2017年1月14日

待ちきれず



来週に予定していたジャンク品の改修と復元作業、待ちきれない性分なので始めてしまいました。まずはボディ内部と全体のクリ―ニング。さほど汚れてなかった個体ですが、古いだけに指板はオレンジオイルで念入りに磨き上げておきました。
続いてロトマチック・ペグとエンドピンの取付。リ―マ―で穴を広げながらの作業とは言え、終わってみると思いのほか肩と腰が張っててびっくり。年齢・・なのかねえ?そんな肉体の衰えを感じながらも、シャ―ラ―が装着された顔立ちを見ると心が癒されますし、もうこの時点ではジャンクではなくなってます。さて、どんな音で鳴ってくれるのでしょうか。

(O型特有)やっつけ仕事の作業を終えて、ダダリオのブロンズを張ってみました。一度チュ―ニングしてからネックの修正。トラスロッドは効いてますけど、ピキッ!と締める度に結構な音が出るので心臓には良くありません。けれど(これもO型特有)ビビリながらも大胆に締め上げて行きフラットな状態へ。元起きも無く弦高も理想的!これはネックとボディのジョイント部が、とても丁寧に作られている証ですね。創業1887年、鈴木バイオリンの職人技は見事です。


そして音出し、僕の好みであるジャキジャキと鳴る典型的なマホ材の音です。骨太で音量もたっぷり、しかも素晴らしきバランスの鳴りっぷりであります。下手なD-18辺りより、よっぽど気持ち好く鳴ってくれてるんじゃないでしょうか。ちょっと感激しました。他人には見せられないような(嫌らしい顔で)思わずほくそ笑みました。おまけに申し分のないほど手に馴染むグリップ感です。こ、これは自慢したい!見せびらかしたい衝動に駆られてます(笑)

まさか、まさか、これほどまでの好結果が得られようとは思ってもいませんでした。使い物になりそうだ・・それだけの判断基準でしたから。全てのパ―ツを外され(素っ裸で)1500円で売られていたジャンク品を連れて帰った、あの日の出会いと直感に感謝します!

そして僕は、部屋に残ったオレンジオイルの臭いにむせ返りながら酒を飲んでます。もちろん視線の先には復元されたThree Sがあるのです。いい夜だ・・

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2017年1月11日

着々と・・



ジャンクのThree Sに装着予定のペグ。
80年代のMartin D-18から外したまましまい込んであった物ですが、
ようやく役に立つ時が来たようです。
ブリッジピンは引き出しから発掘したメ―カ―不明の物を使うことにしました。

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2017年1月10日

Three Sと出会う



昨秋、MORRIS W-35の超格安美品を見つけた近所のハ―ドオフを久しぶりに覗いてみると、サドル以外の全てのパ―ツが取り外されて素っ裸になったThree Sがジャンクで置かれていたのです。ヘキサゴンのポジションマ―クが目に留まり、ふと立ち止まると「お願い、連れて行って・・」微かに、消え入りそうな声が聴こえた気がしました。
76年製のW-200、手に取ってみると合板ながらも板材が薄く、とても軽いボディなのでレスポンスは良さそうですし、綺麗で致命的なダメ―ジは見受けられません。けれど問題はネック、トラスロッドがヘタッていては素人リペアじゃお手上げです。店の片隅の商品チェックコ―ナ―に六角レンチが数種あったので(勝手に)クイクイッと回してみました。正常です、しかも滑らかで適度な締り具合!(・・やや表現が卑猥ですけど)おお!これならイケるぞ!!
そして最終チェック、各部を入念に点検した後にレジへ。「これください」¥1500の値札シ―ルがボディに貼り付けられたジャンク品の購入を決断するまで30分ほどの時間を要しましたが、決して嘲笑しないでくださいね。僕の「楽器への拘り」なんですから。


Three S、ギタ―をこよなく愛す友人が(同じように)ジャンクで手に入れ近年愛用しているのもこれです。ただし彼と違って僕は「ギタリスト」ではありませんから、歌伴として僕の相棒と成り得るかどうかは、パ―ツを取り付け調整が終わるまでは未知の世界なのでして、未知との遭遇の結末や如何に・・と、僕が思う以上に、この事を知ったら彼もまた興味深く見守ってくれることでしょう。彼と同じ物を手にしたことが、ほんのちょっぴり誇らしげな夜でもあります。なんか、嬉しい。

ちなみに、手持ちのパ―ツを調べてみると、Martin純正のロトマチック・ペグに、同じく純正のエンドピンとブリッジピン。ジャンク品には豪華すぎるラインナップです(笑)来週に控えたお疲れ休みの三連休にでも作業開始する予定。それまでは毎晩酒を飲みながら眺めています。リペア後のレポに乞うご期待!!ああ、なんかいい夜だなあ。酒が進む〜♪

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2017年1月4日

The Fool On The Hill



毎年のことながら
去りゆく年にさしたる想いを馳せることもなく
ただただ新しい年を迎える喜びと
幸せに浸りながら静かに酒を飲む
そんな大晦日と元日でありました。

まさにゆく年くる年。
2017年の厳かな幕開けの瞬間に
去年てやつを酒と一緒にくいっと飲み干し
あたかも浄土された如きのまっさらな新年に
僕はちゃっかりと身を委ねたわけなのであります。

新年・・
なんて心揺さぶられる響きなのでしょう。
どれほどの蛮行を繰り返したとしても
年が明けると洗い流され
清められたような心地になるのです。
ありがたやありがたや。

そんな(お気楽な)自分ですから
抱負やら目標やら、或いは夢に至るまで
具体的に口にすることなど出来やしません。
不本意な流れにだけは逆らいつつ
あるがままに生きて行こうと思います。

と言うのも
六十数年生きて来て
年の初めに呟いたことが何ひとつ成就されてない
そんなダメ人間なのでありますから
軽はずみな言動は翌年の恥でしかないのです。

猫にあやかり
食っちゃあ寝、飲んじゃあ寝、
その合間に思いつきで動き回るような
そんな日常の必然と偶然の狭間を生きて参ります。

膝を抱え
しゃがみ込んで
丘のてっぺんに居る僕は
フール・オン・ザ・ヒル、なのでして
いつも人間臭プンプンでありたいと願っているのです。

こんな調子で今年も始まりました。
引っ張ったり、引っ張られたり
煽ったり、煽られたり
そんな煩わしさとは無縁の世界に
僕は立っていたい。

そう思うのです。

https://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E

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2016年12月30日

そんな年の瀬



年中無休、いわゆるサ―ビス業の仕事場ではありますが
個人的に仕事を納めて参りました。
一年間、よ―頑張った!自分。
と、褒めてあげながら体を休めます。

とは言っても
毎年決まって、大晦日と元日だけのお正月休み。
酒を飲みながら、まあ〜ったりと駅伝の中継を観ていたいものだと
いつもいつも思っているのですが叶いません。

それどころか(これも毎年)
仕事場へ車で向かう途中の15号線で
駅伝の復路にばっちりと遭遇するわけなのでして
いやはや、嫌になるくらいのワンパタ―ンな年明けとなるのです。

とは言いながら
大晦日と元日だけでも家でゆっくりできることが
僕にとっては幸せな時間でもあるのです。

静かに行く年を見送り
厳かに新しい年を迎える。
その瞬間に立ち会えることだけで十分ではないですか。

賑やかなカウントダウンとか
大勢が集っての年越しとか
実はあまり好きじゃないのです。

なので、家で飲んでます。

そんなわけで、
年越しの場には今回も顔を出せませんけれど
お世話になった皆さま、この一年ありがとうございました。
そっちのあなたにも、こっちのあなたにも
感謝の気持ちでいっぱいです。

今や年に数回しか
ミュ―ジッシャンとして皆さまの前に登場することはありませんが
かずら元年、気まぐれに歌い続けて参りますので
何処かでお会いした折には乾杯いたしましょう。

そんな年の瀬、
今日も元気だ煙草が旨い。
元気は無くても酒だけ旨い。
やがて迎える新年も、そんな年にしたいものです。
どちらさまも、良い年をお迎えください。

一枚の画像は、義母の七回忌に集った親族とのスナップ。
長男の嫁と生まれたばかりの六人目の孫は欠席でしたが
いつの間にやら大所帯となってしまいました。

歳を重ねるごとに
家族って、いいもんだなあと思うのです。

・・そんな、年の瀬。

*

2016年11月19日

ワンコイン


本日、某所での出来事。

無造作にカ―ゴに乗せられていた
プロポ―ションが素敵なギタ―ケ―スを見かけ
「これ、売るの?」と、尋ねてみると
「そうだよ、持ってく?」と、軽い返答。

これ、昔々の7〜8年前くらいに(記憶では)アリアあたりが
輸入代理で1万5千円くらいの価格で売ってたよなあ・・
あの当時にも斬新なスタイリングが目を引いたのだが
軽くて丈夫なギグバッグが台頭して来た時期でもあり
結局手にすることはなかったという「思い出の品」だったのである。

けれど目の前にあるのは明らかに小型サイズ。
OMやOOO、はたまたクラシックギタ―用であり
愛用のドレッドノ―トが入らないことは明確だった。

「持ってく?」
再び声を掛けられたものの
数千円出して使い道が無いんじゃ無駄なので
「う―ん・・」と唸ったら

「誰も買わないだろうから持ってって!」
「タダというわけにはいかないから百円ちょうだい!」

「ひゃ、ひゃくえんだあ!?」
唖然として声も出なかった小心者のワタシ。
半ば強引に手渡され、車に積み込んだ次第である。

それがこれ。



グラスファイバ―製のセミライト、おっされでしょ。
ヘッド部分の裏側に派手な擦り傷があるだけで
他は中も外もぴっかぴかなのである。

これはいい!!

しかしながらドレッドサイズは入らないわけであり
いま一番のお気に入りであるMORRISはおろか、J-45だって無理。
手元にはOMやOOOは無い。

ベッドの下から、ふだんは使ってないスタッフォ―ドを引っ張り出す。
Gibson B-25のコピ―モデルだ。これならたぶん入るだろう。


ぴったんこ!である。
専用ケ―ス以上に、僅かな隙間も生じないほどのピッタリサイズだ。
ひゃっほ―!!と、一瞬の小躍り。

でもなあ、このギタ―、ライブじゃ使わないしなあ・・
すぐに現実に戻ってしまったが、
しばらくは部屋の隅に置いておくことにした。

・・という顛末。

ちなみに、帰宅してからネットで探しまくってみたけれど
当時のモデルは全くヒットしなかった。
そのかわり、衝撃的な事実を目の当たりにしたのである。

デザインも材質も内部構造も同じで、
おそらく同じ工場で生産されてるのであろう現在の製品が
グランド・オ―プリ―とかイ―ストマンとかのブランド名で販売されてるのだが
そのお値段、驚くなかれおよそ3万円から6万円とな!!
楽天での参考価格 http://item.rakuten.co.jp/owariya-gakki/gce151w/

ひえ〜っっっ(汗)

外観も内部も
ヘッド部分に湿度計が付いてるところまで
このイ―ストマンのモデルと全く同じ物であることがわかりますけど
いったいいつの間にこんな高級品になっちまったんだあ??

それが、タダ同然の「百円」です。
気まずい思いはありますけど、もう僕の物です。
誰にも渡しません。返せと言われても返しません。

お世話になったMさん、ありがとうございました。
この御恩は一生忘れません。

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2016年11月15日

ただひたすらに



歌詞が文学と成り得るのであれば
彼にも文学賞を贈りたいと思えたほどの詩人
レナ―ド・コ―エンが逝き

その1週間後には
スワンプ・ロックの重鎮とも言える
レオン・ラッセルが逝ってしまった。


立て続けの訃報・・

けれど、不思議なことに
悲しみは込み上げてこない。
モニタ―スピ―カ―の向こう側で
彼らは今も変わらずに歌っているのだし
この先、何年も何十年も
歌い続けているのだろうから。

それゆえに
(不謹慎な言葉をお許し頂けるなら)

家族や友人の
「現実的な死」とは異なる感覚であり
否応なしに受け入れざるを得ない状況に
追い詰められずに済むせいなのか
彼らは永遠に生き続けているような錯覚が生じて
ある意味、救いとなるのだ。

そして、僕がこの歳になってわかったことは
いわゆる「お迎え」という儀式の存在だ。
個々の寿命は、いつ絶えるのか
それは誰にもわからない。
健康であっても、病床に伏していたとしても
自然の成り行きに任せるしかないということだ。

老いた者が、先に逝ってしまった者への弔いの言葉
「ああ・・あの人も逝ってしまったのかい」
多くは語ろうとしない、その心情がわかる年頃になってしまったようだ。

南無阿弥陀仏と称えるのは
ただひたすらに
「ありがとう」の、感謝の気持ちなのだ。

*