2020年10月16日

裏口は入試だけではない

 

私が長らく在籍していた某物流会社の神奈川主管は鶴見に在って、各主管ごとに人事課や総務課は勤務地の建屋に同居している。ずっと非正規の扱いではあったが、雇用主はもちろん神奈川主管、必要な書類の申請や各種手続きは同じフロアの人事課にお願いすれば対応して頂けた。ところがである。60歳になると(自動的に)雇用主は自社系列の派遣会社に変わり、申請や手続きは全て郵送や社内便での行き来となってしまう。これが時間や日数を要する事となり、60歳を過ぎてからの8年間はその不便さに悩まされ続けていた。
おまけに雇用主が派遣会社に変わることにより、社会保険も健康保険組合から健康保険協会(協会けんぽ)に移行するわけで、これがまた更なる厄介事を増やしてくれたのだ。たとえば高額医療費の還付手続きの場合、同じ建屋の担当者に「お願いね―」と書類を渡せばよかっただけの事が、既定の書式をダウンロ―ドして自ら協会けんぽに郵送して申請しなければならなくなったり(もちろん切手代は自己負担となる)不便この上ないだけでなく細々した出費にも納得がいかなかったのである。

そんな付き合いもこれっきりとばかりに、本日付けで失効した保険証を返却するため10時に家を出た。派遣会社の神奈川支部は新横浜駅前のテナントビルに在り、さほど遠くないので郵送ではなく直接持参することにしたのだ。そうすれば区役所へ提出する健康保険失効証明書もその場で受け取ることが出来るだろうしね。陽も出て来たし、寒いけど清々しい一日になりそうだあ。煩わしいあんたらともおさらばじゃあ―!!

窓口で保険証を返却、失効証明書をお願いすると・・
「うちでは発行してません、協会けんぽから後日発送されます」とな。ほ―ら出た!この期に及んで悪魔のような回答。届くまでどれくらいかかるんですか?「2週間前後」そ、そんなに!?「保険証を本社に送って、そこから協会に発送して、なんだかんだで10日から2週間くらいは要しますよ」となとな。ま、これも過去の習わしからの想定内。退職証明書だけで勘弁してあげたわ。そそくさと後にして、その足で区役所へと向かう。国保の加入申込をする際、本来は社保の失効証明書が必須なのだが、実は「裏口」もあるのだ。退職証明書と本人確認の免許証の類い、それと印鑑(いわゆるハンコ)が有れば受け付けてもらえるのです。ただし窓口の担当者が雇用主に電話で退職確認をしなければならないので、それを面倒がって拒絶される場合もあるそうな。私は返却した保険証のコピ―を持参したこともあり、今回はすんなり受け入れて頂けた(地方自治体にとっては、失効当日に加入してくれて保険料の取りっぱぐれも起きないのだから優良市民だよね)かくして申請手続きはサクサクとスム―ズに進み・・え!?即日発行ですと!?思いもよらぬ「その場」での保険証発行。てっきり後日郵送だと思っていたのでこれにはびっくり。ちょっとだけ行政の窓口業務を見直したわ。やれば出来るんじゃ―ん。

というわけで、保険証を手にするまでの間の一時的な10割負担も免れたし、即日発行された保険証は今日から使えるらしいし、いい仕事したなあ自分。と、己を褒めてあげたくなる一日だったのであ―る。この顛末、社保から国保に移行する必要が生じたときの参考にしてくだされ。それと、知らない方のために。社保が失効したその日から(裏では自動的に)国保に加入させられてるのよ。つまり失効した日付から保険料が発生してるということ、これ覚えておいてね。以上、現場からのリポ―トでした!


2020年10月15日

カボチャさんたち、さらばじゃ!

 

過日お知らせしました通り、
10月15日の本日をもちまして
某サ―ビス業から完全に足を洗わせて頂きました。
足掛け15年もの長きに渡り
一日におよそ100人の顧客と相対したとすると
年間で100人X20日X12ヶ月=24000人となり、
15年間では延べ36万人もの方々のお相手をした計算になります。
今さらながら、超絶の数字ではありませんか。
よくもまあ続いたものだと、我ながら呆れてしまいます。

明日は会社へ赴き、保険証を返却して
健康保険資格喪失証明書を頂いてくる予定です。
何事も直接やり取りできることは、いつもそうしてます。
よほど遠くない限り、確実に受け渡しできるよう
重要書類の郵送での行き来はなるべく避けたいものでして
基本的にはアナログ重視の姿勢を貫いてますから(笑)

地平線まで続く膨大な数のカボチャ群が
これまでに関わってきた顧客の頭部に思えます。

カボチャさんたち、さらばじゃ!

2020年10月14日

小さな幸せ

 

遅れ馳せながら、長女が祝ってくれました。
六十八歳・・しみじみ。
ありがたいことです。
日頃は何かと口うるさい人なんですが
「はい、わかりました」的に
こちらが口答えさえしなければ
すぐに忘れてくれるので付き合い方は簡単です。
なんたって、家族全員O型の一家ですから。


インナ―のスリッパ(シュ―ズ?)も戴きまして
素足で履くと温かで心地好くなります。
秋を素通りして冬の足音が近づいてきた今日この頃、
小さな小さな幸せに浸る一日でありました。

ありがとうよ!



2020年10月13日

医療保険制度は一本化するべきだ

 会社勤めを辞めると、あれこれ面倒な手続きが必要になる。そのひとつが健康保険の扱いだ。退職により従来の保険が失効した後、社会保険の任意継続にするか国民健康保険に加入するか、その二択を求められる。私の場合9月中旬からは出勤してないが、有給休暇を消化するため書類上の退職日は今月15日となる。つまり翌16日が保険の失効日、現在の保険証を返納して保険協会または横浜市のいずれかに申請しなければならない。そこで頭を悩ますのが保険料だ。社会保険の任意継続にすると、会社負担分が全て個人負担となるので単純に現在の保険料の2倍。それでも国保と比較すると若干は安い。ただし2年間は解約できない規定なので、毎年6月に保険料の見直しをする国保との差が縮まるどころか、2年を待たずして逆転してしまうのだ。おまけに任意継続が終了する2年後には国保の申請をせねばならず、またしても書類のやり取りが発生するというのも憂鬱になってしまう。いやはや、これはなんとも悩ましい限り。WEBに国民健康保険料の自動計算が出来るサイトがあったので試してみたが、出て来る数字に釈然としないので(散歩がてら)区役所の窓口へ赴き試算してもらうことにした。


我が家から区役所までは、車だと15分ほどで電車だと3駅の距離。迷わず田園風景を眺めながらの電車で行くことにした。いずみ野線で湘南台方面へ向かうときいつも驚かされるのが、わずか2駅ほど進んだ辺りから丹沢の山々が急にでかくなること(ほんと、いきなり眼前に迫ってくる感じ)天気の良い日は色濃い緑がくっきりと見えて余計にでかくなるのだが、今日は雲が多くて稜線がぼんやりしていたのが残念なところ。

話を戻そう。窓口で試算してもらった結果、初年度だけは任意継続より幾分高いが、2年後の春になると現在の社会保険料と同じくらいになるらしい。前年度の給与収入が一切無くなるわけだし当然といえば当然なのだが「国保は高い」という先入観が払拭された気分。煩雑な手続きを何度もせず、この際(潔く)国保にしちまうかあ・・と、やたら一所懸命に考えた挙句、お手軽な方を選んでしまうのがO型人間の特性であり、その血を持つ私の頭の中で流れが変わり始めたのであった。

それにしても、何ゆえ医療保険は社保と国保に分かれてるんでしょうね。国の管理と地方自治体の管理とに分ける必要性は無いんじゃないですか?一本化されていれば、こんな面倒なことにはならないでしょうに。その辺り、如何なものかと。

2020年10月12日

カワセ楽器の思い出

 

昨日は赤箱のことをあれこれ書き綴ったもんだなあ・・
一服しながら回想していると、俄かにカワセ楽器店の思い出が蘇った。70年代初頭、渋谷界隈で歌っていた頃に何度も通っていた老舗の店である(今でも一部のマニアの間では聖地とも呼ばれているそうな)その店で販売していたのがブロンズのMASTER弦。他社よりもゲ―ジが細めだからと店主からは12-53のミディアムを薦められ、長らく愛用していたものだった。その当時は白地に1色刷りのチ―プな紙袋入りだったが、KAWASEの太いロゴが入ったデザインがとても気に入っていた。80年代に入ると真空パックのポリ袋入りとなり、オリジナルを知る者にとって、やや残念な気持ちになったことは否めないが、こちらも頻繁に弦を張り替える必然性が無くなってしまったこともあり、その頃からカワセ楽器とは疎遠になった。


そんなわけで懐かしくなってお店のサイトを覗いてみると、80年代のパッケ―ジそのままで今でも販売されていた。お値段550円、当時とさほど変わってないような気がする(一緒に写ってる透明のサムピックも当時愛用していた物。懐かしいなあ)ちょっとだけ甘酸っぱい記憶が蘇る。よし、次はこれを張ってみよう。オススメの弦はありませんかと直球質問してきた友人にも、早速LINEで知らせてあげた。

ご存じの方も多いとは思うが、カワセ楽器は当時からMASTERブランドの良質なギタ―を製造販売していた。70年代の初め頃、15万円前後だったろうか。欲しかったけれど、当時のマ―チンの半額くらいとは言え、そのような大金は持ち合わせていなかったので断念。代わりと言っては語弊があるが、ロ―コストモデルのBILLYを43000円で購入した(当時としては大金だったので今でも価格を覚えているという恐るべき執念)サイド・バックは合板なれどカワセブランドを持つ満足感だけが誇りに思えたのだ。確かケ―スは別売りで7000円ほど、それにレインカバ―を特注した記憶がある。ヘッドロゴは数種類あるようだが、私のは初期モデルだったのでこの画像と全く同じだ。


何故こんな変てこなロゴにしたのか、カワセ楽器に尋ねてみたいものだね(笑)

この思い出深いギタ―も今は手元に無い。例によって売っぱらってしまったんだろ、と思うでしょ。ところがどっこい奇跡的に残っているのですよ。これは大切なものだからと、長男に預けてあるのです。機会があったら引き取ろうかしら、およそ50年の時を経た今、いったいどんなことになっているのやら。ケ―スを開けるのが楽しみでもあり恐ろしくもあり、離別した子供と再会するような心境になってしまう。もしもその時が来たなら、この場でしっかり報告させて頂くつもりである。

2020年10月11日

今は亡き赤箱を偲ぶ

 

マ―チン・ブロンズライトM140、いわゆる赤箱と呼ばれていた頃のパッケ―ジ。外装は厚紙で作られた箱製で内袋も紙だった。市場の実勢価格が400円ほどで安価だったこともあり、古くから好んで愛用している者の他にも、取り合えずとか間に合わせといった類の需要もあり、ロ―コスト製品ながら長きに渡って多くのギタリストに貢献してきた歴史がある。かく言う私もご多分に漏れず重宝してきた一人であり、ダダリオや幾つかのコ―ティング弦をとっかえひっかえしながら、チョイスに困ったときは決まってこれにしていたほど、数あるアコギ弦の中でもスタンダ―ド的な位置にあったのだろうと思う。

私感ながら、ブロンズ弦はなんと言っても、ざらついた音のジャリジャリしたところがいい。それに加えて、張り替えた直後のギラギラ感、少し馴染んできた頃のツッパリ感、そして古くなってからのにゅるにゅる感といったように、音色を三度楽しめるところもブロンズ弦ならではなのだ。個人的にはライブを終えた後、数日間放置した頃合いの音が一番好きであり、その後数ケ月経過した頃のサスティ―ンが抜けた音もまんざら嫌いではない。要は、ストロ―クで弾くにはある程度の「雑味」があった方がいいのであって、それは私のみならずギブソンやマホガニ―のボディが好きな方には解って頂けるのではないだろうか。

それほど重宝されていた赤箱だが、数年前唐突に市場から姿を消し、後継と思しきMA140 AUTHENTICというポリ袋入りの(今風な)製品に変わってしまった。







商品レビュ―や評判は悪くなさそうだが(おそらく)ザラザラギラギラ感を後退させ、少しばかりの高級感を醸し出しているんじゃなかろうか。だとしたなら誰も買わない、むろん私も。せめてダダリオのEJ11やDARCOと同じくらいの価格であれば受け入れたのだが、実勢価格は赤箱の2倍、安売店でも800円は下らないという、ある意味プチブル的な階層に属してしまったのが中途半端すぎて気に入らない。・・ねえ、赤箱愛好家だった皆さんは今どうしてるの?

などと、思いもよらず(今は亡き)赤箱を褒め称えてしまったが、それというのも昨晩、友人からお薦めの弦を紹介してほしいと尋ねられたことから始まる。いきなりの直球質問、知恵や経験のキャパシティに乏しい私。答えに窮するそんなときのために赤箱が存在していたことを、改めて思い知らされたからである。


2020年10月10日

爺さんの古時計


20年ほど前になるだろうか、逆輸入の自動巻SEIKO-5がネットでやたら大量に売られていた。種類も豊富でおまけに安い。扱うショップもたくさんあって、価格は現在の半分ほどの5千円くらいだった。あまりにも安いんで、白と黒の文字盤のモデルをそれぞれ1個ずつ買った内のひとつがこれだ。ム―ブメントが日本製なので、今でも正確に時を刻んでくれてはいるのだが、唯一寒さにだけは弱い。冬場、冷えた室内に置きっ放しにしていると遅れ始める。寒がり屋さんなのだ。ここ二日間、11月後半くらいの低温だったせいで、ご多分に漏れず遅れてしまっていた。誤差が生じるのは機械式時計の宿命であり、この辺りがアナログとしての可愛らしさでもあるのだが、時計が遅れるのは進むことより問題が生じやすい。ましてや三日ほど放っておくと平気で10分くらい遅れてしまうのだから、気を付けてないとあたふたしてしまう結果になるのだ。そろそろ引退させてあげようかなあ・・
実はひとつのプランがあった。仕事を辞めて自由人となるにあたり、その記念というか自分へのご褒美というかで、腕時計を新調しようかと考えていたのだ。が・・サイトを開いてみると、興味を抱いた物はどれもお高い。そして冷静に考えると、決まった時間に家を出ることも無くなった人間に必要ないのではないか?という結論に至る。誰にも話してないので暗黙の裡に自己決着と相成った顛末。ちょっと残念、ちょっと悲しい、爺さんの古時計のお話でした。