あれから13年。
陰謀説まで囁かれたあの日の真実が
いったい何処にあるのか解らないまま
「強いアメリカ」は正義を旗印に
武力で制する姿勢は変わることがありません。
先の大戦のパール・ハーバーがそうであったように
国民感情を高揚させるための罠だったとしたなら
なんて恐ろしい国家なのでしょう。
亜米利加・・
その国の文化には今でも強い憧れの気持ちがあります。
個々の人間の大らかさは、正に大陸そのものです。
けれど戦いに挑むとき、その姿は豹変します。
原爆や焼夷弾、ナパーム弾や枯葉剤など
残忍で非人道的な武器の開発と
躊躇うことなくそれらを使用する凶暴さに
僕はいつも戸惑い続けてきました。
「国家」として括られたとき
狂気へと突き進むことを誰も止められない
そんな恐怖を抱くのです。
それが戦争という魔物。
間違いに気付くのは、多くの血を流し
街が瓦礫と化した後になってからのことです。
アメリカの「大国」としての存在感が薄れた今、
抑止力と成り得たであろう力関係が崩れ
その際どさは更に深刻なものとなっています。
地球上の貧富の差と宗教問題がそれを加速させ
一触即発であることは否めない現実なのです。
正義として語られる言葉の数々は、
いつの時代も攻める側の口実であることを
僕らは忘れないようにしなければなりません。
しかしながら、闇に蠢く陰謀というやつは
どんなに目を凝らしてもその姿が見えないだけに
不気味であり、怖いのです。
陰謀・・
なんて卑劣な行為なんでしょう。
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