2012年1月24日

冬の野郎め


冬の野郎め、あたふたと駆け込みでやって来やがる。



毎年この時期になると、そう思ってしまいます。
これでもか、と言わんばかりの強烈な寒波。
そう簡単に春に陣取られてたまるかい!
そんな冬の意固地さを感じさせます。
前日には雪を降らせ、今夜もかなり冷えてますが
どうやらこの寒波、しばらくは列島に居座り続けるようです。

私、北国で生まれ育ちました。
寒いのは平気でしょ?と、よく言われますが
暑いのも寒いのも、極端なのは苦手です。

実は雪も嫌いです。
嫌いと言うより、雪に弱い体質。
雪の降る凍えた大地で育ったくせにね。
たぶん体に染み付いた自然への無力感からでしょう。
勝てませんもの、自然の強大な力には。
氷点下20℃とか、1mのドカ雪とかを
目の当たりにすると人間の負けを認めざるを得ません。
尻尾巻いて逃げて、家に閉じ篭ってしまうしかないくらい
何にも出来なかったですからね。
私が猫背になってしまったのは
凍土の道を歩いたからか、ストーブの前で丸まっていたからか
そのどちらかなのだと思います。

いずれにしても
冬は嫌い。雪も嫌い。そう呟きながら
背中を丸めてウィスキーを飲んでいる、軟弱な私なのであります。



2012年1月23日

あーでもない、こーでもない


一日中パソコンに向かってました。
もはや引き篭もりの典型みたいな状態。
だって、寒かったんですもん。

先日、sound.jpに引越しさせたホームページを何気なくiPhoneで開いてみたら
恐ろしいほどの数のバナー広告がバチバチ出現して唖然。
パソコンで見慣れた画面の状態ではないのでマニュアルを確認してみると
「広告の表示変更はスマホには対応しておりません」と記されているじゃありませんか。
あっちゃあー!事実を知って愕然としました。

こりゃいかん。
以前のサーバーの方が、スマホで開いても広告表示は少ないようなので
多少長くなってしまうURLには目をつぶることにして
せっせせっせと再構築の(ついでにリニューアル)作業に励んでしまったのです。

こちらがそのサイト、http://kazura1952.web.fc2.com/
ひとたび始めてしまうと、あーでもないこーでもないの悪循環に陥り
書いたり消したりを繰り返しながら、数時間掛けてようやく形が出来上がった次第です。
もう少々手直しを加えてから正式にお知らせしますので
おい、また引越しかよ!・・なんて言わないでくださいね(汗)




明日の朝は雪が積もっているのでしょうか。
車を出せるのか心配です。



2012年1月22日

NHKと私の関係


NHK大河ドラマ「平清盛」本日3回目となりましたが
うーん、この時代のエネルギー感が今ひとつ伝わって来ません。
導入部が暗く、遊び心が全く無いせいか
どこぞの知事がボヤいていた通り、華やかさが足りないのかも。
ゆるいキャラが一人くらい居てくれれば、もう少し楽しめるのにね。
「龍馬伝」「江~姫たちの戦国」「坂の上の雲」などに見られたような
少し気を抜いて楽しめる作りの方が私はいいのですが・・
次も観たい!そんなワクワクした気分にはなれないのが残念です。

ま、明日の「カーネーション」で口直しすることにしましょう。
NHKと私の関係、かなり親密です(笑)



2012年1月21日

facebookとカーネーション


登録してから、やや放置気味だったfacebookの面白みがようやく分かってきました。
フォロワーさんはtwitterとほぼダブってはいるんですが
ツブヤキ以外の部分で視覚的に直接伝わって来る楽しさがあるようです。
要はtwitterに足りなかった物を補ってくれているような、そんな感じなのでしょうか。
色気を出して?ウォールをタイムラインに切り替えたり、友人検索したりしながら再度構築中です。
アカウントは(そのまんま)かずら元年、繋がりご希望の方はお気軽にリクエストしてくださいね。

ここ数日間、twitterとの連携が上手く行ってないようで(以前から時折その傾向はありましたが)
Blogの更新データがfacebookの方に反映されてなかったりしています。
一部の投稿が重複してしまうかも知れませんが、本日から個別に書き込むことにしますので
拙い言葉の羅列ではありますが、「かずら的日常」ご贔屓にして頂ければ幸いです。

話は唐突に飛び、NHKの連続TV小説「カーネーション」実に面白いです。
大阪弁のスピード感と、キャラクターの濃さからなのでしょうか、15分の時間がとても濃厚に感じられます。
毎作観てはいるんですが、第1話から一度も欠かさず観ているのは今回が初めてで
しかも土曜が終わると月曜が待ち遠しくて仕方なくなるくらいです。
ちょっとした中毒症状?いや、それほど楽しみになるのですよ。
来週の展開も面白くなりそうだなあ・・と、いつものように期待しながらも
3月が近付いて来ると、終わりを迎えることが残念な気持ちになってしまいます。
もっともっと観ていたい。
椎名林檎のテーマ曲が流れて来るたび、そう思うのです。

連続TV小説は半年ごとに東京と大阪で交互に制作されるのですが、
私は毎回、秋から春にかけての「大阪版」が好きでした。
その中でも岸和田を舞台にした今回の大阪版はバタ臭い作りとなっていて
大河ドラマでもお馴染みとなったフィルム映像に似た色合いが良い雰囲気を醸し出し
昭和の家庭の日常のドタバタ感に、言いようの無い楽しさを覚えてしまいます。
「カーネーション」もう中盤を過ぎてしまいましたが、おススメですよ!




・・それにしても、今夜も脈絡が無いな(自戒)



2012年1月20日

とんとん冬が戸を叩く


横浜にも初雪が降りました。
夜の間は気温が高めだったので、雪に変わることはあるまいなどと
素人判断していた自分が甘かったようです。
朝にかけて気温が下がり、予報通りの積雪となりました。
冬本番の1月とはいえ、寒い寒い一日です。

今夜は北風が強く吹いてます。
「とんとん冬が戸を叩く」
私の古い古い歌を思い出してしまいました。



2012年1月19日

冷たい女

アルバム「悲しき夏バテ」の中に、「冷たい女」という曲があります。
70年代の一時期に仲良くしていた私の友人、千葉信行の作品です。
笑うと笑窪ができる、どこか憎めない顔つきで
のらりくらりと暮らす様はフーテンの寅さんみたいな人でした。
布谷さんはこの曲をレコーディングするにあたり、
「おんな」は「おな」、「おとこ」は「とこ」と聴こえるほどに
言葉をリズムに乗せるため巧妙にアクセントを変えていました。
それには理由があって、バックコーラスを担当したのがシンガーズ・スリーという
ある意味当時の著名な女性コーラス・グループだったことによります。
伊集 加代、団 洋子、尾形 道子の三人からなるこのグループは
大瀧さんもベルウッドのソロ・アルバム以降に重宝していたのですが、
如何せんそれまではロックとはまるで無縁の畑違いの方々。
イメージ作りから始まり、かなり無理な注文をつけてようやく収録できたと
後で笑いながら布谷さんが教えてくれました。
まだこの時代は、レコーディングに使えるプロのコーラス・グループというのが
彼女たちくらいしか居なかったというお寒い現実があったわけです。

ニコニコ動画にスタジオ・テイクの音源があったので聴いてみてください。
たぶん何を言ってるかわからないでしょうが(笑)歌詞は至ってシンプル。

おまえは女 冷たい女
どうしてそんなに冷たくするの

俺は男 おまえが欲しい
だけどおまえは振り向いてもくれない

銀次さんのスライド、ゆかりさんのドラムも最高です。
そして(熟年)シンガーズ・スリーも頑張ってくれてます。

そのノブユキさん(実は大瀧詠一氏と同郷で同級生)
一緒に福生の大瀧さんの家に遊びに行って朝までブラックジャックに呆けたとき
私や女房、大瀧さんらに(冗談で)ボロクソに言われたことに腹を立て
それっきり顔を見せなくなったまま現在に至っています。
三十数年前の出来事・・ふと思い出してしまいました。
今ごろは何処でどうしてるのやら。



2012年1月18日

昭和の達人がまた一人・・


Twitterで布谷さんの急逝を知りました。
何度かお会いしたことのある、類稀なミュージシャンであり
大瀧さん(大瀧詠一)のファースト・アルバムに収められている「びんぼう」も
彼のバックコーラス(シャウト)によって独特の色合いに味付けされ、
後の「ナイアガラ音頭」で、その名が広く知れ渡り
廃盤となっていた73年の「悲しき夏バテ」の再発売に至った経緯があります。
突然の訃報、まだまだ歌っていてほしかったので残念でなりません。

布谷文夫・・彼は1947年、私と同じ北海道に生まれ
DEW、ブルース・クリエーションのボーカルを経てソロ・シンガーとなりました。
当時のライブでは、声もアクションも(揉み上げも)まるでジョー・コッカーのようで
田舎から出て来た私は、羨望の眼差しで溜息をつきながら観ていたものです。
前述のアルバム「悲しき夏バテ」は、大瀧詠一のプロデュースで73年に発売され
サポート・ミュージシャンの豪華さにも関わらず全く売れず
(仲間内の噂では、全国でたったの17枚しか売れなかったそうです)
すぐに廃盤になってしまった経緯があります。
ちなみにその時のバックはココナッツ・バンクで、粘り気のあるいい音を出していました。
伊藤銀次(g)、藤本雄志(b)、上原裕(ds)、駒沢裕城(ペダルスティール、ドブロ)、矢野誠(p)
クレジットを見ただけでワクワクしてしまう、当時のそうそうたる顔ぶれです。
私はこのアルバムの見開きジャケットの内側の写真が好きでした。


たぶん福生の大瀧さんの家(米軍ハウス)だと思われる室内で談笑している光景が
後のナイアガラ・レコード誕生を予見させる、そんな絵に思えるからです。

機会があったら聴いてみてください。
ココナッツ・バンクがサポートしたA面も勿論良いのですが
アコギ1本で弾き語るB面に、より魅力を感じると思います。
(すみません、アナログディスクの表現だとこうなります)

南部臭漂う彼の歌声、新たな物は聴けないことが残念です。
35年ほど前、大瀧さんのライブでお会いした時に
「喰うための気軽ないい仕事、ないですかね~」と尋ねると
「俺のやってる学研のセールス!これいいよぉ、気楽だし!」と勧誘された記憶があります。
「ナイアガラ音頭」が売れてもなお、家族を養うために働かなければならなかった
そんな時代のお話です。

私の中の「昭和の達人」が
また一人逝ってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。