2012年8月25日

猫とグラス

我が家の猫は、床に置いたお皿の水には目もくれず
喉が渇くとテーブルの上に座り、水が欲しいと眼で合図してくる。
そこで彼女の「マイグラス」を出してあげると、安心したかのように水を飲むのだ。



このスティッチのグラスは二代目。
先代のグラスは洗浄中に割れてしまい、私がそれまで使っていたのを譲ってあげた物だ。

こんなことになったのは、いったいいつくらいからだったろう。
もっと小さかった頃は、他の猫たちと一緒にお皿の水を飲んでいた筈だが
或る日、私のグラスを興味深く(或る意味羨ましそうに)覗き込んでいるのを見て
試しに別のグラスに水を入れて置いてみると、お座りして飲み始めたのがきっかけだった。
それ以来、この子は(自分の)グラスでしか水を飲まない。
今でも時折、私のグラスを覗き込んだり顔を突っ込んだりすることはあるが
専用のグラスを傍らに置いてあげると、自分の水であることを認識してくれるようだ。
ぺちゃぺちゃと小さな音を立てながら上手に飲む。
よほど喉が渇いているときは、水位が下がって行くのが分かるくらいガッツリ飲む。
この仕草が可愛らしく、見るたびに心が癒される。

ひとつだけ不思議なのは、私が食事を終えてお茶を飲む頃合になると
どこからともなくやって来てはテーブルに乗り、水を催促することだ。
自分の餌以外は口にせず、食卓の肉や魚をつまみ食いすることも全く無いのだが
もしかすると、我々と一緒に食卓の席に着きたいのかも知れない。
幼くして母親と別れたせいなのか、家族の団欒を求めているのだとしたなら
甘えん坊のこの子が何だか切ない。

そんな彼女がこの夏、一番興味を示しているのが氷。
私のグラスの中の氷をじっと見つめていることが度々ある。
たぶん鼻を付けた瞬間に氷の冷たさにびっくりするだろうけど
一度入れてあげようかと思っている。
「冷たいこいつは一体何者なんだあ~?」と、
目をパチクリしながら凝視するんだろうなあ、きっと。


2012年8月21日

Acoustic Night 復活


お知らせが遅くなってしまいましたがライブ告知です。

Acoustic Night
8月24日(金)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00(予定) MC¥500
出演:桜井タツミ、辻野寛美、かずら元年

NO BORDER  横浜市神奈川区松本町4-28-2Rotunda1F TEL 045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html


私がこの店で歌い始めるきっかけとなったのも
7年前のこの企画「Acoustic Night」でした。
ここ数年は催されることがありませんでしたが、
今回から復活することになったそうです。
不定期ではありますが、様々なミュージシャンが一堂に会す
そんな楽しみがいつもあります。
去り行く夏を、冷たいビールでも飲みながら過ごす時間を
一緒に味わって頂けたら嬉しいです。

ちなみに私の腰痛・・
快方に向かってますので(たぶん)いつも通りに歌えると思います。
(苦笑)

2012年8月19日

52年型はガタガタなのです


五十を過ぎ、やがて六十にもなろうとする頃
それまで健康だった者でも、体調を崩すものだとよく耳にします。
10年という単位が、体の節目となるものなかも知れませんね。

私の場合、今年に入ってからは度々腰痛に悩まされています。
若い頃(五十くらいまで)は、腰に不安を覚えるようなことは一度も無かったんですが
医者に尋ねると、背筋や腹筋の衰えだろうと言われました。
つい三日ほど前にも痛みがぶり返してしまい、
仕事を休んでコルセットを巻いた腰を労わりながら安静にしている始末です。

5年前に事故に遭って以来、体のあちこちが変調を来たしたことは前にも書きましたが
軽のRVが20トンの大型車にガッツリ追突されたわけですから
腰から背中、そして首と頭に至る神経が損傷するのも当然でしょう。
幾つかの病気を発症して入退院を繰り返すようになったのもあれからですからねぇ。

けれど、それでも私はこうして生きているのですから
生かされたことに感謝しながら、このオンボロな肉体と付き合って行かねばなりません。
事故を恨んだり悔やんだりすることもありませんし
己の一生の中の、運命的な出来事のひとつだと振り返るだけです。
あれから様々な出会いや経験を重ねてきたことに、むしろ感謝するべきだとも思っています。

多くの方々から名曲だと言われる私の歌『134号線の夕陽』
その一節に「降りかかる災いや試練を そのまま受け入れちまえよ」と言い切れたのも
あの事故を経験した後で、たくさんの素敵な人間たちと知り合えたからなのでしょう。
長く生きるということは、実に楽しいものです。

日が短くなり、夏も間もなく終わろうとしています。
楽しきこと、愉快なことに想いを馳せながら、各々の日常を過ごしましょう。
残暑見舞いを兼ねて、私の近況報告でした。



(追記)
明日は仕事場に復帰する予定です。
今週末にはライブもあるしね。


2012年8月15日

想ひ



武器を捨て
戦争を放棄したこの日から
今の私たちは在る。

同じ過ちを繰り返さないためにも
決してこの日を忘れてはいけないのだと思う。

そしてもうひとつ。
唯一の被爆国である我が国が
三度(みたび)核の脅威と直面した
3月11日を忘れてはいけない。

核の廃絶を訴え続け
そして自ら核を放棄することが
私たちの務めなのだと思うのだ。

血と涙の犠牲の先に
平和な世界が築かれるのだということを
私たちは知っているのだから。

それを
忘れてはいけない。


2012年8月12日

・・ヲタク、ですか?



明日は孫二人を連れて、7月にオープンした原鉄道模型博物館へ行くのです。
一番ゲージという鉄道模型の中で最大のレール幅が魅力でもあるのですが、
ここの売りは何と言っても鉄製のレールと鉄製の車輪。
おまけに本物の小石が枕木の下に敷かれていることから
ダダトゥンダダトゥンという実際の走行音までもが楽しめるとのこと。

私、決して「撮り鉄」ではないのですが
素晴らしきジオラマの世界を収めるため、久しぶりに一眼レフを携えて参ります。
けれど(カメラが)デカイ、そして重い。
バッグの中身を抜いて入れてみましたが、かなりずっしりとしています。
こんなときのためにも、コンパクトなミラーレス一眼が欲しくなってしまいました。
・・ヲタク、ですか?

私は楽しみにしてるのですが、肝心の孫共が果たして喜んでくれるのかどうか。
そこんところが問題ではありますが・・(笑)

毎夜観戦していたロンドン五輪も幕を閉じます。
明日からは日常が戻って来ます。
ようやく寝不足から解放されるというわけですな。
何はともあれ、選手諸君を称えたいと思います。
おつかれさま、ありがとう。

2012年8月8日

寝不足です


朝晩が涼しくなってきました。
ほんのりと秋の気配を感じさせます。
今年の夏はこのまま終わってしまうんですかね?
暑いのは苦手な私ですが、少しだけ淋しい気がします。

サッカー以外、さほどの興味が湧かなかったロンドン五輪ですが
いざ始まってしまうと何故かハマッてしまうから不思議です。
ほぼ毎晩、遅くまで観戦しています。
それも日頃は決して観ないような競技まで。
日本選手が準々決勝あたりまで勝ち進むと
心の中で密かに熱い声援を送りながら応援してしまうのです。
やはり「日本人の血」なのでしょうか。

それにしても、取りとめも無く観てしまう自分には呆れてしまいますがね(笑)

椅子に座ってテレビを観る時間が極端に多くなってしまったせいか
持病の腰痛が再発してしまいました。今回はいつもと反対側の右腰。
重症ではありませんが仕事場の椅子が辛くて、一日だけ欠勤してしまいました。
患ってから今日で四日目ですが、まだ角度によっては鈍痛が走ります。
年齢と共に衰えて行く腹筋や背筋、鍛えねばいけませんね。
お恥ずかしい・・

明日は半年に一度の眼球検査。
三年前に手術した右眼の経緯を診てもらいに聖マリまで赴きます。
毎回、正常な左眼も(念のため)検査されるので
瞳孔を開かれるため車で行けないのがちょっと面倒です。
おまけに両眼の瞳孔を開かれると、眩しくてほとんど何も見えなくなりますから
帰り道は勘?で歩かなければなりません。
サングラスを掛けていても歩行者信号がまともに見えないので困ります。
そんなとき、いつも思うんです。白い杖が欲しい!と。
行き交う車や人に対して、自分の状態をアピールしなければと思ってしまうほど
ふだん何気なく通る道や階段が、とても危険で凶暴なものに変貌してしまうのですが
これは健常なときには決して分からない恐怖心なんでしょうね。
明日は晴れの予報、病院からの帰り道はかなり眩しくなりそうです(困)

ちなみに術後の私の右眼、視力は左眼の半分くらいで
おまけに画像がかなり歪んで見えます。
失明しなかったのは幸いでしたが、未だにぼんやりとしか見えてないのです。
慣れてしまったので車の運転や日常生活には支障ありませんけど
もしも左眼まで患ってしまったりすると、とんでもないことになってしまいます。
そうならないように、定期的な検診は欠かせません。
なので、一日くらい眩しくて見えないことは我慢しなければ!なのです。

午前中から出掛けて帰りは夕方、長い一日となることも我慢のしどころですが
問題はこの腰痛、果たして病院まで辿り着けるのか?(汗)


2012年8月2日

スポーツは芸術だ


スポーツは、それぞれの形に応じた技の美しさが観る者を魅了するのだと思う。
仮にそれが勝負事だとしても、結果だけが全てではなく
或る意味芸術性が伴わなければ、観ていてつまらないものになってしまう。

柔道がいい例だ。
国際大会で海外の選手が勝ち進むようになって以来、
パワープレーばかりが目に付き、本来の技の美しさが薄れてしまった。
おまけに審判が道着の乱れを注意する光景も無くなり
海外選手の多くが帯から外れた状態のまま試合を進めているのを目にすると
勝敗や優劣を楽しむ以前に、とてもだらしなく感じてしまうのは私だけだろうか。
もはや、JYUDOという全く別のスポーツになってしまったのかも知れないが・・

昨夜の内村航平の演技を観ながらそんなことを考えていた。
体操競技に於ける難度の高い技は、単にそれを熟す(こなす)だけではなく
空中に描かれる放物線の美しさと、一定のテンポが不可欠なのだ。
過去の全盛期だった頃の日本の体操にはそれがあった。
動と静が交互に訪れる、息遣いが感じられるほどのそんな演技が。
その「美」と「間」が、内村の演技にはあった。
技だけを追求する海外の選手には到底真似できないパフォーマンスであり
彼が手にした金メダルは、得点以上に偉大なことなのである。

屋外競技は数値が全てだが、審判が採点をする屋内での競技には
もっと芸術性が求められても良いと思うのだが皆さんは如何であろうか。
ただし、数値が全てとは言っても、ボルトの走りや室伏の投擲など
屋外競技にも王者に相応しい美しさを感じる姿は必ず在るものだ。
如何なる競技にも、観る者はその「美」に魅了される。
スポーツとは、そういうものなんじゃないだろうか。