2012年7月21日

不良オヤジは体調不良だぜ、クソッ!


弦を外したギターを見て「裸ん坊」と称した方が居ました。
なので、これは全裸の絵ということになります。

少々の手入れをして、夜のうちに弦を張り替え
明日のライブに備えているわけでありますが
紆余曲折を経て、辿り着いたのはやっぱりギブソン。
楽器のチョイスに迷ったときは、必ずと言ってこうなるのです。
もともと響きの少ないJ-45、過酷な夏場にも音の変化はあまりないので
ガシガシ弾く分にはいつも通りのサウンドかと。

けど、これを相棒に歌うかずら元年の音。
毒舌クソ連発男である鈴木クンに気に入ってもらえると良いのですが(笑)
おまけに当初の意気込みはすでにトーンダウンしていて
(いつも通り)椅子に腰掛けエアーで鳴らすことにしましたもんで
これもまた突っ込まれるのではないかと少々心配しております。

一昨日からの寒さに体が対応できなかったようで
微熱&喉イガイガの困ったコンディションであることも悩みの種。
一日の気温差10℃は老体にはちと堪えますなあ。


久しぶりのイソジン登場です。
ガラガラガラガラ・・しっかりとうがいして、薬を飲んで
明日の夜までには治さなければ。
焼酎をカーッと飲んで、気合入れて寝ます。
嗚呼、微熱のせいか関節がだるい~(泣)
ステージに宿る神様、どうかアッシをお守りくだせー!!

そんなこんなで、明日のライブを再度お知らせ。


7月22日(日)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00(予定) MC¥500+投げ銭
出演:ロニー&ザ・ロケットメン、かずら元年

NO BORDER  横浜市神奈川区松本町4-28-2Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html


対バンの鈴木クン率いるロニロケ、いいですよ~
とにかく音がカッコよくって嫉妬します。
必見必聴のバンドなので是非いらしてくださいね!


2012年7月18日

究極の堂々巡り

藤が丘の娘宅へ向かうとき、桜並木の道を抜けて行った。
強い陽射しを遮り、開け放した窓から入る風が爽やかさに変わる。
やはり地面は呼吸してなきゃ駄目なんだよな。
そんなわかりきったことを、ハンドルを握りながら改めて思った。
便利さと快適さを優先する文明は、間違いなく人と地球に害を及ぼす結果となる。

熱中症も、エアコンの普及で人間の体温調整機能が働かなくなったことが原因らしい。
暑けりゃ大汗かいて体温を下げるだけのことが、現代人には出来ないだなんて
この先、我々人間の体はどこまでか弱くなってしまうんでしょうね。

部屋のコンセントに刺さってる電源コードの先の家電製品はどれも猛烈な熱を発し、
充電のためのACアダプターも、下手をすると火傷しそうなほどに熱くなっている。
家庭内の電気を使う物全体の発熱量は相当なものだろう。
そうして暑くなった部屋を冷ますためにエアコンが動き、
室外機から噴き出した熱風が更に外気温を上げてしまうという連鎖。
こりゃあ究極の堂々巡りだわ。

文明って、膨大なエネルギーを消費することなのかしら?
それが先進国としての誇りなのかしら?
そんなわけないよね。






















ああ・・
あれこれ思い悩むことは数あれど、
やっぱりこの子に落ち着きそうな予感。
温暖湿潤気候のナッシュビル生まれだもん、なんとかなるさ。


こちらもやはり堂々巡り。


2012年7月17日

悩み多き夏よ

梅雨が明けました。
数日前から夏の陽射しと夏の空色を感じていたので
そろそろかなあ・・とは思っていたんですが
明けるときは、なんだかあっけないものです。

夜、パソコンに向かっていると
何やら小さな虫がブンブン飛んでいるので、ふと天井を見上げてみると
夥しい数の羽蟻が蛍光灯に群がっておりました。
まだ生まれたての小さな小さな奴らでしたが
あまりの数に首筋がこそばゆくなってきたので深夜の大捕り物!
掃除機で吸い取ったり、床に落ちてきたのをガムテープで捕獲したり
結構な重労働となってしまいました(疲)
まだワラワラとかなりの数が残ってますが、朝にはみんな死んでることでしょう。
梅雨明けと同時に大量発生するなんて、ちょっと迷惑。
ひと仕事終えたところでビールを戴いてます。ああしんど。

高温多湿の夏は、アコースティック楽器には厳しい環境となります。
単板の材が使われたモデルだと、どろ~んぐで~んとした音に変わってしまい
何をどうやってもすっきりしない状況に陥ってしまうのです。
毎年のことながら、これは困った問題なのでして
ライブが近付くと楽器のチョイスにあれこれ悩んでしまいます。

そんな悩み多き季節に本領を発揮してくれるのが合板モデル!
蒸し暑い日本の夏にも負けず、鳴らなくなった単板モデルを尻目に頑張ってくれます。
先日ご紹介したスタッフォードの「安物」もその部類ですが、
云わば彼らは「日本の夏」のために在るようなものなのです。

ミディアム・ボディのスタッフォードもいいんですが、
もうちょっと音量が欲しいなあと思い、一本引っ張り出してみました。
数年前にヘッドを悪戯したアリアの合板ドレッドです。覚えてますか?


このヘッドをサンドペーパーで塗装ごと削り落として・・


のっぺらぼーになったところへ・・


ヤフオクで仕入れたパチモンのデカールを貼ってラッカー塗装。


ピックアップをマウントして出来上がったのが
「なんちゃってまーちん、かずらモデル」だったのです。思い出しました?

この小学生の図画工作にも劣るほどの軽率な作りの代物も
さすが合板!今の時期はよく鳴ってくれるのです。
これも候補に加えながら、22日のライブまで検討を重ねようと思っているのですが
大人気ない造作を加えたこのギター、ちょっとばかり気恥ずかしいので悩みます(笑)


2012年7月14日

Kazura Strap


2005年といえば、私が再び歌い始めた年だ。
三十数年間の沈黙から目覚めた記念すべき年でもあり、
1月15日に山手のライブハウスで復活ライブを行って以来、
あれから今日まで、何とかかんとか歌い続けている。

その2005年の5月、藤沢のインタープレイという店で或るイベントがあった。
復活ライブの際に私のサポートバンドとして活躍してくれた
今は無き「突貫工事」のベーシスト、ブーちゃん(佐々木クン)の企画だった。
私はピエゾの付いたエピフォンをギターアンプで鳴らしながら2曲だけ歌ったのだが
その時に居合わせた何人かのミュージシャンが、えらく気に入ってくれたようだった。
クックハウスの鈴木クン、ハミングキッチンのヤスくんとモモちゃん、
リーマンズ・ブルースバンドの武富クンなど、今思えば錚々たる顔ぶれの面々と仲良くなり
彼らとは、その後あちこちでご一緒することになったものだ。


中でもその夜初めて目にしたクックハウスの演奏は最高だった。
トリを務めた彼らは、出演者が多かったため待ち時間に飲み過ぎてしまい
完全に酔っ払った(ハイな)状態だったことが功を奏したのか
パブロック・バンドとしての衝撃的な印象を私に与えたのだった。
コピーバンドとは言え、その王道を行く彼らはとてもカッコ良かったのである。

鈴木クンとはすぐに意気投合した。
その後何度もライブで共演したし、今もロックを語り合う飲み友達の一人で
我々二人の間の共通言語は「クソ」である。
毒にも薬にもならないようなクソ・バンドのことをボロクソに言いながら
お互いを高め合ってきたというのが本当のところだろう。

彼はいまだに当時の私のギターの音色が好きだと言う。
安物の無名なアコースティック・ギターをアンプに直結して
ザクザクと刻むレンジの狭い太い音が、私の歌には合っているといつも言う。
気の利いた綺麗な音色は、私には似合わないと力説するのだ。
それは私も何となく頷ける。


ならばと、久しく使っていなかった旧いギターを引っ張り出してみた。
スタッフォードのSLG-360E、黒澤楽器が韓国で生産していた合板製の安物だ。
愛用のJ-45の値段と比べると、こいつが10本くらい買えるとは言っても
ギターというのは不思議な楽器で、値段を超越したところに個体の良さがある。
ギブソンのB-25をコピーした感のこのモデルもそうであって、
ナローレンジでザクザク鳴ってくれるところがストロークにはとてもいい。
切れが良く、外れの本家ギブソンよりは数段逞しい音がするくらいだ。
これなら鈴木クンにも満足してもらえることだろう。

実はそのクックハウスとの対バンが決まっている。
今月の22日、場所は反町NO BORDERだ。
メンバー二人が入れ替わり、今はロニー&ロケットメンと名乗ってはいるが
ギターとベースのフロント三人はそのままで
相変わらず小気味いい音で楽しませてくれる姿は少しも変わっちゃいない。
迎え撃つ私は、この小ぶりなギターにストラップを付け
いつ以来だか分からないが、座らずに「立って」歌うつもりである。
もちろん、アンプにジャックをぶち込んでね。
楽しみ!!




7月22日(日)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00(予定) MC¥500+投げ銭
出演:ロニー&ザ・ロケットメン、かずら元年

NO BORDER  横浜市神奈川区松本町4-28-2Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html



2012年7月12日

怪獣にも心はあるのさ

たぶん私は、変人の部類に入るのだと思う。
常識という垣根が一般の人とはちょいと違って見えるのだ。
それはともすると人々の顰蹙を買い、軽蔑されることもありそうなほど
この六十男の頭の中には、やや危険な発想を秘めている。

昨日の通夜へ向かうとき、私はブラックジーンズと白いワイシャツという
普段とさほど変わらない、とてもラフな格好で出掛けるつもりだった。
夏の礼服という物を持ち合わせてないこともあったが
親兄弟の葬儀ではなく、友人を見送ることが目的だったので
その本人にも親族にも、失礼は無いような気がしたのであり
いつも通りのスタイルで「私らしい姿で」見送ってあげたかったのだ。

しかし、出掛ける間際になって案の定家族に反対された。有り得ない、と。
一緒に行く女房や娘たちはみな「正装」だ。バランスが取れない。
やむなく地味な色目のスーツを着ることにした。
少々太ってしまったせいか、ウエストがとても窮屈で憂鬱な気分になる。
それを我慢して葬儀会場へと車を走らせたが
自由奔放に生きた彼女を見送る姿としては申し訳ない気持ちだった。
正装を否定するわけではないのだが、もっと自由な服装でも良いのだと
私は日頃から思っていても世間体を気にする家族はそれを善しとしない。

会場に早く着いてしまい、ロビーに腰掛けていると「正装」の方々が次々と訪れる。
女房は私を見ながら「ほら、有り得ないでしょ」と冷ややかに呟く。
見送る気持ちの問題なのだから普段着でも失礼じゃないんだと思ってはみても
実際にそうすることができなかった己が情けない。

やがて葬儀が始まり、ロビーのモニターに祭壇の様子が映し出された。
坊主のお経が聴こえて来て、焼香の列に並ぶよう促される。

いや、違う。
私があの子を見送るには、お経と線香なんかじゃない。
その昔に聴き慣れたこれだろう。
http://kazura.up.seesaa.net/image/kaibara.mp3

「怪獣のバラード」
10年ほど前まで毎年夏に公演していた子供ミュージカル、
その終演後のアンコールで全員が舞台に上がり歌い踊った曲だ。
携わった誰もがずっと愛し続けた曲であり、
舞台の最後にそれを踊るのを誰もが一番の楽しみにしていた。
これが旅立つ友を見送るメッセージなのだと思い、
集まった皆で歌い、そしてこの場で踊れたなら素敵だと思ったのだ。
けれど厳粛な葬儀会場、いきなりそんなことが許されるわけはない。
変人ならではの奇抜な発想に終わってしまったが
当の本人(私)は、極めて真面目にそれが最高のはなむけになると思っていた。
まるで子供のような浅はかさで。

泣き顔で笑って送ってあげられるような、そんな葬儀が私は素敵だと思うのだが
こちらの想いと葬儀屋の形式的な進行には大きな隔たりがあるものなのだ。
これについてはいずれまた。


昨夜のtwitterにも書いたが、
少なくとも私は彼女に逢いに行っただけのことだ。
永久(とわ)の別れを確認するためではない。
集まった大勢の昔の仲間たちも、たぶん同じ想いだったことだろう。
彼女のおかげで旧い友人たちと再会することもできた。
故人の思い出話に花を咲かせることで、ご両親の痛みが僅かだけでも和らいだ筈だ。
当事者の痛みや苦しみを実感することはできなくても
集まった者たちが少なからず己の日常にそれを持ち帰り
これからをどう生きるか考えるきっかけとなる、それが葬儀というものだ。
それが故人からのメッセージであり、それを知るために私たちは参列する。
文香、君のおかげで、皆がやさしい気持ちになれたんだよ。

彼女の親父さんが歩み寄り挨拶に来た。いきなり握手され
「気を張っていたんだけど、皆が焼香する姿を見て我慢できずに泣いてしまった」
嬉しそうにそう言われたとき、私も思わず泣きそうになった。
同じ父親として男として、それは痛いほど伝わってきたからだ。
その一言だけで、今日ここへ来られたことを私も嬉しく思ったのは言うまでもない。
もう少し親しい間柄であったなら、間違いなく朝まで飲み明かしたことだろう。

数日前までは、彼女が若くして逝ってしまったことが悔しくて仕方なかった。
けれども今は違う。
早すぎる死ではあっても、そこには凝縮された30年間があるのだ。
私が悔しいと思うことは、それらを否定することにもなりかねない。
だから敢えてこう言わせてもらう。

文香、素敵な生涯だったね!


2012年7月9日

憤る(悔しくてやりきれない)


私は今年で還暦を迎える。
数年前に大きな事故に遭ったせいで自律神経をやられ
その後様々な病気を発症しては手術や入院を繰り返した。


事故の後遺症で半年ほどの間、右腕が満足に動かなかったり
急性網膜壊死という奇怪な病気にかかって二度に渡る眼球手術を受け
未だに右眼で見る世界は視野がぼやけ歪んではいるけれど、
どっこいそれでも生きている。
日常生活に支障なく生きていられるだけじゃなく
酒も煙草も、車の運転も、おまけに歌うことだって
以前と変わらない姿で日々を過ごしている。
この世の、如何ほどの役に立っているのかも分からない(クソ)ジジイは
災いや試練を受け入れながら、60年もしぶとく生き長らえているのだ。


旧い友人の何人かは先に逝ってしまった。
愉快な人生を謳歌するように、足早に逝ってしまった。
それは思い出や時代を共有する身にとって、とても辛いことではあっても
何故か同世代の彼らの死は、悲しみとは裏腹に笑って見送ることができるものだ。
ありがとう、楽しかったよ。
そんな言葉を掛けられる、ある意味「気安さ」が残された者の側にはある。


けれど若い人の訃報は別だ。
私の半分ほどしか生きられずに逝ってしまう者に
その無念さを思うと言葉が無いばかりか、後ろめたさまでもが付き纏う。


今夜、旧い友人でもあった女性が亡くなったという知らせを受けた。
初めて会ったのは十数年ほど前、まだ彼女が小学生の頃だろう。
以前私が携わっていた子供ミュージカルを通して知り合い
ある時期までは家族ぐるみでお付き合いしていた何軒かの一家の長女だ。
少年のように活発で、可愛らしい子だった。
そんな彼女は早い時期に結婚して子供を授かり
今から10年ほど前の最終公演の頃に子供連れで遊びに来たりしていたものだが
あまりにも唐突に早すぎるその死を知らされると、
何故!?という悔しさに満ちた思いしか込み上げて来ない。


30歳・・
文香(あやか)、早すぎるじゃないか。
何杯も酒を飲みながら私の心に込み上げてくるのは

怒りに似た悔しさだけだ。



2012年7月7日

昼と夜、今日と明日


数日前、横須賀へ出掛けた折のこと
駅を出て、時間潰しに街を歩いていると
穏やかな田舎の空気を感じた。
人にも街にも、都会のような緊迫感が無いのだ。
京浜急行が高速で一目散に突っ走るのとは対照的に
辿り着いたその街には、ゆったりとした時間が流れていた。

それは大切なこと。
慌しい環境に身を置いていると
つい目尻がつり上がり、先を急ぐことばかりに気を取られ
己の足元が見えなくなるばかりか
他人を思いやる心までもが希薄になってしまう。
それほど一日が速い。
悲しいかな、都会で暮らす者には脇目をふる暇さえ無くなってしまったのだ。

私が北海道の実家に戻ると、一日が異常に長く感じられる。
昼も夜も、都会と比べると数倍長い。
仮に何処かへ出向き、ゆっくりと過ごしたとしても
日暮れ前には家に帰り着くことができるし、その後の夜も長い。
この違いは何なのだろうか。

横須賀で歌った後、遅れて現れた旧い友人と久しぶりに飲みながら語った。
わずか1時間ほどのその時間さえ、とても長く感じられたのは
やはりそこに流れる「田舎時間」の魔法だったのかも知れない。
たらふく飲み、再び京浜急行で横浜駅に戻った時はまだ日付が変わる前だった。

今や都会には時計があるだけで、昼と夜の区別は無い。
夜と朝の「間」も無い。
24時間で時刻は表示され、街は引っ切り無しに蠢いているから
昨日と今日の境い目すら無くなってしまっている。

人間の営みとして、これがいいわけはない。
そう、思わないかい?