たとえミュ―ジシャンの端くれではあっても
自分の歌を世に問いたい一心で田舎から出て来た。
「君の歌、今の東京なら絶対に受け入れてもらえるよ。
こちらに来られるなら、是非連絡ちょうだい。」
帯広のライブバ―で歌っていた頃、東大法学部の学生さんに
そう言われて連絡先のメモを戴いた。
彼もまたミュ―ジシャンで、彼女と二人旅の途中だったらしい。
その年の秋、京都を経て東京へ向かう折
深夜バスで早朝の八重洲口に到着する旨を彼に連絡すると
「自分は都合が悪くて行けないので
代わりに信頼できる友人を迎えに行かせる」とのこと。
え?知らない人なのに、どうやって落ち合えばいいの??
「平日の早朝に、八重洲口なんかで絶対に見かけないような
そんな格好の女性が行くんで、すぐわかるから大丈夫!」
ほんとかよ・・不安に苛まれつつ、朝の6時にベンチで待つと
人気の無い、がらあ―んとした八重洲口の遠くの方から
「かずら―!」と、名前を呼びながら近づいて来る者あり。
確かに、サラリ―マンとOLしか行き来しないであろうこの場所に
あまりにも不釣り合いな外観の女性であった。
アフロが伸びきったようなもしゃもしゃの髪、
眉毛は剃り落とし、マニキュアは黒の不気味な容姿と
ロングブ―ツにジ―ンズを仕舞い込んだ出で立ちで
颯爽と、馴れ馴れしく、その女は陽気に現れたのだった。
「話は聞いてる、歌を聴かせて、泊まる所も心配ない」
あれやこれやと、顔が広く取り巻きも大勢いるようで
その気っ風の良さに、これが江戸っ子気質ってやつか
と感心しつつ、流れのまま彼女のお世話になることにした。
この女こそが、何を隠そう今の女房なのである。
(画像は70年当時の京都発八重洲口行き「国鉄」高速バス。
ハイウェイバスと呼ばれ、ドリ―ム号という名称だった。)