2015年12月7日

思い留まる


何かと出費の多くなる年の瀬ですが
クリスマスが近付いて来ると
思わず衝動買いしたくなるのは何故なんでしょうね。
わあーっ!!と、まるで子供みたいに
目を輝かせながら見入ってしまう物に遭遇してしまうのです。

つい先日も、ぶらっと立ち寄ったハードオフで
プロポーションが素敵すぎるギターを見つけてしまいました。
生憎そのブランドと製品の知識が無かったもので即買いはせず
帰宅してからネットでしらみつぶしに調べ上げ
日本には12本しか入荷してないことが解りました。

安いくせにアディロンダック・スプルースをトップとブレイシングに使い
グローバーのオープンバック・ペグに鼈甲柄のピックガードと
風貌は限りなくマーチンOMなのでして
おまけにトップの塗装はラッカー風味に黄色っぽく仕上げられているのです。
うーん、これは買いだな。
明日、仕事場へ行く前に買っちまおう!
懐に余裕があるわけでもないのに、そう決心して床に就きました。

ところが翌日、ふだんより少しだけ早く起きてはみたものの
コーヒーを飲み一服しながら、もう一度冷静に考えてみました。

今までもそうやって、いったい何本の衝動買いをしたんだ?
ろくに弾いてあげもせず、すぐに手放してしまった物だって沢山あったじゃないか。
なんたって暮れのこの時期に、そんな余裕は無いんじゃないのか?

・・自問自答ではありながら
はい、仰る通りです。と呟いてから
ふうぅ~と煙を吐き出した僕は(あっさり)見送る決断をしたのです。
パソコンと相対しながら、気持ちが昂っていた前夜の自分は何だったのでしょう。

台所の換気扇の下で、風船が萎むように力が抜けて行くのを感じながら
「俺、大人になったもんだなあ・・」と、妙な感慨にふけっておりました。
六十三歳ですけど(笑)



忙しない年の瀬に追い詰められるのは嫌なんで
休日の今日は早々にリビングの大きなサッシのガラス磨きを終えました。
いわゆる大掃除ってやつです。
眩しい太陽に目を細めながらの二度拭き三度拭き、
ガラスも網戸もぴっかぴかに仕上がり、満足の行く結果となりました。
大掃除が面倒な皆さん、僕のように小掃除を積み上げて行く方式がお勧めですよ。

体が温まったので、薄着のまま窓磨きセットを携え愛車の元へ。
ついでに車のガラスも、ぴかぴかツヤツヤにしてあげました。

・・ここでドライバーの皆さんに質問。
洗車した直後の車がキビキビと快調に走ってくれるのは何故なんでしょ。
わあーい!綺麗になったあー!!って
車が喜んでくれてるんでしょうかね?
それとも己の達成感から来る思い過ごし?
いずれにしても、たかだか窓が綺麗になっただけのことで
Keiクンはぶるるーんと楽しそうでした。


そんなこんなで、今日の休日はめんこい奴らに逢うことはできず。
にゃはあ~、3ナンバーの幅広バギーに乗る二人
めんこいなあ。。

*

2015年12月2日

Turn! Turn! Turn!



ちょいと前の暮らしなら
あれもやらなきゃこれもやらなきゃと
まるで子供が宿題を一気に片付けるような勢いで
12月という追い詰められた時間の中を
バタバタと駆け抜けて行ったものだ。

けれど忙しいのは決して自分ではなく
職場や学校、役所の都合でそうなるのであって
そこに師走やら繁忙期やらの漢字を宛がわれると
なんとなく暇にしてちゃいけないような
そんな脅迫めいた気分になるだけのことなのである。

だから、慌てないことにした。
たとえやり残した事柄があったとしても
潔く放り投げ(放棄とも言う)
一年の中で僕が一番好きな時間である大晦日と元日を
静かに過ごそうと思うのだ。

子供たちに手が掛かり、何かと金も入り用な
若き夫婦の営む所帯の忙しさは重々承知しており
甚だ申し訳ない気にもなるのだが
それらから開放された身であるがゆえの
小さな幸せ、小さな抵抗として開き直るのだ。

この歳になると、常に思う。
時の世に踊らされるな、惑わされるなと。
そう、何事も淡々と相対して生きなければ。
熱くなりすぎてはいけない。

余談ながら・・

バーズがカバーした名曲「Turn! Turn!Turn!」
これを僕は「淡々と」と、勝手な解釈で訳したことがある。
ロジャー・マッギンのアレンジが、そう感じさせたものだからね(笑)

そう すべては淡々と
成されるままに淡々と
その時が来るまで
静かに見守っていよう

今、改めて読み直してみると
原詩から遠く懸け離れた誤訳とも思えないので安堵している。
ピート・シーガーからは叱られそうだが・・

The Byrds - Turn! Turn! Turn!
https://www.youtube.com/watch?v=W4ga_M5Zdn4

*

2015年11月26日

ツレヅレ



僕の田舎、北海道の帯広市は
冬の凍て付くような寒さは毎年の事ながら
日本海側に比べると積雪量は少ない地域だ。
けれど今年は、まだ11月だというのに
30Cmほどの積雪を観測したらしい。

僕の実家の玄関から表通りまでの10数メートルを
68歳になる姉が雪掻きに勤しむ。
積もっては掻き、積もっては掻き
どこの家も高齢者ばかりだから同じような状況であろうが
どれほど大変な作業であるかがよく解る。

これから雪との戦いが始まる北国の長く厳しい冬の日常、
その煩わしい生活に、たぶん僕はもう戻れないだろうな。

戦いと言えば
戦争の仕掛け人たちが、あちこちで蠢き始めた。
巧妙に、国際社会を煽り、正義を唱えながら。
テレビの映像とネットを駆使して
仕掛け人たちは民衆に正当性を洗脳することに余念がない。
何が正しいかではなく、何が悪かを訴える。
戦争を始めるためには、その「悪」を際立たせるという
愚かな人間共の古からの手法である。
敵を明確に作り上げたことによって生じる群集心理とは
一直線に突き進む、とてもとても恐ろしいものなのだ。

・・などと言いながらも
呑気にハードオフの餌箱を漁っていた自分が情けない。
百円でフーターズの2ndアルバムを見つけてほくそ笑む、
それが庶民の、ありのままの姿でもあるのだがね。

So What!(それがどうした)


*

2015年11月17日

明日なき世界



11月15日、P.F.Sloanが70歳の生涯を閉じた。
数々の名曲を残して逝った彼を偲びながら
未だに何も変わっちゃいない世界を憂いている。

「明日なき世界」
僕が初めてこの曲を耳にしたのは
往年のTV番組、ヤング720(セブン・ツー・オー)であり
早朝から生で演奏するコーナーに出演した高石友也が
バックにジャックスを従えて歌ったときだった。
高校に入りたての頃だったろうか。

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜だなんて嘘だろ

このリフが、強烈に突き刺さってきたことを
白黒の画面と一緒に今でもよく覚えている。

あれから50年ほど経ったけれど
世界は何も変わっちゃいないどころか
ますます危うくなってきている。

破滅の前夜は
永遠に続くのだろうか。



https://www.youtube.com/watch?v=YTQhBLDZ24g

東の空が燃えてるぜ
大砲の弾が破裂してるぜ
おまえは殺しの出来る年齢(とし)
でも
選挙権もまだ持たされちゃいねえ
鉄砲かついで得意になって
これじゃ世界中が死人の山さ

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ

感じねえかよ この嫌な感じを
一度くらいは TVで見ただろ
ボタンが押されりゃそれで終りさ
逃げ出す暇もありゃしねえ
見ろよ
そこの若いのよく見てみろよ
びくびくするのも 当たり前さ

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ

奴らは俺がおかしいと言う
でも
本当のことは曲げられやしねえ
政治家はいつもゴマカシばかり
法律で真実は隠せやしねえ
そりゃ デモをするだけで
平和が来るなんて
甘い夢などみちゃいねえさ

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ

狂ってきたこの世は騒がしいぜこんなとこからは逃げるに限る
一週間ほど宇宙旅行に
でも戻って来る場所はもとの故郷
進軍ラッパが闇の中にひびく
潜水艦がジェット機が
国を取り巻く

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ
嘘だろ


*音源と歌詞は高石友也の訳詩に手を加えた清志郎バージョン。


2015年11月14日

その先にあるもの



もはや、相対して向き合うような
そんな解り易い戦いではなくなった。
日常の風景の、いったい何処に敵が潜んでいるのか
それがわからないだけに、防ぎようが無いとも言える。

デマや挑発、陰謀や罠。
戦争は、それを求める愚かな者たちの手によって
いとも簡単に始まってしまうものだ。

売られた喧嘩は買わねばならぬ。
国民感情を煽りながら
正義の名の下に戦争は始まる。
いつの時代もそうだ。

そして誰が利益を得るかというと
巨額の受注が舞い込む武器商人たちであり
それは特需となって国が潤う仕組みなのだ。

大国は
一般市民を巻き込むテロを憎み
小国は
一般市民を巻き込む空爆を恨む。

報復の連鎖。
やられたらやり返す
この繰り返しは永久に終わることが無い。

ましてや現代は、国と国との戦いではないところが
状況を更に複雑なものにしている。
たとえ一国を制圧したとしても
その禍根は世界中の同胞たちに飛び火して
それが再び燃え上がり
更に勢いを増して爆発する。

はっきり言おう。
テロは、防ぎようが無い。
それを憎悪した先にある「報復」という手段だけだ。



今日、アマゾンはホームページのトップにフランス国旗を掲げた。
「団結」を意味するフランス語「Solidarite」が添えられている。
単に哀悼の意だけではなく、テロに屈しない姿勢を打ち出したものだろう。
さすが、大国アメリカを背負って立つ企業である。

さて、義を重んじるニッポンは
連合国の一員として、この先どんな道を選ぶのか。
見えない敵の連中は、その動向を窺っている。

その先にあるものが
途轍もなく怖い。

*

2015年11月12日

鎖国



なあんか
みんなが苛々してて機嫌が悪い。

忙しいのはあんただけじゃないんだよ
と、言いたくなるくらい
せかせかと早口で捲くし立てる連中ばかり。

そんな輩に限って
ちゃんとした日本語を話せない。
いや、そもそも協調性の欠片も無い人たちだから
自分の言いたいことしか口にせず
人の話には耳も貸さないときたもんだ。

何もかもが自分のペースで
その波長を他人に同化させようとするのは
横暴すぎる気がするよ。

「個」が世界の中心にあって
それを取り巻く全ての物事が
自分に都合の良いように動くわけなど無いのにさ。
現代人は思い違いも甚だしい。

災いや試練を受け入れるという姿勢も無く
心が鎖国状態のニッポン国民よ、
もうちょっと
大らかに生きることはできないもんかね。

身の丈に合った
そんな暮らしの中でなきゃ
人を思いやることだって出来やしないんだから。

*

2015年11月10日

また一人・・



夜になってから
アラン・トゥーサンがツアー中に亡くなったというニュースがネットに流れ
嗚呼また一人、偉大なるミュージッシャンが逝ってしまわれたのかと
少々落胆している次第です。

誰もがその年月と共に年老いて行くわけですから
こんな日を迎えるのは至極当然のことなんでしょうけど
数十年前のアルバムを聴いている限り
スピーカーの向こう側に居る者は
何も変わることなく、平然と「今」を生きているかのように
スピーカーのこちら側の者を錯覚させるのです。

そして或る日
生き死にという超現実的な出来事を目の当たりにして
うろたえてしまうのかも知れません。

ライブという鮮烈な印象を植え付けるステージがあったとしても
生き様としてのアルバムが永久に残るミュージッシャンにとっては
「表舞台」なんて、存在しないような気になるのもこんな時です。

仮に目の前から姿を消してしまったとしても
その後の動向が全く掴めなくなったとしても
スピーカーの向こう側には、いつも居てくれるわけですから
舞台に立つか立たないかなんて、関係ないんです。

・・と

いつもそう思いながら
先人たちを何人も見送ってきました。

けど
やはり、寂しいもんです。

*