2013年8月11日

夏が背中で


殺人的な猛暑と豪雨、
何やら我々人間の犯した罪に
自然界が怒り狂っているかのような気もします。

私、明日は休日なのですが
憂鬱なことに松島病院へ再診に行かねばなりません。
切られて膿を出して、それで終わったようなつもりでいましたが
どうやら再び膿が溜まってきてるようなのです。

どのような審判が下されるのか、それを考えるとちと怖い。
入院・・手術・・
きゃーっ!!臆病者の爺はビビッてます。
医療費も馬鹿になりませんしねぇ。

液晶テレビが遠退いて行く。。(ToT)

臆病者、といえば
若い時分に作った歌を想い出しました。
逸る気持ちとは裏腹に、
夏の容赦ない陽射しを恨めしく思っていたのは
今も昔も変わってない気がします。



夏が背中で舌を丸めて嘲笑い出すと
乗り遅れやしないかと
僕は駅までの路をひた走るんです

夏が肩で風を切って歩いていても
追われる者の臆病風は
自分の足を切り落とすんです

まだ間に合うはもう危ないなんて
熱に魘されうわ言のように
繰り返す僕はしどろもどろさ
地べたに這い付くばって

にょろりにょろりと汗を拭き拭き歩き出すと
コンクリートの街並みが
ぐにゃりぐにゃりと舞い踊るんです


「夏が背中で」


*

2013年8月10日

傷だらけのテレビ


我が家のブラウン管テレビ、いよいよだめみたい。
まだ使えるからと、地デジ化された後も
アナログ変換できるDVDレコーダーをチューナー代わりにしてしぶとく使っていた。

今朝、カミさんが慌てて部屋に飛んで来た。
テレビ!いきなりプッツンしたよ!!
まだ私が「あまちゃん」の録画を観る前だ。

しばらくしてもう一度飛んで来た。
電源入れたら映ったけど色が変!!

居間へ行って確かめてみると
なんというか、モノクロの画像に緑色だけ足したような
古い映画を観ているようで、明らかにカラー映像ではない。
顔色がすこぶる悪くて、みんな病気のように見える始末。

買い替えどき、なのかな・・

ボーダーコリーがサッカーボールに喰らい付き
頑丈な画面に突進して歯が欠けたりとか
冬には猫が暖を求めて、テレビの上で寝ていたりとか
それらの対策のために液晶には替えられなかったブラウン管の存在。

けれど今じゃ、あの犬もあの猫も
みんな天国へ逝ってしまったので
ブラウン管じゃなくても不都合は無い。
傷だらけのテレビ、想い出はたくさん詰まってるんだけどね。

液晶に、買い替えどきなのかな・・

*

2013年8月9日

忘れてはならない五つの日


今日もまた、鎮魂の日。
あの日と同じように、夏の陽が容赦なく降り注いでいた。

日本人として忘れてはならない4つの日があると
皇太子時代の現天皇が1981年に残した言葉がある。

8月6日の広島原爆の日、
8月9日の長崎原爆の日、
8月15日の終戦記念日、
そして6月23日の沖縄戦終結の日である。

確かにそうだ。
私たちには後世に語り継いで行く義務がある。

この国の愚かな政府が
「核兵器の非人道性を訴え核兵器廃絶を求める共同声明」の署名を拒否したとしても
我々国民は孫子の代まで歴史の事実を伝えて行かねばならない。
地球上に紛争と核がある限り。

その広島型原爆の168個分にも相当する放射性セシウム137を放出したのが
耐用年数を超えてもなお稼動させていた福島第1原発だ。
老朽化した施設を単なる金儲けのためだけに安全を顧みず動かしていた
それが世に発覚するきっかけとなった3月11日も
忘れてはならない五つめの日として、語り継いで行かなくてはならないのだ。

*

2013年8月8日

復縁


ギターの善し悪しって、決して値段じゃないんだよねぇ。
ビギナー向けの安物が、時としてその10倍以上の高級品を越えてしまうこともある。
要は自分の思い通りの音が出せるかどうか、そこんところで決まってしまうのが
出逢いと別れを何度も繰り返すことになる所以なのかも知れない。

たとえばこの00サイズのエピフォン、
同社の近年のドレッドノートには満足に鳴る製品は無くて
おまけに仕上も粗悪な物が多く、私も何度か騙された経験がある。
もう二度とエピなんか買うものか!と強く思ったものだが
ミディアムボディにショートスケールのこの子を目にしたとき
何の根拠も無いまま、これはイケるんじゃないか?と確信してしまったのだ。

予感的中。
ザクザクしたナローな音の質はギブソン直系、というかギブソンより鳴る。
音が太くてレスポンスが良いのは私好みだ。
これはちょっとハマリそう。

気分が良くなり、久しぶりに数曲を歌いながらアレンジを変えてみた。
いつ以来だろう、こんなに楽しく歌えたのは。
その気にさせてくれる相手が、ようやく現れてくれたようだ。

ちなみにこの子は従来の中国工場製ではなく、インドネシアの工場で作られている。
最近生産拠点をシフトしてるようだが、中国のラインより質が良いのかも知れない。
なんか、いい感じだわ。弾いてて楽しくなる!

*

2013年8月7日

ストーンズから消えた男


しばらく顔を見てないからと言っても
隠れている場所はずっと覚えてた。

この娘を連れて帰ったのは、忘れもしない2006年の夏。
ブライアン・ジョーンズの映画「ストーンズから消えた男」を観るため
カミさんと一緒に川崎へ行った日のことだった。
レイトショーが始まるまでの間、時間潰しに立ち寄った山野楽器で
ふと目が合って試奏して、こりゃ面白いと即決で購入した代物だ。
またかい!と、カミさんは呆れていたが
彼女が大好きなブライアンの映画に誘ってあげたせいもあり
こちらにはやや優位な情勢があったので文句は言われなかった。

フェンダーのテレコースティック、
テレキャスターをモチーフにしたエレアコの最初のモデルである。
今夜、何気なく引っ張り出して手入れをしたついでに弾いてみると
わ!薄っぺらな樹脂バックのボディなのに凄く鳴るようになってる!!
セミアコ程度の厚みのボディなれど、生音がやたらとデカイのだ。
しかも切れが良くバランスもいい。

これにはびっくり。
7年間の熟成の成果なのであろうか。
暫くの間、ちょいと傍らに置いておくとしよう。

あまり話題にもならず、興行収益も少なかったであろう
「ストーンズから消えた男」に纏わるエピソードなり。
ちなみにカミさんと観たレイトショー、
それを裏付けるように、観客はわずか数人だったとさ。

*

2013年8月6日

空虚


怒涛の数日間が過ぎて
急に平穏な時を迎えると
なあんか、ぽっかり穴があいたような気分。

足りないんだ、ピースが。
不完全なジグゾーパズルみたいに
記憶の一部にどうしても埋まらない所があるのさ。

平々凡々とした日常に
ちょっと波風が生じただけで
体力気力を消耗して
メモリー回路までおかしくなってしまうのかしら。

だとしたら
人間て、脆いものよね。



その人間が創り出した
地球上で最も残忍で凶暴な兵器によって
日常の営みを寸断された街に
今日も鎮魂の鐘の音が響く。

それでも世界にはまだ
1万7千発もの核弾頭が在るのだという。
抑止だ、傘だ、と言われても
頭のイカレた奴がスイッチを押せば終わりなのだ。

第二次大戦以降、人間は何を学んだかって?
敵に脅威を与えることさ。
力を誇示するために、核の数を競い合ったのさ。

それは今なお続き
飢えた貧しき共産主義国家までもが
交渉のカードと称して海の向こうの大国を威嚇する。

人間て、愚かなものよね。



幸せって何だろう、そう問われれば
そりゃ平穏な日常が一番さ。
誰もが胸を張ってそう答える日は
果たして来るのだろうか。

ぽかんとしながら
私の頭はくるくると回り続けるだけだった。

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2013年8月5日

我が家のお嬢様


家に居る他の猫や犬、そして家を訪れる人間たち
そのほとんどに対して、まるで見下しているかのように
いつもツンとして愛想を振り撒くことをしませんでした。
気を許した相手以外には、媚を売ることもせず
お嬢様の血統らしく堂々とした振る舞いに徹していたようです。

当然、仲良しのお友達は居ません。
けれども彼女のポリシー通りに生きて行く日々の中で
寂しそうな素振りを見せることはありませんでした。

その張り詰めた気持ちから、ふっと息を吐いたとき
化粧を落とした少女のように、彼女はとても甘えた表情になるんです。
床から私や家族を見上げるときは、いつもこの顔で
オバチャンの歳頃になっても、少女のような瞳は変わりませんでした。


家庭内に友達が居ないせいもあり、ふだんは無口なんですが
突然堰を切ったようにたくさんお喋りを始めることがあります。
それもピィピィと甲高い声で、一般的な猫語とは明らかに異なる発音です。
13年前に初めて我が家にやって来たときもそうでした。
ピィピィと鳴く白い子猫に、子供たちはピィちゃんと名付けました。

先月末、突然お尻(正確には陰部)から出血して子宮蓄膿症と診断されましたが
そのときの血液検査で重度の腎不全であることが分かりました。
先生曰く、生きてるのが不思議なくらいの末期的状態で
腎臓はほとんど機能してないくらいの数値だったようです。
この夏を越せるのか尋ねてみましたが、先生の顔には「無理」と書かれてました。

あれから十日ほど、日に日に痩せ衰えて行く姿には
かつての気品ある容姿や愛くるしい瞳の輝きが見られなくなったどころか
数日前からは歩くこともままならない状態にまで陥ってしまいました。
それでも家族が集まるのを待ってくれていたのか、
金曜には末娘が来て、土曜には一番可愛がっていた長男が来て、
ひと通りのお別れをすることが出来ました。

昨夜、30分おきくらいに痙攣が始まり
3時頃までは私と女房と長女が皆で体を擦っていましたが
朝の5時頃、添い寝していた女房に看取られ息を引き取りました。
享年13歳、お嬢様の道を貫き通した見事な生き様だったと思います。

夏の盛りですから、今日のうちに荼毘に付すことになり
今までの他の家族と同じように阿久和のペット葬儀場へ向いました。
我が家から車で15分ほどの場所、今回で10回目です。


不思議なことに、ここへ来るときはいつも快晴。
青い空から燦々と陽が降り注いでいるのです。
20年以上前から変わらぬ風景のこの一角、
ここに立つと、いろんなことが思い出されます。

生前のピィちゃんを可愛がって頂いた皆様、
そしてお悔やみの言葉を掛けてくださった皆様、
この場を借りましてお礼申し上げます。

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