2012年2月4日

任務遂行


休日だった今日は、車を使わずに遠くまで歩いてみました。
見慣れた風景が車窓からのものとは違うことは当たり前ですが、
硝子越しに目に入る光と、目の前に降り注ぐ光とでは
たとえUVカットの眼鏡を掛けていたとしても全く違うものなんですね。
足元の光が跳ねてる、そんな印象でした。
立春を迎えた町は、空気はまだ冷たいのですが
陽の光を受けた木々の葉が、どこか春の気配を感じさせてくれます。

数年ぶりにドコモショップへ足を踏み入れました。
地元の駅ビルの中に在る、どちらかというとローカルな店舗ですが
改札からすぐの立地条件のせいか、ここはいつも大勢の客で賑わっています。
ただ、どちらかというとアダルトな客層。中高年の女性客が目立ちます。
そのせいなのか、他店に比べるとスタッフの年齢もやや上のようで
落ち着いた口調と身のこなし、接客業のお手本のような対応に感心してしまいました。
悪い癖で、どんな店へ行っても表情や言葉遣い、手先とかに目が行ってしまうんです。
体に染み付いたサービス業の性?なんでしょうかね。

仕事の娘に代わり、本日予約開始のチョコレート柄のQ-potを申込みに行ったわけですが
さすが毎回人気の商品、田舎町とは言っても午後には初回入荷分が埋まってました。
(お店で聞いた話によると、なんと前夜から並んでいた女性も居たそうです)
次回入荷は2月14日の発売日から1週間ほど後になる模様ですが
限定5万台、なおかつ怖い長女に依頼されたミッション(ここ重要)
無事に任務を果たして次回入荷分をゲットできたので内心ホッとしています。
このモデル、当初の3万台から5万台に増えたとは言っても
どうやらドコモショップのみで完売しそうな勢いらしく、
街の携帯ショップでは入手できないだろうと予測されているそうで、
そんな話を後から聞かされると「はあ~よかったあ~」と改めて安堵してしまいます(笑)
今日、モックを手に取ってみましたが、触感もまさしくチョコレート。
娘の好きそうな、美味しそうな色合いでした。

帰宅した娘が上機嫌だったことは言うまでもありません。



2012年2月3日

鬼退治


深夜になってしまいましたが、今年もきっちりと豆撒きしました。
先日琴平神社で買い求めた福豆、御利益があると思います。たぶん・・ですが。

毎年、1階のリビング以外の場所(私の主たる生活空間)は私が撒き
リビングと2階(女房と長女の主たる生活空間)は女房が撒くことになっています。
今夜も二手に別れ、窓という窓の全てから鬼を追い払いました。

晩飯は恵方巻きを一本喰い。
北北西を向いたまま無言でかぶりましたとも。

・・鬼退治、できたのかしらね?



2012年2月2日

少しだけ懐が


かなり冷えてます。
ガス湯沸かし器の凍結注意インジケーターも点灯しているほどに
ここ横浜の「山間部」はとても寒い夜となりました。
雪が降らないだけマシですが、明朝の最低気温は氷点下2度とか。
貧相な灯油ストーブではパワー不足で、室温もあまり上がりません。
辛抱、ひたすら辛抱の、春を待つ凍える身でございます。

そんな私にプレゼントが。
光回線に切り替えた際のキャッシュバックが郵便為替で本日送られて来ました。
パッと消え失せてしまいそうな額面ですが、ちょっとしたお小遣いです。

少しだけ懐が温かくなりましたとさ。



2012年2月1日

南風吹く午後


南風が吹き、ほんのちょっぴり春の匂いがした今日、
のんたんは遠い空に向かって旅立って行きました。

ふだんの寝顔のまま、タオルケットが掛けられた小さな体は
わずか30分足らずで真っ白なお骨になってしまいましたが
病気だったとは言え、若かっただけにとても綺麗なものでした。

物静かで、どこか気品さえ感じさせる賢明な子だった彼女。
今頃は天国で親友フェアリーと再会していることでしょう。


葬儀を終えて、ひとまず娘の家に連れて帰りました。
週末に旦那さんの両親が花を手向けにいらっしゃるそうなので
それが済んだら、長年住み慣れた私の家で引き取る予定です。
残された仔たちにも、ちゃんとお参りさせなきゃね。

私と留守番をしていた長女の話を聞いて、ひとつ思い出したことがあります。
のんたんが息を引き取った頃に、2階の天井裏で大きな音がしていたそうで
実は同じ時間帯に、私の部屋と洗面所の間の壁の中を
小さな石ころが転がり落ちて行くような音を耳にしたのです。
それから間もなく女房から電話があり、亡くなったことを知らされました。
長女はすでに床に就いていたので、夜が明けてから伝えようと思っていたのですが
大変珍しいことに、ふだんは夜中に起きて来ない彼女が2階から降りてトイレに入ったので
その夜の内に訃報を伝えることができました。
翌日改めて聞いてみると、天井裏で音がしたり何だか寝付けない夜だったようです。
たぶん、のんたんの仕業ですね。
あの夜、住み慣れた家に帰って来たんだと思います。


ポンタは今日も長い距離を一緒にドライブ。
終始おとなしく寝ていましたが、家に戻って腹ごしらえが済むと
たくさん寝た筈なのに、すやすやと眠ってしまいました。
生後二ヶ月ほどだというのに、時折「お兄ちゃん顔」になります。
子供の成長は早いもので、それを目の当たりにすると
なんだか自分がとても歳を取ってしまったような気がします。

おかげで、この子に話しかける時は不覚にも
「おじいちゃんだよ~」なんて口にしてしまうのです。
嗚呼その姿、人様には見せられないほどにデレデレで
紛れも無く、爺さんになってしまっているのでした。
とほほ・・



2012年1月31日

明日はお休みします

明日、女房と娘、ポンタと一緒にお見送りをして参ります。
藤が丘から環状4号に出て海軍道路を抜け
瀬谷の阿久和に古くからある「よこはま動物葬儀センター」という所です。
横浜に移り住んで以来、我が家の犬と猫は全てここで見送ってきました。
人間と同じように丁寧に焼かれ、お骨あげをしてから骨壷に収めてくれます。
近くには納骨堂もあるのですが、我が家は毎回家に持ち帰ることにしていますから
のんたんの遺骨は、娘の家か仲間たちの居る我が家に置かれることになるでしょう。

ここでの葬儀はもう7、8回目になりますが
季節に関わらず毎回とても良い天気に恵まれます。
空が綺麗な穏やかな日に、皆旅立って行きました。
どうやら明日も、そんな日になりそうです。

そんなわけで、明日の仕事はお休みします。
私の職場、ふだんは融通の利かないことが多すぎるのですが
「ペットの葬儀に参列のため」という理由でも休みを取らせてくれるのは有り難いことです。



2012年1月30日

ありがとう、のんたん


午後にレンタルの酸素濃縮機が届き、
ビニールカバーで覆われた介護ケージに入れてあげたんですが
つい先ほど、今夜から泊り込んでいる女房から電話がありました。
さほど苦しむこともなく、娘の腕に抱かれたまま息を引き取ったそうです。

母子共に危険な状態になるほどの難産となったポンタの出産、
その後の健やかな成長と飼い主である娘の体の回復、
そして昨日のお宮参りを迎えるまでに至った平穏な日々を見届けて
彼女は自分の役割を全うして天に召されたのでしょう。
一昨年に他界したボーダーコリー犬のフェアリーとは一番の仲良しだったので
密かに娘のその後のことを託されていたのかも知れません。
今ごろは天国でフェアリーと再会していることでしょう。

賢く、物静かで、美人だった彼女。
家に侵入した昆虫や害虫を誰よりも早く見つけ
そして誰よりも俊敏に一撃で捕らえることが出来たほどに
我が家では一番「猫らしい」本能を持った子でした。

娘宅に女房を送り届け、注文していた薬を病院へ受け取りに行き
帰りしな、なんとなくこれが最後になるような気がして声を掛けた時
「行っちゃうの?わたし今夜あたりお迎えが来そうよ」
虚ろな目で、そう言っていたような気もします。

のんたん、享年6歳。
早すぎる死ではありましたが、
その限られた一生の中で十分すぎるほどの役割を果たしてくれました。
共に暮らした家族全員が感謝しています。

・・ありがとう、のんたん。



2012年1月29日

二つの儀式


快晴の空なれど強い北風が吹いた本日、
ポンタのお宮参り、滞りなく終えることができました。
場所は柿生の琴平神社、娘が住む藤が丘からは車で15分ほどの場所です。
巨大な鳥居がそびえ立つその神社は、田園風景が広がる麻生区に在り
日曜の今日はお宮参りや厄除けの参拝客で賑わっておりました。
境内の看板に目をやると・・

気付いてませんでしたが、私・・今年は本厄らしいです。
想定外で驚いちゃいました。
この歳になっても、まだ厄年ってあるんですねぇ。
もういいじゃないか、てぇ気がするんですが(笑)
女房が慌てて御守を買ってくれました。

今さらなので、むろん気休めにすぎませんが
厄除御守、年内は肌身離さず持ち歩くように致します。



ちょっと気になったので帰宅してから改めて調べてみると、
数え年で男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・37歳・61歳が厄年だそうです。
迷信だとは言われながらも、医学的にも体の変調が起こりやすい時期であり、
社会的にも大きく環境が変わる時期と重なっているようでして
何となくではありますが、振り返ってみると確かに当たっているような気もしてきます。
けれど今年が最後、来年の後厄を過ぎれば全てが終わるのですから
良からぬ事が起きぬよう体調管理に務めることにしましょう。


ポンタ、皆から祝福されるお前は幸せ者だぞ。
なあんて言ってみたところで、本人に分かるわけがありません。
大きくなってからこの日の写真を見て、それを感じてもらえればいいでしょう。
生まれて初めての長い時間の外出でしたが、終日すやすやと眠っておりました。
私の孫たちは三人共11月の生まれなもので、寒いこの時期がお宮参りとなってしまいます。
次は暖かな時期に頼みますよー!



皆で食事をした後、夕方近くになってから病院へ向かいました。
のんたんの一時帰宅です。
首を動かしたり、目を開いたり、昨日よりは(少しだけ)回復したようにも見えましたが
娘の家に戻ってから少しだけ水を飲んだだけで、やはり何も食べようとはしません。
トボトボと徘徊老人のように歩き、やがて部屋の隅に蹲ったまま微動だにしない状態には
ある程度の予想はしていたものの、落胆が大きすぎます。
それどころか、しばらくすると台所までふらふらと歩いて行って
上の方をちょっと見上げた瞬間にキッチンカウンターを目掛けて飛び上がり
(いったい、どこにそんな力が残っていたんでしょう)
足を踏み外しそうになりながらも必死で飛び乗った後、空のシンクの中に蹲ってしまったのです。
これはマズイ、我が家の疾患を抱えた先代の猫たちの末期もこうでした。
内臓を患うと、その熱を冷ますため冷えたステンレスに腹や胸を押し当てるんですが
経験上、それは終焉が近付いている猫の最後の行動なのです。

ここ数日・・かな。
その姿を目にして、そう思わざるを得ませんでした。
子育てと看病の両方は大変なので、明日から再び女房が娘の家に泊まり込むことになりました。
最期を自宅で看取ってあげる、これもまた飼い猫に対する我が家の伝統です。
今までにそうして何匹を見送ったことでしょう。
家族に見守られ、最期に「ニャア」とひと鳴きしてから静かに息を引き取る。
これは或る意味、我が家の儀式でもあるのです。

今夜の娘宅、
のんたんが居るリビングに布団を敷いて
家族全員が同じ部屋で寝るそうです。
そんな話を聞くと、なんだか嬉しくなってしまいました。