2014年3月21日

ぽつんと



今夜は何を思ったか、リトルフィート三昧です。
しかもCD。
アナログ盤を掛ける気力がありませんでした。

御大のお別れ会があった日ですから
ナイアガラムーンを聴くのが自然なのかも知れませんけど
僕は昨年のあの日以来、彼のアルバムは一度も掛けていません。
懐かしんだり、偲んだりするような
そんな心の整理はまだ当分先になるでしょう。

旧友岸本哲、布谷さん、そして大瀧さんが
続けざまに世を去ったことは
同世代である僕に、今でも重く圧し掛かっています。

お別れ会の画像に、
はっぴいえんど時代に愛用したリッケンバッカーが写ってました。
ぽつんと。
福生のスタジオを訪ねたときも
伽藍としたそこにあれは置かれてました。
ぽつんと。

時代の波間に垣間見えるものは
いつもひっそりと佇んでいるかのようです。


今日、僕が住む家の近くで
とても綺麗な空を見ました。
思わず車を降り、車道に立つと
空いろのクレヨンが欲しくなりました。

僕はこの空の下に
ぽつんと佇んでいたのです。

*

2014年3月20日

カントリー・カサノヴァ



夜になってから気付きました。
なんと、世の中は明日から三連休とな!
明日から三連(勤)の僕としては、ちょっぴり妬んでます。

悔しいんで今夜はコマンダー・コディを掛けてみました。
「カントリー・カサノヴァ」実に楽しいアルバムです。
あれよあれよとレコード針はセンターへと駆け抜けて行き
あっちゅーまに両面とも終わってしまうのでありまして
もっと聴きたいぞー!と、毎回思ってしまう大好きな1枚なのです。
この(ありがちな)アメリカ的ダッサいジャケットがまた素晴らしいじゃありませんか。

これを初めて聴いたのは二十歳の頃、かな?
所用で田舎に戻ったとき、サウンド・コーナーの店内に流れていて
知魅さんに「これ、いかすだろ」と言われたのが最初の出会いでした。
その当時はカントリー・ミュージックをさほど聴いてなかったものですから
「ふ~ん」と、僕は軽く流してしまいましたが
その後10年以上が経過してから、無性に聴きたくなって購入した経緯があります。

でもね、その昔に知魅さんの所で耳にした時の音にはならなかったんです。
そこがアナログの摩訶不思議なところかも知れませんけど、
その場の空気感みたいなものがイメージとして強く残っているせいか
記憶とは全く違う音色がスピーカーから出て来たんです。
「もっと柔らかで艶っぽい音だったよなあ・・」
ビクターのプレスはビクターのオーディオじゃなければ合わないんじゃないかと
真剣にそう思ったくらいです。
と言うのも、彼の店にはビクターのコンポが置いてあったからなんですが
今思えば真空管が増幅する温かな音のせいもあったんでしょうね。
アンプを替えてもモニターを替えても、未だに当時の新鮮さが蘇ることはありません。

こんなことを思い出してしまうのも、アナログ盤ならではのことです。
音溝に刻まれているのは音だけじゃなく遠い昔の記憶。
それが何故なのかは、わからないままなんですけどね。


新居の設備担当として、今日もいい仕事をしました。
物干し竿に洗濯物を楽に掛けられるようカミさんから要望があったので
アイリス・オーヤマに90Cm幅のベンチを2本注文して
180Cmの縁台として使えるように組み立てたんです。
元がベンチですから、ここに腰掛けて空を見上げるのもまた良し。
実際に乗ったり座ったりしてみましたが、とてもいい按配でした。
またしても大好評!設備担当は鼻高々!!(笑)

*

2014年3月19日

サン・アンセルモの雪



この町に引っ越してから3週間が過ぎましたが
いつも仕事場へ向う途中、住宅街の一角に在るお家が気になってたんです。
今日になってその正体がようやくわかりました(遅!)

てっきり住宅だとばかり思っていたその家は
パティスリー・ラ・ベルデュールの姉妹店として7年ほど前に出来た
ル・ジャルダン・デュ・ヴェールというパンとケーキの有名店だったのです。
この佇まい、どう見ても普通の家ですよね。看板らしき物もありません。
2階が喫茶になってるようなので、お天気のいい日に散歩がてら覗いてみようかと思ってます。
実はボク、酒飲みなのに甘い物も行ける質でして・・
言ってみりゃあ昼は甘党、夜は辛党、みたいな(笑)
真夏の炎天下で飲むビールは別として、どうも昼間の酒は苦手なのです。
せめて夕暮れ時くらいにならないと酒を楽しむ気分にはなれません。
昼のスイッチ、夜のスイッチ、切り替えは肝心ですもんね!

それにしても、なんと洒落た町に越して来たものでしょう。
知らなかったんですが、駅から長い遊歩道がこの店の先辺りまで繋がっているそうです。
一度歩いて探索してみなきゃなりませんね、春の楽しみができました。


今夜は久しぶりにヴァン・モリソンを引っ張り出してみました。
「苦闘のハイウエイ」ホーチミンを描いたと言われるジャケットも秀逸で
A面1曲目の「サン・アンセルモの雪」は何度聴いてもぞくぞくするほど好きなアルバムです。
ふと黄ばんだライナーを出してみると(師匠)小倉エージ氏が書いておりました。
アナログ全盛の、良き時代でしたなあ・・

*

2014年3月18日

人間は幾つになっても興奮すべし!



なあんかヤワな印象が強すぎるんで
舌の根も乾かないうちにヘッドシェルをオーディオ・テクニカに替えてしまいました。
やはり肉厚のあるシェルに、がっちりと固定されてると安心感があります。
このタイプはカートリッジの鳴き防止と低域を締める効果がありますから
たぶん音量を上げればその変化は一目瞭然!の筈ですが
なにぶん深夜のBGMでありますから、今は違いがよくわかりませんけどね(笑)
嗚呼・・それにしても
カモメが描かれてない現行機の顔は何てのっぺらぼうなんでしょ。

初めて手にしたM44G現行モデル、ボディ形状に少々の変更があるようで
今までのセッティングだとお腹を擦ってしまうほど低くなってます。
(若干反りがある盤だと実際に擦ってました)
やむなくアームの高さを調整することにしました。


アームベースのビスを緩め、5mmほど持ち上げ再度ロック。
盤面との平衡感は多少崩れてしまいましたが仕方ありません。

シェルの交換とアーム調整、気になり始めたらすぐやらないと気が済まないので
1時間ほど何度も何度も繰り返し微調整してたもんで
さほど力も要らない作業なのに、ほんのり汗ばんでしまいました。
たぶん、ひとつの「興奮」
人間、これが無ければ駄目だと思ってます。
滴り落ちる汗に美学はあるのだ!昔からずっとそう思ってました。
いつまでもギラギラしてないとね。
(年齢的に脂汗と同化してしまうのが悔しいですが・・)

それにしてもアナログって、自分でなんとか出来ちゃうところが素晴らしい。
目で見て解り、どこをどうすれば良いのか考えられる。
得体の知れない数値だらけのデジタルとはそこが違います。
立ったり座ったり、盤面をひっくり返したりするのが面倒だと言わないで
血の通った音楽は手間隙かけて楽しみましょうぞ!


今宵のラインナップ。
ランディ・ニューマンから始まり、レナード・コーエン、ジョージ・ムラーツと続きます。
トリオ・レコードからリリースされていたジョージ・ムラーツとローランド・ハナのアルバムは
地味ながら大好きなのでして、今でもたまに聴いています。
僕の中ではジャズの名盤!スクラッチ・ノイズがあるのが惜しいんですけどね。

そろそろ鴨志田のタチバナ・レコードへ仕入れに行かなくちゃ。

*

2014年3月17日

さよならカモメさん



昨晩、ちょっと自慢げにご紹介した僕のカモメ・ビンテージ。
ヤフオクで諭吉1枚くらいにならないかしらと期待してたのに
ヘッドシェルから取り外すとき、無残にもこんな姿になってしまいました。

およそ30年間、一度も外されることが無かったせいでしょうか。
端子が酸化してリード線が抜けず、ピンセットでグイッと引っ張ると
事もあろうにカートリッジ本体がボディから抜け出てしまったわけです。
あらら・・諭吉がひらひらと空を舞って行きましたとさ。

新しいカートリッジを取り付けるにあたって、
テクニカやサエクの余っていたシェルが数個あったにも関わらず
DENONのオリジナル・シェルにマウントしたいばっかりに無理をした結果です。
そのままにしておいてあげればよかったんですよね。
後悔はしてませんけど、ちょっと残念。
カモメさんに申し訳ないことをしてしまいました。

この後どうしたかって?
元通りにはめ込んで、何事も無かったかのように仕舞いこみましたよ(笑)
けどもう使い物にはなりません。
さよならカモメさん。


リード線も駄目になってたんで、OFCのちょっと高級な物に替えて
新米のM44GをDENONのシェルに取り付けましたが
眼も指先も、すっかり老化してしまったようで
昔は苦にもならなかった細かな作業に苦労してしまいました。
老眼鏡を掛け、手元にライトを当てながら
何度もビスやナットを落としつつ、ようやく作業完了。


さすが新品の若手、音抜けが良いです。
(30歳の先代と比べるのもどうかと思いますけど・・)
まだちょっと高域が張ってますが、エージングで治まってくれるでしょう。
スタイラス・カバーはデザイン的にも必要ない気がするので、後日外しちゃいます。
このDENONの鉄板プレスのシェル、音響特性的には問題点が多いんですけど
今回はビジュアル優先で音には目をつぶってしまいました。
だって・・


ほら、このアームとターンテーブルには良くマッチしてるでしょ。
好みとしてはもうちょいとゴツイのが好きなんですけど
このアームがひ弱なもんで重たいシェルは付けられないんですよ。
アームのウエイトが後に行き過ぎるとトレースが悪くなりますからね。
薄い鉄板をプレスした軽いシェルが、このアームにはちょうどいいんです。

などなど・・
手間隙かかっても、アナログって楽しいですよね。
今夜はカモメさんを偲びつつ、いつものように焼酎で夜更かし。

いけねっ!明日の朝は資源ゴミの回収だった!
早起きせねばならんのかあ・・

*

2014年3月16日

テキーラ!!(なんのこっちゃい)



シュアーM44G、
その昔はMM型カートリッジのローコストモデルでありながら
輪郭がはっきりしていて尚且つ馬力を感じる太い音だったので
多くのロックやジャズ・ファンに愛用されていたものです。
70年代当時は赤と黒のこんなチープな紙箱で売られてました。
最上級機V15TypeⅢのようなゴージャスなケースではない簡素さが
贅沢を求めない庶民の心を捉えていたような気もします。

僕が愛用していた30年ほど前の44Gが(ようやく)退役することになり
先日アマゾンから届いた代替機も、こんなパッケージなんだろうと思っていたら・・


なんと、こんな大袈裟な器に入っていたのでありました。
往年のバタ臭さも無く、都会的でお洒落な装いに変貌していて唖然。
しかも、クラブ/パーティー用と明記されてるじゃありませんか。
DJ御用達のモデルとなった昨今の現状では、これもやむを得ないことなんでしょうけど
おいおい貴様、スタイラス・ガードまで付けられて、いったい何様のつもりだい。
仲の良かった旧い友人が、急に遠い存在になってしまったような
そんな甘酸っぱい寂しさが込み上げてきました。

シュアーさん、僕は紙箱のままでよかったんですよ。
こんな標本みたいなパッケージ、やめてください。
おまけに僕は律儀に入れ物を残しておく性格なんですから
不必要に大きすぎるのは場所を取って困るんです。
いったい、いつからこんなことになってしまったんでしょうね。

とは言いながら、キャップを外すと「アメリカ」の香りが。
昔、アナログの米国盤のシールを切って内袋を取り出した時と同じ紙の臭いです。
長い時間を掛けて船に揺られやって来た、ちょっと黴臭さに似たあれ。
(わかるかなあ・・)
懐かしい気分に浸りながらよく見ると、メキシコ工場産でした。
Tex-Mexのこれもまた良し、テキーラ!!


ところで、退役した爺さんはカモメ・ビンテージと呼ばれ
カモメのマークが付いた物はオークションでも高値で売買されてるそうな。
僕のはスタイラス・ガードが追加される以前の初期型なんですけど
どれくらいの値段で売れるものなんでしょうかね?


ほら、前から見るとスタイラス・ノブの左右の形がシンメトリーじゃないでしょ。
SHUREのロゴも現行モデルとは異なります。これがオリジナルなんです。
USA M44G、これも諭吉1枚くらいにならないかしらね。
駅前の鳥正で立ち飲み5~6回できるんだけどなあ~♪(期待)

*

2014年3月15日

吐露の遺跡



この老舗レコード店の40数年の歴史の中で
僕は後半の20年ほどの間ここに在籍していました。
ネットの情報では2001年に破産したとありますから
私事で退職したわずか数年後の終焉だったようです。
苦楽を共にした多くの仲間たちがその後の人生をどう過ごしているのか
退職後の付き合いは一切無かったので知る由もありませんが
こうして公の場で書き記しているのですから
或る日突然、旧知の者から便りが届くかも知れません。

昨晩、その内の一人とネット上で巡り会う機会があったせいで
あれこれ昔のことを思い出してしまいました。
一番忙しかった時期は年間休日がわずか40日ほどだった年もあり、
本業のレコードの他、オーディオ製品や楽器の買取で全国を駆け回ってました。
僕は1974年頃に募集の張り紙を見て入社したのですが
当時の先代社長は頑固なほどに商売人だったこともあり
先輩諸氏には創設当初からの丁稚奉公を経て一生を捧げたような人も居たのです。
その方々はいったいどうなったのか、気になって仕方ありません。

典型的な親族会社だったせいで大きなお家騒動もありました。
次期社長ではと目されていた専務取締役が突然解雇され、
長女の亭主が若くして(僕と同世代)二代目に就任したおかげで
古株の社員が何人も首を切られ組織全体が若返ったのは僕にとって幸いでしたが
今思えばその光景は共産圏諸国の容赦ない「粛清」のように映ります。

その後店のロゴは変わり、レコード・ショップはサウンド・マーケットに表記を変えました。
輸入盤の仕入れで付き合いのあったバイヤーからシュアー製品の売込みがあり
当時は高値だったV15TypeⅢというカートリッジやダイナミック・マイクを
業界の常識を破る価格で販売して大当たりしたことも良き思い出です。
たぶんオーディオ製品に於いての並行輸入販売というのは
業界に柵の無かったこの会社だからこそ出来たことだと思いますし
その中で自由に活動させて頂けたことは大変ありがたく感じています。

歌うことを辞め、喰うための糧を求めて路頭に迷っていた次期に
その会社にお世話になってからの20年ほどは
金銭的にも精神的にも、或いは楽しく生きるためにも
僕のその後の人生に大いに貢献したのではと思っています。

ただ、そこでの仕事は毎日が忙し過ぎました。
家族、とりわけ子供が成長して行く過程にも一緒に過ごす時間が無く
接点があまりにも少なかったことを後悔して
長男が中学生になった頃、僕はその会社を後にしたのです。

一昨年の今頃の時期、たまたまBlogに同じようなことを書いてました。
http://kazura1952.blogspot.jp/2012/03/blue-note.html

滅多に書かぬ、かずら元年の過去。
吐露ついでにリンクしておきます。

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