2011年8月4日

JBLが好き!


これは75年頃かな。
栄養のある飯が喰えるようになったので若干太っている。
場所と時期は不明ながら、おふくろ・実の姉・カミさんとのレアーなスナップ。
私が被っているのは、いったい何だろね?(苦笑)

歌をやめてから、しばらくは楽器に手を触れることもなく
レコード盤を買い漁っていたせいで、あっという間に千枚以上のコレクションとなった。
決まった収入が無く、パンと即席ラーメンしか喰えなかった人間が
定職に就いて毎月纏まった額の収入を手にするようになった途端
それまでの鬱憤を晴らすかのように物を買うようになってしまったからなのか
とにかくレコードの数は増え続け、床が抜ける心配までしなければならないほど
家の中はレコード盤を収納するラックで占領されていた。

そうなると、満足の行く音で聴きたくなるのは当然の流れで
マニアとまでは行かなかったが、オーディオにも結構な額の投資をした。


スピーカーはJBL 4311A、いわゆるスタジオモニターの定番と言われた名器であり
アコースティック楽器とボーカルの色艶は、これが一番よく表現してくれた。
ウーハーが上、ミドルとハイが下にマウントされた「逆さ構造」は
当時のスタジオでは天井近くにセットされることが多かったためのアイディア。
この斬新なデザインにも一目惚れしたわけだが、実にいい音で鳴ってくれていた。
レンジは狭いんだけど、音楽は周波数では語れないということを実証したようなもの。
日本人には絶対に作れない種類のモデルだね。


ターンテーブルはDENONのDP-3000だった。
業務用機器を数多く世に出していた日本コロンビアの大ヒット作。
デカイんだけど、無駄に大きくはないのであって
その安定性と洗練されたプロポーションは、レコード盤を乗せる楽しみを呼び起こしてくれる。
私はこれに、同じくDENONのDL-103というMCカートリッジを装着して
昇圧トランスを介してマランツのアンプに通して聴いていたが、
トム・ウエイツの枯れた声も、ジェームス・テイラーの蓄膿気味な声も
はたまたダニー・クーチのホットなギターも、すべてのニュアンスが伝わって来たものだ。

とは言え、やがてCDが台頭してアナログディスクの時代が終焉を迎えた頃
わずか100枚ほどのディスクを残してオーディオ製品も全部売り払ってしまったので
残念ながら今は当時の音に触れることができない。
数年前にハードオフで安いターンテーブルとアンプだけは手に入れたから
残っているレコード盤に針を落とすことはできるんだが
機会があればJBLの4311を再び鳴らしてみたいとは思っている。
悠々自適の隠居生活(年金生活?)になったらね(笑)


2011年8月3日

さらに遡る

昨晩の旧い写真、反響が大きかったようだ。
これ、誰??・・みたいな。
紛れも無く、私だ。70年代の私の姿だ。
確かに今見ると、自分でも可笑しくはなるがね。

さて、今夜はもう少し遡った時代の(モノを絡めた)話。


NEUMANN ( ノイマン )  U87Ai
スタジオレコーディングに於けるコンデンサーマイクの定番と言われ、
60年代後半以降はボーカル録りに欠かせないものとなった歴史的名器だ。
顔が隠れてしまうほどに大きなその姿。
けれど無駄に大きなわけではなく、メッシュと円筒形のボディ・デザインは芸術的でもあり
私はそのプロポーションの素晴らしさに、いつも溜め息をついていた。
(私だけではなく、今なお羨望の目で見つめる若いミュージシャンもたくさん居るくらいだ)
当時のアルバムジャケットやミュージシャンの写真にこれが写っていることも多かったので
北海道の片田舎に住んでいた「かずら少年」は大いに憧れの目で見ていたものだ。
スタジオに入ったらこれで録りたい、これと撮りたい、と。
何事も形から入る、私ならではの発想だが
その願望は、案外と簡単に実現してしまった。


72年、キャニオン・レコード発足に向けて秘密裏に動き始めていたニッポン放送。
そこで専属アーティストを物色していたプロデューサーを紹介され、
デモ・レコーディングに訪れたスタジオに「憧れの」ノイマンがセットされていたのだ。
しかも贅沢なことにボーカルとギター用に2本も!!
写真を見て頂くと分かるように、現在とはマイクセッティングが大きく違っている。
向きや角度は異様に思えるくらいだろうけど、
モノラルのラジオ放送局では、音の定位を考えるとこれが一般的だったんだろうな。

その時の結果は・・
初っ端は女性がいいんだよね、誰か知らない?みたいな話になって
なら最初からそう言やぁいいじゃねーかと思いながらも、友人を一人紹介はしたが、
デビューを飾ったのはヤマハの社長が強く推した同郷の中島みゆきだった。
業界てぇのはそんなもんさ。いつの時代も力を持つ者が支配する。

家賃4500円の四畳半一間に住み、飯を喰う金にも困っていたあの時代に
憧れの高級マイクと一緒に写真に収まった私にとっては
間違いなく「お宝映像」だと思うんだがね(笑)
収録された1/2インチのモノラル・テープ、それをコピーしてもらった1/4インチ・テープ、
何処に行っちゃったのかな。。


2011年8月2日

一杯の珈琲から


77年頃、都内に旧い家を借りて住んでいた時分の私。
歌うことからはすでに退き、某レコード店に勤めながら1000枚ほどのアルバムを集め
毎日毎日片っ端から聴き漁っていたという懐かしい古の時代のひとコマ。
アルバム・ジャケット風に気取ったポーズをキメてみたかったんだろうな、きっと(笑)
窓とカーテンの風合い、ドライフラワー、ランプ・シェードなどなど、
この時期のお気に入りを一堂に集めたようなお洒落な部屋だったものだよ。

・・なぜ今頃、こんな古い写真を引っ張り出して来たかって?

いやなに、喫茶店を営む友人から挽き立てのコーヒー豆を戴いたもんで
急遽安いドリッパーとサーバーのセットを買って来てその味に浸っていると
そういやあ昔は自分で豆を挽いて、サイフォンで淹れてたよなあ・・てことを思い出し
それがちょうどこれくらいの時代だったわけで、
テーブルの上には(やはり)サーバーが置いてあるのを見つけて
そうそう、これが私のサイフォン時代!と納得ついでにご披露した次第。
今どきお店でコーヒーを飲んでいてもこんなことまで思い出さないのに、
家でゆったりとした気分で香りを楽しみながら淹れていると
不思議なもので、瞬時に「あの時代」へスリップしちゃうんだもんねぇ。
思わぬ展開に、珈琲文明の赤澤くんに感謝!!そんな気分。
いっぱいのぉ こおひぃからあ~ 旧い歌の詞の通りだよ、ほんと。
スペシャル健太ブレンド!ありがとねっ!!

とは言いながら・・
現在の我が家には、普通に口の太いケトルしかなくて
ドリッパーで淹れるには細口のケトルが必要だってことには全く気付いていなかった(汗)
なので最初に少量のお湯を注ぐ時に、あろうことかドプッ!となってしまったのよ。
正直ムリ。細口ケトルが無ければ絶対にムリ。
こんな感じの↓


ネットで探してみると結構お高い代物なれど、
いや大丈夫!KYの西友に行きゃ何だって安く手に入るもんさ。
ちなみに本日購入したハリオの「V60コーヒーサーバーセット」なんて、驚愕の970円!!
小躍りしながらレジへ向かったもんだぜ、ほくほく。


かくしてイベント絡みのプチ夏休みだった4連休は本日をもって終了。
明日は(憂鬱な)始業式となるわけだが、なんだか充実した毎日だったなあ。
夏休み期間中の宿題と位置付けていた新顔GUILDクンの調整も滞りなく進み、
本日めでたく、私の新たな相棒として迎え入れることが出来た。
いやあ~、このテンション感と相反する音の温もり、すんごいわあ。
ブロンズ弦のガシガシした音、ストロークには最高や!


みんな、お披露目する時まで楽しみに待っとってやぁ~!!


2011年8月1日

G繋がり

昨日の六角橋でのイベントは、主催者の意向から集合時間がやたらと早かったので
前夜の7周年記念パーティー明けにも関わらず、眠い目を擦りながら
ぼおーっとした頭のままで10時半にはギターを担いで家を出た。
如何にO型とは言え、どんな場合でも決められた時間より早く現地に到着するのが
私なりの誠実さだと信じ込んでいるので、普段は避けてる急行にまで乗ってしまった。

・・当然のことながら、早く着き過ぎた。
ひとつ前の東白楽の駅で降り、道端の自販機で缶コーヒーを買い一服しながら時間を潰し
その後できるだけゆっくりと歩いてはみたが、それでも時計の針はさほど進まず
結局は10分も早く店のドアを開ける羽目になってしまった。
追い出されることにはならなかったからいいんだけどね、早く行き過ぎるのもバツが悪いものさ。
ふてぶてしく一度くらいは言ってみたいものだ。
「いやあ~待たせちゃったみたいで悪かったねぇ~」と。(笑)

イベント自体は17時で終了、伽藍とした店内で数人だけのささやかな打ち上げ雑談会。
その後店主二人と共に近くの馴染みの居酒屋へ「一杯だけ」の約束で移動。
約束通り二人は「一杯だけ」でそそくさと引き上げたのだが、
計画性の無い私は居残り、入れ替わり立ち代り訪れる客と言葉を交わしながら
結局は明け方の3時過ぎまでその店にダラダラと居座ってしまった。
悪い癖で、約束の時間は守れたとしても、帰りの時間は定まった例が無いのだ。
あの街に16時間も居たのは私の新記録、それでも飽きることがないくらい
六角橋に集まる人間たちは面白く、みんな素敵な匂いを放っている。
深夜のその店に時折現れる、私が今一番好きな女性カントリー・シンガーの生歌を
前回に続きこの日も聴くことが出来たのも何かのご縁。
聞き惚れて終電に間に合わなくなったのは彼女の(妖艶な)歌のせいだが、
タダで幸せな心地にさせてくれるあの声であれば、それは善しとするしかないだろう。
いやあ、それにしてもいい色艶だ。まさにトラディッショナルな声!
更け行く夜に響き渡っていたなあ。。



お呼びが掛かった夏祭り的な各所のイベントもひと通り終わり、
ワンステージをフルに歌うライブは暫くの間お休みさせて頂くことにする。
目下の処、毎年恒例10月8日のバースデーライブまでの間はね。
流されてしまわないように、少しだけ充電しなきゃならないのと
新たに加わったGUILDクンと親密な関係を構築したい気分なもんでね。


或る時期から私にとってGibsonは、かずら元年の代名詞でもあった。
ホームページやBlogなどでも、J-50や45を手にしたトップ画像がそれを物語っている。
ストロークが殆どである自分には、ビートを刻むためにも都合の良い音だ。
けれど条件によっては全く鳴ってくれないと云う、際どさともどかしさも背中合わせで
太くてザックリとした音で鳴ってくれる相方を捜し求めながら紆余曲折する中で
GUILDの(さほど人気が無いエントリーモデル)DV-4と出逢った。
Gibsonに似たマホガニーのウッディな響きを持ちながら圧倒的な音量を放つギターだ。
Gのロー・コードのベース音が大好きな私にとって、かなり理想に近い音を出してくれる。
そう、私は根っからの「G」好きなのだ。
元年という名前も「G」の響きの良さから来ているし、GibsonもGから始まる。
なのでGUILDに惹かれたのも「G繋がり」としてはごく自然な流れなのである。
ただ単にビートを刻むだけとは言え、こちらの思惑通りの表現が出来るようになるまでは
こいつといい関係を保つためにも、少々の時間が必要になったわけなのだ。

実はGUILDを持つのは初めてではない。
D-25というアーチド・バックの90年頃のモデルを過去に持っていて
2008年に焙り家で収録された歴史的名盤「Mud Trick Acoustic Fight !」にも使われていたのだが
それを敢えて手放して、現行のメキシコ工場製のDV-4に替えてしまった。
何故ならば、DV-4の方が予想に反して古典的なGUILDらしい鳴り方をしてくれたから。
ブロンズ弦が気持ち好く鳴ってくれるのが嬉しかった。

とあるショップに委託で出していたD-25が、ようやく売れてくれたようで今日入金があった。
これでひと区切りついたわけで、心の中の何かが吹っ切れた気がする。
「相棒」と気安く呼べるようになるまで、お互いをもっと分かり合わなきゃな。
そのために費やす時間は決して無駄じゃないと、そう思うんだ。
「G」は私の体の一部、なんだからね。


2011年7月31日

7.31 ラフィ文明五輪にて


旧い友人と数十年ぶりに顔を合わせたような、そんな感覚の出会い。
私とは何かと共通点の多い男との初顔合わせは、そんな照れ臭さでいっぱいだった。
本番前に近所の手打ちうどん屋で、腰の強い麺を啜りながらビールをお供に語り合う。
生まれた土地は違えども、同じ時代を生きてきた男には私と似た匂いがある。
お互いにミュージシャンであることが、それを強く感じさせる瞬間もある。
けれど、それぞれの素性を深く掘り下げたりすることはしない。
60年近く生きて来たその過程や歴史が、今の自分たちを語る上では
何の意味も持たないことをお互いに分かっているかのように。
それでいいのだ。

ラフィ文明五輪にて。



*画像提供 松本圭世

2011年7月30日

七年目


7周年おめでとう!!

さてと、明日は12時集合のイベント。
私にとっては早朝に等しいこの過酷な時間に
はたして遅刻せずに辿り着けるのだろうか。
寝る前に身支度を整えておかねば。

あー
早起きの前の晩は緊張して眠れないぜ!


2011年7月29日

平和の象徴

ざうざうと、大粒の雨が降りしきる。
横浜は深夜になっても蒸し暑い。
けど、韓国や新潟の雨はこんなもんじゃなかったんだろうな。
TVに映し出される光景は3.11と同じだ。
大自然が牙を剥く、人類にとってこれほど脅威なものはない。
築き上げた文明が無残に破壊されて行くのを
我々は呆然と見ているしかないのだから。

自然との戦いは、この先も永遠に続く。
この戦争だけは、いつまで経っても終わることがない。
昨日、或いはつい数時間前までの穏やかな風景を一変させてしまうほど
敵の力は強大で、慈悲もなく一切の妥協を許さない。
如何に高度な文明を持つ人類であっても、その残酷さの前には立ち尽くすしかないのだ。
皮肉なことに、文明が被害を増幅させる要因にもなってしまい
便利で快適だったもの全てが、手の平を返したように凶器となって襲い掛かって来る。
自然の破壊力に歯向かうことなど到底出来ない無力感が
幾度災害を経験しようとも失せることはない。






平和の象徴とも言えるオリンピックが、下町で開催されるまであと二日。
せめて命あるうちは、気の合う仲間たちと旨い酒を飲んでいたいものだ。