2017年1月10日

Three Sと出会う



昨秋、MORRIS W-35の超格安美品を見つけた近所のハ―ドオフを久しぶりに覗いてみると、サドル以外の全てのパ―ツが取り外されて素っ裸になったThree Sがジャンクで置かれていたのです。ヘキサゴンのポジションマ―クが目に留まり、ふと立ち止まると「お願い、連れて行って・・」微かに、消え入りそうな声が聴こえた気がしました。
76年製のW-200、手に取ってみると合板ながらも板材が薄く、とても軽いボディなのでレスポンスは良さそうですし、綺麗で致命的なダメ―ジは見受けられません。けれど問題はネック、トラスロッドがヘタッていては素人リペアじゃお手上げです。店の片隅の商品チェックコ―ナ―に六角レンチが数種あったので(勝手に)クイクイッと回してみました。正常です、しかも滑らかで適度な締り具合!(・・やや表現が卑猥ですけど)おお!これならイケるぞ!!
そして最終チェック、各部を入念に点検した後にレジへ。「これください」¥1500の値札シ―ルがボディに貼り付けられたジャンク品の購入を決断するまで30分ほどの時間を要しましたが、決して嘲笑しないでくださいね。僕の「楽器への拘り」なんですから。


Three S、ギタ―をこよなく愛す友人が(同じように)ジャンクで手に入れ近年愛用しているのもこれです。ただし彼と違って僕は「ギタリスト」ではありませんから、歌伴として僕の相棒と成り得るかどうかは、パ―ツを取り付け調整が終わるまでは未知の世界なのでして、未知との遭遇の結末や如何に・・と、僕が思う以上に、この事を知ったら彼もまた興味深く見守ってくれることでしょう。彼と同じ物を手にしたことが、ほんのちょっぴり誇らしげな夜でもあります。なんか、嬉しい。

ちなみに、手持ちのパ―ツを調べてみると、Martin純正のロトマチック・ペグに、同じく純正のエンドピンとブリッジピン。ジャンク品には豪華すぎるラインナップです(笑)来週に控えたお疲れ休みの三連休にでも作業開始する予定。それまでは毎晩酒を飲みながら眺めています。リペア後のレポに乞うご期待!!ああ、なんかいい夜だなあ。酒が進む〜♪

*

2017年1月4日

The Fool On The Hill



毎年のことながら
去りゆく年にさしたる想いを馳せることもなく
ただただ新しい年を迎える喜びと
幸せに浸りながら静かに酒を飲む
そんな大晦日と元日でありました。

まさにゆく年くる年。
2017年の厳かな幕開けの瞬間に
去年てやつを酒と一緒にくいっと飲み干し
あたかも浄土された如きのまっさらな新年に
僕はちゃっかりと身を委ねたわけなのであります。

新年・・
なんて心揺さぶられる響きなのでしょう。
どれほどの蛮行を繰り返したとしても
年が明けると洗い流され
清められたような心地になるのです。
ありがたやありがたや。

そんな(お気楽な)自分ですから
抱負やら目標やら、或いは夢に至るまで
具体的に口にすることなど出来やしません。
不本意な流れにだけは逆らいつつ
あるがままに生きて行こうと思います。

と言うのも
六十数年生きて来て
年の初めに呟いたことが何ひとつ成就されてない
そんなダメ人間なのでありますから
軽はずみな言動は翌年の恥でしかないのです。

猫にあやかり
食っちゃあ寝、飲んじゃあ寝、
その合間に思いつきで動き回るような
そんな日常の必然と偶然の狭間を生きて参ります。

膝を抱え
しゃがみ込んで
丘のてっぺんに居る僕は
フール・オン・ザ・ヒル、なのでして
いつも人間臭プンプンでありたいと願っているのです。

こんな調子で今年も始まりました。
引っ張ったり、引っ張られたり
煽ったり、煽られたり
そんな煩わしさとは無縁の世界に
僕は立っていたい。

そう思うのです。

https://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E

*

2016年12月30日

そんな年の瀬



年中無休、いわゆるサ―ビス業の仕事場ではありますが
個人的に仕事を納めて参りました。
一年間、よ―頑張った!自分。
と、褒めてあげながら体を休めます。

とは言っても
毎年決まって、大晦日と元日だけのお正月休み。
酒を飲みながら、まあ〜ったりと駅伝の中継を観ていたいものだと
いつもいつも思っているのですが叶いません。

それどころか(これも毎年)
仕事場へ車で向かう途中の15号線で
駅伝の復路にばっちりと遭遇するわけなのでして
いやはや、嫌になるくらいのワンパタ―ンな年明けとなるのです。

とは言いながら
大晦日と元日だけでも家でゆっくりできることが
僕にとっては幸せな時間でもあるのです。

静かに行く年を見送り
厳かに新しい年を迎える。
その瞬間に立ち会えることだけで十分ではないですか。

賑やかなカウントダウンとか
大勢が集っての年越しとか
実はあまり好きじゃないのです。

なので、家で飲んでます。

そんなわけで、
年越しの場には今回も顔を出せませんけれど
お世話になった皆さま、この一年ありがとうございました。
そっちのあなたにも、こっちのあなたにも
感謝の気持ちでいっぱいです。

今や年に数回しか
ミュ―ジッシャンとして皆さまの前に登場することはありませんが
かずら元年、気まぐれに歌い続けて参りますので
何処かでお会いした折には乾杯いたしましょう。

そんな年の瀬、
今日も元気だ煙草が旨い。
元気は無くても酒だけ旨い。
やがて迎える新年も、そんな年にしたいものです。
どちらさまも、良い年をお迎えください。

一枚の画像は、義母の七回忌に集った親族とのスナップ。
長男の嫁と生まれたばかりの六人目の孫は欠席でしたが
いつの間にやら大所帯となってしまいました。

歳を重ねるごとに
家族って、いいもんだなあと思うのです。

・・そんな、年の瀬。

*

2016年11月19日

ワンコイン


本日、某所での出来事。

無造作にカ―ゴに乗せられていた
プロポ―ションが素敵なギタ―ケ―スを見かけ
「これ、売るの?」と、尋ねてみると
「そうだよ、持ってく?」と、軽い返答。

これ、昔々の7〜8年前くらいに(記憶では)アリアあたりが
輸入代理で1万5千円くらいの価格で売ってたよなあ・・
あの当時にも斬新なスタイリングが目を引いたのだが
軽くて丈夫なギグバッグが台頭して来た時期でもあり
結局手にすることはなかったという「思い出の品」だったのである。

けれど目の前にあるのは明らかに小型サイズ。
OMやOOO、はたまたクラシックギタ―用であり
愛用のドレッドノ―トが入らないことは明確だった。

「持ってく?」
再び声を掛けられたものの
数千円出して使い道が無いんじゃ無駄なので
「う―ん・・」と唸ったら

「誰も買わないだろうから持ってって!」
「タダというわけにはいかないから百円ちょうだい!」

「ひゃ、ひゃくえんだあ!?」
唖然として声も出なかった小心者のワタシ。
半ば強引に手渡され、車に積み込んだ次第である。

それがこれ。



グラスファイバ―製のセミライト、おっされでしょ。
ヘッド部分の裏側に派手な擦り傷があるだけで
他は中も外もぴっかぴかなのである。

これはいい!!

しかしながらドレッドサイズは入らないわけであり
いま一番のお気に入りであるMORRISはおろか、J-45だって無理。
手元にはOMやOOOは無い。

ベッドの下から、ふだんは使ってないスタッフォ―ドを引っ張り出す。
Gibson B-25のコピ―モデルだ。これならたぶん入るだろう。


ぴったんこ!である。
専用ケ―ス以上に、僅かな隙間も生じないほどのピッタリサイズだ。
ひゃっほ―!!と、一瞬の小躍り。

でもなあ、このギタ―、ライブじゃ使わないしなあ・・
すぐに現実に戻ってしまったが、
しばらくは部屋の隅に置いておくことにした。

・・という顛末。

ちなみに、帰宅してからネットで探しまくってみたけれど
当時のモデルは全くヒットしなかった。
そのかわり、衝撃的な事実を目の当たりにしたのである。

デザインも材質も内部構造も同じで、
おそらく同じ工場で生産されてるのであろう現在の製品が
グランド・オ―プリ―とかイ―ストマンとかのブランド名で販売されてるのだが
そのお値段、驚くなかれおよそ3万円から6万円とな!!
楽天での参考価格 http://item.rakuten.co.jp/owariya-gakki/gce151w/

ひえ〜っっっ(汗)

外観も内部も
ヘッド部分に湿度計が付いてるところまで
このイ―ストマンのモデルと全く同じ物であることがわかりますけど
いったいいつの間にこんな高級品になっちまったんだあ??

それが、タダ同然の「百円」です。
気まずい思いはありますけど、もう僕の物です。
誰にも渡しません。返せと言われても返しません。

お世話になったMさん、ありがとうございました。
この御恩は一生忘れません。

*

2016年11月15日

ただひたすらに



歌詞が文学と成り得るのであれば
彼にも文学賞を贈りたいと思えたほどの詩人
レナ―ド・コ―エンが逝き

その1週間後には
スワンプ・ロックの重鎮とも言える
レオン・ラッセルが逝ってしまった。


立て続けの訃報・・

けれど、不思議なことに
悲しみは込み上げてこない。
モニタ―スピ―カ―の向こう側で
彼らは今も変わらずに歌っているのだし
この先、何年も何十年も
歌い続けているのだろうから。

それゆえに
(不謹慎な言葉をお許し頂けるなら)

家族や友人の
「現実的な死」とは異なる感覚であり
否応なしに受け入れざるを得ない状況に
追い詰められずに済むせいなのか
彼らは永遠に生き続けているような錯覚が生じて
ある意味、救いとなるのだ。

そして、僕がこの歳になってわかったことは
いわゆる「お迎え」という儀式の存在だ。
個々の寿命は、いつ絶えるのか
それは誰にもわからない。
健康であっても、病床に伏していたとしても
自然の成り行きに任せるしかないということだ。

老いた者が、先に逝ってしまった者への弔いの言葉
「ああ・・あの人も逝ってしまったのかい」
多くは語ろうとしない、その心情がわかる年頃になってしまったようだ。

南無阿弥陀仏と称えるのは
ただひたすらに
「ありがとう」の、感謝の気持ちなのだ。

*

2016年10月18日

能書き



さしたる思い入れなどなく
これが欲しかったというわけでもありませんけど
昨日から僕の部屋で一緒に暮らすことになりました。
MORRIS W-35、1980年前後の合板モデルです。

ライブではいつもGibson J-45を使用してますが
マホガニ―の乾いた音だけじゃなく
ちょっとだけ艶が欲しくなることが度々あったのです。
なので、新たにロ―ズウッドを戦力に加えるべく
あれこれ物色していた矢先に「出くわした」わけでして・・

休日の夕刻、ふらりと近所のハ―ドオフに立ち寄ると
アコ―スティックのコ―ナ―が拡張されてました。
その数30本ほど、以前の倍くらいはあったでしょうか。
その中に、縦ロゴが目を引くこの娘が居たのです。
しかも(超と言っていいほどの)お買い得な値札を首からぶら下げ
並み居る同時代のヤマハやキャッツ・アイの中にあって
個性的な存在感を露わにしておりました。

程度が良いことも一目瞭然でしたが
いくら安くても衝動買いだけは避けなければ・・
妙に「大人」な抑制が働いて、その場を後にしました。
以前の僕なら、即行でレジに向かっていたでしょうけどね。

それから二晩、ネットであれこれ調べてみたり
一時期手元にあったW-100Dのことを思い出してみたりしながら
明日、行ってみて売れた後だったなら縁が無かったということだろう。
さほど熱くもならないまま、そう思って床に就きました。

ご参考まで・・
これがW-100Dというモデルでして、指板にインレイが施され
バックがハカランダとメイプルの3ピ―ス構成で
見た目通りジャキジャキの硬質な音が好きになれず手放しました。


そして翌日、
まだそのまま残ってました。
店員さんに声を掛け、手に取って試奏。
低域がちょっとだけブ―ミ―で中域が張り出したこの感じ、
懐かしき70年代の「合板の音」でした。
けれどヤマハのFGほどは高域がギラつかず、
キャッツ・アイの低価格モデルよりは音に芯があります。
これは僕が狙っていたロ―ズの音、そのものですし
愛用しているJ-45に色気と艶を加えたような好印象でした。

しかも蒲鉾型のネックの厚みがツボ!
細くて厚みのあるネック、これが僕の理想形なのですが
この形状はたぶん80年代くらいまでで、以降はどこのメ―カ―も
どんどん薄くなって行ったように思えます。
ゆえに、近年モデルには好みに合った物が無かったのです。

左手のグリップ感とテンション、申し分ありません。
手に馴染みます。
古い個体ではあっても、幸いなことにネックはフラット。
捻じれも全く無いので音に狂いも出ません。
安心してレジへと向かいました。


この時代の国内生産モデル、職人さんの仕事は実に丁寧ですね。
フレットは綺麗に正確に打ち込まれ
近年モデルに多く見受けられるバリも全く有りませんし、
ネックのバインディングも角を丸く落として、とても滑らかに仕上げられています。
(僕がバインディングされたネックが嫌いだったのはそこに原因があるわけで
これくらい丁寧に仕上げてあるなら全く気になりません)

ブレイシングも実に綺麗、匠の技です。
指でなぞると滑らかで、ささくれ立った箇所など微塵もありません。
今どきの、板材も仕上げも悪い粗悪な海外製単板モデルとは比較にならぬほど
当時の職人気質の凄腕に魅了されてます。

合板を侮るなかれ!僕の持論でありますし
しっかりと丁寧に作りさえすれば、単板にも負けやしないのです。

人生で二度目となるMORRISとの出会い、長々と書き綴ってしまいましたが
これから各部の調整やらパ―ツの交換やら、気になる箇所は幾つかありますもので
皆さまと会って頂くのは少々先になることかと思います。
アリスとタイアップして一世を風靡したMORRIS、
それを携えて歌うのは気恥ずかしいんですけどね・・(笑)

能書き、でした。

*

2016年10月14日

喧騒



一夜明け・・
受賞を祝うネット上の賑わいをよそに
当の本人はコメントもせず口を噤んだままのご様子。
授賞式には来てもらえるのかしらと
スウェ―デンアカデミ―はさぞかし気を揉んでおられることでしょうな。
いやはや、そんなところもディランらしい。

歌詞、これは文学なのか?
賛否両論の見解も熱を帯びているようです。
ディランの歌と詩は一体なのだから
切り離して捉えてほしくないというファンの声も聞かれます。

テレビのニュ―スは
街頭インタビュ―やら、ファンが集うお店やらの
通り一遍で(胡散臭さを漂わせた)コメントばかりが繰り返されて
見てるこちらは、ただただこそばゆくなるばかり。

なんだか
敢えてディランが語ろうとしない気持ちがわかるような・・

僕はというと、
ちょっと離れたところから
幾分冷めた目で見ています。

松本隆や阿久悠の詩にも
その情景描写や心象風景には
文学と呼べる言葉の世界がありましたから
ディランがノ―ベル文学賞を受賞したことに
違和感はありませんし、異を唱えることもありません。
歌詞としての言葉の綴れ織りが認められたことは
むしろ嬉しい限りです。

けど、なぜ今なの?

韻を踏む、という手法は
多くのミュ―ジシャンの歌やトラッドにも見受けられますから
彼がその先駆けだったとは言えない筈です。

なぜ、ディランなの?

たとえば今まで縁のなかった方々がこのニュ―スを知って
話題性や物珍しさでアルバムや書物を買い漁るような光景や
旧タイトルが品切れになるくらい売れに売れて
嬉しい悲鳴を上げるレコ―ド会社の喧騒ぶりとかは
見たくもないですし聞きたくもないです。

難解すぎて、クソみたいに思っていたであろう長い詩を
抒情に満ちた素晴らしい世界だ!などと
手の平を返したような口ぶりで褒め称える言葉も聞きたくないのです。

僕(ら)のディランを
そっとしておいてください。

彼自身も
そう思っているのかもしれませんね。


*