2012年10月16日
支離(Siri)滅裂
iPhone5、受け取って参りました。
LTEのスピードもさることながら、A6チップの処理速度も天晴れですな。
手にした瞬間、予想してた以上に4より薄くて軽く感じたのが驚きでした。
ぺらあっとしているので、なんだか華奢に思えてしまいます。
私が予約していた店はフランチャイズのSBショップのようで
あれもこれもと無料月間だけのオプションを幾つか付けられましたけど
さほど嫌な気分にもならなかったので「お付き合い」してあげました。
無料期間が過ぎたら全部外せばいいんですからね(店のお姉ちゃんにサービスさ!)
勧められるままに、今まで愛用していた4は「家族キャンペーン」にしてあげました。
新たなUSIMカードを入れ、電話番号とメールアドレスは付きますが
3Gを切った状態の「ゼロから定額」なのでWi-Fi接続だけの使用に限定されますから
2年間まったく費用は掛からないという仕掛けなのです。
実際に使うかどうかは別として「iPad mini mini」てな感覚で傍に置いておくことにします。
今回初めて気が付いたんですが、パッケージの中に大きなAppleシールが入ってるんですね。
大きな林檎ちゃんが二つも(写真上)
本体の下に入っているアクセサリーを取り出すために引っ張り上げる時の耳の付いた部分、
この中のスタート・ガイドと一緒に入っていました。
4を購入した際も同じパッケージでしたから、たぶん入っていたんでしょうね。
一度も開けたことが無く、単なる「耳」としか思っていなかったもので・・(笑)
それにしても、カメラの解像度がずいぶんと向上してますねぇ。
質感までよく表現されるようになりましたもの。
Siriは・・笑っちゃうくらい毎回NG、御主人様の言葉を理解するまでかなり掛かりそうです。
(中の)女性、混乱してくるとかなり喰らい付いて来るんですが
次の瞬間コロッと態度を変えて「諦めなはれ」的な発言をするのです。
ちょっと知的なあの喋り方、どこかの秘書さんみたいですよね。
たぶん眼鏡掛けてます、たぶん。
*
2012年10月15日
魔法の林檎
2年と3ヶ月、長らくお世話になったiPhone4とお別れする日を迎えました。
明日、入荷している5を受け取りに地元のSBショップへ行くのです。
片時も離れずに、ずっと傍に居てくれたジョブズの子供に感謝します。
友人たちの、ガラスが割れてしまったiPhoneを幾つも目にしてきましたが
落っことされることもなく、この子はまだ綺麗で美しいボディを保っています。
こうして眺めていると、まだまだ現役で働いてくれそうな気がしますけど
(やめときゃよかった)iOS 6のインストールのせいで
最近はアプリが落ちまくったりフリーズしたりすることが何度もありました。
「もうあたしには無理だよー!」そう叫びながら働いてくれていたのでしょう。
ごめんね、大変な思いをさせてしまって。
5に引き継がれるデータとアプリ、
先ほどiTunesにバックアップしておきました。
遅れ馳せながら、明日からA6チップとLTEのスピードを堪能させて頂きます。
それと、4では対応していなかったSiriも。
あー、でも・・
4の入荷を待ちわびた時のようなワクワク感が無いのです。
これはちょっと寂しいですね。
iPhoneだぜー!みたいな興奮を抱けなくなってしまったのは
やはりジョブズが居ないせいなのでしょうか。
iPhoneはスマホに非ず。
私にそう思わせてくれたジョブズの魔法が恋しくなります。
*
2012年10月14日
goo goo g'joob g'joob g'joob!
友人のつぶやきを見て、
今夜「マジカル・ミステリー・ツアー」のTV放映があることを知りました。
さっそくフジテレビの番組表を見てみると・・え?1:35~4:00??
妙に長いなと思いNETで調べてみると、
58分のドキュメンタリー・フィルム「アリーナ:マジカル・ミステリー・ツアー リビジテッド」が
新たに制作されて一緒にオンエアされるそうです。
公開当時、映画としては失敗作だという論評をよく見かけましたが
収録曲には私の好きな作品がずらりと並んでいます。
オマケでキャストやスタッフのインタビューを集めたドキュメンタリー・フィルムが付いてるなんて
これは楽しみですね。観なきゃ損した気分になりそうです。
でも時間が遅いので、録画して今夜は寝ることにします。
休日の昼下がりにでもゆっくりと、ね。
フジテレビ『THE ROCK MOVIES』と題された三夜連続の深夜映画、
この後15日はボブ・ディランの「ドント・ルック・バック」
16日はストーンズの「ギミー・シェルター」と続くようです。
エッフェル塔をよじのぼるセモリナのイワシ
ハレ・クリシュナを歌う初等のペンギン
奴らがエドガー・アラン・ポーを
蹴とばしたのは見ものだった
僕はエッグマン 奴らもエッグマン
僕はセイウチ goo goo g'joob g'joob g'joob
「I Am the Walrus」
・・渋谷のeggmanて、ここから来た名前なのかしら?
*
2012年10月13日
焚き火
家庭で出たゴミは自分の所で始末する。
燃やせる物はみんな燃やしちゃえ、というのが昔は当たり前のことでした。
焚き火は落ち葉だけのものではありません。
不要になった物、他人の目に触れると困る物、灰にしてしまうのが一番です。
画像は4年ほど前の光景。
大家の爺さんが裏庭で焚き火をしているところです。
私の部屋のサッシを開けるとすぐ目の前、なのですが老人の行動はダイナミックでして
何やら熱い空気が風に乗って私の部屋に吹き込んで来るなあ・・と、外を見てみると
爺さんの姿は無く、赤々と大きな火柱が上がっておりました。
おいおい、爺さん燃えちまったのかい!?と、思ったくらいです。
火を点けてから何処かへ行ってしまい、火事になる心配もせず、
消えた頃に戻って来ましたが、呑気なもんですよねぇ(汗)
実は隣に住む大家さん、先代から造園業を営んでおりまして
現場で切り取られた木や枝を持ち帰って処分するために
数年前までは敷地内に大型の焼却炉を備えていました。
我が家のゴミも年末になるとそこで一緒に燃やしてもらったりしてましたから
シュレッターに掛けなきゃいけないような書類関係を処分するのにとても重宝してました。
けれど造園の仕事は減るわ、広大な土地の固定資産税の負担は大きくなるわで
畑になっていた部分や焼却炉があった場所は売却して宅地になってしまい、
今では建て売りの大きな家が4軒建ち並んでいます。
4年前は元気に焚き火をしたり、大きな庭の草むしりをしていた爺さんも
婆さん(奥様)に先立たれてからというもの、すっかり足腰も弱ってしまい
このダイナミックな炎が立ち上がる焚き火の光景も見られなくなってしまいました。
おまけに裏庭は手入れされることもなくなり、かなり荒れた状態になっているので
数年前の出来事を懐かしく思わずにはいられません。
ちょっと涼しくなった頃の、古き良き思い出なのであります。
焚き火・・したいなあ。
*
2012年10月12日
文明の光
寒くなってきたので、デスクの灯りを熱源の高いミニ電球のタイプに交換しました。
かなり熱を発するので、夏場はとても使えたものではありませんが
今の時期は温かみのある光と、ほんのり手元が暖まる感じがいいのです。
いわゆる裸電灯の黄色と朱色が混ざり合った色、心が落ち着きますし
光に照らされた物たちすべてが、命を与えられたように鮮やかな色を発します。
それは夕焼けに映し出された風景に似た世界、
デスクの上が黄昏色に染まって行くのは楽しいものです。
けれども世は省エネのご時勢、厄介者の電球は姿を消しつつあります。
後を引き継ぐのは無機質な光を放つLED照明。
昔ながらの電球を小ばかにするように、利口ぶった生意気そうな顔をしています。
私はそんな冷徹さが好きになれません。
確かに省電力化は必要なことでしょうけど、
部屋や人を温かく包み込むような、光がもたらす幸福感てのがあるんだと思います。
如何にご時勢とは言え、それが失われて行くのは悲しい気持ちになってしまうんですよね。
十数年後、電球はオークションで高値で売買されていたり
はたまた真空管のようにヴィンテージな物になっているのかも知れません。
やがて「電球マニア」などとオタクっぽく揶揄されるようになるのは御免ですが、
私は安く手に入る間は使い続けて行こうと思っています。
小まめに消すなど、省エネ対策は別の方法で十分貢献できますからね。
この温かで心安らぐ橙色の光は捨てられません。
ちなみに我が家の電気料金、昨年の節電時期をも凌いで前年比30%減を保っています。
旧型の照明器具ばかりですが、努力と工夫で何とかなるものです。
四六時中点灯させなければならない業務用の照明ならLEDの方が有利でしょうけど
点けたり消したりする一般家庭での節電効果には疑問を抱いてしまいます。
それに何と言っても高い!
売り物が無くなってしまった家電業界の罠なんじゃないでしょうか。
諸説ありますが、ジョゼフ・スワンが発明し、
後にトーマス・エジソンが竹をフィラメントに用いることで実用化されるに至った電球。
明かりを灯すと、大いなる歴史の光が満ちて来そうな気がします。
いけません、そんな文明の光を絶やしてしまっては!
(猫も杓子も省エネ)に関連して、自動車にも同じようなことが言えるのですが
それは次回にでも。
*
2012年10月11日
向こう岸まで
還暦前夜、「川の向こう岸まで今夜渡ります」と、ツイートすると
或る方から、「向こう岸なんてあるわけないじゃないですか」と、返されました。
でも、やはり私は川を渡ったような気がしてます。
溺れもせず、向こう岸の土手まで辿り着いて
バッグの中から取り出した酒を飲みながら
明け行く空をのんびりと眺めていた記憶がありますもの。
反対側の岸に、何かいろんなものを置いて来ました。
「手ぶらで来い」そう誰かに言われたのかも知れませんが
邪魔臭そうなものはほとんど持たずに渡りましたから
ほら、おかげですっかり身軽になってます。
それはあたかも、トム・ウエイツが歌う「Ol '55」のようでもありました。
時間はすぐに去って行ってしまう
だから俺は急いで乗り込むのさ、自分の古い55年型に
遅い車を追い越して行くと、祝福されているようで気分がいい
神に誓ってもいい、生きている実感がしたんだ
今、太陽が昇り
俺は幸運の女神と一緒に乗っている
高速道路を走る車とトラック
薄れゆく夜空の星達、まるで俺がパレードを先導しているみたいだ
もう少しこのままでいたいと願いながら
俺はこの昂まる気持ちを、お前に話したいと思っているんだ
朝の6時
急かされなくても、出発しなければならない時間だ
トラックがパッシングしながら俺を追い越し
通り過ぎざまライトが煌めく
こうして俺はお前の処から家へと帰るのさ
今、太陽が昇り
俺は幸運の女神と一緒に乗っている
高速道路を走る車とトラック
薄れゆく夜空の星達、まるで俺がパレードを先導しているみたいだ
もう少しこのままでいたいと願いながら
俺はこの昂まる気持ちを、お前に話したいと思っているんだ
「Ol '55 私訳」 ひとつのポケットから出た話から引用
私も今、52年型の車のシートに座り、エンジンを掛けたところです。
日常は何ひとつ変わっちゃいませんけど
川の水で洗い流されたのか、とても新鮮で神聖な感覚でいます。
大袈裟に聞こえるでしょうけど、生まれ変わったような気分。
何かが静かに始まろうとしている予感がするほど穏やかです。
還暦という名のその川を渡った先に、
「老齢」と呼ばれる者たちが棲む「向こう岸」が在るのです。
私はその町の住人となり、
この先の旅に思いを馳せながら歌っていたいと思うんです。
*
2012年10月10日
汽車が田舎を通るそのとき
69年の秋、田舎の本屋で音楽誌を立ち読みしていた私は
URCレコードという見慣れぬ音楽出版社の名前を目にしました。
何やら面白そうなアルバムが何枚かリリースされていて聴いてみたくはなりましたが
高校2年のその当時、北海道の片田舎のレコード店に置いてあるわけもなく
途方に暮れていましたら、なんと駅前のサウンドコーナーにそのほとんどが並んでいたのです。
このBlogでも何度か書いている(私の音楽の師)高村知魅氏の小さな小さなお店に。
記憶では、北海道で仕入れていたのは彼の店だけだったと聞いた覚えがあります。
そこで手に入れたのがこれ、高田渡フォーク・アルバム「汽車が田舎を通るそのとき」
前作のプロテスト・ソングから一変して、内面を描く作品が並んだそれを
凍えそうな北海道の長い冬の間中、何度も何度も繰り返し聴いていました。
なのでいつこれを聴いても、私はすぐに冬の匂いでいっぱいになります。
遅い春を待ちわびた、高校生の頃の思い出が蘇ってくるんです。
けれど、愛聴盤であった時期があったにも関わらず
私は若い頃から全く、彼の作品を歌うことはありませんでした。
「フォーク・ソング」という括られ方が嫌だったからです。
それはずっとずっと、つい最近まで変わることがなかったほどに頑固な想いでした。
7年前にスーマーと出逢うまでは。
トラッドや高田渡を見事に消化して歌うスーマーは、
それまでに出会ったミュージシャンの中で異彩を放っていました。
彼が歌うと、そのすべてがスーマーそのものになってしまうのです。
そんな男との出会いは驚異でした。そして何度か彼の歌を聴くうちに、
私の音楽観が如何に狭くて窮屈なものであったかを教えられた気がしました。
なんたって、バンジョーで「マザー・ネイチャーズ・サン」を歌ってしまうんですからね。
その自由奔放な感覚には脱帽です。
先日のバースデー・ライブの折、ゲストで歌ってもらった彼にリクエストして
最後の締めに高田渡の「生活の柄」を一緒に歌わせてもらいました。
私が(私流に)歌い、彼がバンジョーとコーラスで合わせてくれたんですが
予想していた以上に楽しく歌うことができました。
彼とは何度も顔を合わせていながら、一緒に歌うことなどありませんでしたし
ましてや高田渡を人前で歌う自分の姿など、想像したこともなかったものですから
その心地好さに酔いしれながらも、どこか不思議な感覚に襲われていました。
正直、嬉しかったのです。スーマーと歌ったこと、
自分の中で拘っていたフォーク・ソングという呪縛にも似たものから解放されたこと。
ベルリンの壁のように強固だった垣根が取り払われ
その瞬間、何だかとても自由で身軽になれた私を客観的に見ていました。
折りしも還暦を迎えた夜、気負い無くその一歩を踏み出せたのは
どうやらその辺りに理由があったのかも知れませんね。
ちなみにこの夜のスーマー、
本邦初と称して日本語でレナード・コーエンの「ハレルヤ」を歌ってくれたのですが、
これがまた悔しいくらいに(憎たらしいくらいに)良かったのです。笑
「汽車が田舎を通るそのとき」に話は戻りますが、
私が擦り切れるほどに聴いたアナログ盤はすでに手元にはありません。
見開きのレコード・ジャケットというのは、中も外も開いたときに完結するものなのでして
このアルバムの裏側まで繋がった絵が実にいいのです。
*
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