に、たぶん僕はもう戻れないだろうな。

戦いと言えば
戦争の仕掛け人たちが、あちこちで蠢き始めた。
巧妙に、国際社会を煽り、正義を唱えながら。
テレビの映像とネットを駆使して
仕掛け人たちは民衆に正当性を洗脳することに余念がない。
何が正しいかではなく、何が悪かを訴える。
戦争を始めるためには、その「悪」を際立たせるという
愚かな人間共の古からの手法である。
敵を明確に作り上げたことによって生じる群集心理とは
一直線に突き進む、とてもとても恐ろしいものなのだ。

・・などと言いながらも
呑気にハードオフの餌箱を漁っていた自分が情けない。
百円でフーターズの2ndアルバムを見つけてほくそ笑む、
それが庶民の、ありのままの姿でもあるのだがね。

So What!(それがどうした)


*

2015年11月17日

明日なき世界



11月15日、P.F.Sloanが70歳の生涯を閉じた。
数々の名曲を残して逝った彼を偲びながら
未だに何も変わっちゃいない世界を憂いている。

「明日なき世界」
僕が初めてこの曲を耳にしたのは
往年のTV番組、ヤング720(セブン・ツー・オー)であり
早朝から生で演奏するコーナーに出演した高石友也が
バックにジャックスを従えて歌ったときだった。
高校に入りたての頃だったろうか。

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜だなんて嘘だろ

このリフが、強烈に突き刺さってきたことを
白黒の画面と一緒に今でもよく覚えている。

あれから50年ほど経ったけれど
世界は何も変わっちゃいないどころか
ますます危うくなってきている。

破滅の前夜は
永遠に続くのだろうか。



https://www.youtube.com/watch?v=YTQhBLDZ24g

東の空が燃えてるぜ
大砲の弾が破裂してるぜ
おまえは殺しの出来る年齢(とし)
でも
選挙権もまだ持たされちゃいねえ
鉄砲かついで得意になって
これじゃ世界中が死人の山さ

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ

感じねえかよ この嫌な感じを
一度くらいは TVで見ただろ
ボタンが押されりゃそれで終りさ
逃げ出す暇もありゃしねえ
見ろよ
そこの若いのよく見てみろよ
びくびくするのも 当たり前さ

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ

奴らは俺がおかしいと言う
でも
本当のことは曲げられやしねえ
政治家はいつもゴマカシばかり
法律で真実は隠せやしねえ
そりゃ デモをするだけで
平和が来るなんて
甘い夢などみちゃいねえさ

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ

狂ってきたこの世は騒がしいぜこんなとこからは逃げるに限る
一週間ほど宇宙旅行に
でも戻って来る場所はもとの故郷
進軍ラッパが闇の中にひびく
潜水艦がジェット機が
国を取り巻く

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ


*音源と歌詞は高石友也の訳詩に手を加えた清志郎バージョン。